一四〇 結婚したくない
「えっ、陛下が私に?」
チュリー・ヴィルガが自室で涼んでいると、彼女の父親――国王陛下から呼び出しを受けた。
あまり無いことだ。連盟学院の入学の際などには、形式的な激励があったりしたが。今は呼び出される心当たりがない。もちろん怒られるようなことをしたつもりも。
何用だろうか、チュリーは首をかしげながらも支度をさせる。
「いったい何なのかしら。まさかお母様に何かあったとか……?」
不思議がりながらも、チュリーは父の待つ宮殿へとおもむいた。
「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」
父親といえど可愛がってもらった記憶があるわけでもない、チュリーにとっては親しみのない相手だった。そして、「言うことを聞かなねばならない人」の最上位に当たる。
あいさつもそこそこに、国王はチュリーにこう話を振った。
「ボーテスは知っているな?」
「北方の同盟国ですわ」
ついで、チュリーはボーテス王国について分かる限りの知識を述べた。それを聞いて国王は満足そうにうなずき、適当なところで制した。
「あの国との仲は永遠でありたいものだが、同盟の重要性を忘れてきている者もいるらしい」
「…………」
「そろそろ新たな縁を結んで、絆をより強めていくべきだと、あちらの王と話していてな。ちょうど王太子の妻の座が空席だ」
国王はチュリーに手を向けた。
「未婚の姫であれば誰でもいいんだが。おまえ、最近はワガママも言わなくなったと見直されてきているそうじゃないか。同盟強化の礎になる気はないか?」
「…………」
つまり縁談だった。
チュリーは、彼女の外見や振る舞いが、嫁に出すのに不足はないか見るために呼び出されたのだ。
まあどちらでもよいから好きにしろ、考えておけ、と下がらされた。
宮殿から出た途端、チュリーの侍女は華やいだ。
「チュリー様、おめでとうございます! あなた様は栄えあるボーテス王国の王太子妃に選ばれました。ゆくゆくは王妃となられるのですよ」
「……まだ決まったわけじゃないでしょう。考えておけって、一週の猶予をいただいたわけだし。…………」
チュリーは首をひねる。
「政略なんだから結婚しろと命じればいいものを、どうして私に、好きにしろなんておっしゃったのかしら? 分かる、あなた?」
「この老いぼれに国王陛下のお考えを見通せるとは思いませんが、ひょっとすると、これは試練やもしれません」
「試練……」
「思い返して見てくださいまし。国王陛下はチュリー様の『ワガママ』を噂に聞いて、王妃にふさわしからぬのではと懸念していらっしゃったのではないでしょうか?」
たしかに、「最近は見直されてきている」と言っていた。あら私って、そんなに『ワガママ』の噂が立っていたのかしら? チュリーはいぶかしむ。
「時期がイヤだとか相手がイヤだとかワガママを言わず、ライラヴィルゴの顔となるつもりで外国に輿入れし、ボーテスの国母となる意志をみずからお示しになることを、期待されているのですよ」
「……つまり、私に『お父様の命令で仕方なく結婚した』と言わせないようにしたいのね」
たしかに言うかもしれないわ、とチュリーはおのれを顧みる。
すぐには言わないだろうが、向こうの国で自分の思い通りにならないことがあるたびに、「お父様が言うから結婚してあげたのに」と言い訳をする。
「これ、断ったらどうなるの?」
「こここ断るおつもりですか!? どうして!!」
「耳の近くで大きな声を出さないでよ! うるさいわね……」
「どうなるも何も……陛下のことですから、好きにしろと言ったが最後、好きにさせるでしょう。チュリー様がイヤだと言えば、別の姫に話がいきます」
「それから?」
「代わりに、チュリー様には二度と良い縁談が来ることはございません」
そうよねぇ、とチュリーはつぶやく。
侍女はチュリーにすがりつかんばかりに寄った。
「チュリー様、何が不満なのです」
「べつに不満だなんて言ってないでしょ、たとえ話で聞いただけよ」
「いいえ、ばあやには分かります。あの場で王妃になると即答してもよかったものを。学院生活が名残惜しいですか。お友達などボーテスでもいくらだってできますよ」
「ウハクさんのことは関係ないわ!」
「どうか一時の感情に流されないでください。このような縁談は、チュリー様がずっと望んでいたことではありませんか? 下賜でなく、後妻でも妾でもない、年頃のうちに来る縁談……!」
そう、ずっと望んでいたわね。チュリーはうなずく。
初対面のウハクさんにお兄様を紹介してもらおうとする始末よ。ウハクさんの双子ならぜったい美形と思ったし。
「……王女に生まれたなら王妃になる以上の幸福はないと、今も思っているわ……。願ってもない話ね……」
「その通りにございます。お友達の忠告に耳を貸した甲斐があったではございませんか。このためではなかったのですか」
「単にウハクさんに好かれたかっただけだもん、それがこんなふうになるなんて……」
ウハクと一緒にいるためにやったことが、ひるがえって別れの時期を早めてしまうとは。
「どうしよう。結婚するとなれば、学院はやめてすぐにでもよね。どうして今なのかしら……やっと楽しくなってきたところなのに……」
「チュリー様、いつかしなければいけないんですから早いか遅いかの違いでございます。幸運の女神に後ろ髪はありませんよ!?」
「やかましいわね! ひとりで考える時間をくれる!?」
一喝すると侍女は下がった。
「…………」
チュリーは庭園を見ながら物思いにふけった。
どうやら自分は結婚がしたくないらしい。
あれだけ心待ちにしていたまともな縁談が、転がり込んできたというのに。今はぜんぜんうれしくない。
もっと早ければ。
ウハクと出逢う前に、この話が来ていたなら。
(……でも、ばあやの言うことが本当なら、これはウハクさんと出逢ったがゆえに持ち上がった話なのよね……)
ワガママを直してしまったから。
そして。
結婚はしたくないが、断る勇気もない。
王命に歯向かうことへの恐怖ではない。
単純に、おしいのだ。幸運を無為にするのが。国交のかなめとなる名誉が。王妃の座が。
それを棒に振ったあと、一度も後悔しないでいられる自信がない。だから断る勇気がない。
誰かの妻になるために――政略結婚の有用な駒となるために努力してきたのは事実だ。報われるならそれに越したことはない。
なぜ、選択権を与えられてしまったのか。ひとこと命じてくれればそれに従い、尽くしたのに。
そして、この苦悩自体が「なぜ選択権を与えたのか」の答えになる。自分の意思で結婚を選べるか、測られているのだ。
「まだ結婚したくないなあ……」
チュリーはつぶやく。声に出すとその気持ちは胸の中ではっきりとした重さになった。まだ結婚したくない。
先程はひとりで考えさせろと怒ったが、すこし冷静になると誰かに相談したくなった。ひとの意見が聞きたい。
できれば信頼できる人の意見が。
そしてそれは、チュリーにとってウハクの一強だった。
しかし……。
「相談して、もしウハクさんに結婚したほうがいいって言われたら、すごくイヤだわ……」
相談したいが、相談したくない。
単純明快な行動原理で生きてきたチュリーにとって、はじめての複雑な感情だった。