〇六八 夜会の当日
そうして夜会の当日となった。
空色の清楚なドレスに身を包み、トカクの準備は万端だった。天女の羽衣をイメージした半透明のショールが、特にトカクは気に入っている。ウハクに似合うなぁと。
「……よし。行ってくるよウハク」
鏡の前で気合を入れてから、トカクは夜会へと出発した。
ひとまず顔見知り——『お友達』であるチュリー・ヴィルガへのあいさつのため、トカクは側近達を引き連れて会場の中央へと向かった。
「…………。…………! ウハクさん!」
トカクの接近に気がついたチュリー・ヴィルガは、退屈そうにツンとしていた顔をぱあっと明るくして手を振ってきた。弾けるような笑顔だ。
(……なんか、思ってたよりボクの『ウハク』が気に入られている……?)
トカクとしては、まだ一度しか喋ったことのない相手なので、あの笑顔と等しいものを返そうとすると違和感で頬がひきつる。
だが友好的でいるべき相手だし、好意を向けられるのは悪い話ではない。
「ウハクさんっ。遅かったじゃありませんの。もう来ないのかと心配していましたのよ」
「お待たせしてしまったようで申し訳ございません。……チュリー様、この間の赤いドレスも素敵でしたが、今日のドレスもよくお似合いです。秋のブドウのようで、落ち着いた色合いなのに鮮やかで素敵ですね」
「そう? 分かる? ブドウみたいな色にしたかったの」
「はい。耳飾りの形も、もしかしてブドウをイメージしていらっしゃるのですか? さすが、センスがおありでいらっしゃる」
「あらあらあら、ありがとう! ウハクさんも素敵よ! 淡い色も似合いますのね!」
チュリー・ヴィルガは機嫌を向上させた。
少し遠くにいるチュリー・ヴィルガの知り合い達は、「今日のドレスがブドウで染めさせたものだと言い当てた……!?」「なんで分かるんだよ」「誰か情報を横流しにしてないか?」と小声で話していた。
トカクが疾風迅雷にチュリーの懐に入ったことは既に噂になっており、「あれが瞬帝国の皇太女か……」と、社交界で興味を向けられはじめていた。
「……夜会の前にチュリー様と知り合えていて、幸運でした。ワタクシ一人では、身の置き所がなかったことでしょう。今だって、どうすればいいのか分からないのです。たくさんの方とお話したくて、言葉の勉強を頑張ってきたのに……」
「ああ、そうですわよね。よろしければ、私からあなたのお話相手になれそうな方を紹介してさしあげましょうか?」
「いいのですか? ありがとう存じます」
しれっとチュリー・ヴィルガに有力者への紹介を頼みながら、トカクは会場の中に人を探す。言うまでもなく『クラリネッタ・アンダーハート』のことである。
(考えてみれば、そもそもクラリネッタが今日ここに来るかどうかも分からないんだ。ゲームでは参加していたが、現実では気まぐれで欠席している可能性も……)
トカクは視線をさまよわせるが、それらしき人物は見当たらない。
……というか、トカクはそもそもクラリネッタの顔を知らないのだ。ユウヅツからの情報で、『苔色の髪』『くせのあるボブヘア』『前髪が長い』『そばかす』『色白』などの情報はあれど、それだけでは。
ちなみにユウヅツは絵図でも説明してくれていたが、これは奴の画力のせいで何の役にも立たなかった。
(ドレスの色でも分かれば探しやすいが、これこそ気まぐれで変わりかねんし、そもそもユウヅツはそこまでおぼえていなかった)
ドレスもそうだが、ユウヅツは着るものに頓着がない。「どれも服じゃないですか」と思っているし、「これは洋服、これは和服」「これは羽織るやつ、これは履くやつ」ぐらいにしか把握していない。
本生徒と準生徒の制服のデザインに差があることも気付かなかったというのだから節穴だ。とトカクはユウヅツを罵っていた。
ある程度の有力者へのあいさつを済ませたところで、チュリー・ヴィルガは「ウハクさん、もう食事は済ませまして?」と切り出した。
「いいえ、まだです」
「そう。この夜会はね、軽食にも凝っていますのよ。私オススメのものをもらって参りますわ。ここで少し待っていてくださいまし」
楽しそうに言うと、チュリー・ヴィルガは食事が仕出されている部屋へと消えていった。
「…………」
トカクは振り返り、側近の一人として付いてきていたユウヅツを見やる。クラリネッタはいたか?の意を込めて頭を傾げると、ふるふると首を横に振られた。
クラリネッタは陰気で、地味で目立たない少女だと聞いている。だとすれば、目に入っていないだけで会場には来ている可能性は、まだあるが……。
と考えていたトカクは、ふっと前方から近づいてきた影に気がついた。
人混みを避けるように、ふらふら歩いている少女。
苔色の、くせのあるボブヘア、目が隠れるほど前髪が長い……そばかすが浮く、色白の肌。すっぴんに見える肌と洗いざらしのような髪に、明るいピンクのドレスが浮いている。生地や縫製は悪くないが、流行りから逸脱したそれは、かなり野暮ったく見えた。
印象として、「注意してくれる知り合いがいない」もしくは「ヘアメイクができるようなロクな使用人を付けてもらっていない」感じだ。
ゲームの設定、『親の愛に恵まれていない』というのは伊達ではないらしい。
しかし、『攻略対象』となるだけあって、それも含めてアンバランスな魅力があるというか……もうすこし堂々と歩いていれば、『そういうスタイル』と思われて、あんな風に笑われたりしないであろう。とトカクは思う。
もしくは、ああいう白っぽいピンクよりも、くすみのあるオレンジなどの、彼女に似合う色味のドレスを着ていれば。
垢抜けない印象の彼女は、人混みを避ける挙動の不審さも相まって、周囲からこそこそと嘲笑されていた。
(……あれがクラリネッタ・アンダーハート……!)
ユウヅツから聞いた話で予想していた以上に、周囲から浮いている。とトカクは内心で批評する。
だが、ひとまず会えた。
トカクは彼女を見つめるでも目を離すでもなく、何も感じていないふりで待つ。
シナリオ通りなら、このあと彼女はすっ転んで、『ウハク』のドレスに飲み物を引っ掛ける……だが……。
「……ん?」
トカクは目をこらす。
クラリネッタは飲み物のグラスを持っていなかった。
(……さっそくシナリオから逸脱したか? もしくは、まだタイミングではない……?)
トカクは考える。
彼女が手にしているのは皿とスプーンだ。飲み物は持っていない。
しかし、彼女は少しずつトカクの近くへと、人混みから押し出されるように接近していた。
(……え? いや、……まさか……)
さすがにないよな?と思いつつ、トカクは硬直していた。クラリネッタは確実に距離を縮めてきている。
ふらふら、ふらふら。
やがて、彼女は自分の足に自分の足を引っ掛け、勢いよく前のめりになった。ぐんっ、とクラリネッタの全身が傾く。
「ひゃあ〜っ」
「!!」
クラリネッタの間の抜けた悲鳴。
ガタ、ドタッ、バシャン、パリーン!という、会場全体に響くほどの騒音。
一瞬、何事かとあたりが静まり返った。
トカクはぼうぜんと、床に激突したクラリネッタを見下ろす。
トカクの足元には割れた皿が散乱しており、……その付近、そしてトカクのドレスの裾から腰まわりへかけて、皿の中身が飛び散っていた。
かぼちゃのポタージュである。
(……かぼちゃのポタージュを『飲み物』なんて表現したのかよ、ゲームの脚本家は!?)
おそらくは水か白湯、せいぜいお茶だろうと予想していたトカクは、仕立てのドレスにカボチャやバターやパセリの混ぜものをぶっかけられた現実に絶句していた。