表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

109/150

一〇五 ナイフが




「ユウヅツのヤツ、大きなケガは左足の捻挫ぐらいね」

「ああっ、よかったっ! 頑丈……っ、頑丈だなアイツ」


 二階の窓から転落した時は、確実に死んだと思ったが。捻挫で済んだらしい。治療室に入っていたリゥリゥからの報告に、トカクは安堵した。


 リゥリゥはユウヅツの容体について、「問題は精神の方あるね」と称する。


「かなり落ち込んでるというか、参ってるね。おまえ、励ましてやればよろし」

「……まあ、聞き取りはしなきゃいけないからな。とりあえず話は聞いてみるよ」


 トカクはうなずく。

 いったい何があったのか、ユウヅツ自身に説明してもらわなければいけない。


 それと、トカクはあの時、ユウヅツの過剰反応じみたようすが気になっていた。まあ、恐怖や安堵で失神するのはありえないことではないが、なんというか。ちょっと只事じゃなさそうな雰囲気はあった。


(……ナイフ突き付けられるのは、そりゃ只事じゃないだろうが……)


 にしてもユウヅツの取り乱しっぷりは常になく、ちょっとトカクの中の人物像とかみ合わなかったので。


「まあ、ともかく治療は一段落したから入ってもよろし」

「……分かった」




「よう。ご機嫌いかが、ユウヅツ?」


 ユウヅツは療養室の寝台の上に座っていた。大きなケガは捻挫くらいとのことだったが、打撲や擦り傷はあるらしく、包帯やガーゼが全身にべたべたと張り巡らされている。


 ユウヅツはトカクの来場に気付いて、さっと頭を下げる。


「申し訳ございません」

「もう仕方がねーよ」

「…………」


 ユウヅツは疲れ切ったようすで、表情をろくに動かさない。


「どういう流れであんなことになったのか教えろ。なるべく詳しく、主観はいらんから事実だけ述べろ。それによってシギナスアクイラへの対応を考える」

「…………。ええと……」


 説明。


 ユウヅツの説明を聞いて、トカクは「およそ予想通りだな」と思った。


 しかしトリガー・カタプルタスが現場にいた理由については、……予想と違っていて、少し困った。

 なぜなら『その程度』なら、大国の侯爵家長男というトリガーの身分から考えて、復学してしまう恐れがある。


 トカクは、もう会わないものと思ってトリガーの前で姫君らしからぬ振る舞いをさんざんした。


 しかし、それはまあ後で考えるとして。


 説明を終えると、ユウヅツはふたたび深くこうべを垂れて「申し訳ございません」とうめいた。


「……また問題を起こしてしまいました」

「……また、というか……」


 トカクは。


「前の問題が起きた時に消し切れてなかった火が、延焼したって感じだ。これは火消しを怠ったことに原因があり、火消しは個人の領域でなく、ボク達全体ですべきことだ。なので、おまえ一人のせいではない」


 とトカクは詭弁を並べたが、これで「自分のせいではない」と思えたら苦労しない。

 案の定ユウヅツは暗い顔のままだ。


 トカクは、つとめて明るく。


「……ところでさ。おまえ、……気ぃ失って、窓から落ちただろ」

「はい。ごめんなさい」

「責めてはいない。……でも、あれって、なんで落ちたんだ? 後学のために教えてくれよ」


 ユウヅツはしばらく黙った。そして。


「刃物を向けられて怖かったからです」


 と。


「…………」

「……違いますよね。殿下が聞きたいのはこういうことではないですよね」

「本当に、単に怖かっただけならいいんだけど。なんか……あんのかな?と思って」


 トカクの言葉に、ユウヅツはぐっと眉間にしわを刻んだ。

 何か言いたそうだと思ってトカクは待った。


 膝のあたりに置いた手を握りながら、ユウヅツは口をひらく。


「……俺は自分で、自分は刃物は平気だと思っていました。調理場の包丁も平気だったし。裁ちバサミも草刈り用の鎌もぜんぜん平気で」

「うん? うん」

「だから、刃物がトラウマになっているかもしれないと、考えたことがありませんでした。……誰にも、言ったこと、なかったんですが」


 ユウヅツは何回か口を開閉して、それからやっと声をしぼり出した。


「前世の俺は、ナ、イフで、刺されて死にました」


 ユウヅツは、ナイフ、と言おうとした時に舌がもつれたようだった。


 トカクはそれを聞いて。


「……じゃあ、それを思い出して混乱したんだな」

「そうだと思います」

「刃物は平気だけど、刃物を向けられるのがダメなんだな」

「言い訳になるし、責めているみたいになるのですが」


 ユウヅツは目を伏せた。


「俺はあなたが怖かった。刃物で斬りかかってくる未来を知っていたから」

「…………」

「怖くなくなったのは、卒業パーティーが終わってからです。……卒業パーティーを生き残った後、本当にひさしぶりに視界がひらけて……。……その時になってようやく、ツムギイバラの毒のことを思い出した」


 自分以外にも命が危ない人がいたことを、やっと思い出した。


「…………」


 トカクは。


「ああ……そういうことか……」と思った。


 不思議ではあったんだ。どうして帝立学園の在学中に、ユウヅツがトカクを頼らなかったのか。

 何故、はじめてトカクのもとへ訪れたのが、手遅れになった後だったのか。


 答えはこうだ。『トカク皇子に刃物を向けられる』恐怖から、ユウヅツはトカクを頼れなかった。


 しかも、ユウヅツにはその自覚さえなかった。

 間違ってもトラウマを呼び起こしたくないユウヅツの無意識は、「怖いからイヤ」と選択するまでもなく、その選択肢があること自体を思い付けなくする。トカクおよびトカクが関わるすべてを頼れず、孤軍奮闘を選ぶ。

 ユウヅツの集中を自己防衛にのみ傾かせる。


 ユウヅツはウハクの危機を失念する。


 そして。


「前世で刺された経緯を」


 ユウヅツの声がトカクの思考に割り込んできた。


「お話してもいいですか」

「……前世のおまえの……夕也の話?」

「言わなきゃいけないことでした」


 ユウヅツは顔を上げた。

 別人のように見えた。


「自己紹介が遅れてごめんなさい。俺はここでない世界の人間で、名前を鼓田(つづみだ)夕也と申します」





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ