〇七三 苔むした令嬢
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あたしはクラリネッタ・アンダーハートと申します。ライラヴィルゴ王国に住む、普通の伯爵令嬢です。
いや、普通とは違うかもしれません。あたしは両親から、ひどく嫌われていますから。
あたしが小さい頃はそんなことありませんでした。お母様もお父様も優しくて、あたしはアンダーハート家のたったひとりの宝物でした。
妹が生まれるまでは。
妹は天使のように可愛らしい赤ちゃんでした。お父様とお母様、ふたりの良いところを受け継いで、足して割らないような子ども。
妹が生まれてから、目に見えて両親の関心は妹に移りました。すべてです。
それは、長子をかまってやる時間がなくなったとか、そんなレベルではありません。徹底的な差別でもって、あたしは爪弾きにされました。
お父様とお母様は、妹のために髪飾りやオモチャなんかを買ってやります。それを妹は使ったり、使わなかったりして、飽きたり壊したりしたら、あたしにくれます。あたしの持ち物は、ほとんど妹のお下がりです。
お洋服は、妹のお古は着られないから、新しいものを買ってもらえました。
だけど、妹は採寸したり試着したり、こんなデザインがいいと話し合ったりしているのに、あたしのお洋服は、ある日突然「これを着なさい」と渡されるばかり。
ある時こんなのイヤだと反抗したら、なら裸でいろとクローゼットを部屋から運び出されそうになり、あたしは下着姿で泣いて謝りました。
どうもあたしは、お祖母様——お父様のお母様にそっくりらしかったのです。苔色の髪やそばかす、そして目鼻立ち。どこを取っても、若い頃のお祖母様に生き写しであると。
そして、お父様もお母様も、その『お祖母様』のことが嫌いだったらしいのです。
お祖母様に似ていない可愛い赤ちゃんが生まれたから、お祖母様に似ているあたしはもう用済み。そういうことでした。
いわく、お祖母様は家庭を顧みなかったとか、金にもならない怪しげな薬の研究に明け暮れていたとか、夫や息子に対してもとにかく嫌味だったとか、犯罪じみた嫁いびりをしたとか。
よく言っていたのが、「何を考えているのか分からなくて気味が悪い」です。
お祖母様は魔女だった。そう聞かされていました。
八歳の頃、屋敷の離れに住んでいる意地悪な老婆が、その『お祖母様』だと知った時、あたしはすごくビックリしました。
それまで、両親の口振りからてっきり『お祖母様』はとっくに亡くなっているものと思い込んでいたからです。
それに、かつて幼いあたしのことを、甲高い汚い声でうるさいとか、頭の悪い鼻垂れのガキだとか言って、庭で転んでしまった時は潰してしまった花のほうを悼んでねちねちと責め立ててきた老婆が、自分の血縁者だなんて、まさか。
そして老婆はシミだらけで、白髪頭だったので、『苔色の髪』も『そばかす』も、もはや分からなくなっていましたから。
あたしが十歳の頃、妹は五歳です。
そのくらいになると妹も、姉——あたしは家の中でなら好きにいじめてもいい存在だと、しっかりと理解し始めます。
あたしは屋敷に居場所がなくて、よく庭に出て本を読んでいました。本も、父や母が読むものか、妹が読むものしかないので、あたしの年齢に合う本はありません。
ある時、離れに住んでる意地悪な老婆——『お祖母様』が、よたよたと目の前を通りすがりました。
手桶に水を入れて運んでいるのです。全身がぷるぷるして、水はこぼれまくっていました。
しばらく見ないうちにすごく老いてしまったようで、歩くのもやっとのようす。彼女は今にもへたりそうでした。
ですが、老婆を嫌っている家族はもちろん、屋敷の使用人たちも、誰も彼女を助けようとはしません。
『意地悪な老婆』は、あたしが家族から疎外される前から意地悪でした。
ですが、今となってはあたしの周囲は、お父様もお母様も妹もみんな意地悪なひとばかりだったので、誰にでも冷たくて厳しい老婆は、比較するとそこまで意地悪ではありません。
あたしは老婆がかわいそうになって、手伝いをしてあげることにしました。
手桶を代わりに持ってあげると、かつてあれだけ意地悪だったはずの老婆は、しわがれた声で「ごめんねぇ」「ありがとう」を繰り返しました。
寄る年波が彼女から、周囲を刺すだけの力を奪ってしまったみたいでした。
老婆が住む離れに入ると、ひどい有様でした。老人の一人暮らしで、整理整頓にまで手が回らないのでしょう。
すぐに老婆が水を運んでいた理由も分かります。老婆は寝台に粗相をしてしまって、それを始末しようとしていたのです。
自分の粗相であるはずなのに、「息子がお漏らししちゃったのよぉ」と言う老婆に、あたしは同情しました。衰退とは誰にでも訪れるものです。
あたしは暇だったこともあり、それからよく老婆の住む離れへ訪れるようになりました。
このとき、老婆は家の中で唯一、あたしに意地悪をしない存在になっていたからです。
老婆は頭も耄碌してしまったようで、あたしが彼女の孫娘であると分からないらしく、「奉公に来ているよその娘さん」と思い込みました。なんど訂正しても、変わらず思い込み続けるのです。
あたしもそのうち諦めて、「奉公に来ているよその娘さん」を演じるようになりました。
あたしが出入りするようになって、老婆はあたしのことをまるで天使様か何かのように扱いはじめます。しわしわの両手を合わせて拝むのです。
感謝されるのは悪い気はしませんでした。けれど、老婆のためにやっていたわけではありません。あたしもまた孤独で、居場所に飢えていましたから。
老婆の家を片付け始めると、古い絵本や壊れたオモチャ、薄汚れたブローチなんかが出てきました。老婆がそれをあたしに譲ると言えば、妹にすべて奪われる家の中で、これだけはあたしのものでした。
十三歳になったある日のことです。
その頃には寝台から起き上がるのも稀になっていた老婆が、あたしに頼んできました。とても苦しそうな声です。
「クラリネッタや、お願いがある。屋敷の本邸の中に、かつてのあたしの執務室があるはずだ。そこの隠し棚に、薬箱を隠してある。どうかそれを持ってきておくれ」
「薬箱?」
「持ってきてくれたら、中身の片方をおまえにあげよう」
これが、あたしが『万能解毒薬』を手に入れた経緯です。
老婆は薬箱の毒を飲んで死にました。
永遠に治ることない痛みにうめきながら、ただただ生きて迎えを待つ苦しみに、耐えられなかったのです。
(——『スターダスト☆プリンセス』第二部イベントストーリー TIPS クラリネッタ・アンダーハート「〇〇一 苔むした令嬢」より抜粋)
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