〇六一 跳ねる足元
ユウヅツも「違う、間違えました」と自分の失言にあたふたしている。
「俺が言いたいのは……殿下はお友達が……いないという……いや、違くてっ」
「はあ。……何だ?」
「……殿下は、高貴な身分でいらっしゃるから、気安く……対等に……たとえば同年代の友人とふざけ合ったり小突き合ったりみたいな関係性は、築きづらかったのではないでしょうか」
ユウヅツはギュッと目を閉じる。
「ていうか、すいません、これはゲームの知識です……! 『トカク皇子は友達がいない』は公式設定でした……!」
「ああ、そーいうこと……」
ユウヅツの意図がわかった。
でも、なぜ今その話を?
「……殿下は、これまでの俺への振る舞いを気にしていらっしゃいますが、俺は気にしていません。友人同士で言葉が汚くなったり、態度が雑になったりは、よくあることだと思うんです」
「? でもそれは……」
友人同士の話では?
「そう、お友達になりましょう! 俺はあなたと友達になりたかったんです」
たった今思いついた、みたいな顔で言われて、トカクは面食らった。
「俺は、殿下にとても親切にしてもらったと思っています。今さら他の人達と同じように扱われても、その方が困ります。大陸共通語も付きっきりで教えていただきましたし……」
「大陸共通語は必要だったからムリヤリ教えたんだし、厳しく指導したろ。しかも、物覚えの悪さをさんざん罵倒した記憶がある」
「ば……とう、していたのかも知れませんが、内心でしょう? 俺が直接なじられたことはないと思います」
「嫌味や皮肉くらいは言った気がする。……ウハク相手ならもっと優しく教えていたろうに、おまえを侮っていたからに他ならん」
「妹君になさるような扱いを俺なんかにしてたら気持ち悪いでしょう!」
それは……言う通りだな。
トカクはうなずく。
「殿下が俺への態度を変える必要はありません。信頼関係のあるお友達であれば、多少やらかしても許し合えますよ」
「おまえ、ボクに雑に扱われたいのかよ」
「無理して丁重に扱ってもらっても嬉しくはありません。無理をしているのではと心配になります」
ユウヅツは「えーと」と説得の仕方を考えるようにしてから。
「先程の殿下は、踊っているところを俺に目撃されて、激昂し俺を恫喝なさいました」
「うん。ごめんな」
「もし俺を他の人と同様に扱う必要があったとしたら、どのように対処していましたか」
「恥ずかしいところを見せたな、と言ってはにかむ」
「でも、本当は「何見てんだ」と胸ぐらを掴みたい気持ちなんでしょう。それを我慢するのは……、……特に殿下は、隠し事の多い学院生活になると思いますから、……誰か一人くらい、本音をぶつけられる相手がいた方がいいはずです」
それを自分にやらせろ、とユウヅツは言うのだった。
「それは『はけ口』と言うんじゃないか」
「違います。あなたはそんなことをしない」
「……皇子の友達に、名乗り出るとは」
そこだけ抜き出すとえらく不遜だが、こいつの場合はやっぱり善意なんだろうなと思ってしまってトカクはダメだった。
「友達ねぇ」と何度か口に出す。
ウハクのみならず、ボクとまで友達にしようとするとは。
「ゲームではそうなるのか?」
「ハッピーエンドの世界線では、俺は『トカク皇子』に認められた皇婿なので、それなりに友好な関係を築けているであろうというのが通説です」
「通説?」
「ゲームをプレイした人達はそう解釈しがちでした」
つまり公式にはないらしい。
「……そもそも、ゲームの設定が間違ってる気がする。ボクは友達がいなかったわけじゃないぜ」
「そうなんですか?」
「ウハクはさすがに友達に入らないかもしれんが」
「……そうですね、ご兄妹は入らないんじゃないでしょうか」
「ブチとクロとマルもいた。ここには連れては来られなかったが」
「……皇居で飼っていらっしゃるワンちゃんは……お友達かも知れませんが……」
「メルシーもいたし」
「愛馬のお名前ですよね」
ユウヅツの言わんとすることはトカクも分かる。ここで聞かれているのは人間の友達のことだろう。
思えば、たしかに人間の友達はいたことがないかも知れない。取り巻きはいたし派閥も作っていたが、友達とは言えない。
トカクは、それを今まで気にしたことがなかった。
ユウヅツは「……友達と聞かれて妹や犬を出してくるあたり、本当に友達がいたことない人っぽくてゾッとしました……」と自分の両腕をさすっている。
トカクは考えながら空へ視線を向けた。
「あ」
日が昇ってきていた。
周囲が明るくなる。海と空の境目が見えるようになってくる。
太陽のまぶしさが目に突き刺さった。
「夜が明けた……」
暗闇に慣れた視界が、光に悲鳴をあげていた。
しばらく目が慣れるのを待っていると、トカクは『それ』に気づいた。ハッとして指をさす。
「おい、あれ……」
「! 陸が……」
手すりの近くまで寄って海の向こうを見た。遠く巨大な陸があり、こまごまと町のようなものが見える。あれが大陸——ライラヴィルゴ王国、その湾岸部。
「大陸に着いたのか……」
「……船路も終わりですか。船酔いさえなければ快適な場所だったのですが」
く、とユウヅツはあくびを噛み殺した。
「……今さらになって眠気が」
「ボクもだよ。……少しでいいから寝ておこうぜ。目的地が見えてきたと言っても、まだ遠い。ボクは先に部屋に戻る。時間を置いてからおまえも戻れ」
トカクは歩きはじめる。
ユウヅツは「お友達の件……」とさらに引き止めそうになったが、さすがにしつこいかと手を下ろした。それに野暮だ。
トカクがどうする気かは、今後の扱いで分かるだろう。
トカクとユウヅツほどに身分差があると、言わないと一生お友達なんかにはなれなさそうだったので、言えてよかった。
ユウヅツはそのように締めくくった。
トカクは通路を歩く。
途中で、早起き——ではなく、薬の研究で徹夜したらしいリゥリゥとすれ違った。
「おー、殿下。おはようございますある。こんな時間にどうしたか?」
「目が覚めてしまって、甲板に出てきた。もう大陸が見えるぞ」
「お! それは素晴らしいあるー」
あいさつもそこそこに、トカクは眠気を押し殺しながらリゥリゥの隣を通り過ぎる。
「…………?」
すれ違いざま、リゥリゥは意外そうに振り向いて、トカクの背中を見送った。ウサギのように跳ねる足元。
そしてリゥリゥは、「……なんだか機嫌がいいあるね」と独りごちたのだった。