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一二八 慣れ




「姫様、皇帝陛下の模倣がうまくなりましたわねぇ」


 と言った後。

 えへへーと笑ったトカク——ウハクだとハナは思い込んでいる——を見ながら、ハナはふと考えた。


「……もしかして、違いますの?」

「何がだ?」

「姫様って、帝国を出て以来、皇帝陛下ではなく『トカク皇子殿下』の真似をしていらっしゃるのですか?」

「ん」


 トカクは微妙に頬が引きつる。


 たびたびトカクの本性を隠しきれない時があるのだから、こういう質問をされることも予想していたが。……実際にされると、刃先を突きつけられた感覚になった。


 とはいえ予想していたので、返答も用意してあった。


「……んん、……うん。……分かるか?」


 否定すると余計に怪しいので、受け入れてしまおうと。


 ハナはそれを聞くと、自分の考えが間違っていなかったことにパッと嬉色をにじませた。


「まあ! やっぱりそうですのね。いいんじゃないでしょうか。いきなり陛下に倣うのは難しくとも、お兄様なら歳も近いし、多少は真似やすいと思いますわ」


 ハナは合点がいったというように頷いてみせる。


「良い方法を編み出しましたのね。姫様は昔から、威厳を出すの、というか偉ぶるの、苦手でしたものね。ちょっと不自然で。それもお可愛らしかったんですけど」

「…………」


 苦手というのも不自然というのも可愛らしいというのも、まあ同意するのだが、ウハクはそれを聞いて喜んだりなぐさめられたりはしないだろうから、トカクは曖昧に笑った。


「姫様はちょっと内気すぎるきらいがありますから、あの方の、自信家で怖いもの知らずで鉄砲玉みたいな性格、多少は参考にしてもいいと思っていましたのよ。全部は真似しなくていいですけど」

「……ハナ、ちょっと棘があるか?」

「そんなわけありませんわ! ……でも単純に、あの方のジッとしていられないところは、短所でもあったでしょう。動かずにいられないというか。……私の知らないうちに成長されて、今は違うのかもしれませんが」

「う」


 動かずにいられないのが短所というのは、トカクにものすごく刺さった。


 トカクは基本的に、ただ待つということができなくて——周囲を信じて座しておくみたいなことができなくて、ついつい自分で何かやらなきゃと立ち上がってしまう。意識して足に重りを付けないと、つい腰が浮く。

 それが良い方に転ぶことが多いので許されてきたが、悪い方に転がることもあると、割と最近になって自覚してきた。


(……いや近頃は、わりと人を頼っている……頼らざるを得ないせいもあるが……)


 ……頼らざるを得ないせい、という言い訳が出てくる時点で人を頼る気がなさすぎるな。とトカクは自戒した。


「ですから姫様、無理にすべてを兄君みたくしようとしなくてもいいんですのよ。お兄様にも悪いところはあったし、姫様には、姫様の良いところがおありなんですから」

「うん、ありがとう」


 ハナは『ウハク』を励まそうとしているのだろうが、結果的にはトカクが下げられただけだった。……こういう相手がウハクにいるのは、トカクも本当に嬉しかったが。


「結局、この留学の目的、姫様のお役目は親善大使ですから。出る杭になりかねない皇子より、おだやかで協調性があって好かれやすい、姫様の方が適任ですのよ。あの方、ケンカを買わずにいられないどころか、売りかねないではございませんか」

「うん……いや……そんなことないよ? あの人は、あれでけっこー思慮深いよ?」


 と自分をかばうようなことを口にするが、トカクは心臓を掻きむしりたくなった。ケンカなら実際、チュリーに売ったことがあるからだ。

 今はウハクの名前を借りているのだから、と我慢していてもケンカを売ってしまったのだから、トカクがトカクとして学院に来ていたとしたら、さもありなんだった。


 万能解毒薬の入手のためにがんばっているだけで、それがなかったらこんなこと。…………。


 ……最近おろそかになりがちだったが、やはり『ウハク』らしい振る舞いを忘れないようにしなければとトカクは再認した。


 帝立学院に来て以降、意外とバレないと思い、気が緩んでいたところはあった。慣れでなあなあにしていた。

 なかば伏魔殿のように捉えて警戒していた連盟学院が、入学してみたら敵がいるわけでもない、良い人も悪い人もいるだけの『普通の学校』だったところも、トカクを油断させた要因だ。


 ……ハナ達は『ウハク』を知っているから、トカクが多少ムチャをしても「姫様が勇気を出された」と好意的に、甘く見てくれる。

 だが、連盟学院で知り合った人達には『ウハク』のおとなしい印象がないので、「おしとやかに振る舞っているが本性は乱暴者」と、正しく認識されてしまう。


 これを意識しないと、ハナ達にはバレてないからセーフと言っている間に、学院での『ウハク』の評価がデタラメになってしまう。


(チュリー様あたりは、既にそんな感じに思ってるよなぁ『ウハク』のこと……)


 意外と負けず嫌い。とはチュリーの弁だ。


 なんならトリガーもそうだ。

 プリンセスの皮をかぶった暴君だと思われていて、そこに覇気みたいなものを嗅ぎ取っている。


「——長期休暇の時は帝国に帰れる予定ですからね。はやくお会いしたいですわね」

「え?」


 ハナから何事か問われて、聞いていなかったトカクはハッと顔を上げた。


 ハナは気を悪くしたそぶりもなく。


「家族が懐かしいですねって。姫様も、お兄様にそろそろ会いたい頃ではございません?」


 あまりホームシックについて話していませんでしたわね。とハナは言った。


「…………。……うん……。そう、だな」

「ですわよね。ああでも、長期休暇の前に大きな行事として、前帝陛下の命日で、御籠もりがございますわね。今年はこっちで……」


 ハナの話を聞き流す。……トカクは上の空になっていた。


 お兄様にそろそろ会いたい頃。


 ……解毒薬の入手がトカクの最優先だ。いちばん重要と言っていい。それは間違いない。

 しかしトカクは、「ウハクに会いたい」とは、しばらく考えていなかった、そんな自分に気がついた。


 大陸に渡って以来、環境ごとガラリと入れ替わってしまったせいもあるのだろう。母親とも父親とも、置いてきた誰ともずっと会えていなかった、その枠の中にウハクも入ってしまっていた、と。


 不在に慣れはじめている。







 読書会を設立すると決めたトリガー、そしてユウヅツだったが、トリガーが本嫌いという背反を抱えていた。


「キライっていうかね……。うーん」


 特に苦手なのは小説など物語だとトリガーは言ったが、しかし『クラリネッタ』が好むのは物語の本なのだった。いずれクラリネッタを誘うのなら、彼女の好みに合わせた選択をすべきだろう。


「苦手っていうかね、意味がわからないの。いや本の内容じゃなくて、文字を読むこと自体の意味が。俺が人より読むのが遅いせいじゃなくて。……ほら小説って、文章を読んで、意味を理解して、でもその内容は結局は作り話なわけで、意味ないよねって」

「物語のことを作り話って言うの、ものすごい憎しみに満ちた表現ですね。そういう語彙がある人は本の感想を語るのに向いてると思いますよ」

「憎しみに満ちてるわけじゃなくてね? 教科書とかは事実の列挙だから読むよ。ただ俺は、読書というのは多大な労力をかけて情報を摂取するものなのに、その情報がすべて虚構というのが、損に感じるのよ。聞く方が早いし。だからあんまり読んでこなかった。物語は。……こういうことになったので、読むけどさ……」

「目で読むよりも耳で聞く方が理解しやすいし速いタイプの人なんですかね。読書会では朗読の時間を取りましょうか」

「ロードクって何?」

「声に出さずに読むのが黙読で、声に出すのが朗読、音読です。ここで言う朗読の時間を取ると言うのは、読み聞かせをしましょうかの意味です」


 読書会の形式について。

 トリガーが調べてきた『読書会の進め方』だと、読書に慣れていないトリガーの参加に無理がある、と感じて、ユウヅツ達は軌道修正をはかっていた。


 トリガーは、箸より重たいものを持ったことのない人間が、「筋肉をつける方法」で調べたが加減が分からず、急にボディビルダーがやるようなトレーニングを組んだようなものだった。


「まず「個々人の好きな本を持ち寄りそれを紹介する」というのは、好きな本が無いトリガーさんの負担が大きすぎると思います。「決まった一つの本について語る」ってことにしましょうよ」


 併せて、「事前に本を読んでおく」というものから、「その場で全員で同時に読む」というものに。


 事前準備がなくても参加できる気軽さが、新しいクラブを立ち上げるには好ましいだろう。


「ユウヅツくん、連盟学院に入学する前に、読書会やったことあったの?」

「やったことはなかったです」


 物語の感想を言い合うようなことはあれど、『読書会』という形式は初めてだ。


 ……読書会の進め方なんて知らないが、「共通のテキストを全員で音読し、それから内容について話し合う」という形式は、そういえば小学校の国語の授業でもやっていた。『現代日本』の教育制度に感謝である。


「ふーん。でもユウヅツくんは本読む方っぽいね」

「読む方と言えるほどは読んでないのですが、読まないわけではないという感じです」

「あ? 何? 表現ややこしっ」


 本を読む人間とっては、積み上がるような読書量がないと読書家を名乗れないというのは、活字から遠いトリガーにはピンと来なかった。なんだか煮え切らない返事だなとだけ思う。




 読書会に関する打ち合わせが終わった。とりあえず試しに開催してみて、あとは現場で調整していこう。

 滞りなく進行できそうと分かり次第、クラリネッタの参加を誘導してみるとして。


「……これ、聞いていいのか分かんないんだけどさ」


 話がまとまったところで、トリガーが切り出した。


「ユウヅツくんのとこのお姫様、なんでライラヴィルゴのクラリネッタ嬢のこと、ここまで気にかけてあげてるの?」


 トリガーはこの件に関して、些細な疑問を抱いていた。

 皇太女様の罪悪感とか慈悲によるもの、で理由はつけられるが、そうではない、何かの裏があるのではないかと。


 しかし、くわしい説明をトリガーにすることは許可されていなかった。


 なので、これに対するユウヅツの答えは、すでに決まっていた。

 聞かれて困ることを聞かれたら、「アホなのでなんにも教えてもらっていません」で通していいと、トカクから言われたばかりだった。今のトリガーならそれが通ると。


 ユウヅツはハキハキと、まっすぐ相手を見て。


「俺はなんにも知りません。むずかしいことはなんにも」

「うん……だろうね」


 即座に納得された。


「いずれ皇太女様に聞けるような機会があったら聞いてみるわ」

「…………」


 アホだと思われていると、追求がなくて楽。

 ——これが、アホだと思わせる演技なら格好もつくんだけどな……とユウヅツは思った。本当にアホなんだもんな……。


 まあしかし、今更このぐらいでへこむような繊細さを、ユウヅツは持ち合わせていなかった。

 良くも悪くも周囲と己のズレに慣れている。成績や採点がよろしくない程度のことで落ち込んでいたら、ユウヅツの人生は落ち込みっぱなしだ。


(……無知が使えるなら使いますよ)


 これで多少なりともお役に立てるのなら。

 ……殿下が姫様を助ける、お役に立てるのなら。


 ユウヅツはウハクに会いたくなかったが、目覚めてほしいとは強く思っていた。

 ……会いたくないというより、自分が彼女の目の前にあらわれない方がいいだろう、という思いがある。


 遠目から分かるくらいに幸せになってほしい。遠目から見ていたい。


 そしてトカクなら絶対にそれを成し遂げるだろうという——成し遂げるまで辞めないだろうという、信用があった。


 自分がいなくても止まらないだろうから、自分はいなくてもいい。というのがユウヅツの自己評価でありトカクへの期待だ。

 それでも自分がいることで何かしらの利益になるなら、使ってもらえれば。そばにいられれば。





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