一三五 余計な真似
「俺こういうのにぶいんですけど、神経衰弱だと、なにかマズイんでしょうか?」
「マズイっつーか、」
とトリガーは前置きし。
「大きな声じゃ言えないけど、皇太女様は負けるつもりでしょ。でも負けると言っても、無様はさらせないわけじゃん」
「はい」
「だから、時の運に勝敗が左右されるような競技のほうが、逆によかったのになって、そういう感じ」
? とユウヅツは首をかしげた。
「……運が勝負に関わらない方が、確実に負けやすくてよさそうに思えますが……、どうしてですか?」
「神経衰弱は、純然たる記憶力の勝負になるじゃん。負けた時、頭悪いから負けたって言えちゃうの」
「あ~! 完全にわかりました」
「しかも神経衰弱は、ユヅぴがルールを理解できるくらい単純なゲームってのが、なお悪い」
「そうね……カードゲームって、ある程度ルールが複雑な方が、小細工の余地があって操作がしやすいのよ」
チュリーが横から話を拾う。トリガーはすかさず黙ってチュリーに話を続けさせた。
「ウハクさんって、相手が取るカードや置く駒を誘導する駆け引き、すごく得意な人だと思うのよ……それを神経衰弱じゃ活かしきれなくて、もったいないわ」
「しかし神経衰弱でなかったとしても、勝つための誘導と、勝たせるための誘導では、勝手が違いそうですが……」
「あら。どちらかというと相手に勝たせるための誘導の方が、誰しもが必要性に駆られるから、馴染みがあるんじゃないかしら」
チュリーは頬に手を置く。
「チェスとかね、上手な人に接待してもらうと、本当に自分が強くなったような気がしてくるのよ。勝たせてもらっているのに」
「……あ、接待。なるほど、そう考えると、うまく負けようとする、というのは変わったことでもないのですね」
「そうそう。私もあまり関わりのない兄とかには、気持ちよく勝ってもらって早く帰らせようとか考えるもの」
「へえ、王女様ほどのかたでも」
「まあね。あなた達だって、目上の人と遊ぶなら接待したりするんじゃないの」
「恥ずかしながら、俺は接待するまでもなくて……」
ころころとチュリーは機嫌よく笑った。
合わせてトリガーは無言のまま笑顔でうなずいてみせるが、内心ではユウヅツに対し、(こいつ臆さねえなワガママ女王様相手に)と、若干の羨望を抱いていた。
自分は、目くじらを立てられないよう言葉数を減らして、取り巻きの皆様よろしくお愛想に徹しているというのに。
というトリガーの内心をよそに、ユウヅツはふっと会場の中央、トカクの方を見た。
三回勝負だというルール説明が終わって、盤上にカードが並べられているところだ。
「……殿下は、わざと負けようと思ったら、記憶力のないふりをする必要があるのですね……」
「勝っちゃえばいいのにね。私のお友達にふさわしいって、証明してくれたらいいのに」
ねえ?とチュリーは同意を求めてくる。
トリガーはへらへらと「ええ、そうですね」と相槌を打った。
「ユヅリハさんもそう思わない? 私、ウハクさんが爪を隠そうとしてるの、理由がおありなのは分かっているけど、つまらなくも思っているのよ」
「そうですか、どうでしょう……」
ユウヅツはふわふわ曖昧な返事で済ませようとした。肯定してやらないんだ、とトリガーは横目で見る。
そういう怪訝そうな空気を察したらしいユウヅツは、取り繕うように、
「俺の主人は皇太女殿下そのひとですから。殿下自身が負け戦をお望みであれば、是が非でも」と述べた。
「勝つべき場面と思ったら、そのように殿下に進言いたしますよ」
「あら……従者の鑑ね」
ユウヅツの弁は「他国の姫には同意できない」「自国の姫に反対意見があるなら本人に言うので、こんなところで陰口みたいには言わない」だ。そのように聞こえる。
その意見を、チュリー・ヴィルガの対面で堂々と出した。
なのでチュリーは、多少ユウヅツを見直したような、感心したような声をあげたのだ。
しかしユウヅツは例によってそこまで考えていないので、トリガーは強く目をつむった。
(チュリー王女……騙されちゃいけない……その男、そのとき思いついたことを喋ってるだけで、少なくとも思慮深いわけではない……!)
素で言うあたり性格はいいのだろうが、政治的に立ち回ったわけではない。王女との身分差を深く考えていないから対立できるだけで、度胸があるわけでもない……。
そこを見誤られるのは本当によくない……。
(ああほら、チュリーの取り巻きの女がメロついてら……)
と。
ふとトカクがこちらを振り返った。
観客席の中にユウヅツとトリガー、そしてその近くに陣取るチュリー・ヴィルガを発見したらしく、ぱちぱちとまばたきした。
一緒にいるのが予想外だったのだろう。
「!」
人目を気にして『ウハク』らしい柔和な表情を崩さなかったトカクだが、その瞳の中に険しさを察知したユウヅツは、おもむろに立ち上がった。
「? どしたユヅぴ」
「……ここ、見づらいな~……。こっちのほうが見やすいかなぁ~……?」
ユウヅツは操られる人形の動きで周囲を徘徊し、チュリーから距離を取る。チュリーとの間にトリガーをはさむ位置に座り直した。
わかんないけど動いとけ、である。
それは正解だったらしく、トカクは視線をテーブルに戻した。
「……あっ! ついにゲームが始まるよ」
トリガーはわざと大きな声を出して切り替えた。
決闘場の中央。
トカクの先手で卓上のカードを二枚めくる。当然ながら、最初なので数字はそろわない。
手番がルナシーにまわった。
チュリーがつぶやく。
「あの子、記憶力の方はどうなのかしら? よく知らないわね」
あの子、とはルナシー・チェックドのことだろう。
……そういや、ルナシーとチュリーの関係性ってどうなってんだろう。トリガーは今さらな疑問がわいてきた。
ルナシーのめくったカードもそろわず、また既出の数字とそろうものでもなかった。
「……王女様。よろしければ答えていただきたいのですが、ルナシー嬢がこの決闘で勝利したら、ルナシー嬢と仲良くなさったり……?」
「ん? ああ、特に考えてなかったわね」
ばっさりだった。
しない・するでなく、考えてないというのは、断絶すら感じるばっさり具合だった。トリガーは内心で「えええ……」と引く。おくびにも出さないが。
「でも、そうね。私はべつに賞品になったわけじゃないし。あれは、自分の矜持を賭けてるだけで、私を賭けて戦ってはいないと思うわ」
「……さようですか」
『賞品』として物のようにふるまう筋合いはないということだ。
「私の友達にふさわしいか否かを決めると言っていたみたいだけど、それは私が決めることだし。ウハクさんが負けても付き合いはやめないし……。この決闘って、ルナシーさんがすっきりする以外に何にもならないのよね」
でもそれって大切なことだわ、とチュリーはまとめた。思うところはあるらしい。
「……決闘と関係なく、ルナシー嬢と友好を結ぶことはないのでしょうか?」
「うーん、しようって感じにならないの。なんか違うんだもん。それに今はウハクさんといたいから、他の子と遊んでる暇ないわ」
そうですか……とユウヅツは引っ込んだ。
……チュリーは多少人に優しくなったものの、『友達』の敷居が低くなったわけではないのだな、と思う。ある種の気高さだ。
卓上では、既出の数字をひらいたトカクが、そつなくカードをそろえたところだ。
続けて、そのままトカクが新しいカードをめくる。今度はそろわなかったので、次はルナシー。
黙々。
「…………」
「…………」
「……ユヅぴ気付いてる?」
「何がですか?」
トリガーは耳打ちする。
「第一ゲームも終盤。カードが揃うのがやけに早い。確認はできてないけど、かなりハイレベルな点の取り合いになってる」
「……それが分かるトリガーさんもレベル高いですねぇ」
「お、おう」
話の腰を折られたのと褒められたのでトリガーは反応がにぶくなった。気を取り直す。
「皇太女様、ミスすることなく、一度表に出た数字は、余すところなく取ってると思う」
「え、……殿下は負けようとしているはずなのに、そんなことしていいんですか」
「皇太女様だけでなく、ルナシーの方もそのレベルなんだよ」
へえ!とユウヅツは感動した。
「すっごい記憶力のよい方なんですね、ルナシー嬢」
「……まあ、そういうことになるのか。うん……」
トリガーは腕組した。
「神経衰弱は実力のゲームだから。場にある五十枚のカードを完璧に記憶できて、間違いなくひらいていけば、理論上、負けることはないんだけど……」
「……けど、もし双方とも完璧に記憶できていて、互いに間違いなくひらいていくと、引き分けになりますね?」
「確率的にはそうなりがち。だから、どっちが先に『あたり』のカードを引けるかっていう……」
運の勝負になる。
「……ウハクさんはともかく、あの子がここまでやるのは意外だわね」
チュリーは不思議そうにしている。
「お」
勝負が決した。最後の最後で、ルナシーが一組多くカードを取ったのだ。
第一ゲームはルナシーの勝利だった。接戦に、会場は拍手を送る。
「……次にうまく負けられれば殿下の狙い通りですね」
「俺としては、次は勝って同点に持ち込み、三回戦で負けるほうが体裁が保てていいと思うけど、そーね」
ユウヅツとトリガーがのほほんと背中を見守るさなか。
トカクはカードを返却しながら、みちみちと勝手に手に込められる握力を必死に抑えていた。ひたいに青筋が立つ。
(……こいつらイカサマしてやがる!)
トカクはルナシー・チェックドのイカサマを早々に見抜いていた。
……それはべつにいい。能力をいかんなく発揮したうえで負けたいトカクにとって、相手がズルをしてくれるのは、むしろラッキーと言ってよかった。第一のゲームも、トカクはたんたんと「見たことあるカード」をそろえることができた。
……仮に目的が勝利であれば、今はどうにかイカサマを防ぎ証拠を暴かねばと、冷や汗を流している時だろうが。
今むしろ冷や汗を流しているのはルナシーの方だろう。イカサマですべてのカードを把握している自分に、トカクが自前の記憶力で平然と競り合ってきているのだから。
問題は。イカサマをするのはいいが、こんな分かりやすいイカサマを『ウハク』の目の前でやりやがって。ということだ。
もっと凝ったことをしろ。
これに気付かないふりをしたら、『ウハク』がばかみたいじゃないか。
ばかにしている。
今日何度目か分からない感想をトカクは抱いた。
薬害や副作用ではない。
やはり、単にトカクは怒りっぽいのだった。
(……まあ、負けやすくていけどさ)
負けさせてくれるなら、それに乗っかろう。
しかし、このイカサマに気付いていないふりもできない。気付いたうえで乗ってやったのだと、ルナシーには知らせたい。
さて、どうしよう?
トカクは盤上に配り直されるカードをながめ、選挙管理委員会の口上を聞きつつ思案をはじめた。