一四五 褐色と青
トリガーが離宮を訪れると門前でユウヅツが出迎えた。
「あー、いらっしゃいませー」
「どうもー」
「じゃあ、どうぞ」
ユウヅツが敷地内にトリガーを手招きすると、門番が「外套のフードを外して」と言ってきた。
トリガーはためらう素振りをしてから、顔の半分を覆っていたフードを外す。
「あれ、目が……」
「虫に刺されて……」
「お大事に」
だから珍しくフードなんか被っていたんだ、と合点したようすで門番達はトリガーを通した。
トリガーはまたフードをかぶる。
その背に門番の声がかかった。
「リゥリゥちゃんに診てもらったら?」
「いえ、この後すぐ出かけるんです。夕方にでも時間があれば」
ユウヅツが答えた。
無事に離宮内に入り込み、トリガーは視界を悪くするフードを鬱陶しそうにはらった。
「特殊化粧とか初めてしたんだけど〜」
「どんな感じですか?」
「左目が重くてかゆい」
化粧が落ちるので直接かけない。トリガーは代わりに眉間のあたりをぐりぐりと押した。
「トリガーさん、以前もここに来られたことがあって良かったです。初の来訪だと、やっぱり監視の目もより厳しかったでしょうし」
「呼ばれて来たのは初めてだね」
てくてく歩く。
ユウヅツが使っている宿舎の個室に着いた。
「犬小屋のわりに良い部屋もらってんじゃーん」
「なんでそんな酷いこと言えるんですか?」
鍵を開けて部屋の中に入る。
建物の奥、六畳ほどの個室にひとりの少年が仁王立ちしていた。
長い髪を後ろでまとめて、トリガーと似たような大陸風の衣装に身をつつんだ少年だ。髪色は青く染め上げられている。
トリガーの姿を見るや、少年は己の恰好と見比べて「ズボンの色、もうちょっと濃いのはあったかな」とつぶやいた。
化粧でくすませている顔立ちは、やはりごまかせないほど華美で目立った。トリガーは黙る。
ユウヅツは、さっとトカクを手で示した。
「……こちら、俺の使用人仲間のカドさんです」
「……初めまして」
というテイで。
あらためて、トリガーはまじまじと『カド』の姿を上から下まで見る。
トリガーは感心した。最初に話を聞いた時は、体格の違いもあるし俺でない方がいいのではと思ったが。
「不思議と男に見えるもんだねぇ」
「いやだな、見えるも何も、本当に男の方ですよ?」
ユウヅツの綱渡りみたいな返事を聞きつつ。
トカクはトリガーに声をかけた。
「悪いな、協力してもらう。よろしく頼む」
「あ、いいえ、俺でよければどのようにでも」
「若様、それじゃ俺達お馬を借りてきますから支度しておいてください」
——チュリー・ヴィルガに会いに行くにあたって。
ユウヅツが選んだ『離宮の外に出る方法』はシンプルであった。
客人のふりをしてしれっと外出し、客人のふりをして帰還するというもの。
要は『ウハク』だとバレないことが大切なのだ。
「だから、少女の代役を立てるより俺みたいな男のほうが、むしろ連想されなくて都合がいい。ってことでしょ?」
「なんのことでしょうか。あれは俺の使用人仲間のカドさんですよ」
「ユウヅツくん、ワルだね。俺もチュリー王女の送別があいまいになることはお気の毒に思っていたけど、ここまでするとはな」
なんのことです?とユウヅツは首をかしげた。
まあ、我関せずでいさせてもらえるならそれに越したことはない。トリガーも黙る。
厩舎で、予約していた馬を借りる。
ここでもやはりフードについて聞かれたが、虫刺されのように腫れて見える目を見せると気まずげにされた。
トリガーが、顔を見せるのを嫌がる演技をしているせいだが。
「たかが顔が腫れてるくらいで、皆様お優しいね」
馬を引きながらユウヅツの宿舎に戻る。
トカクは、服装をよりトリガーに寄せて待っていた。
「おい、外套を寄越せ」
「はい」
お姫様が、たった今まで自分が着ていた服を羽織るのを見ることは二度と無いだろうなぁと思いながら、トリガーはトカクがフードをかぶるのをながめた。
顔の半分が影になる。染めた青髪と褐色に塗った肌で、一瞬トリガーに見えなくもないが、よく見れば普通にバレそうだ。
「一瞬だませればいい。門番ってのは入ってくるやつには厳しいが、出て行くやつには甘いものだ」
「帰ってくる時どうなさるんです」
「なんとかする。靴も借りるぞ」
門から出るまで、足の大きさをごまかせる。身長は馬に乗っていれば分からないだろう。
トカクはぎちぎちと靴紐をしめていく。男物の長靴だが、よく履き方を知っていたなとトリガーは思った。
「うん。……シギナスアクイラの服、いかつくてカッコイイよな」
「お気に召してもらえて何よりです」
トカクはすこし機嫌よさそうにその場で足踏みした。ごつごつと固い靴が特に気に入ったようだ。
ひさしぶりに自分の性別に即した服装をしたことが、彼の自尊心を回復させたのである。
それから、トカクは耳や首元を飾るアクセサリーもトリガーから譲り受けた。
「おまえがゴチャゴチャと小物の多い男でよかった。シンプルなほど、変装は難しくなっていくから」
手袋も借りる。
「……そういえばトリガーさん、今日は指輪ひとつも付けてませんね」
「指輪はサイズあるからね〜。貸せないから付けてこなかった」
「えー! 頭いい。ありがとうございます」
トカクはそれを聞いてずっこけそうになった。そのあたりもユウヅツが調整してくれていれば言うことなしだったのだが。
まあ、結果的にはトリガーが気を遣ってくれて良かった。
「……よし、どうだ?」
「さすが、凛々しいこと。そうしていると皇子様に見えますよ」
「伯爵子息に見えないと困るんだが」
とトリガーに返事をして、トカクはユウヅツを振り返った。
「どうだ?」
「伯爵子息に見えますよ」
「そう」
じゃあ行くか、とトカクは腰に手を当てた。
「じゃあトリガー、おまえ、ボク達が帰ってくるまでここから出るなよ。日が暮れる頃になると思うけど」
「お任せくださいな。天地がひっくり返っても動きません」
安請け合いだなぁ。
「ユウヅツくん、本とか借りていい?」
「いいですけど、うちにあるのほとんど帝国の言葉ですよ」
「まあいーよ」
トリガーは部屋の真ん中にどっかりと座った。
「がんばってね」
「はい」
ご武運を、とトリガーはトカクに頭を下げた。
宿舎の外につないでいた馬に、まずトカクが乗った。遠目からでも差のある身長を、早めにごまかしたい。
「……にしても、女装してウハクのふりをしたボクが、男装してウハクじゃないふりをするという、複雑な状況になるとはな」
「入れ子構造でおもしろいですよね」
おもしろいけど、おもしろがっている場合じゃねーよ。
ユウヅツも、もう一頭の馬に乗ろうと寄った。馬は機嫌よさそうにユウヅツの手に顔を擦り付けている。
なんかヤケに懐かれているな、とトカクは思って。
「ユウヅツ、こいつらメスだろ」
「え、そうですよ、分かるんですか?」
「分からないけど分かった」
という雑談を交えつつ。
ユウヅツが馬に乗ると、トカクは馬のたてがみに顔を埋めるようにうつむいた。
「はあ……。友人の見送りのために城を抜け出すなんて、やっぱ絶対によろしくない……。やるべきじゃなかった……」
「……じゃあやめますか?」
「はあ!? 行くよ!!」
昨日からこの調子だなぁ、とユウヅツは首をひねった。
行きたいはずなのに、行きたくなさそうな言動をしている。
まあ、ウハクの代理の身で『皇太女の責務』を放っていくのに、罪悪感があるのだろうが。
「殿下……言うべきか迷っていたんですけど、こういう状況なら、姫様でもサボらなくはなかったと思いますよ」
「おまえにウハクの何が分かるんだよ……。おまえと出会った帝立学園入学前後からフラつくようになったけど、もともと真面目な子なんだよ」
「真面目に友人を大切にしていれば、こういう判断になることもあるでしょう」
「…………」
大切な友人の見送り、となれば確かにウハクは行ったかもしれない。(ウハクがチュリーと仲良くなれたかは置いておいて)
あるいは『好きな人』なら絶対に、それこそ死んでも行くのだろう。
同じことをしようとしている。
(…………)
ユウヅツは何を考えているのか。
(……男装……)
ユウヅツの用意で、男の格好をさせられているのは、偶然なのか。それとも……。
(……いや)
今はそれを考えても仕方ない。
だって、この馬で本当にチュリー様の見送りに間に合うかも、まだ分からないのに!
(信用して話に乗ったけど、マジで大丈夫なんだろうな!? チュリーには会えなかったけど遠乗りできて良い思い出になったねオチとかやめろよ!?)
ウハクの部屋を抜け出したり、けっこう色々やった。これで徒労に終わったらと思うと、トカクはハラハラした。
作戦がうまくいくか心配しているのに、すでに、もう一度会えるものと思ってしまっていて、両方の緊張で動悸が止まらない。
だめだ、まず目の前のことからこなしていかないと。トカクは深呼吸する。
ともかく、まず離宮から出ないことには。
「…………」
門番の前に姿をあらわす前に、トカクはもう一度フードのかぶり具合や髪のほつれ具合を整えた。
「お疲れ様ですー」
先程話したばかりの門番に、ユウヅツが朗らかな声をかけた。『皇太女』として傅かれる人を内密に連れ出そうとしているようには見えない顔で。
「ユウヅツとトリガーです! 外出します」
「おー、気をつけて」
やはり信用しきったようすで門番達は門を開けた。今度はフードの内側を覗かれることもない。
馬がぱかぱかと門をくぐる。
「いってらっしゃい。羽を伸ばしておいで」
「あ、はい……」
「お邪魔しましたぁ〜! 夕暮れには馬お返しにきますんでー!」
「!」
トリガーの声を真似つつ、トカクは馬を小走りにして門から離れた。
ぐんと景色が背後に引っ張られる感覚。『ウハク』の仮面をかぶって以来、馬を走らせるのは久々だった。
(うわ、本当に出られた)
自由行動の開放感を感じた。
と。
「…………?」
門からしばらく離れたところで、トカクはユウヅツの視線に気付いた。
信じられないものを見る目をされている。
「……なんだよ」
「いや、殿下からトリガーさんの声が出ていたから」
「?」
トカクは首をかしげた。
「せっかく似た声出せるんだから、出した方が通りやすいだろ?」
「に……似た声出せたんですか。黙って通ってもらうつもりでしたよ俺」
「なんだよ急に?」
お前の声も出せるよ、とユウヅツの声で言うとさらに仰天していた。
「なんですかそれ〜!」
「声帯模写だよ」
「どうやってんですか!?」
「便利だからおぼえた。喋り方と声の高さを近付けるんだよ」
「殿下、そんな特技があったんですか!?」
「おまえなぁ……」
何を今更。特技も何も。
トカクはしなを作った。
「これまでだってワタクシは、ずっと『ワタクシ』の声真似をしていたじゃないか? どうやってると思ってたんだよ」
「双子だから似た声を出せるとかじゃないんですか!?」
「双子だからって似た声を出せるわけないだろ、何言ってんだ」
そうしてトカクとユウヅツの一日が始まった。