隠された真実と代償
定員がカクテルを差し出すと、彼女はゆっくりと頭をあげる。
「えーっと…?」
「こちらどうぞ〜」と定員。ネームタグには『ミッドナイト』と書いてある。周りには客は一人としていない。キョロキョロと見回す彼女に対して定員は「僕からです」と付け足した。
「あ…ありがとうございます…」
カクテルを恐る恐る口に運ぶと甘酸っぱく疲れ切った体の中を駆け巡った。唇に触れるグラスの冷たさが緊張に拍車をかける。
「今はお客さんいないからお話聞いたげる」
と言うとミッドナイトはカウンターに肘をつけ、彼女の顔を覗きみる。
「なんか悩んでるでしょ」
ミッドナイトの目は吸い込まれそうになるほどきれいなトルコ色の目をしている。彼女は驚きとともに表情に表れていたことに少し反省する。悩みを聞いて欲しいわけで無かったが、酔いがまわってきたようだ。張り詰めていた糸が切れた音がした。
「聞いて面白い話では無いですけど…」
「元からそのつもり〜」
怪訝そうな顔をした彼女だが、悪い印象を抱いたわけでは無い。むしろ見知らぬ定員に悩みを打ち明けるなんてこと彼女にとっては大変珍しいことであり、ミッドナイトの妙なタメ口も何故か彼女を惹きつける。
「実は今日…会社をクビになったんです」
「へえ〜…君、見た感じヘマとかしそうなタイプには見えないけど」
彼女の目線が泳ぐ。そして自分を奮い立たせるようにカクテルを一口飲むと少し間を置いてから続ける。
「…まあ。私のミスというより上司のミスを一方的に押し付けられたって言うか…みたいな感じです。なんて言うか…えーと…」
「つまり君はな〜んもしてないのに罪をなすり付けられたってわけね?」
「そ…そうです。。」
「ふ〜ん…なんで自分じゃないって言わなかったの」
「……」
沈黙に耐えきれず彼女は残ったカクテルを口に運んだ。もうグラスの口は生ぬるかった。ミッドナイトは何かをくみ取ったようで、先ほどの話は無かったかのように話題を変える。
「次の職場は決まりそう?」
「いや…まだなんとも…当分働く元気もないし帰る家も…これからどうしよっかなって歩いていたらおじ様に声をかけられてこのお店に入ったんです」
ミッドナイトの顔が一瞬曇る。
「どんなおじ様?」
「えーと…丸眼鏡をかけていてヒゲを生やしていて…長髪を一本にまとめたかっこいいおじ様です」
彼女は記憶を呼び起こすかのように上を見上げる。
「…あのクソジジイ…」
「え??」
彼女がクソジジイという言葉を空耳か何かかなと考えているとミッドナイトは唐突に言葉を放つ。
「ここで働きなよ」
「へ??」
頭の回転が追いつかず間抜けな返答をする彼女とそれを聞いて少し笑うミッドナイト。彼女はまだ自分の置かれている状況がわかっていない様子である。ミッドナイトは続ける。
「ここで働きなよって言ったの〜。正社員だよ。週休二日、三食寝床付き」
彼女の目が初めて輝く。
「ちなみに給料は30万」
「やります!」
「はっや…」
突然立ち上がったのに少し驚くミッドナイト。しかし体制を立て直しまたカウンターに肘をつくとニッコリ笑って続ける。
「ちゃんと考えなくていいの〜?」
「聞き分けがいいことと即決できることが唯一の取り柄です!!」
彼女はいつになく元気が良い。
「そうなの??ふ〜ん…」
少し考えたようにミッドナイト間を置いてから続ける。
「君には2つ選択肢がある」
「…?」
「僕らの稼業には二つの顔があってね」
ミッドナイトは指で数える仕草をする。
「一つ目は真面目で正しい善人の道。そしてもう一つは…」
そしてミッドナイトは楽しそうにもう一本指を立て微笑する。
「闇に紛れて活躍する刺激に満ちた悪人の道」
突然に、心臓が息苦しく音を立て、激しく波打つ。
「悪…人…」
背筋がゾクゾクする。恐怖とは言い難い、言い表せない感情。唯一、一番近しい言葉で表すならー『興奮』。
ミッドナイトはまたもニッコリと笑う。
「どっちでもいいよ〜。答えは明日でも1ヶ月後でも一年後でもいいよ。でもこれに関しては即決しないでしっかり考えるべきだと思うけど」
強要する気は全く感じられないしむしろ終始どうでも良さそうにも感じる。彼女の反応を面白がるミッドナイトの顔が彼女を余計に混乱させる。
「僕は本当にどっちでもいいと思う。決めるのはいつだって自分自身だからね〜。だけど一つだけアドバイスをするとね…」
ミッドナイトは何故か少し面倒くさそうな、どこか呆れた顔で続ける。
「君が外で見かけた『おじ様』っていう人は、君が『この店』に向いていると思ったから声をかけたんだと思うよ〜。多分ね…」
彼は視線を下に向ける。
「…じゃなきゃ僕がいるときにヒトなんて寄越さないだろ〜し…」
最後の呟きのような一言は一瞬で酔いが冷めるほどの冷たさを放った。言葉の意味はわからないが、確実に殺気を放っている。
「なんてね?」笑顔を向けるミッドナイトだったが、彼女は刹那の殺気をぬぐいきれなかった。
「私は…」彼女は口を開いた。
「私はこの街で善人として生きてきました…」
ミッドナイトの口元が綻ぶ。
「正しいことをして、法を侵さず、誠実に生きてきた…けど結局いいことなんて一つもなかった…」
なぜか勝手に言葉が口をついて出る。
「多分…私はこれ以上善人の世界にいても希望はないし、私のこともきっと必要としてないと思うんです」
何も言わずにミッドナイトは耳を傾けている。
「だから私、ちょっと道を変えてみようかなって…思うんです」
彼女は初めて笑って、真剣な目と明るい声でバーの空気を心地よく揺らす。
「悪人の道」
真剣な眼差しになるミッドナイトは静かに口を開く。
「本当にいいの?」
「はい」
「さっきも言ったけど、この案件は即決するべきではないよ?」
「はい」
「自分がこれからどいうことをさせられるか何もわからないの何も言わずに決めちゃうの?」
「はい」
「…逃げられないよ」
「『いつだって決めるのは自分自身』なんでしょう?」
ガランとした店内に響き渡る彼女の声。苦笑するミッドナイト。
「素敵な考えだね…誰がそんなかっこいいこと言ったの?」
「どこかの定員さんが言ってました」
「へえ〜?」
するとミッドナイトは彼女の座るところまで歩み寄ると彼女の前で跪いた。
「最後にもう一度聞くよ」
吸い込まれそうなトルコ色の目がまたも彼女を見据え、その瞳の美しさに見惚れてしまいそうになる。
「本当にいいんだね?」
今彼女には恐怖という感情は一切ない。ただ、これから始まるであろう破茶滅茶なストーリに身を躍らせる感覚が妙に気持ちいい。
「…はい」
こだまする音が何故か彼女の脳をくすぐった。
彼女の前に跪いたままのミッドナイトは彼女の左手の甲にそっと唇を寄せた。
「ようこそ、我がチームへ…」
ミッドナイトはカウンターまで戻り彼女に手招きをすると後ろにある隠し扉をそっと開けた。
カチャ
心地好い音が響く。そこは足元が見えないほどの暗闇で、彼女の頼りはミッドナイトの声のみである。
ミッドナイトの声が暗闇から聞こえる。
「ちなみに今日のカクテルは『レディ・キラー』をご用意させていてだきました」
何故か改まった口調でミッドナイトは言う。
彼女はそのカクテルの由来なんて知る由もなかった。
Chapter1 End