フランス5
イングランドとフランスは先のイングランド女王、メアリー陛下の時から戦をしていたのですが、メアリー陛下が亡くなり、戦をいつまでもしているわけにはいけないので、イングランドと一旦手をうつ事にしたらしく、9月にはフランスとイングランドで講和条約が結ばれました。
ここで、イングランド国王は本来私だと言う事を示すため、私の紋章を新たに作りました。イングランド王家の獅子紋をデザインに入れたもので、イングランド王位継承者である事を示すものです。これをイングランドの方達にもお披露目する事にしました。もちろん文句を言ってらっしゃいましたが、正義はこちらにあるのですもの。構いません。
翌年7月、長く争っていたスペインとフランスとの間にカトー・カンブリッジ条約が結ばれて、講和することになりました。それに伴って、アンリ国王陛下の妹マルグリット様とサヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト様に、フランソワ殿下の妹君、エリザベート王女様がスペイン国王フェリペ2世殿下にお輿入れする事になりました。
エリザベート様は本来同い年のドン・カルロス王太子殿下にお輿入れの予定だったそうなのですが、フェリペ様がエリザベート様を特に気に入られ、王妃になる事になったのです。エリザベート様は美しくて聡明ですもの!納得です。
スペイン国王陛下とフランス王女、スペイン有力貴族とフランス王妹の結婚ですから、それはもう、盛大にお祝いされました。スペイン国王フェリペ陛下の名代としてフランスにいらっしゃったアルバ公爵閣下とエリザベート様はノートルダム大聖堂で私とフランソワ殿下の時よりさらに豪華な結婚式を挙げました。他にも祭典や舞踏会、仮面劇そして5日間にわたる馬上槍試合で結婚は祝われました。
ですが、このお祝いの最中にとんでもない不幸が起こってしまったのです。
結婚祝いに騎士達による馬上槍試合が行われていた最中、体を動かす事がお好きなアンリ国王陛下も、陛下たっての希望で試合に参加する事になったのです。
「もうお若くないのですから、そんなお若い方と槍試合など危険です。怪我などなさったら、エリザベートとスペイン国王陛下の結婚祝いに水をさしてしまいます。ノストラダムスも危険を予言しておりました。お辞めになって下さいませ」
カトリーヌ様がアンリ陛下に試合を止めるように、何度も説得なさっていました。ですが、年齢の事を指摘されて、不愉快になってしまったのか、アンリ陛下は全く聴く耳をもたれませんでした。
そして、結局アンリ国王陛下はディアーヌ様のシンボル・カラーである黒と白の羽根飾りを身にまとって馬上槍試合に臨まれました。国王陛下はいつもこのようにディアーヌ様に勝利を捧げていらっしゃいました。国王陛下はギース公様、ヌムール公様を破られ、次に対戦相手となったのは、お若い騎士の中で1番手の槍使い、モンゴメリ伯様でした。
モンゴメリ伯様とアンリ国王陛下の槍試合が始まってしばらくしてのことです。モンゴメリ伯様の槍がアンリ国王陛下の右目を突いてしまったのです。アンリ国王陛下は落馬し、顔面からは血が噴き出し、とても大きな槍の破片が目や頭に突き刺さっていました。
「!!!」
この事態にカトリーヌ様、ディアーヌ様そして王太子フランソワ殿下も声を上げることもできないくらいショックを受けて卒倒しかけました。国王陛下は血塗れで血の気の引いた顔をしたまま、ぐったりと横たわっていました。
この後、急いでアンリ国王陛下はトゥルネール城に運び込まれ、ここで5つの木片が頭から引き抜かれました。そのうち一つは眼球を貫通して脳に達していたそうです。
アンリ陛下が伏せっておられる間、カトリーヌ様はアンリ国王陛下の枕元にずっと侍しておられました。しかしディアーヌ様は、アンリ陛下のいる部屋にはいるカトリーヌ様によって国王陛下から遠ざけられたのです。アンリ国王陛下が側にいて欲しかったのはディアーヌ様でしたでしょうに。国王陛下が伏しておられるのを良い事に、何と意地の悪い事をなさるのでしょう。
それから続く10日間、アンリ国王陛下の容体は揺れ動きました。手紙を口述し、音楽を聴くほど回復することもあったのですが、次第にアンリ国王陛下は視力、言語能力そして意識を失い、7月10日に死去されてしまったのです。
そして国王陛下が亡くなった後、カトリーヌ様はディアーヌ様から宝石や城を取り上げ、宮廷から追い出してしまったのでした。私は長い間私たちの先生だったディアーヌ様とは碌に別れの挨拶のできないまま、お別れすることになってしまったのです。