一一一 この期に及んで
(本音で話そうって言われても)
自己開示には苦痛と恥辱がともなう。トカクの弁だ。
なぜなら、自分がどんな人間であろうと、すべきことは変わらないからだ。うれしくても悲しくても振るまいは変えられないのに、自分は本当はこう思っていて本当はこうしたくて、と明らかにする意味が分からない。
叶わない夢を語らされるような苦しみがある。無意味に感じる。なんのためでもなく裸になることを強要されるような辱めみたい。
だけど円滑な人間関係の為に『腹を割る』という行為が必要なことも分かる。
でもそんなのは割ったふりをすればいいだけで、いちいち本当に割ってたらいくつあっても足りないよ、腹が。
(というのが『ワタクシの本音』なんだよなぁ……)
「私ね、ウハクさんに話を聞いてもらってばかりで、あんまりウハクさんの話を聞いてないかもって思ったのよ、最近」
「そんなことないと思いますけど……」
「ウハクさん、自分のことあんまり話さないじゃない?」
……『ウハク』個人のことは、喋れば喋るだけ「ボクが適当言ってるだけ」になるので。
「あとウハクさんって、怒ってる時に怒ってないふりするでしょ?」
「……しませんよ?」
「クラリネッタさんの時も、たぶん本当は怒ってたんじゃない?」
「いいえ……?」
まあ、たしかにチュリーの言うように、トカクは大陸で怒りを表出しないように振る舞っていた。
……ウハクはそもそも怒れない子だったし。
あらゆる負の感情が内的な悲しみだけに収束するようなところがあり、それはそのまま向上心の無さに直結していた。ウハクは、絶対に許せないとか挽回してやるとか目にもの見せてやるとか負けたくないとか、そういう怒りや嫉妬をばねに動けなかった。トカクと真逆で。
「私も私でけっこう怒りっぽいんだけど」
……自覚がおありだったんですね。
「私って、怒ってみせたら意見が通るから怒るみたいなところがあったんだけど。改めるつもりもなかったんだけど……。最近は気を付けてるわよ? ウハクさん、それは一時的に対処してもらえるだけで長い目で見れば信頼と発言力を失うって、とっても真摯に叱ってくれたじゃない?」
「…………」
「それで、あなたは自分にもその抑圧を課している。あなたは自分の中に、上に立つ者としてあるべき姿をきちんと確立していて、それは素晴らしいと思うのよ。でもね……」
チュリーの発言はそこそこ的を得ていた。正確には、トカクが自分の中で確立して模倣しようとしているのは『上に立つ者としてあるべき姿』ではなく、『ウハクがやりそうなこと、ウハクがやるべきこと』なのだが。
トカクは黙ってチュリーの言葉を待つ。
「理想像そのままになろうとして、自分の心を完全につぶしてしまうのは、私、イヤだなって思うの。嘘しかついていなかったら、いつか自分が本当はどう思っているか、自分で分からなくなりそうだわ」
「…………」
「だから私、その場では「ふさわしい振る舞い」のために気持ちを押さえても、ウハクさんの前では本音を言うようにしてるわよ」
「……言わなくて済むなら言わない方がいいですよ」
「信用できる人の前でだけは素の自分でいた方がいいわよ。話して楽になることってあると思うの」
チュリーはトカクの両手をつかんだ。
「だからウハクさんがどう思うべきかじゃなくて、あなたがどう思っているか教えてよ。私、あなたとはそういうお友達になりたいの」
庭園にそよそよと風が吹く。トカクの両手はチュリーに取られてだらんと空中にぶら下がっていた。
トカクは。
(……チュリー・ヴィルガが何を言うか、予想は立てていたけど……その予想と、そこまで相違なかったな……)
冷静に脳内で断じた。
全部が想定内。
トカクも社交で使いかねない美辞麗句でおべんちゃらだ。目新しいことは言われていない。
今トカクが本当に思っていることを打ち明けるに足る理由を、根拠を、ひとつも開けていない。
のに。
(なのに、この女に何かの一端をつかんでほしくなっているから、恋愛ってさいあくだよ)
こんな感情はない方がいい。
「ワタクシが今、思っているのは」
トカクが口をひらけば、チュリーはうん、と相槌を打った。
「ワタクシは……」
ワタクシはあの男に恩がある。
という言葉が自然と浮かんで、トカクは「ボクってユウヅツに恩義を感じていたわけ?」と自分でおどろいた。
恩? なんの恩。これだけメチャクチャにされておいて?
自分でも不明なまま、トカクはチュリーの前で言葉を続けた。
「恩……がある、気がするんです。件のトラブルを招いた、ワタクシの従者に」
「恩? 以前、何かで助けてもらったとか?」
「恩……ではない、かも。でも何か、返さないといけないと……思わせるような何かが」
馬車から飛び出して助けに行かなきゃと思わせるような何かを、トカクがユウヅツに感じていたことは紛れもなく事実だ。それで、…………。
(……それで、ボクはまだ、あいつを助けに行かなきゃと思うボクのまま、かも)
トカクは思った。
また同じようなことが起きてユウヅツが危機にさらされたら、トカクはまた助けに行ってしまう。あれだけユウヅツに怒り狂って殺そうとしておいて。
「……ワタクシ個人の気持ちだけ言えば、」
うん、とチュリーが続きをうながす。
「……ユウヅツ・ユヅリハを、まだ手元に置いておきたいんです。……あれだけやらかした無能を……」
「ウハクさん、お優しいものね」
「違うんです! やさしさじゃなくて……」
やさしさじゃない? やさしさじゃないなら何だ。この寛大な処置を。
「……本人は、もう嫌がっているんです。ワタクシの側仕えを続けることを。絶対にまた失敗するから……。……そもそもアイツ、最初っから大陸に来たがっていなかったし」
「あら、皇太女に仕える名誉をたまわっておきながら?」
「……本当に名誉とか名声とか興味ないんですよ、あの男……」
だからトカクに付いてきた理由は、善意と罪滅ぼしだ。
「……というか、最初に音楽部でトラブルを起こした時から、もう学院に行きたくないとか、あいつ言ってたんですよ。なのにボクが無理を言って……、……学院に連れてきて、……今回、こうなりました」
「……あれ、ウハクさんのわがままが通った結果だったのね。人員整理とかしないんだなとは思ったのよ」
「…………」
思われていたらしい。言ってくれよ……、いや言われたところでトカクは方針を変えなかったろうが。
「……ある事情で、ユウヅツに学院にいてもらった方が都合がいい、という……思惑があるんです。この事情は、ワタクシの感情ではなく国益の話になるんですが、……くわしく話せません」
「うん、だいじょうぶ、なんとなく話は分かるわ」
「ありがとうございます」
トカクはゆるく頭を垂れる。
「……その国益とは別で。……ワタクシ個人が、あの男に学院にいてほしいと思っている。…………」
ウハクとか解毒薬とかを脇に置いておいても。
「……ワタクシはこの期に及んで、ユウヅツに友情を感じていて、そばにいてほしいって……思っています」
トカクの表情は自己開示の苦痛でゆがんだ。
ああ、そういえばユウヅツに対しては自己開示がそこまで苦じゃなかったなとか、……そもそも素の自分でいられたから改めて開示みたいなことする必要なかったんだなとか。
……あの男は船で、トカクが本音をぶつけられる友達になってくれるみたいなことを言っていた、あの約束だけは果たしたんだなと、トカクは思った。