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47 気になって仕方ないのだが

 アナスタシアに見送られ、ゾルンと共に別邸へと向かっていたアーヴェントはふと晴れた空を見上げながら朝食の時に話題に出たリンゴのことを考えていた。


「リンゴ、か……」


「アーヴェント様、いかがなさいましたか?」


 アーヴェントの荷物を持ちながら後ろをついてきてくれているゾルンにも自分が呟いた一言が聞こえていたようで声を掛けられた。そんなに大きな声だったかと、目を細めながらアーヴェントが振り返る。


「いや、アナスタシアはリンゴを使った料理はどんなものが好きなのかな、と思ってな」


「色々なアナスタシア様を知ることが出来るというのは、とても嬉しいことですな」


「ああ、そうだな……本当に、そう思うよ」


 ゾルンが自分の何気ない気持ちを汲んでくれたようで、アーヴェントはとても嬉しそうな表情を浮かべながら別邸へと歩いていく。別邸に入ると仕事をしている使用人達に気持ちよく挨拶をする。使用人達も気持ちのいいアーヴェントの言葉ではりきっている様子だ。


 アナスタシアが来てからはアーヴェントの雰囲気も更に明るく、そして優しさを増したと使用人達の間でも囁かれていた。外では深紅の両の瞳から『吸血鬼』と言われ、畏怖されているアーヴェントだが屋敷で働く使用人達はそんなことを思っている者は誰一人としていない。日々の生活の中で、それが単なる噂だということが伝わってくるからだろう。


 別邸で使っている執務室の扉をゾルンがすっと開けてくれる。アーヴェントは執務室の中に入り執務机に座るとまずは机の上にゾルンが用意してくれている今日行われる商談のリストと、依頼人についての情報に目を通す。それを元にゾルンと今日の予定についての話し合いを行うのが日課になっている。


「今日の商談は一つだけか」


「最近、アーヴェント様は働きすぎでしたからね。前倒しで仕事を頑張っていた結果でしょう」


 何気なく釘を刺されたアーヴェントはバツが悪そうな表情を浮かべ、頭の後ろあたりを軽く掻く素振りをする。


「ラストにも注意されたよ。わかっている、予定は余裕をもってこなすさ」


「それが宜しいと私も思います」


 丸眼鏡の位置を直し、目を閉じたままゾルンが呟く。熱を出して床に伏せた後からこうして釘を刺されることが多くなっていた。一度咳払いをしてアーヴェントが書類に目を通す。その間にゾルンは飲み物を用意してそっと机の上に置く。


 すると執務室の扉がノックされた。ゾルンが扉の前にゆっくりと歩いていくと使用人が顔を覗かせる。用件を伝えると一礼して執務室を後にする。アーヴェントの傍まで戻って来たゾルンが聞いた内容を伝える。


「依頼人の従者が来て、今日の商談は延期してほしいと伝言を残していったそうです。これが謝罪のお手紙だそうです」


 商談はこうしてキャンセルされることも珍しくなかった。大抵、この場合は手紙に謝罪の言葉が述べられており理由なども添えられている。更に、次の予定についても書いてあることが一般的になっていた。アーヴェントの依頼人となった者達とは一定の信頼関係が築かれている。その為、次回の予定についてはアーヴェント側が調整し、手紙を出し次の商談へと繋げるのだ。


「さて、どうしたものかな」


「今日までに準備する手紙などは全て手配済みですしね」


「そうだな。後は急な商談が入るかどうかだが……」


 急な商談というのは予定にない飛び入りで依頼人が訪ねてくる、ということを指す。だが、アーヴェントはとても恐ろしいという例の噂もあるため、急な商談が発生するというのは稀だ。以前のケネス子爵の件がまさにそれだ。


「まあ、ないだろうな」


 椅子に背中をつけて軽く身体を伸ばしながらアーヴェントが呟く。同時に何処かそわそわし始めていた。傍にいるゾルンがその様子に気付かないはずはなく、少し見つめたあと丸眼鏡の位置を直しながらアーヴェントに声を掛けた。


「アーヴェント様、お時間が出来たのですからアナスタシア様とお過ごしになられてはいかがですか?」


「いいのか?」


 ゾルンの方を見るアーヴェントは年相応の青年の目をしていた。口には出さなかったが、これもアナスタシアのおかげなのだろうなとゾルンは思っていた。


「何かあれば私が対応致します。アーヴェント様に御用があるときは、お声がけ致しますので」


「そうか。ありがとう、ゾルン」


「アナスタシア様に宜しくお伝えください」


「ああ、わかっている」


 アーヴェントは楽し気な表情を浮かべながら椅子から立ち上がり、扉の方に歩いていく。足取りが軽いようにゾルンには見えた。軽く手を振り、アーヴェントは執務室を後にする。ゾルンは一礼してそれを見送った。


「アナスタシア様には感謝しませんとな」


別邸を後にしたアーヴェントは本邸へと戻った。アナスタシアが何をしているか使用人に聞いて回るとどうやらラストと共に厨房に向かったという。


「ナイトに用でもあったのだろうか……?」


 首を傾げるアーヴェントはとりあえず、厨房に向かうことにした。厨房の近くまで来るとアナスタシアの声が聞こえて来ていた。アーヴェントの顔が自然に緩む。それに気づいたのか、何度か首を振り表情を元に戻す素振りをする。


 とりあえず中の様子を伺うことにしたアーヴェントは厨房の扉を軽く開け、その隙間から中を覗く。中では花柄のエプロンを付けたアナスタシアがラスト、ナイトと共に料理についての話し合いをしている所だった。


「アナスタシアが料理を……? それにしても花柄のエプロンを付けたアナスタシアもまた可愛らしいな……」


 完全に怪しい人物である。使用人達もそんなアーヴェントの姿には気づいていたが、声を掛けるのも憚られたようだ。そんなアーヴェントは淡い期待を持ち始めていた。


「まさか……俺の為に手料理を……?」


 期待は妄想へと変わっていく。きっとアナスタシアは自分に内緒で手料理を振舞ってくれるのだろうとアーヴェントは考えていた。邪魔をしては悪いと思い、静かに厨房を後にし本邸の執務室へと向かった。本棚から適当な本を手に取ると執務机の椅子に腰かけて、本に目を通して時間を潰そうとする。


「……気になって集中できないな」


 しばらく本を読んでいたアーヴェントだったが、アナスタシアの様子が気になって仕方ない様子だ。椅子から立ち上がるとそわそわしながら、執務室の中を歩き回る。ゾルンがこの場に居たら間違いなく鋭い言葉が掛けられていただろう。すると焼き菓子だろうか、いい匂いが厨房から離れた執務室にも香ってくる。


「……厨房に行ってみるか」


 一度咳払いをしたアーヴェントは執務室を後にし、厨房へと向かう。二階の廊下を進み、玄関ホールが一望できる所まで来ると食堂の方へ向かうラストの姿が見えた。そっと廊下の影にアーヴェントは身を隠す。ラストの後ろには前屈みで頭を軽く掻きながら歩くグラトンの姿とクマのぬいぐるみを背負い、無表情で二人の後をついてくるフェオルの姿があった。


「グラトンとフェオル……?」


 再び首を傾げていると厨房の方から料理の皿を抱えたアナスタシアの姿が見えた。声をかけようとしたアーヴェントだったが、その後ろを歩くナイトの姿が見えたため開いた口をそっと閉じる。完全に怪しい人物である。


 アナスタシア達が食堂に消えていく姿を確認したアーヴェントはゆっくりと玄関ホールに降り、食堂に向かう。食堂からは賑やかな声が聞こえて来ていた。ここまで来ると、素直に食堂の中に入ることも出来なくなったアーヴェントは再び、扉を軽く開けた隙間から中を覗き込む。


「……」


 ちょうどアナスタシアが食堂のテーブルに掛けていたグラトンとフェオルにお礼を言っている所だった。どうやら先日、アーヴェントが熱で倒れた時のお礼に手作りのお菓子とサンドイッチを作ったということだった。それを聞いていたアーヴェントは深く肩を落としていた。全てを悟ったようで期待と妄想は現実を前に粉々に崩れ去ったのだ。


「はぁ……俺は何を勘違いしていたんだろうな……」


 食堂の扉の前で呆然と呟いたアーヴェントは静かにその場所を去ろうと食堂の扉を閉めた。本人は気づいていなかったが、ガチャリと結構な音を立てていた。


「別邸に戻って仕事でもするか……」


 とぼとぼと歩き出したその時、食堂の扉が開かれる。中からラストが姿を現した。


「あら、アーヴェント様でしたか」


「ら、ラスト……き、奇遇だな」


「お仕事ではなかったのですか?」


「急に商談がキャンセルになってな……」


ふぅん、とラストがアーヴェントの様子を見つめる。色々と察したようで楽しそうな表情を浮かべる。手を口元に当てながら明るく言葉を口にする。


「丁度良かったです。アナスタシア様がお待ちですよ、さあ中へお入りくださいませ」


「あ、ああ……」


流されるまま、アーヴェントは食堂に足を踏み入れる。皆の視線が集まる。もちろん青と赤の両の瞳もだ。アーヴェントに気付いたアナスタシアが椅子から立ち上がり、傍に寄ってきた。


「アーヴェント様、お仕事お疲れ様ですっ」


 とびきりの笑顔を添えて、アーヴェントを迎えてくれた。そんなアナスタシアに手を引かれて椅子へと腰を下ろす。エプロン姿のアナスタシアは近くで見ると更に美しかった。そんなことを思っていると食堂から一旦姿を消したナイトが再び食堂に入ってくる。手には大きな皿を抱えていた。ふんわりと甘いいい香りが漂う。


「ど、どうぞ、アーヴェント様。アナスタシア様がアーヴェント様のためにお作りになったアップルパイですっ」


 実はアナスタシアはグラトンとフェオルのための料理に加えてもう一品作っていたのだ。朝食の話題で出ていたリンゴを使ったアップルパイだった。リンゴのように顔を赤めながらアナスタシアがアーヴェントに声を掛ける。


「初めて作ったのでアーヴェント様のお口に合うといいのですが……」


 思い切り食堂のテーブルに頭をぶつけて、今までの自分の行動を恥じようと思ったアーヴェントだったが何とかその気持ちを押さえ込む。純粋に自分のことを思って料理を作ってくれたアナスタシアの何と愛おしいことか。少し涙腺も緩んでいる気がしていた。


「ありがとう、アナスタシア。早速頂くよ。一緒に食べよう」


「はい。ありがとうございます」


 いつも通りの自分を取り戻したアーヴェントはアナスタシアを隣の席に誘う。それに従い、照れた様子のままアナスタシアも席につく。アップルパイはナイトが切り分けてくれた。アーヴェントはフォークを使いパイを口に運ぶ。アナスタシアの作ったアップルパイはとても甘く芳醇な味がした。


「とても美味しいよ」


「良かったです」


 そのことを伝えるとアナスタシアは満面の笑みを見せてくれた。アーヴェントは心もお腹も満たされた。様子を見ていたラスト、ナイト、フェオル、グラトン達も良いモノが見られたという表情を浮かべながら二人のことを見つめていた。


 食堂は更に賑やかさを増し、昼食の時間は穏やかに流れていくのだった。


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