元魔法騎士のちょっとした稽古 1
エルミーナを休ませた翌日。
今日はエルミーナとリスカの悶着がなかったので、俺はいつもの時間に目が覚めた。
ベッドから起き上がって作業着に着替え、一階に降りる。
「おはようアデル兄ちゃん」
「おはよう、アデル」
リビングに入ると台所にいたリスカとエルミーナが同時に挨拶をしてきた。
「おお、二人ともおはよう」
女の子二人の元気な挨拶に戸惑ったものの、ちゃんと返事を返す。
「今日はエルミーナも顔色がいいみたいだな」
「ええ、昨日は十分に休ませてもらったからね」
ゆっくりと身体を休められたおかげか、エルミーナの顔色はとてもよく、すっかり元気になったようだ。
それだけでなく、秘めていた思いを吐いて楽になったからだろうか、どこか吹っ切れたような清々しさがある。リスカとも仲良く喋るようになったし、これまでのように一人で考え込むこともなさそうだな。
エルミーナの成長を微笑ましく思いながら、冷蔵庫を開けてブルホーンのミルクを取り出す。
「ふっふーん、どうよリスカ。今日は果物が小さなサイズに切れているでしょ?」
一通り果物を切り終えることができたのか、エルミーナが自信満々にカットした果物をリスカに見せる。
「ここらへん、皮が繋がっていてちゃんと切れていないよ」
「うそっ! ちゃんと切れたと思ったのに!」
「はい、ちゃんと皮も切って食べやすいようにしてあげてねー」
「うう、そんな……」
リスカのやり直し要求に、エルミーナが悲壮感たっぷりの声を上げる。
今日は指を切ることもなく、しっかりと小さくカットできていたようだが、まだまだだな。
「ちゃんと、あたしみたいに綺麗に切れないとね!」
「うう、偉ぶっちゃって」
「だって、あたしはエルミーナの先輩だもん!」
リスカとしても同性の後輩の面倒を見るのは楽しいのだろうな。
さて、ブルホーンのミルクを飲み終わると、朝の仕事の開始だ。
俺はブルホーンの面倒を見に行き、リスカとエルミーナはモコモコウサギの餌をやりに行くのが最近の流れだが、エルミーナがどこか期待するようにこちらを見ている。
さすがにその意図がわからない俺ではないので、エルミーナを呼び寄せた。
「エルミーナが魔法騎士を目指すにあたって、今日から俺がちょっとしたアドバイスをすることになったわけだが、最初に言うことは体力をつけろという一言に尽きるな」
「体力?」
エルミーナは魔法的な技術や心構えを教えてくれると思ったのだろう。
ちょっと肩透かしを食らったかのような反応だ。
「今のエルミーナに一番足りないのは、魔法の技術や剣技ではなく基礎的な体力だ。これがなければ長時間の修行にも身体が耐えられない。だから、まずはしっかりと飼育員としての仕事をこなすことで体力をつけてほしい」
剣技は勿論のこと、魔法だって走りながら発動させることができなければ単なる砲台だ。
騎士に守られながら魔法を放つ魔法兵団であれば、それだけでも構わないが、魔法騎士の理念は自分の剣で敵を切り伏せ、移動しながら魔法を放ち殲滅すること。
つまり、一番の基礎は体力になるのである。
だからこそ、それが足りないエルミーナには真っ先に体力をつけてほしい。
「わかったわ! しっかりと仕事をこなして体力をつければいいのね!」
俺の意図を説明すると納得したのだろう。怪訝な表情を浮かべていたエルミーナが表情を一転させて息巻き、果物の入ったバケツを持ってモコモコウサギの元へ移動した。
とはいえ、やる気十分なエルミーナの心とは裏腹に、体力のない身体は悲鳴を上げている。
バケツをすいすいと持って運び、鼻歌を歌っているリスカとは大違いだな。
苦笑しながら見守っていると、リスカとエルミーナがモコモコウサギを集めて餌を撒いていく。
エルミーナはモコモコウサギの数の多さに圧倒されてはいるものの、それに怯えることはない。 餌をやりながらモコモコウサギを観察したり、時に撫でたりしてスキンシップを図っている。
一度、モコモコウサギを撫でたおかげか、忌避感や恐怖感はすっかり薄れた模様。今ではモコモコウサギのフカフカな毛のファンになったようだ。
エルミーナの様子を見て安心した俺はブルホーンの面倒を見る。
牧草を食べさせている間に、ストーンスライムに座ってミルクを搾らせてもらう。
「アデル兄ちゃん、こっちの作業終わったけど手伝うことある?」
バケツ一個分を満タンにしたところで、リスカがエルミーナを連れて尋ねてきた。
「あー、じゃあ、厩舎の掃除を頼めるか?」
「うん、エルミーナと一緒にやっておくね!」
俺がそう頼むと、リスカはエルミーナを連れて厩舎に入っていく。
以前のエルミーナならば厩舎の掃除は少し危なっかしいので頼むことはしなかったが、今日の様子ならば任せてみてもいいだろう。
ミルクで満タンになったバケツを台所に置き、新しいバケツを用意して外に出る。
厩舎のほうに視線をやると、ブルホーンのフンを手押し車に乗せて運んでいるエルミーナがいた。
エルミーナは真剣な表情でそれを押していくが、すぐに転倒しそうになる。
しかし、傍にいたリスカが支えたことで転倒は免れた。
「やっぱり、いきなりこの量は重かったみたいだね。もう少し減らして運ぼう?」
「一気に運びたいけど、転倒して手間を増やしても意味はないしね。そうするわ」
リスカの意見を素直に受け入れて、スコップで運ぶ量を減らしていくエルミーナ。
昨日までの彼女であれば、絶対に大丈夫といって転倒するパターンだっただろうな。
順調に仕事をこなしているエルミーナに安心し、俺はミルクの搾乳作業に戻った。
そんな感じで午前の作業は平和に終わり、昼食後の休憩時間。
天気がいいので牧草の上で寝転がっていると、エルミーナがやってきた。
「ねえ、ちょっといいかしら?」
「なんだ?」
「まだ飼育員の仕事を完璧にこなせていないのにアレなんだけど、魔法のことも教えてもらいたくて……」
ふむ、剣技ならば飼育員としての作業で体力作りをしているのでダメだが、少し魔法を教えるくらいであれば構わないか。
エルミーナは見る限り魔法使いタイプだろうし、少し教えてあげたほうが本人のモチベーションも保てるはずだ。
「わかった。じゃあ、早速聞くけど、エルミーナの得意な魔法属性は何だ?」
「えっと、一番得意なのは風で、その次に土よ」
魔法は火、水、風、土といった四つの属性が基本となる。
他にも氷や雷といった属性があるが、氷は水の派生で、雷は風属性の派生となるので、四つの属性が基本なのは変わらない。
「なるほど、エルミーナがこの牧場に滞在できる期間はどれくらいだ?」
それによって俺が教えるべきことも大きく変わる。
「ギリギリまで粘ってあと一ヶ月ってところかしらね」
「魔法学園は今の季節は長期休暇じゃないはずだが、授業は大丈夫なのか?」
「それに関しては問題ないわ。実技がダメな分、座学ではしっかり点をとっているから」
一番気になっていた部分はどうやら問題ないらしい。
なるほど、一ヶ月か。その間にとなれば基礎的なものを教え込んで、後は王都に戻って自分で稽古できるようにさせるのがいいな。
まずは時間のかかる苦手な魔法よりも、得意な属性を伸ばすことにしよう。
「風魔法ならちょうどいい練習法がある」
「本当!?」
「ああ、付いてきてくれ」
嬉しそうにするエルミーナを連れて、俺は牧場の外にある平原に移動する。
「よし、ここら辺でいいだろう」
「えっと、牧草しか生えていないここで何をするわけ?」
エルミーナの言う通り、ここは魔物牧場が所有する牧草地帯。
背丈の高い牧草が延々と広がっており、それ以外は何もない。
「ここにある牧草を風魔法で刈り取る」
「え!? 風魔法で?」
「まあ、こういうのは口で説明するよりも見たほうが早い。少し下がっていてくれ」
訝しむエルミーナを後ろに下げさせて、俺は右手を突き出して風魔法を発動。
「【スラッシュ・ウインド】」
魔法陣が射出された風の刃が飛んでいき、牧草を地面すれすれのところで刈り取っていく。
俺の風魔法が通ったところは綺麗に牧草がなくなっていた。
「こういう感じで初級魔法だけで牧草を綺麗に刈り取ってくれ」
「これのどこが稽古なのよ? こんなもの、わたくしだってできるわ」
エルミーナはそう言って前に出る。
「【スラッシュ・ウインド】」
俺と同じように初級風魔法を使用して、風の刃を射出する。
エルミーナの放った風邪の刃は牧草を見事に刈り取った。
「いくら魔法が苦手なわたくしでも初級魔法くらいできるわ」
「いやいや、俺は綺麗に刈り取ってくれって言ったんだけどな?」
「ええ?」
「ちょっと来てくれ」
俺の言ったことをいまいち理解していないエルミーナを連れて、俺は魔法を放った牧草地に向かう。
「俺が刈り取った牧草と、エルミーナが刈り取った牧草に大きな違いがあるのがわからないか?」
「何よ? 別に私とあなたのものにそう違いなんて――っ!?」
そう不満そうにしていたエルミーナだが、じっくりと観察することで違いに気付いたようだ。
「ええ? あなたの放ったところは全部均一の高さで刈られている?」
「そうだな。次に生えてくる牧草のことも考えて五センチだけ残して刈っている」
これだけで俺の放った魔法が、どれだけ安定しているかわかるだろう。
一方、エルミーナの刈り取った場所は高さがバラバラだ。
これは風の刃が進むにつれて、魔力の霧散や風の抵抗などによって形状が不安定になっていることを意味している。
「全部均一に刈り取るだなんて……」
残った丈の長さを見比べて戦慄するエルミーナ。
「できる限り揃えた長さにしないと、後でまとめて魔物達の餌にする時に面倒だからな」
牧草は天日干しにして乾燥させて寝床にしたり、魔物達の餌として使用する。その時に長さのバラバラなものは困るのだ。
「それに同じ魔法でも俺のほうが安定しているから、ずっと遠くまで刈り取れているなあ」
「うぐぐ、確かにそうだわ」
「初級魔法でもちゃんと安定していないとこれだけ結果に差が出る。だから、まずは初級魔法を精密に発動できるようになってほしい。そういうわけで、五センチで刈り取りを頼む」
そう言って後ろに下がると、エルミーナは先ほどと同じように風魔法を射出。
しかし、今度は五センチを意識しすぎたせいか、地面に突き刺さってしまった。
「おいおい、穴を掘ってくれとは言ってないぞ?」
「わかってるわよ!! 今のはちょっと間違えただけだから!」
俺が茶化すと、恥ずかしそうに顔を赤くしながら再び風魔法を射出。
今度は上に意識をやるばかりに、牧草の真ん中を切り裂いてしまった。
「ははは、今度はど真ん中だな」
「ちょっと気が散るから黙ってくれる?」
後ろで見て笑っていると、エルミーナに怒られてしまった。




