一三四 いるのね
これはこれは王女様、場所を取っていたようで失敬、あっしらは下がりますのでここはご自由に……と三下奴の動きでペコペコ席を外そうとしたユウヅツとトリガーの二人を、チュリー・ヴィルガは優雅に呼び止めた。
「あなた方に、ちょっと用事があって声をかけたのよ。どうぞ座っていらして」
「あ、へえ、ありがとうございやす……」
逃げたかったトリガーは、それを阻止され歯噛みしながら座席に戻った。ワガママ女王様と有名な身分の高い人間と関わりたくないのだ。君子危うきに近寄らずである。
べつに陰口を叩いていたわけではないが(トリガーにしてはめずらしいので幸運である)、ちょうど噂していた相手に話しかけられたというのもトリガーの座りを悪くする。
ともかく、トリガーは居住まいを正した。チュリーを見上げる。
ユウヅツも同じように、そっとチュリーの二の句を待った。用事とはどういうものだろうか?
「えーと、ウハクさんトコの男の子の……あなた、なんてお名前だったかしら?」
「申し遅れました、ユヅリハと申します」
「そう、ユヅリハさん」
チュリーは頬に手を当てて憂顔をした。
「今日、私、失礼なことを言ったわよね? 音楽クラブの件、取り沙汰するような真似をしてしまって、悪かったわね。ごめんなさい」
「……いえ、謝っていただくようなことは。畏れ多いことでございます」
ユウヅツはかしこまった。
……昼間の、「私のために争わないでって一生に一度は言いたいセリフよね!」発言のことだろう。あれでユウヅツの胃がキリキリしたのは事実だが、今さら謝りにこられるとは。
……トカクとチュリーが仲良くしているのをながめることはあったが、ユウヅツ自身がチュリーに話しかけられるのはもちろん初めてである。
ユウヅツが抱いた違和感を察したわけではないのだろうが、チュリーは答え合わせのように、
「あれは良くなかったって、みんなから注意されちゃった。私、悪気があったわけじゃないのだけど……」と宣った。
ユウヅツは微笑と真顔の中間の表情であいまいにうなずく。
チュリーの「悪気はなかったんだけど〜」は余計な一言というか、反省してなさそうに聞こえる発言だが、しかしトリガーは逆のことを思った。
チュリーに注意したのは『ウハク』ではないはずだ。つまり。
(あの学院の女王様が、他人の注意にまともに耳を貸すようになった、どころか、こんな下っ端に直接謝りに来るとは……)
と下っ端の背中とチュリーの立ち姿をちらちら交互に見ながらトリガーは感心した。
わかりやすい変化で成長だ。
「ええと、そちらの方は、カタプルタスさん?だったわよね。ねえ座っていい?」
と言いながらチュリーは近くの座席に座った。話しこむ体勢である。どけと言われれば退くしかない身分差なので、断れる道理がなかった。
チュリーは城下の仔犬を見下ろす笑顔だ。
「あなた方はウハクさんの応援するでしょう? 私もご一緒していいかしら」
「応援……と言うのでしょうか」
トカクは、負けるつもりですと言っていたので。
とは言え、『ある程度格好のつく負け方をする必要はある』とも言っていた。最低限、ボロ負けはできないと。
なので『応援する』のも間違いではない。
「あ、そうだ。あまりかしこまらないでよくてよ。ゆるくお喋りしましょうよ」
「…………」
ユウヅツとトリガーは顔を見合わせた。…………。
気軽に言ってくれるねお姫様は。
トリガーは、そう言われたのを無視するのも角が立つからなぁ……と、姿勢を無礼にならない程度に崩した。ユウヅツも倣う。
チュリーは『ウハクさんトコの子達』が相手だからか、上機嫌で赤いくちびるをひらいた。
「ねえねえユヅリハさんって、ウハクさんの側近の中で一人だけ男の子で、いづらかったんじゃない? 今はカタプルタスさんがいるから良かったわねぇ」
「良くあり、……ふふっ」
らしからぬ強めの否定をしかけて、直前でユウヅツが思いとどまって笑ってごまかした。
……チュリー王女は皮肉で言っているわけではないのだろう。ユウヅツが刃物で追い回されて飛び降りるはめになったのはトリガーのせいなのだが、チュリー・ヴィルガがそのへんの事情に明るくないのは不自然ではない。
ので笑った。
「どうでしょう。この采配は皇太女殿下のお考えによるものですが、少なくとも俺の孤立に気を遣ってのものでないことは確かですよ」
「あら、そうなの?」
ユウヅツはうなずく。微笑みのために目が弓形に細くなると妖しげになった。
娼婦の出す秋波じみたそれは、チュリー・ヴィルガのことは素通りしたが、その背後にいた彼女の側近達の何人かを刺した。彼女達は瞳孔がきゅうとひらいたり肩を揺らしたりと、それぞれの反応を示す。
そんなユウヅツの無意識の魅了を察知したトリガーは、間髪いれずユウヅツの背中をどついた。
「ぎゃっ」
ユウヅツが悲鳴をあげてよろめき、ばっとトリガーを振り返る。「はあ!?」と言いたげな目を受けながら、トリガーは「その顔したいのはこっちだよ」と思った。油断も隙もねえな。悪魔がよ。こんなん魔法だろ。
なんにせよ、ユウヅツの独壇場を中断できたことで、チュリーの側近達はふっと我に返りかけていた。
彼女達を悪い夢から覚ますべく、トリガーはさらに続ける。
「照れているんですコイツ。本当は俺がいて良かったと思っているんですよ。ねえ?」
チュリー・ヴィルガ王女の御前とかはこの際関係なかった。彼の今の主人はトカクなので。
ユウヅツはユウヅツで、自分がまたやらかしかけていたことは理解できていなかったが、トリガーに合わせた方がいいのだろうとは判断した。
こう返す。
「もちろん皇太女殿下の取り計らいにより、助かっているのは事実です」
「…………」
にこ……とユウヅツとトリガーの間で合意が形成された。
のを見て、チュリーは「なんだか私またマズいこと言った?」と首をかしげた。
それに対し、いいえいいえとトリガーはうやうやしく首を横に振った。
「——それで、王女様もお聞きになっているけど、実際どうなのユウヅツくん。あそこ女所帯だけど、一人だけ男でいづらくなかったの?」
「特にそういったことは。たいへん親切にしていただきましたから。ハナさん達にとっては、女性だけの方がやりやすかったかもしれませんが」
という話は、いつしか「何故ユウヅツは側近に選ばれたのか?」という話に移った。
ユウヅツは用意していた答えを出す。
「大陸で音楽を学んできてほしいと、そういう意図があったそうです」
「ああ、音楽クラブってそれで入ったのね……」
「……でも、そういえば音楽クラブはクビになってるし、そもそも大陸の音楽を知りたいだけなら、べつに学院に入る必要なかったんじゃ? 女子の中に男一人いるよりよくない?」
と、トリガーは今気付いたという声を上げた。
「あー……」
それにも一応の答えは(トカクによって)用意されている。
「いざという時のために、校内で使える男手があった方がいいということで、一人は男子を連れて行くようにと陛下がおっしゃられたそうです」
「男手ぇ?」
チュリーとトリガーは、ほぼ同時に怪訝そうにした。
「おまえがぁ? 頼りにならなくない線が細くて。帝国の人間って細身のやつが多いの? そーいや女の子達もなんか小さいし」
「…………」
事実、大瞬帝国の人間は大陸民に比べると小柄だったり細身だったりした。
でも、俺だっていないよりは頼りになるでしょ抑止力として……とユウヅツは思ったが、周囲からはそう思われなかったのだから仕方ない。
この話に信憑性がないのは、仕方ないことだった。何故なら、嘘だし。本当は『前世の記憶』とか『ゲームのシナリオ』とかのために、ユウヅツは異様な抜擢をされている。
それを隠すためにも、チュリーやトリガーに妙な違和感を持たせるわけにいかなかった。
ユウヅツは次の嘘を舌に乗せる。
「……あと、俺は皇太女殿下のお兄様——トカク皇子殿下のほうに、わりあいに目をかけていただいていて」
「あら、噂の双子のお兄さん?」
「はい」
チュリーがいつか「私との縁談が持ち上がったりしない?」と聞きにきた噂の双子のお兄さんで、今『皇太女殿下』のふりをしてカードゲームに興じようとしている噂のお兄さんだ。
「——おまえなら妹に変な気を起こすこともないだろう、と指名されました」
「「あ〜」」
今度は二人揃って納得の相槌を打たれた。なんか、ユウヅツには分からないが「なるほど」と思わせる説得力がこの話にはあるらしかった。
そしてチュリーは、「噂の双子のお兄さん」の方に興味を惹かれたらしい。話題をそこに移した。
「ねえねえウハクさんのお兄さんって、どんな方なの? ウハクさんにはあんまり聞かないようにしてたの、いまだに私がお兄さん目当てと勘違いさせたくないし」
そんな気遣いがおありだったのか!とトリガーはおどろいたが内心にとどめた。
ユウヅツは答える。
「皇子殿下は、皇太女殿下とよく似た顔立ちをしていらっしゃいます。聡明で凛々しいお方ですよ」
「へえ! ウハクさんに似てるって、どのくらい?」
どのくらいと問われれば、それは瓜二つである。衣装を取り替えれば見分けがつかないほどだ。
そして、彼らの知っている『ウハク』こそがトカクなので、それと比較すれば、似ているなんてものではないのだ。
……入れ替わりがバレないよう「ぜんぜん似ていない」と言いたいところだが、ハナ達づてにあとから嘘がバレる方がよろしくないので、ユウヅツは正直に答える。瓜二つですよと。
「そう……性格も似ているの?」
「……皇太女殿下を、より苛烈にしたような方ですね」
彼らの知っている『皇太女殿下』はみずからの苛烈さを抑え込もうとしているトカクそのひとなので、そういう表現がもっとも実態に近くなった。
それを聞いたチュリーは、「ふうん……」と意味ありげにうなずいて、すこし黙った。それから。
「あなたの国には、ウハクさんを男の子にしたみたいな人が、いるのねぇ……」とつぶやいた。
それは『世界にはそんな良いものがあるのね』みたいな言い方だった。
観客席がそこそこに賑わってきた。
ふと、決闘場の壁沿い、二階席の方から音楽が鳴った。
……音楽隊がいる、とユウヅツが見上げていると、トリガーは「決闘を盛り上げるために用意される背景音だ。今回は気合い入ってんね、賭け金も多そう」などと解説を入れてくる。
そんなだから、てっきりプロレスみたいな実況解説の盛り上げ役の口上とかあるのかなとユウヅツは待ったが、トカクやルナシー・チェックドが中央のテーブルに座っても、特にそういうのはなかった。相応の拍手があるのみで、野次が飛ぶわけでもない。
一応は『高貴な生まれの学生達』『神聖なる決闘』という建前が機能しているらしかった。殿下がんばってー!とか声かけする雰囲気ではなさそうだ。するつもりもなかったが。(おとなしくしていろと言われすぎている)
それでも、さすがに司会進行役はいるらしく、『選挙管理委員』の少年少女が中央に立った。
そして今回の決闘で用いられるゲームを発表する。
果たして、それは神経衰弱だった。
やった! 俺でもルールが分かる……と安心したユウヅツを横目に、決闘内容が『神経衰弱』と聞かされたチュリーとトリガーは「神経衰弱かぁ」みたいな微妙な顔をしたのだった。