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一四四 わたあめの船




「ウハクさん……。これが最後なんて本当に信じられないわ。明日もまた学院で会えるような気がするもの」

「ワタクシもですよ。次に登校する時はチュリー様のいない学院に行かないといけないと思うと、身が引き裂かれる思いです」

「…………」


 チュリーはそっとトカクの手を取った。


「向こうに着いたら手紙を書くわ……。かならず書くから、届かなかったらうちの城に問い合わせてよね。書かないはずがないんだから、あなたのもとに届かないなら何かあったに違いないのよ」

「ワタクシも書きますから。届かなかったとしたら何かの間違いなので……」


 トカクは何を言うか迷った。


「間違いなので……敵の存在を疑ってください」

「ぶっそうねぇ」


 家庭教師もお母様も、気を付けろばかり言っておどかすから怖くなってきちゃった、とチュリー。


「心配されているのですよ。そして期待されているんです」

「わかってるわ」


 チュリーは目を閉じて肩をすくめる。


 それからトカクの手を強く握り直した。


「……逢えてよかったわ」

「…………。……ボーテスの国母として君臨なさる、チュリー様の凛々しい御姿は、今から目に浮かぶようです」

「私きちんとやるわ。私ウハクさんが誇れるお友達になりたいの。…………」


 やや黙って、チュリーはぐっとトカクに詰め寄った。


「……私達離れていてもお友達よねえ!?」

「あたりまえじゃないですか」

「本当? 絶対に手紙書いてよね!? ウハクさん筆不精だから……」

「んん……」


 トカクなりに交換日記をがんばっていたのだが、不精はバレていたらしい。


「もお~~~~すっごいさみしい~~~~! ウハクさんと離れたくないよお」

「ワタクシも同じ気持ちですよ」


 すがってくるチュリーの腕をなだめながら、トカクは楚々と微笑んだ。


 仲うるわしい少女同士のじゃれ合いに、周囲は暖かい目を向けている。

 学院の生徒が主賓でない場はあまりなかったので、新鮮だった。大人からはこういう扱いなんだな、とトカクはチュリーの体温を感じながら思う。思考の隅がやけに冷たい。


 まもなく、チュリーは次の客にあいさつしなければいけない時間となり、言外にそれを伝える付き人によって催促されて、トカクの手を離した。


 それを察知してトカクも締めの言葉に入る。


「短い間でしたが、ありがとうございました……」

「うん……。私もありがとう、…………」


 チュリーの紅玉色の瞳がきらめく。


「……さよなら」

「さようなら」


 チュリーがパーティーの喧騒の中に去っていく。

 次の客人の前に行くまで、何度もトカクを振り返っていた。振り返った時にトカクがもういないことがないように、トカクも最後まで見つめていた。




 


 チュリー・ヴィルガ王女の送別パーティーを終えて、化粧やら髪飾りやらコルセットやらから解放されたトカクは、それでも重たい身体を引きずって自室に戻った。


「はー……」


 トカクは寝台にあおむけになる。足を空中でばたつかせる。

 それから、ぐったりとシーツに身をあずけた。


 パーティーには、王太子妃となる彼女のために大勢の人間が集まっていた。


 チュリーは全員にあいさつをする必要があって、トカクとゆっくり話す暇はなかった。

 それに融通を利かせるお得意のワガママはこれから許されなくなっていくし、もうチュリーもそれを理解しているのだろう、今日のパーティーではトカクに特別な時間のさき方はしなかった。


 名残惜しそうにトカクに手を振るチュリーの姿は、目を閉じれば今もまぶたに浮かんだ。


(あっけないな……)


 そういう感想を抱いた。

 これきり会うことがないかもしれないと互いに思っていながら、劇的なやり取りがあるわけでもなく、いっそ淡々と最後の日が終わってしまった。しかし、これが普通なのだろう。


「…………」


 もの悲しさはあるが、ほっとしている自分もいた。最後までチュリーの前で「理想の友人」でいてあげることができて、それが彼女の喜びになったのなら、それ以上のことはないし。


 ぼろが出なくてよかったし、男だとバレなくてよかったし、……ウハクと交代した後にごたつかなくてよかった。


 トカクもいつまでも少女のふりはできない。だから、チュリーが遠くに行くことはむしろ都合が良い。二度と会わなくて済むことは。


(……手紙なら、変わらずボクがやり取りできる。友達ごっこをウハクに引き継がせずに済んで、むしろよかった)


 それに手紙でどうせやり取りするのなら、劇的な別れなど、無いほうがいい……。


 どうしても目の前で伝えなければいけないような言葉を、もうトカクは持たない。


 ――そんな思考を裂くように、部屋の外から声をかけられた。


「入れ」


 複数の使用人が、トカクの――ウハクの寝支度のためにやってきた。当然ながら女だけである。

 トカクが実は男である都合上、更衣ふくむほとんどのことをトカクは自分でやっていたが。


 サービングカートのタイヤが床をすべる。彼女達は、トカクが夜間のどが渇いた時に飲めるよう、水差しに水を汲んできたのだ。


(……あの白いクロス、華美だけど防犯の都合で廃止になってたような……。明日言えばいいか。


 今日のトカクにその気力はなかった。


 彼女達の儀式めいた毒見が終わった。


 水差しやタオルを載せたサービングカートが寝台横に配置される。

 仕事を終えた使用人達を見送り、そしてまたトカクが物思いにふけろうとした、その時。


「……あの、……こんばんは」


 こもった声だった。空耳かと思ったが、そうではなかった。


「今……出ます」


 ユウヅツの、気が抜けるようないつも通りの声が聞こえた。


 当然、今のトカクは部屋にひとりである。


「……あ? ……は!? どこから……」


 言いながらも、声が聞こえた方向をトカクは関知していた。サービングカートの荷台の下、クロスの内側である。

 流れるように目をやると、ちょうど布がひらめいたところだった。内側から押され、窓のない部屋で風に揺れるようにひらめいて、そして。


 ぺたり、と白く長細い指の付いた手がタイヤの横に置かれた。ぎし、とカートが重みにきしむ。


 緩慢な動作で手が床をそって伸びて、サービングカートから片腕が生えたようになった。

 次いで、こしのある豊かな黒髪の小さな頭が白いクロスをくぐる。


「よ、っと」

「……ああ?」


 寝台横の懐刀に手を伸ばすという訓練通りの動きをしながらも、目の前の光景が現実と思えずなかば茫然としているトカクの横で、人影はどんどんと這い出てきた。

 というか声からしてたぶんユウヅツだから刃物は持たない方がいいか、と迷っているうちに。


「…………」


 ずるり、と上半身が押し出され。


 足を床に踏みしめてサービングカートから脱出した人間は、よっこいせと立ち上がった。

 さいわいなことに、やはりユウヅツだった。


 すっと礼を取る。


「ごきげんうるわしゅうございます、殿下」

「おま……ユウヅツだよな!?」

「はい。……びっくりさせましたか?」

「寿命がちぢんだわ!」


 トカクは心臓を押さえながら叫んだ。


「すみません、先にお声がけはしたんですが」

「それで緩和できる出方じゃなかったぞ」


 サービングカートから這い出てくるなど醜男なら魑魅魍魎のたぐいだが、造形が悪くないせいで幽霊みたいだった。『恋愛物語の主人公』の肉体を持つだけある。


「なんだってそんなところから!?」

「どうしても今日、内密にお伝えしたいことがあったのですが……」


 床についていた手を払いながら、ユウヅツははにかみ笑いをした。


「殿下の手引きがないと、二人きりでお話しようとするの大変なんですね」


 たいへんなんですね~でしれっと成功させていいことじゃないんだよ、皇太女の寝室にもぐりこむのは。せめてここにいるのがウハクでなくトカクだと知っている人間の手引きのみで果たされていてくれ。

 もちろん、誰かれ構わず侵入できるわけではなく、ユウヅツならいいやで通されているのだろうが、それがもう恐ろしすぎる。


 極論、こいつが歯の間に毒でも仕込んでこれば暗殺が成るのだ。


 こいつの異能じみた魅了は、なんでこうも悪いことにばっか使いやすいんだ。善い行いに使える構想がぜんぜんわかないが、どうなっている?


 こんな登場のされ方をしておいて、そういえば相手の武器の携帯すら心配していない自分も自分である。

 トカクは己をいましめた。


「はあ……。で? 火急の用事みたいだな、何事だ?」

「はい、それが……」


 ユウヅツはきょろきょろと部屋を見渡した。誰もいないことを確認してから、そっと口の横に手を添える。


「…………」


 ユウヅツはかなり人目をはばかる話がしたいらしく、二人きりの部屋だというのに耳打ちする形でさらに距離を詰めてきた。トカクも耳をかたむける。


「……それで?」

「あのですね」


 ユウヅツはひそひそと声をかすれさせて。


「明日の儀式、抜け出して、チュリー王女に会いに行っちゃいませんか……?」

「…………」


 とのたまった。


 悪魔が甘言をささやきに来たかと疑ったが、どうも生身の人間だった。

 生身の人間であるユウヅツは続ける。


「行けたら行くということで、離宮からの脱走や移動手段や、いろいろと手配しました。殿下の承認さえ得られれば、明日チュリー王女のところに行ける用意があります」

「…………。……それは」


 トカクは低い声が出た。


「なんでだ?」

「馬で。チュリー王女が乗る馬車の通り道を教えていただいたんで、そのあたりまで馬を走らせて……」

「いや違うくて……」


 秘匿されるはずの王太子妃の通り道を教えてもらっているのもとんでもないが、今はそこでなくて。


 トカクは言葉を選んだ。


「……なんでそんな用意を?」


 という問いに、ユウヅツは当然のように答えた。


「殿下が行きたいかと思って……」

「…………」


 行きたいかと思ってって。

 トカクはひたいに手を当て目いっぱい黙ってから、強風のような勢いで言葉を浴びせた。


「行きたいからで行っていいもんじゃないだろ! こっちの身分とか慣習をなんだと思っている!?」


 異世界人のそういう意識の低さとか認識の甘さのせいで帝国の学園でああいうことになったんじゃないか!?と言いかけて、今これを引き合いに出すのは攻撃的すぎると思いなおしてトカクは一瞬だまった。そして。


「……単純にリスクが大きすぎる! 捕まったら最後、芋づる式でボクがトカクだとバレかねんし。その代償に見合わない! そもそもおまえの用意というのが信頼ならん、わたあめの船で川を渡るようなもんだろ」

「飴細工くらいには硬めたつもりですよ」


 弁明になっていない一応の弁明をしてから、ユウヅツはトカクの弁に耳を傾けた。


「パーティーへの出席で、ライラヴィルゴ王女への義理は果たしたし、そこまでしてやる必要性がない。ボーテスとの国交は手紙のやりとりで充分だ。というか国の儀式をほっぽり出して会いに行くってのも長期的に見ればむしろ心証が悪い。ここはむしろ公務をまっとうする姿を見せるべきだ。そもそも帝国ならともかく大陸をろくな護衛なく移動するのは治安が悪くて単純に危険!」

「…………」


 ユウヅツは黙る。


 トカクの弁はもっともだったが、それでも行きたそうだったから気を利かせたつもりだった。

 が、あまり反応がかんばしくなかったので、ユウヅツは意外に思っていた。


 助けになるかと、そうでなくても喜んでもらえるかと思ってやったのに。


 トカクはぎゅうと両手をにぎってユウヅツをにらんでいた。


 ユウヅツはトカクに行ってほしかったが、行きたくないという本人を引きずっていくことはできなかった。


「……じゃあやめておきます?」

「はあ~~~~~!? ンなもん……」


 トカクは振り上げたこぶしを降ろした。


「……行くよ!!」


 トカクはわたあめの船に乗った。






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