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二日目の仕事 1


 エルミーナが働き出して二日目の朝。


 わずかに聞こえてくる声で目を覚ました。


 まだ部屋の中は暗く、体感的にいつも起きる時間より早いことがわかる。


 しかし、家の中にいる誰かは既に起きているようだ。


 聞こえてくる声が気になって、俺は身を起こして部屋を出る。


 すると、エルミーナの部屋の扉が開いており、そこからランプの灯りが漏れていた。


「エルミーナ様、起きてください!」


 エルミーナの部屋にいるのは既に作業着となったリスカ。声を潜めて小声で言いながらベッドで横になっているエルミーナを揺すっている。


「んん、眠いのよ。もう少し寝かせて」

「ダメですよ。昨日仕事が遅くて魔物の朝食が遅れちゃったじゃないですか。今日はそうならないように準備するんです」


 なるほど、昨日の遅れを考えて、今日は早めに動く作戦か。


 指導をしていた身として、リスカも昨日のことは反省しているのだろう。別にリスカが悪いわけではなく、俺の見込みが甘かっただけなので気にしなくてもいいのに。


「こっちは疲れてるのよ。まだ身体が重いし、筋肉痛だってあるわ」

「ええ? 疲れたって、昨日はほとんど気絶していただけじゃないですか!」


 リスカの意見に俺も同感だ。昨日ほとんど気絶してエルミーナのどこに筋肉痛の要素があったというのだろうか。


「そんなことないわよ。果物の入ったバケツすごく重かったわ」


 あれだけで筋肉痛になったというのか。エルミーナのひ弱さを甘く見ていた気がする。


「筋肉痛でも仕事はできます! フォレストドラゴンから頑張って枝葉を貰うんでしょ? だったら早く起きてください!」

「……もう、しょうがないわね」


 フォレストドラゴンの枝葉というキーワードが効いたのか、エルミーナは何とか起き上がる。


 ここからは女性の着替えやらが始まってしまうことだろう。これ以上の盗み見は道徳的にマズいので、俺はそっと扉から離れて自分の寝室に戻る。


 何とかリスカのおかげで起きられたようだが、二日目にしてあのグズりよう。本当に大丈夫だろうか?


 これから三日目、四日目と仕事をこなしていくうちに、精神的にも体力的にも疲労は増していくので、少しエルミーナが心配になった。


 寝室に戻って目を閉じることしばらく。俺は自然と目を覚ました。


 ベッドから身を起こして窓を開けると、空の彼方が微かに白んできている。


 二度寝をしたが、いつもの起床時間である、日の出前に起きることができたようだ。


 そのことに安心しながら寝間着から作業着に着替えて一階に降りる。


 すると台所から、包丁の――リズムのいい音と悪い音が聞こえてきた。


 どちらが音の主かは見るまでもないな。


 扉を開けてリビングに入ると、台所ではリスカとエルミーナが肩を並べて果物をカットしていた。


「おはよう。二人とも今日は早いな」

「おはよう、アデル兄ちゃん! 昨日はちょっと遅れちゃったからね。今日は遅くならないように少し早めに作業することにしたんだ!」

「ええ、昨日と同じ失敗はしたくないから」


 リスカに便乗して澄ました表情でそう言うエルミーナ。


 今朝早くにリスカに起こされてグズっていたことを知っているのだが、今ここでそれを指摘すると盗み見をした変態という烙印を押されそうなので黙っておくことにした。


「そうか。意識が高いようでなによりだ」

「と、当然よ。フォレストドラゴンから枝葉を貰うためだもの」


 言葉にまごついたのは今朝の自分を振り返っての罪悪感だろう。リスカと同じく、この子は嘘をついたりするのが苦手みたいだな。


 普段と変わらぬ真顔でシレッと嘘をつくレフィーアとは大違いだ。二人にはああいう大人にならずに真っ直ぐに育ってほしいな。


 なんてことを思いながら冷蔵庫からブルホーンのミルク瓶を取り出して、コップにミルクを入れる。


 日課となっている朝の一杯。冷たくて濃厚なミルクが体内に入ると、ぼんやりとしていた意識や体が覚醒していくようだ。


「ねえ、この大きさでいいのよね?」

「はい、それで大丈夫です!」


 俺の横では、エルミーナの切った果物をリスカが確認しながら作業を進めていた。


 さすがにコツを掴んできたのか、サイズは安定してきたようだ。


 ただ、遠目から見ても形が歪になっているのはわかってしまうけど、そこは経験を積んでいけばどうにかなるだろう。


「よし、これでモコモコウサギの餌は完成!」

「やっと終わったわ」


 ちょうど俺がミルクを飲み終えたタイミングで、リスカとエルミーナの餌作り作業が終わる。


 使い終わったコップを流しに置いてバケツの中を覗くと、昨日よりもたくさん歪な形の果物があった。ということは、昨日よりもたくさんエルミーナが果物をカットしたということだろう。


「何よ?」

「いや、何でもないさ。さて、そろそろ朝の仕事にとりかかるか」


 カットした餌を眺めているとエルミーナに睨まれてしまったので、誤魔化すように外へ向かう俺。


「ふぎぎぎぎぎ……う、腕が筋肉痛で痛い!」


 エルミーナも外に出ようとするが、腕が筋肉痛でバケツを持つのがとても辛そうだった。


「あたしが持ちましょうか?」

「結構よ。これくらいわたくしだけで……」


 などとエルミーナは強がって持ち上げるが、見ているこちらが心配になるほどフラフラだ。筋肉痛のせいで力が上手く入らないのだろう。


 このままでは餌を全部ぶちまけて台無しにしてしまう恐れがある。


 こちらを窺うリスカに頷いてやると、彼女はエルミーナのバケツの持ち手を握って手を貸した。


「リスカ、あなた……とても怪力なのね」

「ちょっと! 手伝ってあげているのにその言い方はないと思います!」


 手を貸したのに化け物のような扱いをされたリスカが、思わず強い口調で突っ込む。


「ごめんなさい、でも助かるわ」


 エルミーナは小声でリスカにそう言うと、手を貸してもらいながら歩く。


「それじゃあ、俺はブルホーンの面倒を見るから二人はモコモコウサギを頼む」


 そう言って俺はブルホーンの厩舎へと向か――おうとしたのだけど、二人の様子が気になったので、厩舎に入る前に少し様子見。


「モコモコウサギ達ー、朝ご飯だよー! ほら、エルミーナ様も呼んであげてください!」

「あ、朝ご飯よー」


 慣れた様子で声を上げるリスカと、少し恥ずかしさのこもった声で呼びかけるエルミーナ。


 二人の少女の声は朝の牧場によく響き、遠くで転がっていたモコモコウサギ達も耳でとらえて、一目散に二人のところにやってくる。


「ひっ! モコモコウサギ達がたくさん……っ!」

「餌を撒いてあげてください。そうすれば、昨日みたいになりませんから」


 トラウマを想起して顔を青くしていたエルミーナだが、リスカのアドバイス通りに餌を撒いたことで、昨日のように跳びつかれることはなかった。


 今日はいつもの時間通りだからな。モコモコウサギ達もガツガツしてはいない。


 しかし、昨日と同様にモコモコウサギの圧に押され、エルミーナはジリジリと後退していた。


 やはりまだ抵抗感なく魔物を相手にするのは難しいようだ。昨日は二回も気絶させられたほどだからな。


「あっ、エルミーナ様! 左足! 踏んじゃう!」

「えっ? ひあああっ!」


 ここからではよく見えなかったが、エルミーナがモコモコウサギを踏んでしまいそうになったのだろう。なんとかそれは回避したみたいだが、無理な体勢でバランスを崩してしまったようだ。


 エルミーナが尻もちをついてしまう。


「大丈夫ですか?」

「え、ええ、何とか餌は死守したわ。また無様にぶちまけるわけにはいかないもの」


 だけど、昨日のように餌を被るようなことはなかったようだ。


 多分リスカはエルミーナ自身の身を案じていたのだが、本人は餌のほうを気にしていたようだ。


 とりあえず、この調子ならば昨日のように気絶するようなことはなさそうだな。


「ブモオオオオッ!」


 一安心して厩舎内の扉を開けようとしたところで、ブルホーンの低い声が響き渡る。


「はいはい、今、入るところだから待ってろ」


 相変わらずちょっとでも遅れると、うちのブルホーンは文句の声を上げる。


 厩舎の扉を開けて中に入り、てきぱきと中の檻を開ける。


 不機嫌そうに鼻息を漏らすブルホーンの様子を窺いながら、そっと首輪を引いて外へ。


 牧場内を歩いていると、エルミーナが恐れの少し混じった視線でブルホーンを見ている。


「……あれがブルホーン」

「他の魔物よりも気難しいから近寄らないでくださいね」


 そんな会話をしていると、いつもとは違う面子がいることに気付いたのだろう。ブルホーンもジーッとエルミーナを見つめる。


 大丈夫だろうか。見慣れないエルミーナを敵とみなしてタックルとかしないよな? 


 警戒心を高めていつでも動けるように準備していたのだが、それは杞憂だったようで、ブルホーンは鼻息を漏らして視線を逸らした。


 まあ、うちのブルホーンは基本的に他者とは不干渉を貫く性格だからな。相手から不用意に近付かない限り、タックルを仕掛けるようなことはないだろう。


 牧草の生い茂っている場所まで移動すると、ブルホーンは立ち止まって牧草を食べ始める。


 その間にブルホーンの全身を観察して体調などの検査。それが終わると、ブラッシングをして藁や汚れを落として毛並みを整えてやる。


 最後にブルホーンの乳を軽く搾って、ミルクの状態を確認。


「うん、体調も問題なさそうだし、ミルクでも搾るか」


 そう決めた俺は、今日も番犬として牧場を見張っているベルフに、ブルホーンを見ているようにと頼んで家に。


 ミルクを入れるためのバケツを持って外に出ると、ストーンスライムを発見。それも一緒に抱えてブルホーンのところに戻る。


 ブルホーンの真下にバケツを置いて、ブルホーンの様子を探りながらゆっくりと乳を触る。


 うん、特に今日は搾られることを嫌がっている様子もないようだ。


 ブルホーンの様子が問題ないことを確認して、抱えていたストーンスライムを地面に置く。


 俺がポンポンと叩いてやると、ストーンスライムは切り株のような形になった。


 ストーンスライムは石や岩を食べることで進化したスライム。他のスライムとは違って柔らかくはないが、石のように体を硬くすることが可能なので、ちょっとした腰掛け椅子として、たまに座らせてもらっている。


 わざわざ家から椅子を持ち出すのは少し面倒なので、こうしていつでも椅子になってくれるストーンスライムは地味にありがたい存在だった。


 ストーンスライムの上に腰を下ろして、ブルホーンの乳を濡らしたタオルで拭う。


 ブルホーンの乳の搾り方は、牛と同じだ。人差し指と親指で輪っかを作り、ミルクが逆流しないように押さえて、残りの三本の指を順番に握り込んで搾り出す。


 最初のミルクは細菌が入っているかもしれないので三搾りくらいは捨てて、その後バケツに搾っていく。


 そこからは同じリズムでひたすら乳を搾る。


 ブルホーンは既に食事を終えてしまっていたが、ミルクを搾っているのがわかっているのか動くことはない。


 いつもこれくらい大人しければいいのにな。


 なんてことを考えながら、ひたすら搾っているとバケツがあっという間に満タンになってしまったので、それを家に運んで低温殺菌することにする。


 ミルクの入ったバケツを運んでいると、リスカとエルミーナも餌やりを終えていたようだ。


「次は何をするの?」


 洗い場でバケツを洗いながらエルミーナが尋ねる。


「んーっと、ライラックの雛の餌やりですかね」

「ピイ!」


 そう言った瞬間、リスカの胸ポケットからピイちゃんが顔を出した。


「わあっ! 小さくて可愛い!」

「これくらいの小ささなら魔物でも平気なんですか?」

「だって、普通の鳥の雛みたいで可愛らしいんだもの!」


 嬉しそうに指でピイちゃんを撫でるエルミーナ。魔物の苦手な彼女でも、あれくらい小さければ問題ないようだ。


 すっかりピイちゃんを気に入っている様子のエルミーナだが、その子の餌を用意するということはミミズを――いや、詳しくは言うまい。


 口を出すと、自分まで巻き込まれるような気がしたので、俺は速やかにバケツを家の中に置いて、新しいバケツでミルク搾りを再開。


 しばらくすると、家の裏からエルミーナの悲鳴が轟いた。



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