一三九 ねたばらし
「イカサマの仕掛け自体はシンプルだったよ。カードの表面の図柄を見れば、裏面の数字と記号が分かるようになっていた」
とトカクは種明かしをはじめた。不機嫌そうに組んだ足を揺らしながら。
ユウヅツはそれを聞いて。
「でも、チュリー王女やトリガーさんは、あのシンプルな図柄で暗号を仕込みようがない、みたいな話をしていましたよ」
「ボクも最初は、だからイカサマなんかないと思ったさ。だが、戦局の伝令とかならともかく数字と記号を伝えるだけなら、細かい模様なんていらないんだな」
記号四かける数字十のパターンで事足りる。と言いながらトカクは空中に指で線をひいた。
「カードの表面、格子柄だったろう。あの線が、微妙にずれていたのは……観客席からは見えなかったよな」
「……印刷がずれて……?」
「長方形の短辺には四パターンのずれがあって、長辺には十パターンのずれがあった。カードの枚数と合致する」
その『ずれ』を見れば、カードの裏面が一目瞭然だったのである。
単なる印刷のずれにしか思えないくらいの、わずかな誤差だった。
「そんなの神経衰弱で負けようがないじゃないですか……! 表面だけ見て、同じ格子模様のカードを取ればいいだけなんですから」
二回戦目の、デッキを二つ使うゲームなんか、一回戦より簡単になっている。
「……抽選であるはずの決闘内容が神経衰弱になったルナシー嬢、かなり運がよかったんですね」
「どうかな。逆で、よりによって神経衰弱かよと思っていたと思う」
というと? とユウヅツは訊ねた。
「規則的なずれのある四十枚のカードを場にずらりと並べられるなんて、ひやひやするだろ。見比べられるじゃん」
「……なるほど」
「実際、ボクが初戦のうちに気付けたのは、並べて置いてあったからだし。同じようにカードをそろえるゲームでも、ババ抜きだったら気付けなかったかもしれない」
トカクはおのれの髪をかきあげた。
「……イカサマがあるのを確信できたのは、単純にルナシーが『下手』だったからだけどな。記憶でカードをめくってる顔じゃなくて、視覚でめくってる顔だった」
あの不器用さ。慣れていなさ。
そこを深堀できていたら、ゲームの最中に、ルナシーの陰にいる協力者――黒幕の存在に気付けたかもしれない。トカクは悔しがった。
「……それで……、殿下がイカサマを見抜いた、というのは分かったのですが。……それでどうしてあんなことに……?」
「…………」
「そもそも負けるつもりだったのに、なんで勝っちゃったんですか?」
「勝っちゃったっていうか、相手が勝手に負けちゃったんだよっ」
トカクは背もたれにもたれて天井を仰いだ。
「すげー簡単なイカサマだったから、これに騙されたらバカにされると思って。未開のカードを数枚めくって当てることで、「気付いたうえで乗ってやった」ってのを分からせてやろうと思っただけなのに」
ユウヅツは二回戦の最後を回想する。やはり、四連続でカードを取っていったのは、既出のカードをそろえたわけではなかったらしい。
「……イカサマをしてもらって、助かった面もあったんだよ。『ウハク』ではカードの完全記憶は難しかったから、ハナ達の手前、どのくらい手を抜いたものか考えていたんだが」
「…………」
「イカサマのおかげで、「最初にカードの仕組みに気付いたから完璧にカードが取れた」と言い訳ができると……」
『運良くイカサマに気付けた』でハナ達をごまかせる。
トカクは条件反射で怒っていたが、本来なら、利用できる有用なことだったのに。おかげでうまく負けられるはずだったのに。
「なのに、降参しちまうんだからなぁ……。根性がねーよ根性が。イカサマがバレたくらいで負けを認めるなんて。……これも、ゲームの最中に、ルナシーを担いだ人間が背後にいることに気付けてたら、せめて四連続でなく二連続とかに加減してたのに、くそぉ……」
旧カタプルタス派の動きも察知できなかった。失態である。歯牙にかけていなかった。
「……こういうのは、逆にウハクなら気付けたかもなぁ、悪意に敏感だったから」
「…………」
トカクの嘆きを聞きながら、ユウヅツは違和感をおぼえていた。
「イカサマがバレたくらいで負けを認めるなんて根性がない」……。「四連続でなく二連続加減」……。
「……殿下って、本当にただカードを当ててみせただけなんですか?」
「見てたろ、それ以外のことなんてできねーよ、あんな公衆の面前で」
「本当に、適当な数字や記号をひらいただけですか? 四連続の、……四って、微妙な数字だなと思って」
偶然でないことをルナシーに示したいなら二回でも充分だし、その方が観客をざわつかせずに済んだはずだ。キリの良い数字だと三回くらいが妥当な気もする。
なぜ四回も?
というユウヅツの問いに、トカクはしばし黙った。後ろめたいところがあるらしい。
ややあって口をひらく。
「……記号が四つあるから。四種類の記号を全部ひらけたら、綺麗かと思って」
美的感覚だったらしい。
「十種類の数字をひらこう、とかなさらなくて何よりです」
「十連続で当てたら怖すぎるだろ」
四連続までなら怖くないと思ってやったらしい。充分に異様だったが。
……だが、十連続よりは圧がないのは事実だ。
ルナシー嬢が、四連続で違う記号のカードを取られたことに慄いて……というのは、まだ弱い気がした。
ルナシー嬢が人より臆病な可能性もあるが、だとしたらそもそも決闘なんて申し込まないだろう。そそのかされながらでも勝負の舞台に立てる度胸はあるはずなのだ。
そんなルナシーがあれだけ青ざめ、取るもの取らずに戦線離脱するほどの、何が……。何かが。
というか単純に、トカクがまだ何か隠しているようにユウヅツには見えた。
「殿下、あの……本当にそれだけですか? 他に何かやってませんか……?」
「……何ってわけじゃないんだけどな?」
トカクは自分の手を胸の前で組んだ。目が泳ぐ。めずらしいことに。
「四組のカードをめくるにあたって、適当な数字でもよかったんだけどな? でも、完全なるランダムというのは、難しいもんなんだよ」
意外だが、人間は不規則なことをするより規則的に動く方が負荷が少ないのだ。
「だから、四つ、なんの数字をひらこうか考えて……。どんな数字でもよかったし、他意はなくって、その時思いついたのがたまたまそれだっただけなんだが……」
めずらしく冗長に長々としゃべるソレが言い訳だとユウヅツが気付いたのは、トカクの次の言葉を聞いてからだ。
「四桁の数字、ルナシーのロッカーの暗証番号にした」
「怖すぎるでしょ!!」
ユウヅツは素で叫んでいた。
「怖すぎ!!」
ダメ押しで二回言った。
「そんなのされたらロッカーに何かされたとか、何か弱みを握られたとか思いますよ。……あ、だからルナシー嬢、決闘を切り上げた後ロッカー見に行ってたんじゃないですか! めちゃくちゃ脅してるじゃないですか!」
「ロッカーの暗証番号を言われたくらいで勝負を降りるなんて根性がねーよ根性が」
「根性じゃない、プライバシーですよ。……ていうか、なんで彼女のロッカーの暗証番号なんて知ってるんですか」
ロッカー近いんだもん、とトカクは返した。
「開けてるとこ見えるんだよ。見えたらおぼえるだろ。ボクはウハクのロッカーの周りにあるだいたいの生徒のロッカーの番号をおぼえている」
「きもちわる」
「気持ち悪いとか言うなよ!」
ユウヅツも言うつもりはなかったようで顔を背けていた。きもちわるの一言が余計にのしかかる。
「……暗証番号をご存知だった理由は分かりましたけど。それを使ったら、ルナシー嬢にどう受け取られるかは想像しなかったんですか?」
「……いや、正直わかってたよ? ここでシラを切ったりはしない。わかってた、ちょっと怖がらせることは。びびらせようと思ってやったんだからな。……でも決闘を中断するほどとは思わねえよ!」
トカクは椅子の座面をぼふんと叩いた。
「ボクはロッカーの暗証番号を示しただけだぜ!」
「怖いですってそれ……」
いやでも、とトカクは弁明しようとした。
「あのロッカー、セキュリティは申し訳程度だし、学院側から、紛失して困るような貴重品入れるなって喚起されてるほどじゃねーか。暗証番号知られてた程度のことが何だっていうんだよ」
「財産を置いてない家に住んでる人だって合鍵を勝手に作られたら怖いと思いますよ」
あ、わかりました……。とユウヅツはひたいに手を当てた。
「殿下……殿下は、特に学院では常に付き人が周りにいらっしゃるし、校内におけるプライバシーの概念が薄いんじゃないですか? 学院って、ある程度の生徒にとっては「家の目を気にしなくていい自由な空間」なんですよ」
トカクにとって(なんならハナ含む従者にとっても)学院こそが気を引き締めなければいけない空間である。見られて困るものは学院にはそもそも持ち込まない。
しかし。
「逆の人もいるんですよ……。見られて困るものほど学院に置いておくという文化があるんです」
「にしたってあんなロッカーに?」
「鍵がかかるじゃないですか。勝手に開けてあさるような人間もそういないでしょう」
トカクこそ、まさか本当に自分がロッカーに何かすると思われるはずがないという意識があったから、気軽に用いたんじゃないのか。
「仮にやましいものを置いてなかったとしても、ロッカーの中を見られるの、イヤな人はイヤだと思いますよ。ほら、たとえ片付けていても自分の部屋とか見られるの……あ、そうか、殿下は自分の居室、人の出入り激しいんですよね」
常に警備がいるようなものだ。
「それに殿下ってロッカーの中身の出し入れも、ミキヱさんとか他の人に任せてますもんね……」
「なんだよ気の毒そうに」
「皇子殿下ならびに皇太女殿下のプライバシーのなさを再認識しているのですよ」
ともかく、とユウヅツはまとめた。
「ルナシーさんにとっては自分のロッカーって、自分以外は触らないし自分以外は見ない、とても個人的な空間だったんじゃないんですか。だから降参したんだと思いますよ」
「もう分かった、今回で学んだから次で同じ失敗はしない。……つーか、いつも非常識なのはおまえの方なのに説教されるの本当に遺憾だよ」
「…………」
ユウヅツは黙った。
「チュリー様もさー、ロッカーの暗証番号で人をおどすような場外乱闘は美しくないわって、ルナシーの肩持つんだよ。絶対にイカサマの方が悪いぜ!?」
「そんなこと言われていらしたんですね」
チュリーにかばわれたルナシーは嬉しそうだったらしいので、それはよかったなと思う。それくらいしか収穫がない。互いに得るもののない戦いだった。
「…………」
トカクは考える。
(あのチュリーが、ボクをひいきせずにルナシー側に立つとはな……)
それだけトカクがロッカーの暗証番号で相手をおどしたのが、やりすぎだったのだろうけど。
(それでも、ちょっと前のチュリーなら、友情でボクの味方をやってた気がする…)
というか、トカクの振る舞いに苦言を呈すにしても「ルナシーの肩を持つ」みたいな形は取らなかった気がする。他人に興味がないからだ。自分が気にした以外の相手は、目に入らない人だったというか。
「成長だな……、いや、よその姫君に、親目線みたいな評価すべきでないな」
「でも『ゲーム』のキャラクターの印象からかなり離れたなとは、俺も思いましたよ。まさかお声がけいただけると思っていませんでしたし」
決闘の観客席でユウヅツに謝罪しにきたのだって、以前までのチュリーだったらしなかったろう。気にも留めない。
(変化……)
キャラクターに変化があったなら、当然シナリオにも変化が入る。
……それも違うか。
(人が変わりはじめれば、周囲からの評価も変わる。ゲームじゃない、現実で起こりえることだ)
そろそろチュリーの変化が、うわさ程度ではなく、気まぐれでもないと認められはじめる頃だろう。
「それがどういう実を結ぶか……」
というトカクの不安が的中するかのように。
ライラヴィルゴでは、チュリー・ヴィルガの縁談が話題にのぼろうとしていた。原作にはなかったことである。