やってきた貴族令嬢 5
「ひああああああああっ! こないでー!?」
太陽が沈み、闇色に空が染まりかける頃。
エルミーナは派手な悲鳴を上げながらソファーで目を覚ました。
「――はっ!」
「「…………」」
エルミーナは台所に立っている俺達に気付くと気まずそうな顔をしながら周囲を見渡す。
そして、窓から差し込んでくる夕日を見て、
「…………わたくしは……また気絶していたの?」
「そうなるな」
俺がはっきりと告げてやると、エルミーナは落ち込んだ表情を浮かべた。
もはや、昼を通り越して夕方。
一回目よりも二回目のほうが、遥かに気絶している時間が長かった。
それだけエルミーナにとってクリーナースライムにまとわりつかれたことがショックだったのだろう。
「まあ、やってしまったことは仕方がない。もうすぐ夕食ができるからそこで待っていてくれ」
「……ええ」
ちゃんと働けなかったことがショックだったのか、エルミーナは元気がない。
そりゃ、そうだよな。あれだけ啖呵を切ったのに、初日はほとんど何も役に立てなかった。
それはエルミーナ自身がわかっていることだろう。
「エルミーナ様、落ち込んでるね」
しゅんとしているエルミーナを見て、リスカが心配そうに言う。
こういう時にどういう言葉をかけてあげればいいのか。俺なんかの言葉で励ませるかどうかもわからない。
「とりあえず、落ち込んだときは美味しいものを食べれば元気になるよ!」
思い悩んでいると、リスカが実にあっけからんと言う。
なんともリスカらしい考えだと思うが、それもそうかもしれない。
美味しい料理を食べると、人はなんだかんだで元気になれるものだ。
「そうだな。エルミーナを元気づけるためにも頑張るか」
「うん!」
「リスカ、ピッザはどうだ?」
早速、今作っているメイン料理の進捗を尋ねると、リスカは竈の様子を確認しに行く。
「もう焼けているから出しちゃうね!」
「頼む!」
俺がそう言うとリスカは竈から焼き上がったピッザを取り出す。
小麦とトマトソース、チーズの香ばしい匂いが台所に漂い出した。
それはソファーに座っているエルミーナのところにも届いたのか、落ち込んでいた彼女がチラリとこちらに視線を向けている。
「ピッザは好きか?」
「ええ、まあ。王都でもポピュラーだしよく食べていたから親しみもあるしね」
クロイツ家の屋敷を出てからの旅生活と、慣れない牧場生活だ。親しみのある料理は彼女に安心感を与えるだろう。
今回、俺達が歓迎の一品にピッザを作ったのは、そういう思いもあった。
少しそわそわとしているエルミーナを微笑ましく思いながら、俺は自分の担当している鍋を見る。
その中には大きなローストビーフとジャガイモやタマネギなんかが入っており、十分に火が通っているのを確認して火を止めた。
分厚い牛肉をまな板の上にのせて、薄くスライスして皿に盛り付ける。
そこにカットしたジャガイモやタマネギなんかも添えて、最後はローストビーフの焼き汁とオリーブオイルを合わせたものをソースとしてかければ完成。
それらをテーブルに運び、温めておいたブルホーンのミルクシチューの鍋も運ぶ。
その間にリスカが人数分の食器を並べてくれたので、夕食の準備は完了だ。
後はレフィーアを呼ぶだけと考えたところで、ちょうど階段のほうから気配がした。
「いやー、いい匂いがしているからつい降りてきてしまった」
豪勢な食事の時に限って、レフィーアは呼ぶまでもなくちゃんと降りてくるんだよな。それがちょっと憎たらしいというか。
まあ、ちゃんと食事をするために降りてくるようになったのは喜ぶべきことだろう。
「……ふーん、見た目はまあまあね」
テーブルの上に並んだ料理を見て、エルミーナがぽつりと漏らす。
「これでもエルミーナのために頑張って作ったんだ。普段食べている料理に比べると、品数も少ないだろうし豪華でもないだろうけど味には自信があるぞ?」
「そうですよ。アデル兄ちゃんの料理は美味しいですよ!」
俺のためにリスカが精一杯援護してくれる。
「わたくしのためにって言っても、ロクに役に立ってもいないのに……」
おお、あの強気なエルミーナがこんな弱音を吐いてしまうとは重症だな。
「初日から活躍できるとは思ってないさ。時間はかかるかもしれないが、確実にこなしていけばいい。そのために今は美味しいご飯を食べて、明日への英気を養ってくれ」
「え、ええ」
俺の精一杯の言葉に曖昧に頷くエルミーナ。これ以上は言葉を重ねても無駄だろう。
今は夕食を食べるに限る。
「さあ、冷めないうちに食べるとするか」
俺の言葉を合図にしてリスカやレフィーアが料理に手を伸ばす。
最初にみんなが手を伸ばしたのはピッザだ。これは温かいうちに食べるのが美味しいので、基本的にいつもそうなる。
「今日は四人いるから八等分くらいがいいか」
「あー、ちょっとレフィーアさん! そう切ったらここだけソーセージがなくなるよ!」
「仕方がないだろう。そこはどうやってもソーセージがのっからん。均等に盛り付けられなかったリスカが悪い」
などと言いながらピッザカッターでピザを切り分ける二人。
そこで俺はふと気になったことをエルミーナに問いかける。
「ちなみにシチューにはブルホーンのミルクが使われているが大丈夫そうか? 無理なら違うスープを作るが」
「大丈夫よ。別に普段から様々な生き物や植物を食べてるわけだし、魔物料理だって食べたことがないわけじゃないから。ミルク自体も朝に飲んでいるし」
「そうか。なら、よかった」
「でも、スライムは混ざってないわよね?」
「さすがにうちでもスライムを食べたりはしないな」
オークの肉などは一般的に食べられたりするが、スライムを食べるというのは聞いたことがない。
そう言うと安心したのか、エルミーナは緩慢ながらもスプーンを手に取る。
「それじゃあ、いただくわ」
エルミーナは実に上品な作法でミルクシチューを口にする。
さて、お嬢様にうちの料理は口に合うだろうか。
「……美味しい」
エルミーナの口から思わず漏れた言葉を聞いて、心の中でガッツポーズをする。
「これってブルホーンのミルクが使われているのよね?」
「ああ、そうだ」
「こんなに濃厚なシチューははじめて」
「そりゃ、搾り立てのミルクを使っているし、うちのブルホーンは一味違うからな」
ミルクシチューを口にしたエルミーナが次に手を付けようとしたのはローストビーフ。
しかし、エルミーナはそれを凝視しているだけで、手をつける様子はない。
「ねえ、ブルホーンって名前は聞くけど、わたくし一度もブルホーンを見ていないわ。もしかして、ここに並んでいるローストビーフって……」
「いや、違う! それは普通に村で交換してもらった牛の肉だ! 断じてうちの牧場にいるブルホーンの肉なんかじゃないぞ!」
エルミーナの誤解を解くために俺は強く否定する。
うちの牧場では食肉のために魔物を飼育する予定はない。動物はともかく、食べられるとわかっていて牧場にいるほど魔物達は穏やかではないからな。
「そ、そう。よかったわ」
俺の答えに一安心したのか、エルミーナはナイフとフォークを使って綺麗に切り分ける。
そして、スライスされたローストビーフを口へ。
「ローストビーフも中々いけるわね」
思わず目を丸くして驚くエルミーナ。
きっと想像よりも料理がおいしくて驚いているのだろう。
「エルミーナ様、こっちのピッザも美味しいですよ! チーズはブルホーンのミルクから作られているんです!」
食べて少しずつ元気になっていくエルミーナを見てか、リスカがすかさずピッザを勧める。
「ええ、ありがとう。いただくわ」
エルミーナはリスカの勢いに若干押されながらも、カットされたピッザを手に取って食べる。
「んんっ!?」
チーズが予想以上に伸びたことでエルミーナの口から手にかけてチーズの橋が誕生し、首を大きくのけぞらせることで、ようやく切れる。
それを見ていたリスカとレフィーアがニヤニヤと笑うが、エルミーナは顔を赤くして不満そうにしながらもピッザを食べ続けた。
それからエルミーナは、先程のしょぼくれた雰囲気を吹き飛ばす勢いで料理を食べ進める。
それに負けじとリスカやレフィーアも食べていくものだから、夕食はあっという間になくなってしまった。
「ふう、田舎だから料理はあまり期待していなかったけど、結構やるじゃないの」
食事が終わって、上品に口元をハンカチで拭うエルミーナ。
先程とは打って変わって出てきた強気な言葉に思わずクスリと笑ってしまう。
「なに笑っているのよ?」
「いや、夕食を食べてちょっと元気になったなーってな」
「……少しだけよ」
笑いながら指摘してやると、エルミーナは自覚があったのか顔を赤くしながら小さく呟いた。
「ピッザはフォレストドラゴンの好物だからな。もしかすると、作れるようになれば得かもしれないな」
「それは本当!? 今すぐ作り方を教えなさい!」
枝葉を手に入れるための餌をぶら下がると、エルミーナは前のめりになって叫んだ。
「さすがに今は勘弁してくれ」
初日は散々な結果に終わったエルミーナだが、夕食を食べて少しだけ元気を取り戻してくれたのでよかった。




