〇六六 時間割
「姫様、私びっくりしましたわ。急にものすごく社交が上手になっていませんこと?」
ライラヴィルゴ離宮から帰ってすぐ、ハナがそのように言った。
「私、姫様のことを侮っていたつもりはありませんが、いつの間にか過小評価していたみたいです。小さい頃、あなた様のお姉さんぶっていた記憶のせいでしょうか……。ともかく、見直しましたわ」
「? そうか?」
トカクとしては、普通に茶をしばいてお喋りしてきただけだ。
「たしかに今日の姫様は冴えておいででしたわ。素敵でした」
「そうでしたの? 恥ずかしながらライラヴィルゴ語が聞き取れず、姫様の立ち回りが分かりませんでした」
「もったいない。すばらしかったのですよ。ヴィルガ王女に臆することなく、堂々とされた振る舞いでした。それでいて、すっかり相手方の懐に入ってしまわれて」
「マナーも完璧でしたわ」
手放しに褒められ、トカクは「しまったなぁ」と思った。ウハクらしくない振る舞いだったらしい。
——『恐れながら殿下。あまり皇太女殿下の姿で、……良い結果を出しすぎると……、……元に戻った後、同じことを求められるであろう皇太女殿下が、気の毒です……。過ぎたる名声は、重荷に感じるのではないかと……存じます……』
『? あまり目立つとボクだとバレるかもしれんし、大人しくするつもりだが……。不自然でない程度に評判を良くしておいてやったら、目覚めた後の仕事がしやすくて、助かるんじゃないか?』
『俺ならやめてほしいです……』——。
ユウヅツとの会話を思い出す。
(そうか、この程度もダメなのか……)
加減がむずかしい。ウハクのやることを逸脱しない程度に目標を達成する、というのは。
トカクは適当に取り繕ってから話を変えた。
そして編入の日となった。
側近達を引き連れて登校したトカクは、まず校舎を見上げる。
ユウヅツが話していた通りの外観だ。編入生であるトカク達は、一般の登校時間より少し遅めに来たため、周囲は誰もいない。
「……第一印象は大事だからな。制服、よれてないか?」
「だいじょうぶですわ姫様。おきれいです」
「うむ」
連盟学院の制服は、本生徒と準生徒ですこし違う。
それなりに似ているが、トカクのような本生徒の方が華美なデザインになっており、側近達、準生徒は働きやすそうな形になっている。また、本生徒は制服を好きに飾り立てたり改造する傾向がある一方、準生徒はそのまま着用することが暗黙の了解となっていた。
しかし、トカクは本生徒ながら制服をそのまま着ていた。すこし派手にした方が『ウハク』に似合うし箔が付くんじゃないかとトカクは思っていたのだが、『ゲーム』では既定の通り、しかもスカート丈を長めに着ていたらしいので。
『……ウハクに婚約者がいないとか、おまえが本生徒じゃないとかで、既にかなり原作ゲームと乖離があるが……。揃えられるところは揃えておきたいからな』
ユウヅツは、カバン持ちをやらされながらトカクの言葉を思い出す。
「さて。じゃあまずは職員の……」
「大瞬帝国皇太女様。お待ちしておりました」
校舎に足を踏み入れた瞬間、見覚えのない女子達が近付いてきた。
チュリー・ヴィルガの茶会にいた側近達とも違う、完全に初対面の生徒達だ。
「はじめまして。私共はライラヴィルゴ王国の貴族です。チュリー様から、皇太女様の案内を仰せつかっております」
「?」
チュリーが?
それはおそらく原作ゲームにない展開だろう。「なるべくゲーム通りに」と息巻いていたトカクは出鼻をくじかれる。
だが、案内役がいるのはありがたい。
「チュリー様が……お心遣いに感謝いたします」
「編入したてで、何かと困ることも多いでしょうから、お手伝いをして差し上げるよう言われております。どうぞ何でもお訊ねください、皇太女様」
「ありがとうございます。ワタクシの側近ともども、助けてもらうことが多いと思います。よろしくお願いします。…………」
チュリーから気に入られたから、案内役が用意された。
つまり、気に入られていなければ案内役などなかった。
皇子として帝国内で大切に育てられたトカクは、連盟学院での自分の価値——待遇の雑さに戸惑った。百歩譲って『トカク』がそんな扱いを受けるなら分かるが、今の彼は『ウハク』だ。
(皇太女に対して、学院が案内役を用意しない……? どれだけ舐められてたら、それが後回しになるんだ……)
言っても仕方がないのでトカクは楚々と微笑むだけにとどめる。
「さっそくですけど、ワタクシ、学院長室へ行きたいのですが」
「心得ております。こちらにどうぞ」
そうしてトカクの学院生活がはじまった。
入学して最初にすることは、履修登録である。自分の時間割を作成するのだ。
必修の科目のほか、薬学、医学、生物学、果ては錬金術まで。
トカクは、ウハクを目覚めさせるのに役立ちそうな教科を優先して受講することにした。チュリー・ヴィルガの口添えもあり、取るのが難しいと言われる人気の講義も便宜を図ってもらえて、これは本当に幸いだった。
「チュリー・ヴィルガ、様さまだな……。ゲームのシナリオとズレてしまったが、むしろ良かったかもしれん」
「無事に受けたい授業の希望が通ってよかったですね」
「何より、そこに手間を取られなくて済んだから、別件で動ける時間が増えるのがありがたい」
トカクとユウヅツは、今後のシナリオを再度確認していた。
二人にはさまれた机上には、ユウヅツの記憶を頼りに、これから起こることを時系列順に表に起こしたものがある。
「そうそう。図書館の利用申請をしたが、申請が通るのは一月後ほどになるらしい」
「……長いですね?」
「そうか? 蔵書——貴重品を保管してる施設に出入りする許可証を発行するんだから、こんなものだろ。特にボク達は、ここじゃ『外国人』だし」
「……なるほど」
例によって『現代日本』の意識が根強いユウヅツは、「学校の図書館」というだけで、なんとなく敷居の低い手軽なものと思っていた。そういえば言うまでもなく、この世界で本は貴重品だ。
「準生徒は、本生徒の付き添い以外で入れない。だから、おまえが行く時はボクも行く」
「承知いたしました」
「……じゃあユウヅツ。シナリオを確認するぞ」
トカクは時系列順に出来事を記した用紙の中央あたりを指した。
「攻略対象のひとり、クラリネッタ・アンダーハート。彼女はツムギイバラの毒をも打ち消せる『万能解毒薬』を所持している。クラリネッタは主人公と仲良くなると、その万能解毒薬をプレゼントとして渡してくる」
「はい。その通りです」
「そして、ゲームにおいてクラリネッタと仲良くなる方法——攻略する手段は、図書館に通うこと」
はい。とユウヅツはうなずき、続きを引き継いだ。
「クラリネッタ・アンダーハート嬢の趣味は読書です。放課後はもちろん、空いた時間のほとんどを図書館で過ごしていらっしゃいます。図書館に通うことで、会話イベントなどが発生し、クラリネッタルートへ進むことが可能です」
ユウヅツは用紙に描かれた矢印をなぞり。
「そして、……クラリネッタ嬢は『友情エンド』でも万能解毒薬を渡してくれる……。つまり、彼女とお友達になれば、皇太女殿下を目覚めさせる薬が手に入ります」