一一三 好きだよ
婿になれというのは突飛だとしても。
「これは単純な願掛けだよ、ウハクが目覚めた後にうれしい要素があった方が、目覚めてくれやすそうじゃん? だから、おまえウハクのものになれよ。なっ」
「あなた達は、」
ユウヅツは『達』と言った。どうして複数形になるのか、『達』が誰を指すのかトカクは考えようとして、しかし必要なくなった。ユウヅツの次の言葉が説明になったからだ。
「ぜんぜん似てないけど、たまに本当に、双子なんだなと思います。同じことを言うっ」
「……なるほどな。あの子が迷惑がる可能性も考慮していたんだが、どうやら、あの子の本意でもあるのかな?」
「本意かどうかあなたに分かるのか、言質を取って心を知った気になるな、人が喋る前に勝手に理解するのやめてください、違う、そんな簡単なことではないっ!」
ユウヅツは、トカクが部屋を突撃した時点で、トカクの狼藉が頭に来ていたようだ。声を荒げたまま話を続けた。
「都合が良いわけないんだ、好きな人からは好かれたいに決まってるんだから。俺が姫様を好きになるのがいちばんうれしいはずなんだから!」
「でも、ならないんだから仕方がないだろ」
「仕方なくない、姫様が俺以外の男を好きになれば済むことでしょう!?」
……でもなれないんだから仕方がないだろ。
という情緒的な正論を、自称『恋愛が分からない』男に伝えて分かるものか?
トカクは話を変えた。
「ユウヅツおまえ、ウハクから、わたくしのものになれよとか言われたわけ? その時も、頭おかしいって返したのか?」
「こ、皇太女殿下にそんなこと言うはずないでしょ……」
じゃあどう言ったんだよ。
「……意、味が分からなくて怖いって」
「たいして変わらんじゃないか」
「…………」
ぐらり、とユウヅツの瞳が涙で歪んだ。
回想。
『ユウヅツ・ユヅリハ』と『鼓夕也』が別人という指摘は、ユウヅツを本当に動揺させた。受け入れがたかった。
だから、すぐにその場から去りたかった。
「あわわ」
正体がバレた妖怪変化さながらに逃走しようとしたユウヅツを、しかしウハクは許さず、その腕をつかんだ。
「わたくしは」
凛とした声。
「べつにかまわない、『おまえ』が別人の成り代わりだとしても、何かあって人格に変異があった結果だとしても。どうでもいいよ。今ここにいるおまえのことを良いやつと知っていて、好ましく思っている」
「…………」
というウハクの言葉を、逃走を阻害されたユウヅツは素直に聞けない。秘密を暴かれて、かなり取り乱していた。から。
「あなたが、かまわないと、どうでもよいと、本当に思っていらっしゃるのなら、欠落があるなんて気付かない、し、わざわざ指摘しないでしょう……っ。お、恐れながら、姫様はどうして、そのようなことを」
「…………」
「…………」
しばし無言になる。
今の返事で語るに落ちたようなものだった。
ユウヅツは意識して深く呼吸した。考える。
……ウハクの言葉が強烈で動揺させられたが、……『夕也』の記憶を取り戻した時点で、たしかにユウヅツは「まるで別人」になっている。
幼い頃の『ユウヅツ』は、幼いウハクを好きだった?らしい?が、今のユウヅツにその思い出がない以上、欠落があるのも確かだ。
そういう意味で、ウハクの言葉は正しい。と言える。言える。
ユウヅツは、狼狽から多少立ち直り始めた。
「…………」
ユウヅツは、ウハクにつかまれた自分の手を見下ろす。はっとする。
こういうところを見られたら、また死が一歩近づく。こういうことをしているからユウヅツは学院で孤立しはじめていたし、トカクから目の敵にされはじめていた。
「きょ、距離を」
「…………」
ウハクはユウヅツの手を離した。逃げないよう目で訴えられる。
ユウヅツは後退して壁際に立った。手を後ろで組む。ウハクとあらためて向き合う。
……ユウヅツが、ウハクとお友達になろうという積極性を持っていたのは過去のことで、今のユウヅツは保身のためにウハクと距離を置こうとしているところだった。
それをウハクも察したっていいはずで、というか「変な噂が立つから関わるのをやめよう」と、ウハクの方から言ってもいいくらいだった。
なのにこの人は、何故こうまでして俺にかまうのか。
その理由がずっと分からなかったけど、ユウヅツはこの時ピンときた。
なるほど、『ユウヅツ』が不自然だったから。
ウハクは、前世の記憶を思い出す前の『ユウヅツ』と面識があったから、別人になった今のユウヅツに対して違和感、どころではない、懐疑心を抱いてもおかしくはない。
だから、その理由を突き止めるために、こうしてしつこく交流を図ってきた。
なるほど!
点と点がつながってユウヅツは気持ちがよかった。
(それなら、)
「それは、わたくしが」
ウハクが口をひらいたので、ユウヅツの意識が現実に引き戻された。
ウハクは、なにかの質問に答える口調だった。
ユウヅツは、咄嗟に自分達がなんの話をしていたか思い出せなかった。無言の時間がだいぶ長かった。無言になる前、ユウヅツはウハクに何を聴いたっけ?
「……わたくしが、おまえのことを好きだからだろう」
——どうして欠落があるなんて気付いて、わざわざ指摘したの?
——好きだから。
ウハクは汗だくになっていた。
絶対に言うべきでないことを、言っても意味がないタイミングで言ってしまった自覚が彼女にはあった。手が滑ってハサミをジャキンと閉じてしまったような、終わった、という絶望を感じた。
しかしユウヅツはそれが恋愛の話とまったく分からなかったので、はい、と平常でうなずいた。嫌われている感じではないので、そりゃ好かれているというのは、ユウヅツにとって当然だった。
「俺も姫様との友情を、大切に思っていますよ。立場上、あまり大っぴらに交流すべきでないと思いますが……」
「…………」
それに、ウハクは苛立った。焼けつくような焦燥と言い換えてもいい。打っても響かない鐘をどうにか鳴らさなきゃいけない。
このままでは自分の心がいっさい伝わらないという焦りだ。本当に終わりがないものを永遠とは呼ばない、地獄と呼ぶ。
「わ、わたくしはおまえが好きなんだよ!」
「ありがとうございます。あの……誤解を招くのでやめてもらえますか? なんかね、身の程知らずと噂されて学院で肩身が狭いし、皇子殿下の目が本当に怖いんです、俺」
「こんな『誤解』を招くはずないだろ皇太女だぞわたくしは! 誤解ではない、お兄様の懸念は正しい! わたくしはいつも間違ってる!」
ウハクは一歩前に踏み出した。比喩ではなく物理だ。壁沿いに立つユウヅツに接近した。
「もういい、おまえ、わたくしの気持ちが本当に分からないんだろ。それでいい」
「え、え?」
「わたくしを好きにならない代わりに、他の人間を好きになることもないというのは、むしろ都合がいい!」
だん!と顔の真横に手を置かれてユウヅツはおののいた。壁際に追い詰められた形だ。さすがに『皇太女殿下』にここまで近付かれたのは初めてだった。
「姫様?」
「……ユウヅツおまえ、卒業後、行くところがないのだろう?」
「え……どこかしらで住み込みの仕事があったらいいなと……」
「わたくしが用意してやる。わたくしのそばにいてくれたら、他に何もいらない」
やけっぱちだ。ウハクはユウヅツを見上げて精一杯すごんだ。普通の少女らしく待てば地獄になる以上、皇太女として命令する以外に、彼女はやり方を知らなかった。
「おまえ、わたくしのものになれ!」
夜空の目。その瞳を見て。
すべてを悟ったユウヅツは全身から血の気がひいた。
奇しくも、それは前世での刃物による失血を追体験させた。
「……ひめさまっておれのことがすきなんですか?」