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〇〇四 代わってやりたい



 トカクは言いつのる。


「……恐れ多くもボクは皇太女ウハク・ムツラボシの兄です。妹が、次期皇帝の役目を放棄して身勝手にも自死を選んだなどと、誰にも思わせるわけにいきません。……ウハクに毒を盛った犯人にも、地獄を見せなきゃ気が済まない!」

「…………」


 皇帝陛下は目を伏せた。


「……無論、野放しにはできぬ。皇太女に毒を盛った人間は見つけ出して処分するつもりじゃ。ただし、罪状は反逆ではなく自殺幇助とする」

「なぜ!?」

「この国に住まう無辜の民のために」


 トカクは冷水をぶっかけられた気分になって閉口した。その瞬間までトカクの脳裏に、国民のことなど一欠片も思い浮かばなかったからだ。

 身内を害された怒りで目がくらんで独善的になっていたことを自覚し、トカクはかっと頬が熱くなった。皇帝らしく国と未来を見通している母親に、もう何も言えなくなる。


 それを見て、皇帝陛下もトカクの胸中を察したのだろう。それ以上の追及はなかった。


 皇帝陛下は告げる。


「……一週間後、ウハクの容態を公表し、皇太女の称号を剥奪する。次期皇帝の席に穴が開く……。代わりを立てる必要があるのじゃが、」

「……大公家の令嬢からふさわしい者を選びますか。それとも、お母様の妹である……」

「いや、次期皇帝はトカク、おまえじゃ」


 どっとトカクの全身から汗が噴き出した。重圧で膝がふらつき、トカクは息も吸えなくなる。


「列強諸国のほとんどは、統治者として男の王を立てているであろう。……この国も、それに倣う時が来たのじゃろう」

「に、にっ、二千年、この『大瞬帝国』は女帝が君臨してきました。その伝統を、お母様で終わりにするというのですか?」

「おまえの他におらぬ」


 冗談であってくれとトカクは懇願の目を向けたが、返ってきたのは決定打だった。


「春からウハクが行くはずだった大陸留学。あれは代わりにおまえが行け。それをもって、おまえの立太子とする」

「か……考えさせてください。……すこし、……時間をください……」

「……そうじゃの。トカク。今日はもう休みなさい。わらわも……まだ混乱しておる……」


 半強制的に退出させられ、トカクは従者に支えられながら茫然自失で皇子宮への帰路を歩いた。


 ボクが皇帝? ウハクが死ぬ? たった数刻前は学園の卒業パーティーをやっていて、ウハクの婚約宣言でドタバタしていたのが嘘のようだ。一晩で多くのことが起こりすぎて処理しきれない。


 皇子宮に到着する直前に、トカクはハッと我に返る。そして従者に、皇女宮への訪問を申し出た。


「いけません。皇帝陛下より、トカク皇子殿下を休ませるように命令を受けております。……何より、皇子自身がとてもお疲れに見えます。どうか休んでください」

「ウハクの顔を見ておきたい。何があるか分からないのだろう。頼む……」


 と言えば、ワガママが通った。


 そうしてやってきたウハクの居室。


 侍医や女官達が忙しなく動いていたが、トカクの来訪に気が付くとさっと膝を折った。それを制し、自分の仕事をするようトカクは伝える。

 トカクはウハクが寝かされた寝台に近付き、ウハクの身体から伸びる管を指した。


「……これが、栄養を送るという管か?」

「さようにございます。外国では、このようにして病人を生き永らえさせるそうです。これで、一週間と言わず皇太女殿下のお目覚めを待つことができます」

「……目覚めることはないと聞いたが」

「…………。特効薬が見つかる可能性はゼロではございません。……明日になるか、百年後になるかは……」

「そうか……。そうだな……」


 なんにせよ、際限なく眠り続けるウハクを次期皇帝のままでいさせることはできない。トカクもそれは承知している。だから、誰かが代わりにならなくてはならない。

 そして、それを務めるのはトカクであるらしい。


「ボクが、代わりに……」


 ……代わりなど、いないはずではなかったのか?


 ウハクは、小さい頃から「それでは皇帝にふさわしくない」と言われ続けてきた。


 トカクは回想する。

 ――確かに妹は意思の弱いところがあるから、為政者に向いているかいないかで言えば、向いていなかったかもしれない。

けれど、向いていないなりに一身に皇太女の責務を背負っていた。


 ……それは、他に代わりがいないからではなかったのか。

 女が皇帝となるこの国で、現皇帝の唯一の娘だから。


 だからこそ彼女は、幼少のみぎりから「もっとやらねば、もっとできるようにならなければ」と努力を強いられてきた。ウハクなりに応えようとしていたのを、トカクはいちばん近くで見てきたつもりだ。

 皇帝にふさわしくあろうと、それらしい威厳を手に入れようと……。


 たしかに逃げる時もあった。だけど、頑張っている時だってあったのだ。


『――お兄様、もう何度目かも分からぬ。やはり、わたくしは王に向いていないそうだ。わたくしの代わりに、お兄様が皇帝になった方がよいのではないか?』


 何を言っているんだと返した。皇帝は女子がなるものと思っていたから。


 いつもの冗談だった。でも弱音だった。ウハクが、なかば本気で自分が皇帝にならずに済むことを願っていると、トカクは察していた。

 でも、どうにもできないと思って黙殺した。


 ウハクしかいないはずだったのに。

 ウハクが毒に倒れたことで、それが叶いそうになっている。


「ボクが、ウハクの代わりに……」


 トカクは、寝台に横たわったウハクをあらためて見下ろす。


 先程よりもぐったりし、顔が青白く見える。手首に穴が開けられて、そこに管が刺さっていた。ほんの数刻前まで繊細な意匠のブレスレットで飾られて、傷ひとつなかった腕なのに。……足の間からも管が伸びている。


「……代わってやりたい……!」


 思わず声がこぼれて、トカクはその場に崩れ落ちた。うなだれ、ひたいを寝台に付ける。


「次期皇帝の座なんかでなく、身体の毒を取り替えてやれたらどんなにか……!」

「トカク皇子……」

「誰か……誰か姫を助けてくれ……。代わりにボクが何でもする……」


 トカクの涙がシーツに吸い込まれていった。


「ウハク。目を覚ましてくれ。……ボクを、…………」


 呼びかけてもウハクがまぶたを開けることはなかった。静まり返った部屋で、トカクの嗚咽ばかりが響いていた。



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