一四三 ぎくしゃく
ユウヅツがトリガーと共に校内で時間を持て余していると、一人の女子生徒がつかつかと近寄ってきた。
彼女はソファに腰かけている二人のテーブルの横に立つ。
「ねえ。あなた達、大瞬帝国皇太女様の御付きの二人よね」
「……そうだけど?」
トリガーが話を聞くために上体を起こす。
「そういうアンタはライラヴィルゴ王女様のお取り巻きだっけ、なんの用?」
「トリガーさん、なんでそんなに喧嘩腰なんですか……」
「そもそもコイツが浅はかにも皇太女様にケンカ売るから俺が気をもむハメになったの!」
トリガーは女子生徒――ルナシー・チェックドを指差して言った。
「なんの用か知らねえけど、件のイカサマについては俺ほんとうに関係ないからね! 神聖なる決闘にイカサマ持ち込むヤツだと思われて、いい迷惑だ本当に」
「……トリガーさんが、神聖なる決闘にイカサマ持ち込むヤツなのは事実じゃないですか?」
「悪いヤツだと思われるのはいいの、バカだと思われるのが我慢ならねぇの」
俺は主人に仇なすようなバカはしないよ、とトリガー。
「……それで、チェックド嬢。どういったご用件でしょうか」
ユウヅツが仕切り直すと、ルナシーは腕を組んで口をひらいた。大陸の流行りであるショートカットの横髪が頬にかかる。
「聞きましたわ。なんとウハク様は、チュリー様がボーテスへ発つ日、見送りに来られないそうじゃない?」
「そうですね。チュリー・ヴィルガ王女の出立の日は公務があるため、当日はお会いできないという話になっています」
ユウヅツは説明文を読み上げるようにしゃべる。
「もちろん、その前日にひらかれるチュリー・ヴィルガ王女の送別パーティーには参加させていただくと……」
「チュリー様の親友だと言うなら、天変地異が起こっても馳せ参じるのがスジってものじゃないかしら?」
「じゃないかしら、とウチらに聞かれても。前みたいに皇太女様ご本人に言いに行きゃいいのに。ビビってんの?」
ビビっているからトカク本人に言いに行かず従者のところに来ている、というのは図星だったらしく、ルナシーは赤くなって黙った。決闘でコテンパンにされた挙句にロッカーの暗証番号で脅迫を受けたのが、それは恐ろしかったらしい。
「そうですね。薄情な振る舞いに見えてしまっていることは申し訳ございません。殿下は多忙ゆえ、ご理解ください。……一応、チュリー・ヴィルガ王女には欠席の理由を殿下本人からお伝えして、ご快諾いただけたと思っていたのですが、俺達の思い違いでしょうか……?」
「チュリー様が文句を言っているわけではないわ。私が気にくわないのよ」
「じゃあ知らねーよ、黙ってろ」
トリガーはばっさり切った。
「おまえ、自分の感情で勝手な行動したせいで痛い目みたんじゃないの? 反省した方がいいよ」
「……だいたい、公務って何の? ライラヴィルゴ王女の見送りより優先される公務って何?」
「そんなもん色々あるだろ。説明する義理もないけど」
「いや普通に説明しますから。宗教的行事ですよ」
ユウヅツはトリガーとルナシーを仲裁する。
「チュリー・ヴィルガ王女の出立の日が、ちょうど、我が国の皇帝陛下の生誕日なんです」
国民の祝日である。
「その日、皇太女殿下ふくむ皇族華族の一部女性は外出が禁じられ、個室にこもって平和のための祈りをささげるんです。朝から晩まで。御籠もりと呼ばれています」
へえ、とルナシーはうなずいた。
「それ、どのくらい大事なのかしら」
「どのくらいですかねぇ。国民の多幸を祈る伝統行事ですからねぇ。どれだけ大事にしても、し過ぎるということは無いのではないでしょうか」
「チェックド、おまえがライラヴィルゴ王女に重用されなかった理由が、この数分でわかった。言葉の端々が洗練されていなくて無礼で、横に置いておくと貴い方々の品格に傷がつくわ」
「トリガーさん言い過ぎでしょ絶対。けんかしないでください」
いや、他国の皇帝陛下の生誕日に皇室で催される行事を「どのくらい大事なの」はやばいって、何がやばいって怒らせるつもりで言ってなさそうなのが。
と思ったがトリガーは黙った。けんかを売っても仕方ないからだ。
それから。
「そういや一部女性って、どういう区分? ハナ様も籠もんなきゃって言ってたけど、キノミさんコノハさんは自由って言ってたよね」
「対象は髪の白い女性です。うちでは、それが皇帝につらなる血統の証明、神性の象徴になるので」
という形で話は終わった。
ルナシーも「ウハクの欠席の理由」に納得したらしく去っていく。
間。
「……でも実際、皇太女様、見送り行けないのは残念だったよね。仲良かったぶん、後味が悪いというか」
「そうですね……」
チュリーの輿入れは、当然ながら国を挙げて行うことなので、たった一日でも容易にずらせるものではなかった。
『絶対にはずせない日』が重なってしまったことは、トカクもチュリーも残念がっていた。
「…………」
チュリーの結婚話が判明した、あの中庭での一件以来、トカクもチュリーも表面上は取り繕っているが、なんとなくぎくしゃくしている――というのが、ユウヅツの見解だった。
王太子妃の自覚を持ったチュリーが大人らしく振る舞っている、と好意的に解釈することもできるが。単に、なんとなく気まずそうに見える。
(……結婚しないでと止めてほしがっている人に、厳しく答えすぎて、突っぱねたようになった……)
その厳しさこそトカクの美点なので、あそこで甘えさせてあげていればなんて絶対に言いたくないが。
送別パーティーもあるとは言え、最後のあいさつがなんともハッキリしない形になりそうで、ユウヅツは見ていられなかった。
転校する友達がいたとして、クラスでひらかれた送別会には参加できたが、引っ越し当日の見送りには行けなかった……と考えると、不完全燃焼感が分かるだろう。
(殿下の、大陸に来てはじめてできたご友人なのに、なんかなあ……)
と言うとトカクは「かりそめの友情だよ性別を偽って騙してる身だし」と返すのだが、少なくともユウヅツには、チュリーといる時のトカクは楽しそうに見えた。
今のトカクは、チュリーに対してこれまで以上に遠慮しているように見える。
泣かせた負目である。
国を出る最後の日に会えないことが、余計に溝を深めている気がする。
「…………」
でも、宗教的行事は何より優先される。仕方ない。
『ウハク』が、母親の生誕日に国民のため祈ること、それよりも他国の友人を優先させることはあってはならない。
……宗教的行事を遂行しなければ、という観念は理屈で片づけられるものではない。
帝国の白い髪を持つ女性は、この日「籠もらねば」と思うし、その周囲も「籠もらせねば」と思う。ご馳走を踏みつけにできないと思うのを、より強烈にしたような使命感があるのだとユウヅツは思う。
しかし、本来トカクは御籠もりなどしなくていいのだ。男児だから。
外出が禁じられるのは女子の場合だけだ。
では何故トカクが籠もる必要があるかといえば、今のトカクは『ウハク』だからだ。本国で眠る彼女の体裁のために、公務の代理をつとめ、「皇太女は今年も祈りをささげた」アリバイ工作をしなければいけない。
だから大手を振ってチュリーの見送りにはいけない。
しかし。
どうせ偽者であるなら、現場にトカクがいなくてもいいのではないか?
(……抜け出して、お忍びでチュリー王女の見送りに行ってもいいのでは?)
そういうことを、ユウヅツはずっと考えていた。