〇六四 婚活女子
応接室に入って以降、ここまでの会話はすべてライラヴィルゴ語で行われている。
そのため、ライラヴィルゴ語のおぼえがないユウヅツは、チュリー・ヴィルガが『トカク』の名前を出したことに動揺せずに済んだ。聞き取れなかったからだ。
トカクは、それを不幸中のさいわいだなと思う。
何も感じていないふりで「はい」とゆったり笑ってみせた。
「ワタクシのお兄様が、どうかいたしましたか?」
「ええ、トカクさんのことなのですけど……、…………」
チュリー・ヴィルガは言いづらそうにした。ここまでペラペラと喋り倒していた彼女らしくない。しかも、なんだかもじもじしている。
トカクは楚々と待った。
ややあって、チュリー・ヴィルガは頬を赤くしながらトカクに向かって叫んだ。
「確認なのですけど!」
「? はい」
「ウハク様って、まだ婚約などはされていないので、間違いありませんわよね?」
「はい、婚姻については未定です」
「こ、こいびと……みたいな殿方もいらっしゃらないのですよね?」
一瞬ウハクとユウヅツの件が頭をよぎり、トカクはムカつきながら握りつぶす。
「ありえません、そのようなことは」
「そ、そう……。でもウハクさんも女の子なら、素敵な殿方との恋に憧れたりはするわよね?」
「…………」
トカクは刹那の思考をめぐらせた。
なんの話だ、なんの意図がある? 「女の子なら憧れる」? 否定したら男説を強化する? どんな返事が求められている? だが皇太女の立場としては? ウハクならなんて言う? どう答えたらどう返ってくる? チュリー・ヴィルガは何の話がしたいのだ?
ハナ達も、ライラヴィルゴ語が分かる者は話を聞いている。適当なことは言えない。そして時間が空けば意味深になってしまう!
「——そう、ですね。憧れを抱く気持ちは分かります」
「そうよね!! どうせ結婚するなら素敵な旦那様と幸せに暮らして愛し愛されたいわよねっっっ! 適齢期を城に縛り付けられて、ヨボヨボのおじいさんの後妻にさせられて、恋もできないで一生を終えるなんて御免よねっっっ」
「ワタクシは皇太女なので、婿を取ることになりますが」
そして皇子だろうが皇太女だろうが、その結婚には政略がつきまとう。選り好みはできない。
だが、そのうえで良好な夫婦関係を望むのは、まあ自由だ。夢見る権利は誰にでもある。立場上、あまり同意の形は取りたくないが。
……でも、ウハクなら。
「チュリー・ヴィルガ様なら魅力的ですから、旦那様に愛されること自体は、きっと問題ありませんね。大切なのは、相手の殿方のことをチュリー様が愛せるか否かになりますでしょうか」
「そうっっっ、そうなのよっっっ! ウハクさんは私の思っていることすべて言ってくれるのね!」
トカクは愛想笑いを返す。
……いったい何なのだろう。『トカク』の話をするとか急に言い出すから、戦々恐々していたのに。これはいったい……。
「……それでチュリー様。ワタクシのお兄様の話は?」
「あっ」
話の迷走に気づいたのだろう、チュリーがぽっと頬を赤らめた。
そして、その紅潮した肌のまま「それは……」と再びもじもじし始め、……ややあって、決心したように顔を上げた。
「単刀直入にお訊ねしますわ」
「ええ」
「あなたのお兄様——トカク・ムツラボシ殿下も婚約者がいらっしゃらないのよね?」
……トカクは、チュリー・ヴィルガの意図が読めて、先程とは別の意味で戦慄した。
「私との縁談が持ち上がったりしないかしら!?」
さすがに聞き捨てならなかったのだろう。トカクの側近達のうち、ライラヴィルゴ語が分かる者達の狼狽が背後から伝わってきた。
トカクはすべてを理解した。
チュリー・ヴィルガは、婚活女子だったのだ。
王女と言えど十二番目にもなると、自分から動かなければ良い縁談が見込めない……ということだろう。それこそ、先程も言っていたように適齢期を過ぎてから年寄りの後妻にさせられたりする。政治的に、国内に王家の血がばらまかれ過ぎるのも困りもの、という思惑もあるに違いない。
ゲームでは起こらなかった、チュリー・ヴィルガとのお茶会が叶った理由。招待状が送られた理由。それは……。
(『ウハク』に婚約者がいないからだ……!)
——ゲームにおいて、第二部のウハクには婚約者がいた。言わずもがな、未来の皇配候補となった『主人公』である。
王女らしく気位の高いチュリー・ヴィルガは思ったに違いない。大瞬帝国の皇子との政略結婚なら現実的だし、条件的に悪くないかもしれないと。
『……だけど、彼氏持ちのウハクさんにそんなことお願いするなんて、プライドが許さないわ! 結婚したくて必死な私をバカにするに違いないもの!』
……ゲームではその後、ウハクの婚約者であるユウヅツと知り合って、側妃という立場に落ち着いたりする。大瞬帝国では、皇配は公式の愛人を持つことを許されているから。
……その妾や側妃が産んだ子どもが、『皇室の血を引かない親戚』として皇女や皇子のオトモダチとなり、ひいては皇帝の腹心となって重宝されたりするのだが……。それは割愛。
だが現実——この世界では、ウハクに婚約者はいない。
だからチュリー・ヴィルガは、独りもの同士なら打ち明けられると思って『ウハク』——トカクを呼び出したのだ。
(つまり、ボクの入れ替わりがバレたわけではない)
ほっ。とトカクは今度こそ一息ついた。
「…………」
……それはそれとして、この場を切り抜けなければ。
トカク・ムツラボシとチュリー・ヴィルガの結婚は、……むずかしいと言わざるを得ないからだ。
どうやって断ろう?
紅茶を口にふくむことで時間を稼ぎつつ、トカクは脳を急回転させはじめた。