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オトナリさん

作者: 白玲

これは、私が友達から聞いた話だ。


彼女を仮にK子としよう。

K子とは小学校からの仲で、高校から別れてしまったものの繋がりだけはなんとなく切れずにいた、いわゆる幼馴染みだ。

K子には幼稚園生の娘がいた。

多少人見知りをするものの、しばらく一緒にいればすぐに打ち解けてくれるような子だった。

人懐っこい笑顔が愛らしい、これぞ正に子どもといった感じの子をイメージして欲しい。

その子のことはAちゃんとする。


K子は未婚の母で、相手の男とは婚約する寸前で破局した。

そのころにはもう引き返せない時期に差し掛かっていたこともあって、K子は一人でAちゃんを産んだ。

幸いだったのはK子の両親が協力的だったことと、おばあさんとも同居していたので子どもの面倒を見てくれる人が多かったことだ。

シングルマザーとは言えいわゆるワンオペという雰囲気はなく、比較的余裕のある子育てをしていたと思う。

私は外野から見ていたに過ぎないけれど、K子とAちゃんは仲のいい、とても理想的な親子に見えた。


けれどひと月ほど前、突然Aちゃんが死んだ。

事故ではないし、病気だったという話も聞いていない。

ただ、死んだということだけを知らされた。

信じられない気持ちが強く、夢でも見ているんじゃないかと思ったけれど、とりあえずはお葬式に参列した。

その式がまた、なんとも言えず異様な空気だった。


子どものお葬式なんてそうあるものではないから、当然比べることはできない。

ただイメージの話をさせてもらえば、早すぎる死のショックが大きいというか、悲しみに満ち満ちた悲壮な会場になっているんだろうと思っていた。

けれどいざ覚悟して行ってみたら、なんて言えばいいか、誰かが泣いているとか悲嘆に暮れているとか、変な言い方をするとそういうわっとした雰囲気はなかった。

それよりも、もっと暗く、重く沈んだ、でもきりきりと張り詰めているような、悲しみというよりは……緊張、いや疑念?

とにかく、どちらかと言えばどろりとした空気感があった。

しくしく泣くよりも、ひそひそ囁く声のほうが多い。

その噂話がはっきり聞こえてくることはなかったけれど、気持ちのいい内容じゃないことはなんとなく察した。

その声の向かう先に、K子がいることも分かった。


当のK子は家族席に座って、ずっと俯いていた。

けれどそれも、身も世もなくって様子ではなく、じゃあどんな感じだったのかと言われると困るのだけれど、あえて言うなら……無。

空っぽ、全てが抜け落ちているといった感じだった。

けれど、挨拶がてらお悔やみの言葉をかけた時、上げられた顔の眼は爛々としていた。

憔悴はしているのだけれど、喪失感に苛まれる母親の顔ではなかった。

濃い隈が浮く眼元に、何かしらの強い感情が滲み出ていた。

その様があまりに尋常じゃなく、色々用意していた言葉が全て喉の奥に引っ込んでいった。

それは、私が見たことのないK子だった。


K子だけではない。

彼女の家族の誰もが、とても苦い顔をして口をつぐんでいた。

K子のお母さんは、どことなく棺から眼を逸らしていたような気がする。

おばあさんなんかは、熱心に過ぎるほど念入りに念仏を唱えていて、それはAちゃんの成仏を願うのとは別の意味があるように見えた。

実際、そういう向きもあったのだと思う。


もう一つおかしいと思ったのは、Aちゃんの顔を見せてもらえなかったことだ。

お葬式では大抵の場合、棺が開いていて故人の最期の顔を拝めるものだと思う。

けれどこの時、棺桶の蓋は完全に閉められていて、誰に言われても――勿論私が頼んでみても、K子は絶対にAちゃんと対面させてくれなかった。

その頑なさに私はどこかで、何か普通らしからぬことがあるのを察知した。


たぶん、私と同じことを他の参列者も感じていたのだろう。

粛々と行われているはずの式は、端々に垣間見える無視しがたい違和感のせいで、いやにぎくしゃくとしていた。

そのことにK子一家も気づいていただろうに、誰もなんのフォローもしようとしないのがまた、言い知れぬ不穏さを醸していたと思う。


それでもなんとか葬儀が終わって、みんなが帰る支度を進めている中、私だけは裏でこっそりK子に呼ばれた。

何かしら事情を聞ければと思って、その誘いに乗ることにした。

家族に遠慮したのかそれとも聞かれたくなかったのか、K子に連れられて行ったのは葬儀場の近くのファミレスだった。

夕方過ぎの時間帯で、家族連れも多く賑やかな雰囲気だった。

その中にあって、余裕なさげに陰惨な顔をしたK子と何も分からないで困惑している私という組み合わせは、場違いな空気を惜しみなく放っていたのではないかと思う。


勧めたけれど断られて、私だけがパンケーキを頼んだ。

紅茶をゆっくり蒸らす私を気にせず、真っ黒なコーヒーを飲むでもなく見下ろしながら、K子はぼそぼそと話し始めた。

曰く、虐待を疑われていて、Aちゃんが死んだのもそれが原因じゃないかと噂されているという。

あまりにも寝耳に水な話で、蒸らし途中のティーバッグをお湯に落としながら「え?」と低い声が出た。


K子は人に相談することを厭わない性質で、不満を溜めこんだりしないことは重々知っている。

それに、たまに会わせてもらえたAちゃんはいつでも明るい表情でいて、虐待の気配なんて微塵もなかった。

だからこそ、そんな疑いがかかっていること自体が理解不能で、私の口からは「どういうこと?」なんて言葉しか出てこなかった。

K子はお葬式の時から変わらずに暗い、けれどどこか鬼気迫るような表情で話し始めた。


「最近ね、Aはよく泣き喚いていたの。

昼も夜もなく、まるで発作を起こすみたいに。

それを外から聞いていて、それで虐待を疑われたんだと思う。

本当に、Aの泣き方は半端じゃなくて、あらん限りの声で助けを求めているような感じだったから」


そう聞いて、私は当然こう尋ねた。

「Aちゃんは、なんでそんなに泣いていたの?」

するとK子は、一瞬ためらうように口ごもった後、顔を下に向けて吐き落とすように呟いた。


「オトナリさんが来る、オトナリさんが怖い……て」


その言葉は、私の頭の中で瞬時に「お隣さん」という漢字に変換された。

けれど当然、それがなんのことなのかはさっぱり分からなかった。

そもそも本当にオトナリサンと言ったのかも確信が持てなくて、試しに「おとなりさん?」とオウム返しで聞き返してみたら頷いてくれたから、それでようやくK子の言葉をしっかり呑みこむことができた。

それでもやっぱり、意味は分からない。


「おとなりさんって何?」

そう訊くと、K子は「分からない」と首を振った。

けれどすぐに「でもね」と、今度は私のほうを真っ直ぐに見ながら話してくれた。


Aちゃんが最初にオトナリさんという言葉を出したのは、一か月半くらい前のことだったらしい。

K子と二人で買い物に出かけた際、人通りの多い駅前の交差点で信号待ちをしていたら、ついと袖を引かれたのだという。

何かと見ればAちゃんは交差点のほうにじっと眼を凝らしていて、それからK子のことを見上げてきた。

その時はまだ泣くことはなく、ただただ不思議そうな顔でK子に訊いてきたらしい。

「ねえ、あそこにいるのがオトナリさん?」と。


最初、K子は隣近所の誰かがいるのかと考えた。

けれどいくら見渡してみても、知り合いの顔は見当たらない。

そこで「お隣さんなんていないよ」と教えてあげると、Aちゃんはますます不思議そうな顔をして、

「じゃあ、あれはオトナリさんじゃないの?」

そう言ってまた交差点のほうに眼を向けたけれど、すぐに「あれ?」と周囲を見回したのだそうだ。

どうやら姿を見失ったようで、K子は「誰かと見間違えたんじゃないの」と微笑ましい気持ちになりながら言ってやった。

そうしたらAちゃんはううんと首を振りながら、


「あれは、誰かには見えないよ」


その言い方がいやに奇妙に聞こえて、K子は一瞬だけ「ん?」と首を傾げたらしい。

けれどすぐに、子どもらしいちょっと間違った言い回しだと思って、「そうなんだ」と返すだけに留めた。

Aちゃんはずっと周りを気にしていたけれど、ちょうど信号が変わったのもあって歩き始めるとすぐにオトナリさんのことは忘れたようだった。


けれどそのころから、Aちゃんが不意に「オトナリさん」という単語を出すことが増え始めた。

初めのうちは最初の時のように「あれはオトナリさん?」と訊いてきていたのが、段々と「オトナリさんがいる」と言うようになって、それもすぐに、

「またいる」

「また、オトナリさんがいる」

「ほらあそこにいるでしょ」「ママあそこ、オトナリさん」

「ねえママ分からないの?」「ほらあそこだよ、あそこ」「あそこにいるの、オトナリさん」

「ねえふざけないで、ママ見えているんでしょ?」「そこ、そこにいるもん」「ねえママ、オトナリさんそこにいる」「そこだよそこ、オトナリさんそこ」「ママ、オトナリさんが来ている」「ママ、オトナリさんが来ているの!」「こっち来ているの!」「ママオトナリさんが来ている、そこにいる!」「ねえママっ」「ママッ」


「ママオトナリさんが来るッ!」


「でもね、どんなに言われても、私には見えなかった。

私だけじゃなくて、Aはお母さんとかおばあちゃんとかにも言っていたし、幼稚園でもよく騒いでいたらしいんだけど、誰も見てないの。

オトナリさんなんて、どこにもいなかった」


何度言い聞かせても、Aちゃんは叫び続けたという。

「オトナリさんがいる」「オトナリさんが来る」「オトナリさんが怖い」と。

Aちゃんがあまりにも頻繁に泣くものだから、段々と近所からの眼が不審がるようなものに変わっていった。

だからと言って、K子や彼女の家族にどうこうできるような策は思い浮かばなかった。


一方で少しずつ、本人たちにも自覚がないまま、その状況に慣れていっている面があったのだろう。

いつの間にか、泣くAちゃんを「あやす」という感覚が家族の中で共有されていたらしい。

「また泣き始めた、誰が傍にいてあげようかって。

今思えば、小さい子が見えない友だちと遊ぶような一過性のものだって、みんなで思い込もうとしていたのかもしれない」

そう言って一度、K子は顔を覆った。

それからしばらく間が空いて、すっと一呼吸してから「あの日も」とまた喋り始めた。


「Aが寝た後、家族みんなで居間にいたら突然泣き声が聞こえてきたの。

オトナリさんが、オトナリさんがって。

ああまたか、誰か行かなきゃって話をしていたんだけれど、その日はいつもと違ってすぐに静かになってね。

あれってなったんだけれど、たぶん寝ぼけていただけだろうって話になったの。

正直言うとみんなうんざりしているところもあって、治まったのならわざわざ起こしたくないって気持ちもあった。

だから、それから寝る直前までずっと、誰もAのことは気にかけなかった」


そこでK子はコーヒーを一口含んで、「けれどね」と繋いだ。

「私も寝ようと思って布団に向かって、でもやっぱり気になったから隣に敷いてあるAの布団を確認してみた。

Aは静かに寝ているように見えたけれど、ただ頭まですっぽり掛け布団を被っているのが気になったから、息苦しいだろうと思って顔だけ出してあげようとしたの。

それで布団をめくったら……そしたら……」


口元を押さえてうっと言葉に詰まったK子は、それからしばらく話せなくなった。

布団をめくって、そこでK子はAちゃんが亡くなっていることに気がついたのだ。

話の流れでそのことを察した私は、その時のショックを思い出して言葉が出なくなっているのだと思った。

けれど、数分の後に再び話せるようになったK子が「顔が」と始めたことで、ショッキングな部分が別にあることを知った。


「Aの顔が、物凄く歪んでいたの。

恐怖で、あんな顔、何を見たらあんな風に歪むんだろうってくらい、怯えきった顔だった。

それを見ただけで私、Aが死んでいるって分かった。

だってあんなの、生きている人間がずっと浮かべていられる表情じゃない」


そう、Aちゃんの棺がずっと閉じられたままだったのもそれが理由だったのだ。

いくら時間が経っても、Aちゃんの顔は元に戻らなかったらしい。

死後硬直で筋肉が固まってしまったなんて単純なことではなく、あたかも粘土のようにこねられて原形から作り変えられてしまったかのような恐怖と苦悶の表情。

幼いAちゃんに似つかわしくないそんな顔を、誰にも見られたくなかったのだそうだ。


語ったことで吐き出したものを補うように、K子はぐっとコーヒーを一息に飲み干した。

話を聞くばかりで、私の前に運ばれてきていたパンケーキはすっかりぱさついていた。

それに改めてシロップをかけながら私は、

「結局、オトナリさんってなんだったの?」

と訊いてみた。

静かに首を振るK子に、Aちゃんには尋ねなかったのかを確認してみると「実は」と教えてくれた。


「一度、Aがまだオトナリさんを怖がる前に訊いてみたの。

オトナリさんって何? て」

「そうしたらなんて?」

「それがね、分からないって言ったの」

「分からないって、それじゃそもそもAちゃんはどこでオトナリさんのことを知ったの?」

「それは教えてくれたんだけど、それがまたね……」

そう言って眼を伏せたK子に、私は首を傾げながら先を促した。


Aちゃんにオトナリさんの話を聞かせたのは、K子の家から二つ隣にあるアパートに住む中年の女性だったという。

その人のことはSさんと呼ぼう。

Sさんは物腰の柔らかな明るい人で、近所でも評判がよく、K子の一家とも仲良くやっていたらしい。

特にAちゃんが懐いていて、Sさんも面倒見がよかったのでちょくちょく遊んでもらっていた。

子どもがいる様子もない一人暮らしで、悠々自適の生活を送っているように見えたとK子は言った。

そのSさんがAちゃんに語ったという話も、大きく問題があるようには思えなかったという。


オトナリさんは、普通の暮らしの中に普通にいる。

普通にいるけれど、普通にしていると見えないから普通の人には見えない。

普通の人には見えないから、オトナリさんが見えるのは普通じゃない人だ。

普通じゃない人がオトナリさんを見ると、オトナリさんはその人が普通じゃないことに気がつく。

普通じゃないことに気がつくと、オトナリさんは……――この後は分からない。

自分も聞きそびれたのだと、SさんはAちゃんに笑って言ったそうだ。


Sさんも、この話は友達から聞いたと言っていたらしい。

いずれにせよこの話を聞いていたから、今までの生活の中で見た覚えのないものが唐突に見えるようになったAちゃんは、すぐに「それ」をオトナリさんだと思ったのだろう。

「だったらSさんに話を聞きにいって、なんなら元の話を知っている友達を紹介してもらえばよかったんじゃない?」

そう言った私にK子は首を振って、


「それは無理」

「なんで?」

「Sさんね、死んでいるの。三か月くらい前に」


だから実のところ、二軒先とはいえ、死んだお隣さんから聞いたオトナリさんという存在の話にはなんとなく嫌な感じは覚えたという。

けれどそのころはまだAちゃんに怖がる様子はなく、話に出てくるオトナリさんも悪いようには言われていなかったこともあって、さして気にはしなかったのだそうだ。

けれど「今にして思えば」とK子は呟いた。


「Sさんが死んだのも、オトナリさんが関係あったのかも」


Aちゃんと違って、Sさんにおかしな挙動は見られなかった。

亡くなる直前の日まで、いつもと変わらない穏やかな様子だったらしい。

だから逆に、あまりにも突然の死で近所がざわめいていたという。

それこそ一時期、実は不審死だったのではないかという噂も出回るほどだった。

「もしかしたら本当に、Aと同じような死に方だったのかも」

そうK子は呟くように言っていたけれど、今となってはもう分からないことだ。


Aちゃんの死因は心不全とされた。

都合のいい言い方だけれど、要は原因不明だ。

顔のこともあって、病院や警察にはやはり虐待を疑われたりもしたらしいけれど、健康面や発育に問題はないし体に傷もなかったので、間もなく疑いは晴れたのだという。

それと同じように、もしSさんがAちゃんと同じように歪んだ顔で発見されていたとしても、他に怪しいところがなければただの心不全として処理されているかもしれない。

あるいはそんなこともなく、ごく穏やかな自然死だったのかもしれない。

Sさんの死は結局私たち二人にとっては他人事で、それ以上話が大きくなることはなかった。


ここまでが、私が友達のK子から聞いた話だ。

そしてここからは、私自身が見た話になる。


話に一区切りついたところで、私はドリンクバーに新しい紅茶を取りに行った。

K子のためのコーヒーも一緒に淹れてあげて、両手にカップを持ちながら席に戻ってきた私に「ありがとう」と言おうとしたのだと思う。

こちらを向きながら口を開いたK子は、そのまま何を言うでもなく固まった。

その見開かれた眼を見て、一瞬私に変なところがあるのかと思った。


すぐに、K子が私を見ていないことに気がついた。

私ではなく、その後ろを見ている。

その時私たちが通されていたのは比較的奥まった席だったのだけれど、K子の眼は入り口のほうに向けられている気がした。

だから私も振り返ってみたのだけれど、何も変わったところはない。

誰かが入ってきた気配もなく、出ていこうとしている人もいない。

K子が何を見ているのか、私には分からなかった。


「何を見ているの?」

正直に尋ねてみた。

するとK子は「え?」と驚いたように私を見て、もう一度入り口のほうに眼を向けて、それからなぜかふっと落ち着いた様子になった。


「なんでもないの、ちょっと見間違えただけ。気にしないで」


Aちゃんの話をしていたそれまでとは違う、押し込められていたものがすんと抜け落ちたように穏やかな声だった。

なんてことのないその声色に、なぜか私はぞっとした。

先程までの様子からは考えられない、薄い笑みすらその口元に浮かんでいるように見えた。

けれどそれは、幸福はもちろん安堵や納得といったものとも違う、もっと形容しがたい感情を滲ませたもので……K子にそんな表情を浮かべさせた「見間違い」とやらがなんなのか、私はもう一度入り口のほうを振り返った。

けれどやっぱり、そこには何もいなかった。


それがひと月前のことだ。

そして二週間前の夜、K子からメッセージが来た。

ほとんど明け方に近い時間に届いたもので、簡潔に、短い文章が書かれていた。


「Aに会える、オトナリさんが来た」


後々家族に話を聞いたところ、そのメールが届いた日の朝にK子が死んでいるのが見つかったらしい。

文面は穏やかなものだったけれど、K子の顔はAちゃんと同じように、決して見てはいけない何かを目の当たりにしてしまったかのような、それ自体が人に恐怖心を抱かせる死に顔を浮かべていたという。


さてここまで読んできた人の中には、たぶんこういう疑問を抱く人もいると思う。

どうしてK子は、私に、オトナリさんの話をしたのか。

K子はよく人に相談を持ちかけるタイプだったけれど、それは裏を返せば、話を聞いてくれる相手に事欠かなかったということだ。

それなのになぜ、葬儀の日にわざわざ時間を作ってまで話をしたのが私だったのか。


それは当然私も訊いていて、K子はこう答えた。

「だって昔からそういう話が好きだったし、よく調べていたでしょ。

だからオトナリさんのことも何か知っているんじゃないかと思って」


なるほど確かに、友達とその娘が死んだ話をわざわざ書き込もうと思うくらいには、私はこういった場に慣れ親しんでいる。

怖い話の有名どころは大体聞きかじっているし、K子の話も後半のほうは好奇心のほうが勝りながら聞いていた。

結局私もオトナリさんのことは知らなかったのでK子の思惑は外れたけれど、少なくとも彼女の見込みは間違っていなかったと自分では思っている。


だから、こういう話が好きな人間を頼ってくれたK子を偲んで、彼女とAちゃんの身に起きた一連の出来事について私なりの考えをまとめてみたいと思う。

つまり、オトナリさんとはなんなのかということだ。


たぶんこれを読んでいるのは私と同じようなタイプの人種だと思うから、もしかすると私と同じ結論に至っている人は多いかもしれない。

K子の話を聞いて、K子が辿った末路を考えるに、オトナリさんとは「やってくる怪異」なのではないだろうか。

有名どころで言えばカシマさんとかと同じだ。

話を聞いた人のところにその怪異がやってきて、正しい手順を踏まないと不幸な目に遭う。

ただオトナリさんの場合、正しい手順どうこうといった話は存在しない。

要するに、回避する術がないのだ。

聞いたらおしまい、もう逃げられない。


そういう風に考えると、これは完全に私の推測でしかないのだけれど、オトナリさんという名前も実は間違っているのかもしれない。

Aちゃんが聞き間違えたのか、記憶違いをしたのか、それともSさんが聞いた段階ですでに変わってしまっていたのかもしれないけれど、本当は「リ」ではなくて「イ」だったのではないだろうか。

オトナリさんではなくオトナイさん、漢字にすると、お隣さんではなく訪いさん。

字のまま、訪ねてくる誰か、あるいは何か。


ところで、私にはいくつか疑問がある。

SさんからAちゃん、AちゃんからK子、K子から私にと継がれてきたこの話は、この手のものがずっと好きだった私にとってはある種の幸運なのだ。

自分の身近にはない、起こりえないと思ってきたフィクションの一つ。

それを思わぬ形で、望むでもなく手に入れた私の気持ちを、ある意味での興奮を、ここでこれを読んでくれているあなたたちなら分かってくれるだろう。

だから私が、自分の疑問を試してみることに微塵の躊躇も覚えなかったこともまた、きっと理解してもらえると思う。


もしもオトナリさんが訪れる怪異で、その対象が話を聞いた人なのだとしたら、では話を「読んだ」人のところにはやってくるのだろうか。

それから、話す人と聞く人が一対一ではなく、一人から複数に向けて語りかけたとしたら、その全員の元をオトナリさんは訪ねるのだろうか。

あとは、オトナリさんに会って既に死んでしまっている人から、なんらかの手段で話を教えてもらったとしてもやっぱり来るのかとか……本当に、当事者になった途端に色々な疑問が浮かぶ。

まるで子どものころに戻ったような気分だ。

そんな活発な好奇心をできる限り手っ取り早く、充分に満足させられる方法がここに書き込むことだった。


もっとも、私の疑問の答えを私が知ることはできない。

全ては私が死んで、それから分かることだろう。

それでも構わないと思うのは、私がこの手の話を好きな人間だからだ。

たとえ私がこの世からいなくなったとしても、実験の結果を誰かが語り継いでくれればそれでいい。

実験がずっと続いてくれれば、なおのこといい。


残念なことだけれど、ここでこれを読んでいるあなたたちのほとんどはいつ私が死んだのかを知ることはできない。

あるいは読むことでは対象にならなくて、一生知る機会はないかもしれない。

ただもし「それ」を見たら、その時には私が死んでいることを知ることができる。


オトナリさんは普通の人には見えない、けれど見えるようになったらすぐにそれがオトナリさんだと分かる。

Aちゃんもそうだったし、ファミレスでのK子もそうだったのだろう。

初めて見るのに、一目でそうだと分かるようなものがいる。

私もそうだった。

一度見えるようになったら、後はどこにでも現れる。

逃げることはできない。

ただ少しずつ近づいてくるそれを、いつかあまりの恐怖に顔の作りそのものを歪めながら絶命する日が来るのを、見つめながら待つことしかできない。


オトナリさんってどんな姿だと思う?

何が自分の日常の中に現れたら、おぞましい死に様を予見することになるのだと思う?

きっと気になるでしょ、だから私は教えない。

いつかあなたたちの元を訪う、その時までのお楽しみに取っておいてあげよう。

それは退屈な日常を生きることしかできないあなたたちにとって、ちょっとしたスパイスのようなものになってくれるはずだ。


ここまで私の話につき合ってくれたあなた、どうもありがとうございました。

差し支えなければ、どうか私の冥福を祈ってください。

私も、あなたのご冥福をお祈りします。


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