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67 暗い過去と対峙する時です

 警護も兼ねた従者の後に外交官であるレイヴンが得意げに歩いていく。その後ろには手を組んだハンスとフレデリカがゆっくりと着いていく。久しぶりのリュミエール王国側の代表が現れたということでパーティー会場は賑わいを見せる。


 その様子を遠くからアナスタシアは見つめていた。あちらからは人の垣根で見られることはない。そしてリュミエール王国の代表としてパーティーに出席したのならば必ずアルク王達に挨拶をすることもアナスタシアは理解していた。


「これはアルク陛下、ご機嫌麗しゅう存じます」


 まず先を歩いていたレイヴンがアルク王に頭を下げる。


「レイヴン・ミューズか。久しいな」


 続いてハンスも頭を深く下げ、礼をした後に言葉を口にする。


「アルク陛下、ご無沙汰しております。ハンス・リュミエールでございます」


「ハンス王子も久しいな。前回のパーティーでは体調が優れないということだったと記憶している。それに今回は出席の報せを受けていなかったと思うのだが……?」


 真っすぐにアルク王がハンスの目を見つめる。ハンスは少し視線を逸らす。すぐにレイヴンが理由を説明する。


「誠に申し訳ありません、陛下。こちらの不手際で出席の連絡が伝わっていなかったようですな……っ」


 その説明を受けたアルク王は納得した素振りを見せながら返事をする。


「なるほど……そちらの国の事情も大体把握しているつもりだ。多忙の所、我が国に来て頂いたことに礼を言おう。では王子の横にいらっしゃるご令嬢を紹介してもらおうか」


 ハンスが胸を張りながらフレデリカを紹介する。


「私の婚約者であるフレデリカ・ミューズ公爵令嬢です」


「アルク陛下、お……お初にお目にかかります。フレデリカ・ミューズでございますっ」


 王を前にして緊張しているフレデリカは固い身のこなしでカーテシーを添えて、挨拶の言葉を何とか口にするのだった。


「なるほど。レイヴンの娘か」


「はい。何卒お見知りおきをお願い致しますっ」


 レイヴンは腰を低くしながらフレデリカのことをアルク王に覚えてもらおうと機嫌をとっていた。こういう所は抜け目がないのがレイヴンという男だ。アーヴェントからアナスタシアの事情を聞いているリズベットは怖い顔を浮かべようとしてライナーにそっと止められていた。


「長旅でお疲れだろう。席についてパーティーを楽しんでくれ」


「ありがたきお言葉、ありがとうございます」


 ハンスが頭を下げ、フレデリカを連れて案内された主賓用のテーブルに着く。レイヴンは付き人として二人の横に立つ。王と主賓との会話が終わった所で王達に挨拶をする列とハンス達に挨拶する列が出来上がる。魔族の貴族達から挨拶を貰うハンスはとても満足な様子だ。フレデリカも笑顔を振りまいていた。


 合間に二人は小声で話をする。


「この中に『吸血鬼』公爵と共にアナスタシアが出席していれば必ずオレ達に挨拶に来なければ礼を欠くことになる。二人の婚約はリュミエール王国の王命なのだからな。……せっかく遠路はるばる来てやったんだ。やせ細り絶望に沈んだ顔を一目見てやらねばな」


「ええ。私もそれが見たくて仕方がなかったのですわ。可哀そうなアナスタシアに一言温かい言葉でもかけてあげなくては……ふふふ」


 二人の会話を横で聞いていたレイヴンも小賢しい笑みを浮かべる。その様子を少し離れた王族の席からリズベット達が見つめていた。


「……気分が悪いですわ」


「我慢しろ、リズ」


「だってお兄様……」


「ここはアナスタシアのことを信じるしかないだろう」


 リズベットは静かに頷く。そんなやりとりをしている間にも二つの長い列が少しずつ進んでいく。すると不意に列を管理していた従者からハンスとフレデリカ達に次に挨拶を希望している者達が案内される。


 ハンスもフレデリカも流れ作業がまた始まった、それくらいの気持ちでこちらに歩いてくる二人にゆっくりと目を向ける。その時、ハンス達が驚いた表情を浮かべた。横に立つレイヴンも驚きのあまり、大きく口を開いていた。


「ハンス殿下、ご無沙汰しております。アナスタシア・ミューズです」


 そこには綺麗に着飾り、淑女としての振る舞いを完璧にこなしながら礼をするアナスタシアの姿があった。フレデリカはすぐに彼女が身に着けている服飾品を見定めていた。それが高価であることは一目瞭然だった。フレデリカの眉間にシワが寄る。


「あ……あぁ……」


 毅然としたアナスタシアの表情にハンスは気圧されているように見えた。それを見たレイヴンが慌てた様子で話しかける。


「あ、アナスタシア……本当にお前なのかっ?」


「はい。叔父様やフレデリカもご無沙汰しております……」


「これは……一体どういう……っ」


 流石のレイヴンも狼狽えたように言葉を選んでいた。すかさずアナスタシアが三人に向かって言葉を口にする。


「今はオースティン公爵様の元でよくして頂いております」


 アナスタシアの言葉に合わせて横に立つアーヴェントが口を開いた。


「ハンス・リュミエール殿下、お初にお目にかかります。アナスタシアの婚約者であるアーヴェント・オースティンと申します。以後お見知りおきを」


 深紅の瞳がハンスをじっと見つめる。ぎょっとした様子でハンスは目を反らす。


「そ、そうか。お前がアナスタシアの婚約者か……お、覚えておこう」


 そのままアーヴェントはレイヴンの方を見つめる。レイヴンもその深紅の瞳を恐れたようでそっと視線を逸らす。


「レイヴン・ミューズ公爵様も先日はお迎えにあがれず、申し訳ありませんでした」


「あ……ああ。多忙であればし、仕方ないだろう……。あ、アナスタシアが世話になっているようだな……っ」


 いえいえ、とアーヴェントは紳士的な笑みを浮かべる。アナスタシアもそんな彼の様子を見つめていた。そんな彼女にフレデリカが声を掛ける。


「アナスタシア……久しぶりね……っ」


「フレデリカも元気だったかしら」


「……っ! ずいぶん立派なドレスね。イヤリングにネックレス……それに指輪まで……」


 少し俯きながらフレデリカが淡々とアナスタシアに言葉を掛けつつ、彼女の全身に目を凝らす。自分の何処かに欠点を見つけて罵りたいのだとアナスタシアは理解していた。


「ええ。全てアーヴェント様に頂いた物なの。とても大切な私の宝物なのよ」


 以前の弱気なアナスタシアはそこにいない。淑女の笑みを浮かべながら毅然と振舞っている。それがフレデリカは気にいらなかった。苛立った彼女は不意に自分の手元に置かれていたワインの入ったグラスを手にとると、アナスタシアに中身をぶつけようとする。深紅の瞳がそれをじっと見つめていた。


「……」


「きゃああああ!!」


 すると突然フレデリカの悲鳴がパーティー会場に響き渡る。ハンスがフレデリカの方に目を向けるとワインを頭からドレスの先までかぶったフレデリカが椅子から転げ落ちていたのだ。


「フレデリカ、どうしたんだ?!」


「こ、蝙蝠(こうもり)が目の前に……っ!!」


 心配したレイヴンもフレデリカに近寄り、辺りを見渡すがこんな明るい場所に蝙蝠がいるわけもなくその事実をフレデリカに語り掛ける。


「蝙蝠などいないぞ……大丈夫か、フレデリカ?!」


「お父様……確かに蝙蝠がいたのですわ……」


 その様子を貴族達が見つめていた。アナスタシアも心配になって声をかけようとするが、アーヴェントに優しく手を引かれる。


「ハンス殿下たちは忙しいようだ。挨拶はこの辺りにさせて頂こう」


「アーヴェント様……」


「では、殿下。これで私達は失礼させて頂きます」


「……っ!」


 待て、と言いたいハンスだったが今はフレデリカのフォローで手一杯のようだ。その様子を見ていた貴族達の声がハンス達の耳に入ってくる。


―今、ハンス殿下に挨拶をしていたのがあのオースティン公爵か……確かここ最近彼に融資を受けた者達は次々と成功を収めているという話だ―


―何でも婚約者のご令嬢は青と赤の綺麗な瞳を持ち、その瞳に見初められた者は成功を収めるという噂が王都でも有名だものな―


「!」

「!」


 貴族達の話を聞いてハンスやレイヴンは目を丸くして見つめ合う。その横でフレデリカは涙目を浮かべながら悲痛な様子を訴えていた。それを放っておくことも出来ずハンスは大きな声を上げる。


「挨拶の途中だが、フレデリカは長旅で体調が優れないようだ。着替えなどもあるので、部屋をお借りしたいっ」


 その言葉を待っていたかのように、リズベットが近づいて来た。心配そうに声を掛けるが、どこか楽し気だった。


「まあ、それは大変ですわね。今、部屋を御用致しますわ。従者と共にわたくしが案内させて頂きますわね」


 ちらっとこちらを見つめているアルク王とリズベットの目が合う。彼は目を閉じながら、頷いた。リズベットも頷き、ハンス達を用意させた部屋へと案内していく。一時は騒然としていたパーティー会場も次第に活気を取り戻していく。


 その様子を会場の片隅でアナスタシアは両の瞳で見つめていた。アーヴェントの手を握る彼女の手は震えていた。震えるその手にそっと手が添えられる。アナスタシアが顔を上げると、優しい深紅の瞳に自分の姿が映っていた。アーヴェントも満足した様子で温かい言葉を彼女に掛けた。


「アナスタシア、よくやった」


「アーヴェント様……ありがとうございます」


 アナスタシアの目頭に浮かぶ涙をアーヴェントは優しく指で拭き取ってくれた。青と赤の両の瞳と深紅の両の瞳が見つめ合う。そして微笑みあった二人は会場を後にするのだった。

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