〇六七 意地悪な祈り
クラリネッタと『お友達』になれば、ウハクを目覚めさせる薬が手に入る。
トカクはそれを再認してぐっと噛み締めた。
「ああ、ようやく。……ようやくここまで来た、って感じがするな……。あのウハクが倒れた晩から、大陸に到着するまでの間だけで、なんだか本一冊くらい使った気がするぜ」
「主に俺が勉強できないとか親と縁を切れないとかでモタモタしていたせいです。すみません」
「べつにそんな嫌味のつもりで言ってねーよ」
トカクは面倒そうに髪をかきあげ。
「……で、当然ながら『主人公』はおまえだ。だから、クラリネッタと友達になる役目も、おまえだ。……ボクや他の人間が友達になっても万能解毒薬をもらえるか、分からんからな」
「はい。ですので……図書館への入場が許可されたら、すぐに向かい、クラリネッタ嬢に接触いたしましょう」
うん。とトカクはうなずいた。
「……クラリネッタ嬢と友達になり、万能解毒薬を受け取るというのは、責任の重たい仕事だろうが、……期待している」
ユウヅツはうやうやしく拝命したが、十秒もたず「でも……!」と弱音をはいた。
「万能解毒薬をもらいたいから友達になろうって、下心ありきで人に近づくって、すっごいイヤな感じがしませんか……!?」
「何を今さら。そういうもんだろ社交って」
「罪悪感というか……不誠実というか……! ……いえ、やりますけど……! 後ろめたさが顔に出ないか心配です……」
「まあ、おまえはハナ達ともうまくやれてるし、そこまで心配する必要はないさ」
むしろ、友達になりたかっただけなのに異性として好かれてしまうことを心配したらどうだ? トカクは内心で付け足す。
トカクとしては、ウハク以外の攻略対象とどうなるかは、ユウヅツの好きにすればいいと思う。
……ウハクが失恋するのはかわいそうだが。しかし、ユウヅツがみずから望んで誰かを選ぶのなら、トカクが止めることではない。
「……で。図書館で親密度を上げていくってタスクも控えてるけど、それより先に『夜会』があるんだよな」
「はい。攻略対象達が勢揃いする、言わば主人公との顔合わせのイベントです」
本来ならチュリー・ヴィルガともそこで初対面になるはずだった。
「ここが、クラリネッタ・アンダーハートとの初対面」
「…………」
「……なるべくゲームのシナリオをなぞりたいんだが、……うーん」
トカクはうなるしかなかった。
ここでクラリネッタ・アンダーハートの情報を開示する。
——クラリネッタ・アンダーハート。
ライラヴィルゴ王国、アンダーハート伯爵家の長女である。
『万能解毒薬』を所持している点で、彼女はトカクおよびユウヅツにとってはラスボスのような存在だが、当然ながらゲームではヒロインの一人に過ぎない。
彼女は家庭環境——両親からの愛に恵まれず、その影響で人付き合いが得意ではない。学院でも友人はおらず、いつも一人で過ごしている。どころか、これまでの人生で『友達』ができたことがない。
だからこそクラリネッタは、初めての友達である『主人公』に強い愛着を持ち、祖母の形見である『万能解毒薬』を、友情の証にとプレゼントしてしまう。
「で、プレゼントしてもらった万能解毒薬は、ゲームの最後……クラリネッタルートのラスト、彼女の卒業式で、クラリネッタに返すんですよ」
ユウヅツは説明する。
「友情エンドでも恋愛エンドでも、最後は『こんなものがなくても関係は変わらない、だから大切に君が持っていて』と、それまで預かっていた万能解毒薬を返す。そういうシナリオなんです」
「うん。だが……」
トカクは、ユウヅツに確認するため、ハッキリと区切るように声を出した。
「それは、ゲームの話。今後、クラリネッタから万能解毒薬をもらえたら、シナリオを無視して、ウハクに使ってもいい。そうだよな?」
「……はい。俺は、クラリネッタ嬢から万能解毒薬を譲り受けたら、すぐさま殿下に献上します」
ですが。とユウヅツは付け足す。
「……孤独につけ込んで利用し、彼女から宝物を取り上げるようで、後味が悪いです。リゥリゥさんなどの宮廷薬剤師の方々が、ツムギイバラの解毒剤を作ってくださって、それで済ませられれば、それが一番いいと思います……」
「うん、そうだな。それが一番いいな? だがボク達に手段を選ぶ猶予はない」
「分かっています」
話を戻す。
クラリネッタ・アンダーハートは家族から冷遇され、友達はおらず、本だけを楽しみに生きている孤独な少女だ。
かといって積極的に友達を欲しているかといえばそうでもなく、むしろ他人を避けている。
身だしなみは最低限以下。あちこち跳ねた髪に化粧っけのない顔。人と話すと挙動不審になる。
目が隠れるほど前髪を長く伸ばして他人と心の距離を開けている、陰気な少女。
そんな彼女だが、ライラヴィルゴ王国の貴族としての義務も当然ながら背負わされている。
そのため、滅多に出ないがたまには夜会など社交の場にも顔を出す。大抵が壁の花に徹しているが……。
ゲームで初対面の場になる夜会も、クラリネッタにとって『滅多に出ないがたまには』の参加なのだ。
彼女はいつものように壁の花に徹しているが、人混みを避けて移動する途中で転び、近くにいた『ウハク』のドレスに飲み物をこぼしてしまう。
失態に青ざめるクラリネッタ。
そして、クラリネッタが他国の皇太女に飲み物をひっかけるのを目撃していた女子生徒——よくクラリネッタをバカにして物笑いの種にしている三人組——によって、ここぞとばかりに取り沙汰され、クラリネッタは申し訳なさと恥ずかしさでうつむく。
そこで『ウハク』はクラリネッタをかばい、「わたくしは気にしません。乾いてしまえば、なんともありませんもの」とクラリネッタを逃してやる。
クラリネッタはその場から立ち去りながら、自分が情けなくなって涙をこぼす。
そこに、ウハクから「心配だからようすを見に行ってあげて」と頼まれた『主人公』が追いかけていき、再度「気にするな」と告げる——。
これが『ゲームのシナリオ』だった。
「……転んだ拍子に飲み物をかけられる、って……クラリネッタ側のドジを、ボク達が操作しようがないよなぁ。もしクラリネッタが転ばなかったらどうすりゃいいんだ」
「シナリオの強制力があれば、転ぶと思いますけど……」
「あんま信用してないんだよな、シナリオの強制力とやらを……。転んだとして、そん時ボクが近くにいなきゃかかりようがないし」
かといって、わざと転ばせるようなことをすれば、それこそ悪役だろう。…………。
「……多少、出会い方が違っても、最終的に友達になれればいいんだ。最悪シナリオ通りにいかなくても仕方ないと思おう」
「……いいんですか、殿下はそれで?」
「あまり『シナリオ』にこだわり過ぎて、外聞がおろそかになるのも怖い」
シナリオ通りにすることのみを重要視していると、トカクは夜会の間ずっとクラリネッタの付近をうろつく奇行に走りかねないが、それは良くない。
ウハクのための替え玉なのに、ウハクの恥になることはできない。
チュリー・ヴィルガの件もあるし、もはやシナリオ通りは諦めた方がいいかもしれない。トカクはため息をつきたくなる。
「……クラリネッタが転んで飲み物をぶちまけてくれますように、と祈っておこうぜ」
「そこだけ聞くとすごく意地悪な祈りですね」
「うるせーよ」
トカクだって人の失態を望みたくなんかない。
「夜会はゲームシナリオ的にも重要だが、現実的にも重要だ。何しろ、『ウハク』の大陸での初めての社交の場になるわけだし」
だから、あまりクラリネッタのことばかり考えていられない。
「……なんにせよ、夜会でボク達ははじめて『クラリネッタ』を見ることになる。顔合わせと行こう」
「はい」
クラリネッタ。
彼女は果たして、ウハクに万能解毒薬をもたらす天使となるか、ウハクから万能解毒薬を遠ざける悪魔となるか。
……悪魔となることがすでに決まっていたのだが、当然ながらトカクとユウヅツはまだそれを知らなかった。