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フランス6

そして、王太子であったフランソワ殿下はフランソワ2世としてフランス国王に即位したのでした。わたしはフランス新王の妃となったのです。

 フランソワ陛下と私は国王と王妃となったとはいえ、16歳と17歳、成人しているとはいえ、国を統治するにはまだまだ知識も経験も足りません。ですので、私の叔父であるギーズ公様たちが補ってくださいました。

 「お前は美しく、気高い。そのままであればよいのだよ。イングランドのエリザベスのように賢しらだって国政に口を出すのは女性らしくないのでいけないよ。国のことは私たちが全てやってあげるから心配はいらない」

 

 叔父様はそうおっしゃってくださいました。プロテスタントはフランスでも国を荒らして回っていて、争いごとが絶えないそうですが、私は叔父様のおっしゃる通りに国政のことは叔父様にお任せしました。

 私は叔母様とカトリーヌ様と美しく着飾って、優雅に歩き、貴婦人とはこうあるべき、というところを見せて歩きました。国王の妻たる者は配下の全ての騎士達が憧れ、剣を捧げるのに足りるものでなければ。しかしカトリーヌ様は国政についてもいろいろとおっしゃりたいことがおありのようで、叔父様とも言い争っていらっしゃることもありました。


 「これだから、薬屋さんの娘は。青き血の通ってない方は女らしく優雅にふるまうこともできないのね」

 

 叔母さまはカトリーヌ様を軽蔑しきっておられるようです。私もディアーヌ様を容赦なく追い落としたカトリーヌ様は好きではありませんから、叔母様に同調しました。

 

 国政のことはともかく、心配なのはフランソワ陛下のお体のことでした。陛下は丈夫でいらっしゃらないのに、私と同じようにスポーツや狩猟をしたがるのです。そして大抵そのあとは無理がたたって熱をだして、寝込んでしまうのでした。カトリーヌ様も私も無理をなさらないように止めました。ですが、フランソワ陛下は男のプライドからか、聞き入れてはくださらなかったのです。

 

 フランス国内はカトリック教徒を攻撃してくるプロテスタントとの争いが絶えない様でした。叔父様はカトリック教徒を攻撃してくるプロテスタント達を何度も蹴散らしていらっしゃいました。追い詰められて進退窮まったプロテスタント達はフランソワ陛下を誘拐してプロテスタント達の思うままにしようとしたらしいのですが、これも叔父様が上手く収めて下さいました。この後始末で、私は王妃として責任者の処刑に立ち会うこととなりました。次々と人が断頭台にかけられ、処刑人に首をはねられるのは恐ろしい限りでしたが、こうしなければ真の信仰は護られないのだと、叔父様から聞かされていました。私は気持ち悪く吐き気がするのを顔に出さないように耐え、貴婦人らしく凛とした態度で臨みました。

 

 この頃スコットランドでもイングランドや国内のプロテスタントとの争いが激しくなり、心労がたたったのか、お母様がなくなってしまわれました。あまり一緒に過ごすことのなかったお母様、私とフランスのためにずっと北の田舎の争いの絶えないスコットランドで頑張っていらしたお母様、かわいそうなお母様。

 私はお母様のために喪に服しました。喪服を身に着け、音楽やダンスなども取りやめました。

 そしてさらに不幸は続いて、1560年12月6日、フランソワ陛下は熱病を悪くして、耳の中の膿が炎症を起こして、脳に達してしまい、亡くなってしまったのでした。結婚してからわずか2年半、フランソワ陛下が国王になってから1年余りのことでした。


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