〇六〇 善意、思いやり
ユウヅツが嘔気を催したことは、責任の一端が自分にもありそうだ。
トカクは物陰に消えたユウヅツに「水でも持ってきてやろうか」と声をかける。
しばし間を開けて、途切れ途切れの声で「殿下が気にされることではございません」と返事が来た。
「水がいるかいらないかで答えろ」
「い、……ります」
「じゃあ持ってくる」
トカクは先程ユウヅツのお節介をさんざ受けていたので、返してやろうという気になっていた。借りっぱなしは性に合わない。常に貸しているくらいがトカクは落ちつく。
トカクは船の厨房へ訪れる。火や刃物を扱う場所だからだろう、下っ端らしき料理人が見張り番をしており、しかし居眠りしていた。
厨房内に足を踏み入れて、トカクは『姫君』の仮面をかぶり直す。
「……夜分にすまない、水を一杯もらえないか」
「!? へえっ、これは皇太女様……」
「喉が渇いて寝付けないのだ」
はあ、と憂い顔をしていると料理人はわたわたと水を用意して持ってきた。
「ありがとう。部屋で飲む」
「ほ、他にご用事はありませんか、皇太女様? 小腹は空いていやせんか。よかったら……」
「こんな時間に食べると、朝食が入らなくなってしまう」
ゴマ擦りをしたそうな料理人を制して、ウハクは退散する。
……ウハクなら、見張り番が見張りの役目を果たしていなかったことを責めたりはしないだろう。だからトカクも見なかったことにする。
甲板に戻ったところ、ユウヅツは吐くものを吐いたらしく出入口の近くで座って待っていた。
「で、殿下……」
「ほら。水だ」
「わあ、本当に持ってきてくださった……。なんてお優しいんでしょうか」
「嫌味かよ?」
水を渡す。
ユウヅツはそれを持ってまた物陰に消えた。うがいがしたいらしい。
戻ってくると、ユウヅツは「気分が良くなりました」と告げてきた。
「吐いたらお腹がすきました」
「身体のつくりも単純でうらやましい」
やべ、言わなくていい皮肉を言ってしまった。
とトカクは悔いたが、ユウヅツは何も気にしていなかった。
トカクは今度こそ毒気を抜かれた。
「…………。ユウヅツ」
「はい?」
「ちょっと喋っていいか」
同意を得た。
トカクがその場に腰掛けると、船の進行方向を共に並んで眺める形になった。船酔い対策としてちょうどいいだろう。
そして話を切り出した。
「……おまえ、良いやつなんだよな、たぶん」
「え。……ありがとうございます?」
「『ウハク』の側近にしたご令嬢達とも、すぐに打ち解けてくれて、本当に助かった。……『トカク』からも彼女達に、チームとして仲良くするよう頼んではいたが、おまえの人柄がなければ難しかったろう」
「…………」
ユウヅツは、トカクの言葉に固まって、そして。
「……なんか、また俺に不都合なことを言う前振りですか?」
「今回は違う」
トカクは訂正する。
「事実の列挙だ。おまえは善人だし人好きする。悔しいが、ウハクは……おまえを好いていたようだし」
「あ、あれは主人公補正というか……シナリオの強制力というか……。……好いていただけるようなこと、何もしていませんから」
「…………」
このあたりは水掛論になりそうなのでトカクは聞き流す。
「ウハクのことはともかく。……おまえ、人と喋ったり一緒に何かしたりするの、好きだろ」
「……そうですね。なので、船では楽しく過ごさせていただいています」
「だから、おまえは学園でも」
トカクはユウヅツを見た。
「入学して最初の頃は、一緒に過ごすような奴がそれなりにいたよな。……ボクが直接そうしろと命じたわけではないが、周囲がボクに忖度することは分かっていた。ボクのせいで孤立させた。……ちゃんと謝ってなかった。すまなかった」
「!?」
頭を下げたトカクに、ユウヅツはぎょっとした。
「あ、謝っていただきましたよ? 座敷牢でと……あの、宮廷の室内庭園の四阿で!」
「あの時は、おまえの懐柔が目的で、あまり心が込もっていなかった」
「そんな!?」
ガーン!とユウヅツは打ちのめされている。トカクは「悪かったなぁ程度には思っていた」と付け足す。
「なんというか……あの時のボクは、おまえも悪いと思って、ムカついてた。在学中、人の好意をもてあそべる『主人公』の立場をなんだかんだ楽しんでたんじゃねーの?って」
「ち、違います」
「もう分かってる。おまえには本当に、ウハクと友達になりたい以上の気持ちがなかったことが、ようやく分かった」
「は、はあ……」
「……正直、おまえがここまで付いてきてくれているのを、責任感とか忠誠心とか、……なんなら出世欲からだと思っていたんだが。たぶん違うよな」
「? し、主人公の責任を果たそうと思って、ここまで来ましたよ? 俺が在学中にうまく立ち回れていれば起こらなかったはずの事件ですから。皇室への忠誠も本物です。……出世は要りませんが……」
「善意だろ」
トカクは溜息が出そうだった。
「おまえは善意、思いやりで動いているだけだ。ボクやウハクを助けてあげたい、と思っている」
「…………?」
ユウヅツは、トカクの言葉に不思議そうにした。人助けが善意なんて、当然すぎて意識したことがなかったのだ。
「……普通そうじゃないですか?」
「あんまりいねーよ」
「…………」
トカクは頬杖をつく。
「前も言ったがボクは性格がよろしくない。今日まで妹を馬の骨にたぶらかされた逆恨みから、おまえを粗雑に扱ってきたし、すこし意地悪なことも言った」
「そ、そうなんですか……!?」
「なのに、おまえは気づかずボクなんかに屈託のない善意をぶつけてきた。罪悪感がわいた」
だからごめんな。
「これからは、おまえのことも他の者と同様に接するよう努める。あらためてよろしく、ということで」
言って、おもむろにトカクは腰を上げる。
「もうすぐ朝だろうが、おまえも寝ておけよ」
「お……お待ちください、殿下っ」
ユウヅツはあわてたように立ち上がった。
引き止められるとは思っておらず、トカクはすこしおどろきながら立ち止まった。
ユウヅツは口をひらき。
「あなた、友達いないですよね!?」
「何だオマエ!?」
失礼すぎてトカクはびっくりした。