一三〇 悪だくみ
「分かりにくいから時系列をまとめてきたんだけど」「作中でK男は結局ずっと自死に向かっていたというか」「冒頭で自殺願望をほのめかす一文があるのを撤回するような描写は実はなくて」「待って! 冒頭のこの、これ、ここの部分にかかってくるんじゃなくて?」「え!? 本当だ! 絶対そう」「でも」「最初から最後まで同じ話してる」「じゃあ二章のあの祈願祭のとこは、基本ずっと死にたがってるけどたまには浮上するだけって描写だったってこと?」「ということは」
オタクって早口だな。
「ていうか本を読む人でも、一回読んだだけじゃ分かんなかったりするんだ?」
読書会の面々が喧々諤々としゃべっている最中、トリガーはふと言った。
それに対し生徒たちは。
「そりゃそうよ。書いてあるものを一度ですべて理解できるなんて、おこがましいわよ」
「書く側としては、一回読んだだけで伝わるような書き方ができたらすばらしいのかもしれないけどね」
へえ……とトリガーは相槌。
生徒達は楽しげに話を再開する。
寡黙なクラリネッタを引き入れることになるならばと、なるべくおとなしそうな生徒を連れてきたつもりだったが、三人寄れば何とやらで、トリガーの予想を上回るかしましさがあった。
そして、善良な生徒からは怖がられがちなトリガーだが、この読書会では早々に打ち解けられていた。きゃうきゃうと輪の中にいるのを許されている。
(……というのを、俺の手柄にはできねーな。とくに変わったことはしてねーし。……方法は同じなのに結果が違う。となると……)
環境に何かある。
トリガーは自分の隣に座る、生徒達の会話にうなずいたり、話を広げたり振ったりして場をまわしている男を見た。
(ユヅリハの影響だな)
ユウヅツが受容される余波で、トリガーまで気を許されている。
(…………。にしても話うめえな〜、こいつ)
トリガーは素直に感心していた。
話がうまいというか、相手に話をさせるのがうまい。
『そういう人柄』で片づけてもいいそれを、仕事モードになっているトリガーは、ユウヅツのふるまいを技術として吸収し始めていた。おぼえておいて損はないだろう。
ほがらかな声。
「へえ、気付きませんでした!」「さすがですねぇ」「それは知らなかったんですけど、それって……」「そんな考え方があるんですね~」
まず声がいい。感情が乗っているのに嘘っぽくならない。つまり詐欺師の声だな。
そして相手に返答を送る時のユウヅツの第一声をまとめると、あきらかに否定語が少ないのに気付く。
「いやでも」
と否定から入る時は、たいていが誰かをかばう時だ。トンチキな意見が出た時に、当然ながらトンチキだと批判が飛ぶので、それからかばい、フォローする形で。
……これには本を読みなれていないトリガーもたびたび救われている。
つまりこの場には、多少突飛な発言をしてしまっても、最低でもユウヅツは肯定してくれるという心の備え――保険がある。
だから意見を言いやすく、場が盛り上がるので、……仲が深まるのが早いのか。という分析。
「えっ!? K男ってH子のこと好きなんですか!?」
「!? 大前提でしょ」
「それが分かってなかったなら、何の話だと思って読んでたの?」
「だってそんなの一言も書いてなくないですか?」
「いや、そうじゃなきゃ説明つかないし分かるでしょ」
「はっきり書けばいいのになんで書いてくれないんですか!?」
(……ていうかコイツ自身がわりとトンチキ発言が多い。いの一番にボケる男がいるんだから、そりゃ後続は話しやすいわ)
くやしいかな、あまり切羽詰まっていない場でのユウヅツのズレは場が和む。
「…………」
トリガーにとって話し合いというのは、自分に有利な意見を相手に呑み込ませる儀式なので、こういう、言いたいことを言い合って共通の見解を築き上げていくみたいなのは新鮮だった。建設的な会議というのはこういうふうにやるんだなと学ぶ。アイデアを募る時にはこういう空気にした方がいいだろう。
ユウヅツのこれが天然でなく「わかってやってる」人心掌握なら、こんなにスパイ向きの人材もいないのに。
読書会の面々と別れて、自分達が取っている講義を受けに行くところで、トリガーはユウヅツに声をかけた。
「なあユヅぴ」
「はあ……? 変な呼び方しないでくれますか。お友達だと思われるでしょ」
「思わせるためにやってんだよ俺は」
思われたくないのはユウヅツの都合である。トリガーはトリガーの都合があるのだ。
「何ですか?」
「こうやって読書会を何度かやったけどさ、ちょっとメンバー固定になっちゃってる感あるよ。今の空気じゃ、新規が入りにくい」
つまりクラリネッタと接触しづらい。
「どうする? と聞いたところでユウヅツくんに考えなんてないだろうから、俺が考えてきました」
「わあ、ありがとうございます。いったん俺をバカにする必要ありました?」
「とりあえず、知見を増やし固定観念にとらわれるのを避けたいという名目で、ある程度メンツは流動させるようにするとして」
机に座る。
「あと、いいこと思いついた」
これから人聞きの悪い提案をするので、トリガーはユウヅツに耳打ちする体勢になった。何?とユウヅツが頭を傾けてくる。
「俺がクラリネッタのロッカーから適当に私物を盗んでくるからさ、それを一緒に探してあげて、仲良くなっちゃお?」
「ダメに決まってるだろ!」
トリガーは腕を殴られた。なんだよ、と距離を取る。
ユウヅツは「やることが本当に陰湿ですよね!」と言った。
「貴族のやることですか? それが!」
「でもさ、いじめから身を守りたい一心で、読書会への加入にも積極的になってくれるかもしれないよ?」
「しれないけどダメでしょ」
倫理を失えば何でもありになってしまう。
「ダメなことだから、こっそりやっちまおって話。バレなきゃいいんだバレなきゃ。だいじょうぶだよクラリネッタはすでに浮いてるから、ロッカーの一つや二つ荒らされたところで俺らがやったなんて誰も思わないって」
「俺ら、とかまとめないでください」
ユウヅツは心底イヤそうな顔をした。
「汚い手を思いつきますね……」
「言っとくけど、もっと汚い手だってあるんだからね。そっちに合わせてあげてんの」
これが合うと思われているのが心外なんですけど。
「いや実際、これはまだ正統な手段だよ。盗みを、使いっ走りの捨て駒にやらせたりせず、俺が自分で手を汚してやるって言ってんだから。しかも、根回しせず何も知らないユウヅツくんに探しもの手伝わせるみたいなこともできるのに、してないんだから。天国行きの正直者だよ」
「何が正統な手段ですか。泥と土のどっちが汚いみたいな話ですよ。……盗みを人にやらせないのだって、いたずらに共犯者を増やして裏切られるのを防ぐためでしょ」
「おお、わかる?」
つい最近、ユウヅツにシャーバルトをけしかけて遊んだ責任を一身に押し付けられたばかりのトリガーだった。
「そして俺に根回ししたのは、いざって時に俺ひとりに罪をなすりつけるためでしょう?」
「それはうがち過ぎ。ユヅリハと俺が主犯の押し付け合いしたところで、俺が信じてもらえることってないから」
とは言え当たらずとも遠からずだ。万一ことが露呈しかけた場合に、ユウヅツが持つ信用を、自分の潔白の証明に利用しようとした。
……平和ぼけして浮世離れしているわりに、悪意には敏感だなコイツ。
「でも実際これは良い考えじゃない? クラリネッタを懐柔したいなら」
「自分で放火して自分で消火して英雄になることを、俺の故郷ではマッチポンプって言うんですよ」
「まっちぽんぷ」
当然ながら知らない言葉だ。
「そんなちょうどいい言葉があるってことは、みんなやってるってことじゃんね?」
「こんな言葉があるってことは、みんなバレてるってことですよ? だいたいみんなやってるからってやっていいものではない」
いや、わかるよ?とトリガーは同調の意を見せる。
「皇太女殿下の許可なく動くのは良くないって話だよね?」
「違います」
「でも皇太女様がよそ者の俺に、汚れ仕事を任せてくださるわけがないでしょ? 裏切るかもしれないからね。だから勝手に気を利かせようかと、よきにはからおうと、ユウヅツくんに相談しているわけよ」
「それに対する俺の返事は『ダメ』です」
「じゃあせめて、ユウヅツくんから皇太女殿下に、こういう案もあるんですけどって進言してくれない? 俺が言うわけにはいかないから。俺から言ったら実現できなくなっちゃうでしょ? ねっ? お願い! これだけ!」
ユウヅツは、これが本命の「案」だと察する。
勝手にやるのはダメ、じゃあ許可をもらえばいいよね、という流れに持っていこうと言う話術だ。ドアインザフェイス……。
「…………」
通常なら、トカクがストップをかけてくれると信用し、言うだけ言ってみるところなのだが、今は避けたかった。
なぜなら、今のトカクはトリガーの案を呑みかねないからだ。
(アンダーハート家に押し入って薬箱を盗もう、とか言い出したくらいだからなぁ……。あれはまだ大がかりで夢物語という感じだったけど、トリガーさんの案は、ちょっと現実みがある……)
だから、ここで止めておきたい。
実現可能性が高いのだ。
本気で、良い考えとして採用されかねない。
それの何が悪いかと言えば、もうモラルの話でしかなく、現代日本の倫理で生きているユウヅツが潔癖なだけなのかもしれないが。とにかくイヤだった。
人のロッカーを勝手に開けるでワンアウト、人の私物を漁って持っていくでツーアウト、それを一緒に探すふりで恩を着せるでスリーアウトだ。
トカクに、……『ウハク』にそんな汚い手段を使わせたくない。少なくとも、まだ……。
「お願いお願いお願い絶対だいじょうぶだから! ユヅぴがいれば現行犯で捕まっても「通りかかったら誰かのロッカーの中身が散乱してたから片付けてあげようとした」って言い訳が通るから! だからだいじょうぶだから!」
「あんたに俺のこと悪魔とか言う資格あります?」
「これぐらいの工作みんなやってる! やれなきゃ大瞬なんて小国、列強諸国に揉まれて生きていけないよ!? うちの国はみんなやってる!」
「トリガーさんの家だけでしょ、シギナスアクイラの名誉とか考えてくださいよ……」
「名誉とかないからウチの国もう終わりだから! 汚職と腐敗にまみれて王都はもう終わってるし過疎と貧困で地方も終わってるから!」
「やばい話を聞かせないでください
「だって、クラリネッタ嬢、とりつく島もないじゃん!? おまえが話しかけてほだされないなら打つ手ないって!」
買いかぶりが過ぎる。そのまま口に出した。
「それに、もうすこししたら心を開いてくれるかもしれないでしょ……」
「……ユウヅツくん、俺そのへん聞かされてないけど、どうしてもクラリネッタを懐柔しないといけない事情があるんでしょ? そろそろ成果出さないとマズイんじゃないの」
「…………」
「俺クビになりたくないんだよ。けっこう本気で皇太女様のこと気に入ってるし、手柄を上げたいんだよ。クラリネッタと仲良くならなきゃいけない、どういう裏事情があんのか知らないけどさぁ」
裏事情。
「…………」
ユウヅツの脳裏に浮かぶのはウハクのことである。
恵まれた容貌を持ちながら、それが双子の兄と瓜二つだったせいで、何の自信にもならなかった少女。精神がいつも揺らいでいた少女……。
いつまでもは待てない。目覚めるなら早い方がいいに決まっている……。
「——ねえねえ」
ユウヅツが苦渋の決断を下しかけている横から、声をかけられた。
ユウヅツとトリガーは悪だくみをしているところだったので、過剰に肩を振るわせてから顔を上げる。三人組の少女が机の近くに立ち、ユウヅツを見下ろしていた。
音楽クラブ時代に知り合った、すこし仲の良い少女達だった。当然、今は距離を置いているのだが。
それでも話しかけてくるあたり、おそらく重要な用事……。
「はい、なんでしょう?」
「ユウヅツくんとこ、大丈夫そう?」
「?」
「……すこし騒ぎになっているから、集まった方がいいんじゃないかと……」
という問いかけにユウヅツは首をかしげた。なんの話だ。騒ぎ?
騒ぎ。まったく心当たりがないが、また自分が何かやったのかとユウヅツは心臓がつぶれそうになる。相手の言葉の真意を探り、最近の行動を思い出そうと、頭の中で記憶がぐるぐるとまわりはじめた。
「何の話? 俺達なんも知らないかも」
とトリガーが説明を急かした。不安をあおるような得体のしれない問いかけをしてきた少女達に、八つ当たりじみた苛立ちを感じている。
少女たちは顔を見合わせる。
まだ聞いてなかったのね、みたいな表情だ。
「私達も、うわさしか知らないんだけど……」と前置き。
「なんでも今日の放課後、ウハク様が、カリーナサギタリウスのご令嬢と決闘するらしいよ?」
「…………。……何?」