一〇七 欠落
「……姫様ってウハクか?」
「…………」
ユウヅツはうなずいた。
「……ウハクが、おまえには恋愛の機能がないと言ったって?」
「はい」
「それは……」
トカクは言うか迷った。妹にこんなことを言うのは、悪いと思ったからだ。だが言わねば話が進まないと開き直る。
「……負け惜しみじゃないか?」
「…………」
「ウハクはおまえが好きだったけど、おまえはウハクのこと、ぜんぜん好きじゃなかったんだろ。だから……負け惜しみで、そんなこと言ったんじゃないのか」
「姫様はそういう人じゃないでしょう」
「おまえがウハクを語るなよ」
トカクだってそんな子じゃないと信じたいが、まあ恋愛が制御できないものであるのはトカクも知るところであるし、とっさに感情的になったら、それぐらい言ってもおかしくないと思ったのだ。
「……俺も、姫様は勘違いをしていると思っていた。俺だってそのうち誰かを好きになったり付き合ったりするだろうと漠然と思っていて、その相手が今はいないだけだと。……だけど、俺自身にその機能が備わっていないと仮定すると、いろいろと腑に落ちる」
「…………」
「……本当に分からないんですよ。恋とか情とか、欲求とか個人に向けることが。『親切』以外の愛情表現は存在している意味が分からない」
愛情表現。
ハグとかキスとかセックスとか?
「俺は、姫様があそこまで俺に執着する気持ちが理解できないし、シャーバルト様が、婚約者がどうたらで激昂した気持ちが分からない」
ユウヅツはつらつらと述べた。
「シナリオの強制力だと思って呑み込んできたけど、そうじゃないなら……普通に、頭がおかしいんじゃないかと思っている」
トカクは絶句した。頭がおかしいとまで言うか。
「……殿下ほどではありませんが、俺だって俺なりにものを考えて、計算しながら動いているんです」
「う、ん?」
「だけど、恋愛を勘定に入れないで計算するから、はじき出した結果には多大なズレがある。……そのズレで、俺はこれだけの問題を起こしてきた……」
ユウヅツは寝台の上でひざを抱えた。
「それで、……何より問題なのは」
「ああ」
「……分かってなお、このズレを治せそうにないということです……」
ころしてください。
聞こえてきた声に、トカクは耳を疑った。
「あ゛あ~~っ……、……もういや……死にたいぃ……。これから先……、台風の目みたいに周りをしっちゃかめっちゃかにするだけな気がする……。本当にイヤだ……死にたい……。殺してくださいい~~……」
回想。
ウハクはユウヅツに告げていた。
「わたくしとおまえは大昔に会ったことがある」と。
「え〜?」
そんなはずないけど……?
と返したユウヅツに、ウハクは「五歳の頃、古都で、迷子だったおまえが当時のわたくしの侍女に保護された。それで話し相手になったことがある」と。
「五歳? …………」
『ユウヅツ』の記憶を振り返ると、たしかに、たった一度だけ古都に連れていかれた覚えがあった。
ユヅリハ男爵が、買い出しだか税を納めるだかなんだかで用事があり、ユウヅツも連れていかれたのだ。
今にして考えれば、ユウヅツは捨てられかけたのだが。
義母の希望で、ユウヅツをどこかへ置き去りにしてしまおうという運びになったのだ。男爵は古都までユウヅツを連れてきて、最後にと茶屋で甘味を食わせた後、撒いた。
ユウヅツは、自分が迷子になったものと思ってしくしく泣いていた。そんなところを、通りかかった親切な人に拾われた。
優しく牛車に乗せられ、なんとかユウヅツが自分の名前を告げると、彼女らはユヅリハ男爵を探して呼び出してくれた。
あの親切な人達こそ、当時の皇太女殿下の侍従達。
そして……。
「……あの時の女の子が……」
「わたくしというわけだ。思い出してくれてよかった」
「あの時のミカンを分けてくれた女の子が……!」
「そうそう」
ウハクはほっとしたように笑った。
ユウヅツは点と点がつながる思いだ。
「……だから俺に、会ったことないかしきりに聞いていらしたんですね……! 助けていただいた恩を忘れたわけではないのですが、失礼いたしました」
「仕方がないさ。子供の頃の話だからな」
ユウヅツは子供時代の記憶が薄い。というか、夕也を思い出す前の自分の記憶は、どこか膜を隔てた他人事のように感じるのだ。
この件も、正直なところ覚えていたのが奇跡のようだった。見知らぬ街で一人になった心細さが、『ユウヅツ』の深層心理に強烈に残っていたのかもしれない。
にしても。
(……主人公とメインヒロインにそんな過去があるってのは、本当に知らない話だ……。……二年前に制作決定が発表されて以来、なんの音沙汰もなかった『ゲーム』第三部で出てくるはずの情報だったのかな……?)
「……その記憶はあるんだな……」
と、ぼそっとつぶやいたウハクの言葉に、ユウヅツは首をかしげた。
「その記憶は、とは……? 俺は他にも忘れているんでしょうか」
「あ、いや、…………」
ウハクは「なんでもない」と言おうとした、のを取り消した。
「あのな」
ユウヅツに向かう。
「……つかぬことを聞くが。……おまえも双子だったりしないか?」
「? そんなはずはありませんが」
「兄弟とそっくりだったりは」
「あんまり似てないですね……」
なんの質問だろうか、と思いながらユウヅツは正直に答えていく。
やや間を開けて、ウハクは「実は」と。
「……わたくしは、おまえの中身が取り替えられているように感じる」
「は」
「五歳の頃に会ったおまえと、今ここにいるおまえは、別の人間ではないか?」
……取り替えられてなんかいない。俺にはちゃんと『ユウヅツ』として過ごした記憶がある。俺が俺であることに変化はなかったはず。そうでなきゃ、俺がユウヅツを乗っ取ったみたいじゃないか。あの子を殺したみたいじゃないか。
なんで? と思わず声が出たユウヅツに、ウハクはこう答えた。
「おまえの心の中に、あの頃のおまえにはあったのに、今のおまえに無いものがある」
それは何ですか、というユウヅツの質問を、その時のウハクは煙に巻いてはぐらかした。
その後、答え合わせまで一年空く。
答えは『恋心』だったという話。
「今のおまえには欠落があるよ」
ミカンを分けてくれた心優しい美少女に初恋した『ユウヅツ・ユヅリハ』が、今もういないという話。
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