魔法騎士
リスカとレフィーアと共に走ることしばらく。エルミーナは牧場の奥で座り込んでいた。
そりゃ、そうだ。ここは牧場の中。四方が柵に囲われていて外に出ることもできないし、辺り一面はだだっ広い牧草地帯。一人で隠れられる場所もない。
エルミーナの周りにはモコモコウサギとスラリンが佇んでおり、落ち込んでいる彼女をどこか心配しているようにも見えた。
エルミーナの鼻をすする音が微かに聞こえる。
「エルミーナ、どうしてそこまでフォレストドラゴンの枝葉を欲しがるのか聞いてもいいか?」
俺が尋ねると、エルミーナはチラリと視線を向けて、迷うようにしながらも口を開いた。
「……クロイツ家は王国でも有数な魔法貴族なのは知っているわよね?」
「ああ、クロイツ家からは優秀な魔法使いや魔法騎士がたくさん輩出されている」
魔法騎士団の中にも、クロイツ家の者が何人かいた。
「わたくしはクロイツ家の娘でありながら、不器用で魔法の才能があまりないの」
「そうだったのか」
それは意外だった。
エルミーナはいつも自信に満ち溢れているように見えたので、そういう劣等感とは無縁のような印象だったから。
「それでもわたくしは魔法騎士になりたい。わたくしのような実技の成績が悪い生徒が魔法騎士団に入る近道は、魔法学園で行われる魔法祭に出場すること」
魔法祭とは魔法学園が毎年開催している発表会で、魔法の理論や運用方法、戦闘技術といった様々な魔法に関する研究成果を披露する場だ。参加者が魔法使いになりたてのひよっ子ばかりなのが特徴である。
この会には、国のお偉い様だけでなく魔法騎士団も注目しており、上手く目に留まればスカウトされることもあるのだ。
俺も団長に連れられて、スカウトという名の屋台巡りをさせられたことがあった。
「その出場権利を獲得するために、わたくしは学内予選で結果を残す必要がある。それには魔法を効率よく発動できるフォレストドラゴンの杖が必要なの。それさえあれば、魔法の才が少ないわたくしでも勝てる見込みがある。魔法騎士団に入れる可能性があるの」
「理由はわかったが、そこまで急ぐ必要はないんじゃないか? 学園でしっかり実力を磨いてから入ったらいいじゃないか」
「それじゃあ遅いのよ! わたくしに期待してくれているお婆ちゃんは体調が悪いの。いつまでも足踏みをしていたら……身体がもたないかもしれない……っ!」
なるほど。どうりで焦ってこのようなことをするわけだ。
エルミーナは一刻も早く、魔法騎士となった姿をお婆ちゃんに見せてあげたいのだろう。
しかし、それを叶えるためには足踏みはしていられない。
エルミーナが着実な努力よりも、道具に頼った進み方を選んでしまう気持ちはわからなくもない。
「だから、わたくしは一刻も早くフォレストドラゴンの枝葉を手に入れたい」
エルミーナの力強い言葉で、彼女がどれほど固い意志を持っているかが伝わる。
そうだよね。伯爵令嬢がわざわざこんな田舎まで来て、フォレストドラゴンの枝葉を手に入れるために飼育員として働くほどだ。
普通の令嬢であれば、ここまでの根性は出せないもんな。
「ねえ、エルミーナ様の目指している魔法騎士って、アデル兄ちゃんの所属していたところだよね?」
「……まあな」
「はい?」
リスカの問いかけに俺が頷いてみせると、エルミーナが涙目ながらも素っ頓狂な声を上げた。
「う、嘘はやめなさいよ。魔法騎士っていうのは、魔法と剣の両方を極めた天才だけが入れるエリート部隊なのよ? こんな冴えない顔した飼育員が、魔法騎士なわけないでしょ!」
「そんな凄い騎士だったの?」
「まあ、世間一般ではそんな風に言われているな」
この村にはあまり武勇や評判が届かないせいか、リフレット村の人達は誰も尊敬してくれないのが悲しいところだ。
「フン、そんな見え見えな嘘を言うのはやめなさいよ」
とはいえ、ここまであからさまに嘘だと言われると証明したくなるな。
俺はこんな時のために懐に忍ばせている短剣を取り出してみせる。
「嘘じゃないって。ほら、これが魔法騎士に所属していた証の短剣だ」
「何をバカな……ええっ!? 本物!?」
さすがに魔法騎士を目指しているだけあって、それが魔法騎士の団員しか持つことができないものだと理解したようだ。
エルミーナは紋章の入った短剣を見ると、ゆっくりと顔を上げて。
「どこで盗んできたの?」
「さすがに温厚な俺でもぶつぞ?」
「じょ、冗談よ。あまりにもびっくりしちゃったから」
真顔で失礼なことを言うので拳を見せると、エルミーナは身体を竦ませながらようやく認めた。
「……本当に魔法騎士だったんだ」
まじまじと短剣に記された紋章を眺めるエルミーナ。
「ねえ、アデル兄ちゃんの力でエルミーナ様を魔法騎士団に紹介してあげるとかできないの?」
リスカのその提案を聞いた瞬間、エルミーナが期待に満ちた表情をする。
エルミーナを何とかしてやりたいリスカの気持ちはわかる。
だが、現実はそう簡単にいくものではない。
「残念ながら俺は引退した身だからできないよ。それに魔法騎士は他の兵団と違って、推薦するにもかなりの実力が必要だから」
あっさりと言う俺の言葉に、エルミーナは肩を落とした。
元魔法騎士ということで希望を持たせてしまって申し訳ない。
ハーゲス副長とは仲が良くないし、紹介できるとしても俺にできるのは団長くらい。
でも、あの人の審査はかなり厳しいからな。
「では、どれくらいの実力があれば入れるというのです?」
「うーん、俺は魔法学園に通っていたわけじゃないから参考にならないと思うぞ?」
「そ、それでも一応……」
「騎士団長と魔法兵団長の両方を倒す。あるいは魔物の討伐戦で高ランクの魔物をひたすら剣と魔法を使って倒し続ける。そうすれば、自然に声をかけてもらえる」
俺の場合は騎士見習いになってすぐの頃だった。
偶然騎士団長に声をかけてもらって試合をすることになり、そこで騎士団長を倒してしまった。
そこからはひたすら任務で魔物を倒し続ける日々だったのだが、ある日魔法騎士の団長に勝負を挑まれて、ぼこぼこにやられてしまい、目が覚めたらいつの間にか騎士団から魔法騎士団に所属が変わっていた。
俺のような経歴はかなり稀なのだと、先輩のマークさんも言っていたな。
魔法学園で順当に魔法や剣を学ぶエルミーナからすれば、まったく参考にはならない方向だろう。
「……騎士団のトップと魔法兵団のトップを倒す?」
「魔法騎士は剣と魔法の両方を高レベルで求められるエリートだ。剣と魔法のどちらかではなく、そのどちらも突出していなければいけない」
かつて所属していただけにエリートなどと自分で言うのは恥ずかしいのだが、これは団長が言っていた格言でもあるので間違いではないはずだ。
「そ、そんな……お兄様達でさえ、魔法兵団に入るのがやっとだったのに」
「言っておくが、アデルの言う道筋はレベルが高すぎだから。いくら、魔法騎士ともいえど、そこまで求められていない」
「本当!?」
悲嘆にくれていたエルミーナであるが、レフィーアのその台詞に希望を見出す。
え? そうなの? 俺は団長にそれくらいの実力じゃないと、魔法騎士団には入れてやらないと聞いていたんだが……。
「騎士と魔法兵の副長クラスの剣技、魔法技術があればいい」
「それでもレベルが高すぎじゃない!」
が、結果としてエルミーナにとっては絶望的だったようだ。
一度上げてから落とされただけに、そのショックは大きそうだ。
「こんなのじゃ、フォレストドラゴンの枝葉貰えたところで、わたくしなんかが入団するなんて無理よ」
「そうかもしれないな。だが、エルミーナ様は幸運だ」
「……幸運? どこがよ?」
怪訝な表情をするエルミーナに対して、レフィーアは何故か俺を指さした。
「なにせ、目の前に元魔法騎士の男がいるのだから。こいつに稽古をつけてもらえば、魔法騎士に必ずなれるとは言わないが、そこに大きく近付けるだろう」
「――っ!?」
おいおい、またしてもこの社長は何を勝手なことを言っているのだろうか。
「おい、ちょっと待て――」
「そうだね! アデル兄ちゃんに教えてもらえば魔法や剣だってきっと上手くなるよ!」
慌ててレフィーアのアイデアを打ち消そうとするも、純粋なリスカにこうも言い切られては裏切りたくない気持ちもある。
リスカの期待に応えたいという思いと面倒だと思う気持ちで悩んでいると、エルミーナがこちらを向いて深く頭を下げた。
「アデルさん、わたくしに稽古をつけていただけませんか?」
見事なまでの手の平返しとでもいえる反応だが、人間は相手の立場や地位、力量などによって態度を変えるのは当然なのだ。
エルミーナが目指すべき目標に位置していた俺に対し、敬意を払うことは何もおかしなことではない。
それでも、プライドが高くて見栄っ張りのエルミーナが、こうやって俺に頭を下げてまで頼んできたことには驚きだ。エルミーナの性格からして、ここまで素直に誰かを頼ることは今までになかっただろう。
魔物牧場で働き、自分一人だけでは上手くいかないことを幾度も経験した故の、彼女なりの成長なのだろうか。
「で、どうするんだアデル?」
しばらく考え込んでいると、答えを促すようにレフィーアが言ってくる。
目の前にいるエルミーナは今も頭を下げており、リスカまでもが縋るような目を向けてくる。
「……はあ、しょうがない。ちゃんと飼育員としての仕事もこなすなら、少しくらい稽古をつけてやってもいいよ。エルミーナからここで働くと言ってきたんだから、そこはちゃんとやってもらわないとね」
「勿論です! あ、ありがとうございます!」
俺がそう言うと、エルミーナは嬉しそうに顔を上げて、また深く頭を下げた。
「ああ、そういう風にかしこまらなくていいから。エルミーナに敬語を使われると、なんか気持ち悪い」
「ちょ、ちょっと! どういうことなのよ、それは!」
素直に今の感想を告げると、エルミーナが思わず素の口調で突っ込んだ。
先ほどまで敬語だった故に、エルミーナはハッとした風に口を押さえる。
やっぱり、エルミーナはこの口調のほうがいいな。
「よかったですね。エルミーナ様」
「これもリスカがアデルに頼んでくれたおかげよ。ありがとう。これからはわたくしのことはエルミーナって呼んでね」
「ええ? いいの? でも、あたしなんかが力になったのかな?」
「ああ、なっていたとも。アデルはリスカに弱いからな。私だけが頼んでも断るか、もっと渋っていた可能性もあるだろう」
そ、そんなことはないと言いたいが、リスカの頼みというのが決め手だったので否定はしきれない。普段は頼りないだけに、ああいう場面ではカッコつけたいと思うのが男だろう。
なんてことは言えるはずもないので、ひとまず空気を変えるべく咳払いをする。
「さて、師匠であり上司である俺からエルミーナへの最初の命令だ」
「な、何かしら?」
どこか緊張した面持ちで命令を待つエルミーナ。
彼女の脳裏には、どんな仕事を任されて、どんな稽古をつけてもらえるのかという思いが渦巻いているだろう。
だが、俺が命令するのは、そのどれでもない。
「今日は一日休んでくれ」
「はい? 休みって一体どういう……?」
「だって、今日のエルミーナは疲労や筋肉痛でまともに動けないだろう?」
「そんなことはないわ! わたくしはまだ体力もあり余って! ひいっ!?」
勢いよく立ち上がって抗議するエルミーナの額を突くと、大して抵抗もできずに切り株に座り込み、顔をしかめた。
「本当は全身動かすのも辛いんだろう? 今朝から指を切ったりミルク瓶を割ったりで見ていられなかった。仕事するにしろ稽古するにしろ、怪我をされたら困るから今日は身体を休めてくれ」
普段肉体労をしないお嬢様が、既に色々と無理しているのだ。ここは強制的にでも身体を休ませるべきだろう。
「今からだと、エルミーナも変に張り切っちゃいそうだもんね!」
「そんなことない……こともないかしら?」
言葉の途中で自覚したのか、エルミーナの言葉が否定から肯定に変わる。
そんなおかしな言葉を聞いて、リスカとエルミーナが笑った。
「ピキピキ!」
明るくなったエルミーナを見て、傍にいたモコモコウサギも喜んでいる。
「モコモコウサギも傍で心配してくれてありがとうね。もう大丈夫だから」
「よかったら、モコモコウサギを撫でてあげて。そうすればきっと喜んでくれるはずだから」
「え、ええっと、こうかしら?」
おずおずとモコモコウサギに手を伸ばしてみるエルミーナ。
モコモコウサギはジーッとしていて、エルミーナの手を受け入れる。
「あっ、柔らかい……」
「でしょ! モコモコウサギってば、とってもフカフカで温かいんだから!」
「ええ、本当にそうだわ。柔らかくて温かい」
最初は触れるだけだったのが、すっかり恐怖心もなくなったのかモコモコウサギを撫で回すエルミーナ。
モコモコウサギは撫でられて喜び、エルミーナの指をぺろぺろと舐めていた。
「エルミーナもすっかり元気になったみたいだな」
「ああ、この調子なら明日からも頑張れるだろう」
リスカとエルミーナの明るい声を聞いて、俺とレフィーアはそんな予感を抱いていた。




