一〇一 一方その頃
ユウヅツが陰湿な罠にはめられている頃、トカクとチュリーはダンスのレッスンを受けていた。
生徒多数に講師ひとりという都合上、生徒側には自由時間ができがちだ。そういう時間を、トカクとチュリーはふたりで踊ったり喋ったりに費やしていた。
「それでね、ウハクさん……きゃっ!」
「あ」
すぐそばでダンスの練習をしていた生徒の手が、方向転換を失敗してチュリー・ヴィルガの肩にかすめてしまった。
ぶつかった本人は青ざめている。
「しっ……失礼いたしました、チュリー・ヴィルガ王女殿下!」
「ちょっと……気をつけなさいよ! ヘタクソね! 稚拙なダンスで迷惑をかけるくらいな……」
「チュリー様。やめてください」
トカクがチュリーの言葉を制した。
「……チュリー様は、言葉選びがきつい時があります。今も……」
「…………」
むっ、とチュリーは口を閉じた。そして。
「……あなたは成長中の身ですから、害意がないことは分かっていてよ。お気になさらないで。けれど、そのステップはまだあなたには早いみたいね」
「は、はいっ……、失礼いたします」
そそくさと去っていく女子生徒。…………。
「……チュリー様、申し訳ございません……」
「あら、どうしてあなたが謝るの?」
「チュリー様に、ワタクシ以外の方にももっとお優しい言葉遣いをしてさしあげてほしいだなんて言って……」
「ああ……、まあ、そうね。最近のウハクさんのこと、昔の教育係達みたいと思ってるわ」
かつてチュリー・ヴィルガが突っぱね続けてきた教育係たちだ。
『私は私の気が赴くまま振る舞うのが最高、それをとがめる声など聞く価値なし』とチュリーは思ってきた。
「けれど、ウハクさんは別。あなたの言うことなら耳を貸してもいいわ、親友だもの」
「うれしいです」
「……でも変わってるわよね、ウハクさんって! 普通、自分にだけ優しくしてもらえた方が嬉しいものじゃなくて?」
「ワタクシは……」
トカクははにかんだ。
「チュリー様がすばらしい人だということを、もっとたくさんの人と分かち合いたいのです。今のままでは周囲に誤解されて、チュリー様の魅力が正しく伝わりませんから」
「あら! 私のことを思ってだったのね。やっぱり信じて良かったわ」
トカクにしてはめずらしいことに、嘘ではなかった。トカクは自分の大切なものの価値を、周囲にも理解してもらいたい性質だった。ウハクとか。
自分一人が分かっていればいい、と思えない性格なのだ。
「チュリー様、それはともかく。ここでは邪魔になるようです。もっと壁際に寄りましょう」
歓談。
「でも私、他の方にも優しくすると決めたけど、うっかりしてばかり。こんなんじゃ、ウハクさんもいつか私に愛想を尽かしてしまうかしら……」
「そんなことはありえません」
トカクは首を横に振った。
「信頼関係のあるお友達であれば、多少やらかしても許し合えますよ。ワタクシは、チュリー様とはそういうお友達のつもりです」
「そうよねっ、親友だもんね!」
「ええ」
うなずいてから、トカクはハッとした。
——『殿下が俺への態度を変える必要はありません。信頼関係のあるお友達であれば、多少やらかしても許し合えますよ』
今のはユウヅツの受け売りだ。
(うわー恥ずかしっ)
完全に無意識だった。
トカクはみずからの『友達』の引き出しの乏しさを感じて恥ずかしかったし、それから、ユウヅツに言われたことが心に残っているみたいで恥ずかしかった。
この場にユウヅツのアホがいなくて良かった。……アホだから気づかないだろうが。
(……いや、今はチュリーとの会話に集中しよう……)
そしてトカクがチュリー・ヴィルガと喋ろうとした時、窓際の方で「あれ何?」と険しい声が上がった。
トカク達は最初はそれを気にしていなかったのだが、指さされた「あれ」に、だんだんと人が集まり、騒ぎが大きくなってきたので無視できなくなった。
窓からは校舎の西棟が見えるはずだ。何かあるのか。
「皆さん、いったいどうしましたの?」
興味を惹かれたらしいチュリーが、窓際へ近付いていった。トカクも後に続く。
「それが……、西棟の二階の窓のところに、人がいるみたいで……」
「…………? それがどうかしたの?」
「それが、窓の中でなく、外にいるんです」
「え……」
飛び降りか?
緊張感を持って、トカクも窓の外を見やる。
西棟の三階。端の教室。
そこの窓から身を乗り出している、ひとりの男子生徒がいた。窓枠に手をかけ、下にある狭い足場に足を引っかけ、ギリギリで立っている。
この状態だけ見ても分からない。だが、落ちようとしているというより、落ちそうになっている感じだ。
「……どうしたんでしょう?」
「何かあったのかしら……」
なんにせよ、この距離では人影が何をしようとしているのかは判断がつかない。
つかないが。
(……なんか、背格好とか、ユウヅツと似てるけど……まさかだよな……?)
……いや、東棟の広間に待たせているユウヅツが、あんなところにいるはずがない。気のせい気のせい。
「学院の職員の方へお知らせした方が……」
「いえ、それは足りているみたいですわ。人が集まってきていますもの、ほら」
「本当ですわね」
「——失礼いたします!」
ばんっ、と勢いよく練習室の扉が開け放たれた。部屋中の視線が集中する。
来訪者は、声量を変えず。
「大瞬帝国、皇太女様にご連絡があって参りました!」
「ワタクシに?」
なんだろう。
猛烈にイヤな予感がするが、トカクは努めて冷静にハナ達を呼びつけ、練習室の外へ出た。
中にいる者達に聞こえないよう扉から距離を取る。…………。
「何用でしょうか。……まさか、本国で何か……?」
「申し上げますっ」
伝令者は告げた。
「ユウヅツ・ユヅリハ様が、ナイフを持った男子生徒に追いかけられているとの情報です!」
トカクも、ハナ達も絶句した。
「な……」
特にトカクは血の気がひく思いだ。
な……なんでそんなことに……。
「加害者は、音楽クラブでユウヅツ様を巡って取っ組み合いになるという醜聞を起こした女子生徒の、婚約者にございます!」
それで『なんで』かは分かった。
だが、なんでだよとキレたい気持ちは無くならなかった。
ややあって、トカクは一瞬で声が枯れながらも、こう確認した。
「じゃあ……さっき窓際にいたのは、刃物で追い詰められて、飛び降りるか刺されるかの瀬戸際になってるユウヅツ……ってわけだな?」
「え?」と、事態がそうなるより先に伝令に走らされたであろう職員が首を傾げた。