一四一 うわさになっている
大瞬帝国一行は、校内に与えられた一室で優雅に茶をたしなんでいた。
カップから口をはなしたユウヅツが、「そうそう」と切り出した。
「今朝、読書会で教えてもらったんですけど、チュリー・ヴィルガ王女がボーテス王国の王太子とご結婚なさるかもしれないと、うわさになっているそうです。皆さん、本人から何か聞いていますか?」
「げっほ」
勢いよくむせたトカクに、「だいじょうぶですか姫様!?」と周囲が一斉に寄った。
なんだそれ、聞いてない。
しばらくケホケホと、聞いている方まで肺が痛みそうな咳を続けていたトカクだが、落ち着いてきたので「なんだそれは。知らない」と返答した。背中をさすられながら。
「そのうわさの出所はどこなんだ。たしかな情報か?」
「い……いえ。うわさですから。俺はむしろ、本当だったら殿下は聞かされているのではと思って、お訊ねしたのですが……」
ふ、不確かなこと言いやがって。もうちょっと何かないのか。
という視線を察知したのか、ユウヅツは「あくまでうわさなんですが」と前置きして。
「両国の同盟強化のため、チュリー・ヴィルガ王女を政略結婚させようという動きがあり。しかし正式な決定ではない……そういう情報が、ライラヴィルゴ内の女子生徒の間で流布されているのは確かです」
「ライラヴィルゴの人間の間でささやかれているのか。無視できないな……」
そんな内々のうわさがユウヅツの耳に入るのは、クラリネッタ目当てでライラヴィルゴの人間との接触を増やしていたからだろう、とも推測する。
するが、今はそれどころでなかった。
「もし本当なら、大抜擢ではございませんか。他人事ながら良い話ですわ」
「王女が学院を辞めるとなれば、彼女の配慮でいろいろ自由に動いてきた私達は、これまで通りとはいきませんけど、仕様のないことですし」
「いや、あの、うわさですから。まだ本当と決まったわけではないので信用なさらないで……」
ユウヅツは顔色を悪くしながら自分を信じるなと繰り返した。
それから。
「……あとは……、正式な決定がされない理由は、チュリー王女がまたワガママを言っているから……とも、話されていましたね」
それは、チュリーがイヤがってるせいで話が進まないってことか? それはちょっとおかしい、アイツそもそも婚活女子だろ。ボーテスの王太子によほどの問題が?
……というのを、ウハクらしい言葉づかいで聞くには。
「……ユウヅツ、それは、チュリー様がご結婚に難色を示しているせいで、ということか? あの方はむしろ、はやく結婚したいひとだと思っていたが……。もしかして、相手によほどの問題が?」
誰かボーテスの王太子について知っているか?とトカクは従者達を見回す。
「ボーテスですわよね? 王太子は現王の孫で、まだ二十歳そこらではなかったかしら。歳が近くて良かったですわ」
「個人的なことは、特に何も。良い噂も知りませんが、悪い噂は聞きません」
「そうか……」
まあ、ここで問題が見当たらなくても、チュリーは問題を知っているのかもしれない。
「……これがうわさになっているのを、ご存知なのか、チュリー様は?」
「どうでしょう」
「鵜呑みにするわけにはいかないが、話を聞いたこと自体は伝えておいたほうが……」
結婚自体が嘘なら、根も葉もない嘘が言いふらされているということだし、事実だとしても、確定していない以上は公にすべきでないのだろうし。
トカクはチュリーのところへ参じようと支度をさせることにした。周囲は準備をはじめる。
それを横目に、トカクはソファに深く腰掛けた。
「結婚か……」
「……もし本当ならさみしくなりますわね、姫様?」
「ん、うん……」
……結婚か~~~~~。
トカクは天井を仰いだ。
チュリー様が結婚? やだ~~~~~。
文章にもならないような単純な不快感がわいてきて止まらなかった。
まだ事実かは分からない。
根耳に水も良いところだったが、ボーテスとの政略結婚と言うのはありえるラインだ。信憑性がある。
嘘だとしてもトカクが具体的に想像するには充分だった。
結婚、そりゃいつかはするだろうけど……。
しかし、今そんな話が出るとは思っていなかった。『原作のゲーム』で、こんな展開はなかったはずだし。嘘だと思いたい。
いつかチュリーが結婚するにしても、トカクが帝国に帰った後、遠いライラヴィルゴから文書で知らされるようなものを想定していた。
まさか学院の在学中に、目の前から消えるようなことが。
「……あの、俺が話を振っておいてあれなんですけど、うわさですからね……? 違ってたらごめんなさい」
「いーよ、そういううわさがあるのは事実なんだろう」
表面上は取り繕っているトカクの動揺が、伝わっているらしく、ユウヅツは心配げにしていた。トカクの想いは知る由もないが、自分の発言がトカクに与えた純然たる衝撃は分かるらしい。
たしかにトカクは想定外のダメージを受けていた。しかし。
「……でも正直、あまり信憑性は感じないんだ。チュリー様、そんな話が出たならいの一番にワタクシに言いに来そうじゃないか?」
「それは思いましたわ。他国の人間に易々と伝えていい情報ではございませんけど、」
あの人ならやりかねないという。
「……ですが、そこを思いとどまって内々に秘めたというのなら。それこそ、結婚にふさわしい成熟した内面を手に入れたということになりませんかしら?」
「…………」
トカクはしばし黙る。
「……ここで嘘か真か言い合っていても始まらない、誰も何も知らないんだから。とにかく聞いてみよう」
そうして。チュリーの前で話を切り出して。
そうだとも違うとも、何そのうわさ?とも言わずトカク達の前から逃げ出したので、どうやら本当にある話らしいと分かった。