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48 旦那様の仕事のお手伝いをします

 アナスタシアがグラトンやフェオル、そしてアーヴェントに手料理を振舞った次の日のこと。朝食の席についたアナスタシアはアーヴェントから今日の予定を聞かされた。


「今日、商談はないのですね」


「ああ。ゾルンには外回りの仕事を頼んである。オレは溜まった書類の整理をする予定だよ」


 少し気だるそうに溜め息を吐きながらアーヴェントが言葉を口にする。その様子を見つめていたアナスタシアは心配している様子だ。


(今日はゾルンもいないというし……アーヴェント様がまた無理をして身体を壊すのが心配……何か私に出来ることがあればいいのだけれど。 ……そうだわ)


 アナスタシアは何かを思いついたようだ。食事が終わり、食器が片付けられた後のお茶の時間にアーヴェントに提案してみることにした。


「あの、アーヴェント様。ちょっとよろしいでしょうか……?」


 もじもじしながらアナスタシアは話を切り出す。お茶が入ったカップに口をつけていたアーヴェントがカップをソーサーに戻しながら返事をする。


「ん? どうかしたのか、アナスタシア」


 アーヴェントの爽やかな笑みに背中を押されたアナスタシアは思い切って自分の考えを伝えてみることにした。


「あの……もしよろしければ書類の整理のお手伝いをさせて頂けないでしょうか? 私に出来ることがあれば……ですけれど」


 その言葉にアーヴェントが深紅の目を丸くしながらアナスタシアを見つめていた。自分のことを気にかけてくれていることがこちらを見つめている表情から察することが出来た。少し考えた後、返事をする。


「俺が目を通した書類を仕分けしてもらえると、助かるかもしれないな。でも良いのか? 他にやりたいことがあれば遠慮せずにそちらを優先してもらって構わないんだぞ?」


 アナスタシアはゆっくりと首を左右に振ってみせる。


「今日はアーヴェント様のお手伝いがしたいんです。お願いします」


「……そうか。それならお願いしようか」


「! ありがとうございます、アーヴェント様」


 その言葉を聞いたアナスタシアはぱあっと明るい表情を浮かべる。それを見たアーヴェントは満更でもなさそうな表情をしていた。二人のやりとりを見ていたラストや使用人達も微笑ましく感じていた。


「それじゃあ、一緒に別邸に行こうか」


「はい」


 お茶も飲み終わり、少しの休憩を挟んだ後アーヴェントは席から立ち上がるとアナスタシアに手を差し出す。その手にそっと自分の手を重ね、二人は食堂を後にする。気を利かせたラストがアーヴェントの荷物を取りに行ってくれていた。


「アーヴェント様、お荷物です」


「ありがとう、ラスト」


 荷物を受け取るアーヴェントをアナスタシアはじっと見つめていた。そしてそっと声を掛ける。


「あの、お荷物をお持ちしても宜しいでしょうか?」


「そこまでしなくてもいいんだぞ?」


「いえ……お持ちしたいんです」


 アーヴェントが一度ラストの方を見る。ラストもアナスタシアの気持ちを察したようで、笑顔で頷く。それを見たアーヴェントも頷き、言葉を口にする。


「それじゃあ、お願いしようかな」


「はいっ」


 アーヴェントは優しく荷物を渡す。嬉しそうにアナスタシアは荷物を両手で持ちながらアーヴェントの横を歩いて別邸へと向かう。その後ろをニコニコしながらラストがついていく。別邸につくと、そのまま執務室へと向かう。


「今日は私も別邸におりますので、御用の時はお呼びくださいませ」


「ああ、わかった」


 そう言ってラストは執務室を後にする。アナスタシアは荷物を持ったまま、部屋の中ほどに立ってもじもじしていた。ふっと笑みを浮かべながらアーヴェントがアナスタシアに声を掛ける。


「荷物は、こっちへ置いてくれるか?」


「は、はい」


 アナスタシアは指示された場所に持っていた荷物を置く。その後、アーヴェントに促されテーブルの椅子に腰かける。アーヴェントは執務机の上にある書類に目を通し、十枚ほどの書類をアナスタシアの前に置いた。


「これが商談の資料になる。サインをしている書類は俺が既に目を通している。アナスタシアにはこれを日付ごとにまとめて欲しい。出来そうか?」


「はい。それくらいなら、出来ると思います」


(ミューズ家にいた時もメイ伝いに叔父様のお仕事に使う書類の整理を手伝っていたこともあったものね)


「そうか、ならお願いするよ。疲れたらいつでも言ってくれ」


「はい」


 それから二人は手分けをして書類の整理を進めていく。アナスタシアは手を動かしながらそっと机に向かって仕事をしているアーヴェントの顔を覗く。凛々しい表情で書類に目を通すアーヴェントはとても魅力的に見えた。ぽっとアナスタシアの頬が熱を持つ。


(仕事に集中しなきゃいけないのに……私ったら真剣なアーヴェント様をみてドキドキしてしまっている)


 視線に気づいたアーヴェントが両の深紅の瞳でアナスタシアの方を見るとアナスタシアはおどおどしながら視線を逸らし俯きながら手を動かしていた。その様子をアーヴェントは微笑ましい気持ちで見つめていた。作業を始めてしばらくした頃、執務室の扉がノックされ、ラストがやってきた。


「お仕事中、失礼いたします」


「ラスト、どうかしたのか?」


「はい。実はグリフが仕事の書類をアナスタシア様に取りに来てほしいそうなのです」


(グリフが私に……?)


 金庫番をしているグリフがゾルンやラスト以外に用事を頼むのは珍しいことだということは以前、アーヴェントから聞かされていた。じっと二人のやりとりを見つめていたアナスタシアに声が掛かる。


「アナスタシア、聞いたとおりなんだが……行ってくれるか?」


「はい。行って参ります」


 アナスタシアは快く引き受ける。そうか、とアーヴェントが頷く。アナスタシアは椅子から立ち上がると一礼してラストが待つ扉から廊下に出る。そして三階にあるグリフの部屋へと向かう。一応、ラストも彼女の後ろをついていく。


 三階の一番奥にあるグリフの部屋の扉の前までくると、アナスタシアが扉を優しくノックする。中からグリフの低い声が聞こえてくる。


「奥様、鍵は開いております。どうぞ、中にお入りくださいませ」


 ラストの方を一度向くとアナスタシアは表情で合図を送る。少しここで待っていて、という合図だ。ラストもそれを理解し、頷いてみせる。アナスタシアは扉を開けて部屋の中へと入っていく。相変わらず、部屋の中は暗くグリフの作業机だけに明かりがうっすらと灯っていた。以前入ったことがある記憶を頼りにアナスタシアは中ほどにあるテーブルの所までゆっくりと歩いていく。


「奥様、お忙しい所をお呼び立てしてしまい申し訳ありませんなぁ」


 ラストから自分がアーヴェントの手伝いをしていることを耳にしたのか、片眼鏡の位置を右手で治しながらグリフが謝罪の言葉を口にする。


「気にしないで、グリフ。私もまたグリフと会いたいと思っていた所だったから」


「ほっほ。こんな老人に会いたいなどと、お世辞にもほどがありますぞ。ですが、嬉しいお言葉として頂いておくとしますかの」


 低い笑い声を上げながらグリフが作業机の上に乱雑に並べていた書類の何枚かを手に取るとテーブルの上に置く。


「奥様にはこの書類に目を通して頂きたいのです。なあに、簡単な商談についての資料ですじゃ」


「目を通すだけでいいの?」


「はい。お願い出来ますかの」


 アナスタシアは快く引き受ける。椅子に掛けると、書類に目を通す。作業机に近いテーブルなら暗い部屋でもなんとか書類の内容を読むことが出来た。書類には商談によって発生した金額や、その商談によって得られた報酬の金額が記載されていた。


(すごい……商談というのはこんなに大きなお金が動いているのね……)


 驚きながらもアナスタシアは渡された資料に目を通していた。すると珍しくグリフが声を掛けてきた。


「……商談は奥様が思っている以上に莫大な金額が動き、それによって莫大な報酬を得ることもあります。旦那様からはあまり仕事についてのお話はないかもしれませんがな」


「そうね。この資料を見て、私とても驚いているわ……」


「ほっほっほ。オースティン家はこのシェイド王国の中でも王家に次いで資産を保有していると言われておりますからなぁ」


「そ、そんなに……?」


「だからこそ、商談に訪れる者達がおるのですよ」


 作業机の灯りがグリフの片眼鏡を明るく照らす。グリフがアナスタシアの方を真っすぐに見つめていた。


「グリフ?」


 おもむろにグリフがアナスタシアの元に一枚の書類を持ってくる。今までの書類とは違い、金額がずらっと書き綴られていた。手渡された書類にアナスタシアは目を通す。


(すごい金額……でもさっきまでの書類とは別のものみたい)


「奥様、これはここ最近の商談によってオースティン家が得た財の一部ですじゃ。貯蓄とは別でまだ用途を決めておらぬ金というわけじゃな」


 グリフが静かな声で語り出す。アナスタシアはただ頷いてみせる。


「旦那様にお願いすれば、このお金は奥様が自由に使えるお金というわけじゃ」


「私が自由に使えるお金……」


「奥様もここで暮らしている内に欲しいもの出てきた頃ではないですかな? なら遠慮せずに旦那様に言ってみればいいとワシは思うがのぉ」


 グリフは顎のあたりに右手を当てながら、淡々と言葉を口にする。アナスタシアはじっと手渡された書類を見つめていた。そしてしばらくすると、笑顔を浮かべて返事をした。


「ありがとう、グリフ。とっても勉強になったわ」


「ほう……」


「でも、このお金は出来れば貯めておきましょう? そうすればお屋敷の資産も増えるし、それが周り周って使用人達のお給金になるでしょ? 私、みんなが快く働いてくれていることが嬉しいの。だから、このお金はそんな皆のために使ってもらうのが一番嬉しいわ」


 アナスタシアの言葉を聞いたグリフは片眼鏡の位置を軽くなおした後、笑い声を上げる。


「ほっほっほ、こりゃ一本取られましたな。奥様はとても思いやりの心が豊かでいらっしゃる。これは野暮なことをお話してしまいましたな」


 そういって手渡した書類を回収してグリフは作業机に戻る。


「えっと……グリフ?」


「ああ、目を通した書類を旦那様の所に持って行ってくださるかな? それでワシの用事は終わりですじゃ」


「ええ、わかったわ」


 アナスタシアは笑顔を浮かべると書類を手にしてグリフの部屋を後にする。廊下に出ると、ラストが心配そうな表情を浮かべていた。


「アナスタシア様、グリフが何か失礼なことを言ったりしませんでしたか?」


「ううん。色々と仕事について教えてもらったわ」


「そ、そうでしたか」


 意外だ、という表情をラストは浮かべていた。楽し気にアナスタシアはアーヴェントの元に帰っていく。それから二人で仕事を再開する。ちょうど昼食前にすべての作業が終わった。アーヴェントはアナスタシアに労いの言葉を掛ける。


「アナスタシア、とても助かったよ。ありがとう」


「いいえ。私こそ、アーヴェント様のお手伝いが出来て嬉しかったです」


 笑顔で見つめ合う二人の元にラストがやってくる。


「アーヴェント様、アナスタシア様、昼食の準備が出来ましたのでご案内いたします」


「わかった。それじゃあ行こうか、アナスタシア」


 優しい表情を浮かべながらアーヴェントがアナスタシアに右手を差し出す。アナスタシアはその手を取りながら微笑む。


「はい。アーヴェント様」


 昼食に添えられた話題は理解が深まったアーヴェントの仕事についてだった。一部でも仕事の話を共有できたことでアーヴェントも楽し気に話をしてくれていた。


 二人はこうして昼食の時間を楽しんだのだった。


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