帰国1
1561年8月19日、私はスコットランドの港町リースに到着しました。濃い霧が岸を覆っていました。
フランスとは違って私を出迎えるものは、誰一人としていませんでした。
「歓迎してないぞって言いたいのね」
ガレー船が岸に着くと、周りには漁師や役人が集まってきました。みんなフランスでは信じられない位、粗末で粗野な身なりをしています。フランス流に着飾った私たちがよっぽど珍しいのでしょうね。
翌日私が到着したことを知ったお義兄、マリ伯ジェームス・スチュアートが私を迎えるため、馬を走らせてやってきました。最初はエディンバラの大通りを通っていく予定でしたが、あまりに貧相な行列なので、虚しくなってしまい、ホリルード城に直接向かうことにしました。
四角い切石建築でずっしりとした一見荘厳なホリルード城の内部の貧しく、荒れ果てた様子に私は絶句してしまいました。ゴブラン織りの壁掛けも、イタリア製の鏡も、燭台もなく、金銀の輝きも何もないのです!!フランスから一緒にやってきた四人のメアリーや詩人や音楽家も困惑しているのがわかります。この国は私が想像していたよりはるかに荒れ果て、貧しいのです。
失望のあまりぼんやりしていると、何やら騒音がきこえてきました。外をうかがってみると、私の到着を知った市民たちが歓迎の意思を示すため、何やら楽器らしきものを鳴らし、賛美歌らしきものを歌い、広場の真ん中で丸太を積み重ね、大きな篝火を焚いていました。
「歓迎してくれる人もいたのね……」
私は少し気持ちが晴れて、市民たちに挨拶をしました。
「歓迎してくださってありがとう。うれしく思います」
私のスコットランドでの生活はこうして始まりました。
迎えに来て下さったマリ伯ジェームズ・スチュアートは父を同じくする私の異母兄で、スコットランドの宰相をなさっています。プロテスタントでいらっしゃいますが、極端な信者ではなく、スコットランドのカトリックをすべて排除しようなどという気持ちは持っていらっしゃらないようです。
「わからないことがたくさんあるだろう?私に何でも頼ってくれるといい」
フランスで叔父様がおっしゃって下さっていたようなことを私に言いました。
同じスチュアート家の者として、私を支えてくださるつもりのようです。
実はスコットランドにおいてスチュアート家はフランスのヴァロワ家のような盤石な王家ではないようなのです。いくつかある有力な士族の中の一つで、たまたまみんなの都合の良い、どの貴族の家ともつながりの深くない家であるという理由で、王権を委ねられているようです。他のハミルトン家やゴードン家などの有力貴族から常に王冠を狙われているのが現状のようです。ですので家同士の小競り合いは絶えず起こり、それに便乗してスチュアート家を弱らせようとするイングランドの介入もあって、スコットランドは疲弊して、貧しいままなのです。
もう一方、メートランド・オブ・レシントン様はお義兄様の右腕のような方で、この方もプロテスタントでいらっしゃいます。中庸を好み、だれにでも人当たりの良い方です。