やってきた貴族令嬢 4
「――はっ!」
朝の作業が終わってしばらく。リビングで休憩していると、ソファーに寝かせていたエルミーナが勢いよく上体を起こした。
俺とリスカが思わず視線を送ると、エルミーナは漏れ出た声が恥ずかしかったのか顔を赤く染めて誤魔化すように咳払いした。
「わたくしは気絶したの?」
「ああ、モコモコウサギ達に呑まれてな」
俺の言葉を聞いて状況を思い出したのか、エルミーナはため息を吐いた。
「仕事をやらせてちょうだい。サボってしまった分を取り返したいの」
「そうは言っても朝の仕事は一通り終わって、特にやることもないんだけどな」
魔物達の餌やりも終わったし、厩舎内の掃除なんかも、餌の仕込みもエルミーナが気絶している間にやってしまった。
やるべきことはあるにはあるが、エルミーナにできるようなものは少ない。
「わがまま娘よ、仕事が欲しいならば我が与えようではないか」
家の掃除でも頼もうかなと思っていると、窓の外にいるフォレストドラゴンがそんなことを言った。
「それってもしかしてあなたのお世話かしら?」
フォレストドラゴンのお世話=枝葉獲得への最短ルートだと考えているからか、エルミーナの顔が輝く。
「そんなわけなかろう。超繊細な我のお世話をがさつなお前に任せられるものか」
「が、がさつって……」
「仕事が欲しいのであれば、こやつらの相手をしてやるといい」
フォレストドラゴンはそう言って、生やした蔓の上に乗せたモコモコウサギを見せた。
「えっ……」
しかし、それはエルミーナからしてみれば、つい先ほど軽いトラウマを与えてきた魔物。一瞬にして彼女の顔が曇る。
「何だ、その嫌そうな顔は? もしかして、飼育員とあろう者が魔物と遊ぶこともできないと言うのか?」
「で、できるわよ! 魔物の相手くらいこなしてみせるわよ!」
こらこらフォレストドラゴンよ。そんな風に煽ったらこのお嬢様は乗ってしまうに決まっているだろ。
「エルミーナ様、あんまり無理しないほうが……」
「できる!」
リスカが気を使って止めようとするが、エルミーナはスタスタと歩いて外に出てしまった。
「ふむ、これは見物だな」
「あんまり虐めてやるなよ?」
「虐めるとは人聞きの悪いことを。我はただ仕事を欲しがるわがまま娘にそれを与えてやっただけだ」
俺が軽く注意するも、フォレストドラゴンはすっとぼけたように言って笑った。まるで意地の悪い姑が嫁をいびっているような光景だな。
「アデル兄ちゃん、どうする?」
「心配だから俺達も外に出ることにしよう」
「わかった。あたしも行く」
魔物が苦手なエルミーナが、いきなりモコモコウサギの相手をできるとは思えないからな。
心配になった俺とリスカが外に出ると、エルミーナがモコモコウサギの群れに近付いていた。
しかし、その歩みはかなり遅い。
大量のモコモコウサギを前にして緊張しているのだろう。
一方、モコモコウサギ達は呑気に牧草の上を転がったり、ボーっと空を眺めていたりと思い思いに過ごしている。顔を青くしながら近付いていくエルミーナと違って、のんびりとしたものだ。
そして、エルミーナの動きが止まった。
モコモコウサギを前にして心の準備をしているのだろう。
彼女は深呼吸を繰り返して心を静めている。
すると、近くで見守っていたフォレストドラゴンが急にこんなことを言い始めた。
「おい、モコモコウサギ達。今日はそこの小娘が遊んでくれるようだぞ。存分に相手してもらうといい」
「「「「「「ピキピキ!」」」」」」
その言葉を聞いたモコモコウサギ達は一斉にエルミーナのほうへと振り向むいた。つぶらな瞳は期待や喜びに満ちている。
魔物の言葉がわからない俺達ではあるが、その時ばかりは「え? 遊んでくれるの!?」という声が響いてくるようだった。
「ひいっ! ちょ、ちょっと待って! 心の準備がまだできてないし、これだけたくさんの魔物の相手をするのは無理よ!」
じわじわと寄ってくるモコモコウサギ達に恐れをなしたのか、エルミーナが一目散に逃げる。
「おお、追いかけっこだ! 皆、あの小娘を捕まえろ!」
「「「「「「ピキー!」」」」」」
エルミーナの逃走とフォレストドラゴンの煽る声を合図に、モコモコウサギ達は一斉に転がり出す。
「いやあああああああああああ! 来ないで!」
「「「「「「ピキイイイイイッ!」」」」」」
悲鳴を上げて全力で走り出すエルミーナと、喜んでそれを追いかけるモコモコウサギ達。
彼らの中では、エルミーナが遊んでくれているというのが決定しているのだろう。
エルミーナがどれだけ悲壮な悲鳴を上げようとも、追いかけるのをやめることはない。
エルミーナは転がってくるモコモコウサギ達を避けながら全力疾走。
そこに余裕や加減などといったものは一切ない、真剣そのもの。
それ故に前が見えていなかったのだろう。エルミーナは牧場内でうたたねをしているベルフの尻尾を思いっきり踏んづけてしまった。
「ギャンッ!?」
ベルフから聞いたことのないような甲高い鳴き声が聞こえる。
ベルフにとって尻尾を踏まれたことは、よっぽどの衝撃だったのだろう。
「グルルルルルルッ!」
「ひっ!?」
興奮と怒りが混じったベルフの唸り声を聞いて、エルミーナは素早く方向転換。
しかし、そこには日向ぼっこをしているクリーナースライムがいて、エルミーナはさらにそれを踏んづけてバランスを崩した。
「うわあぁっ」
ベルフの尻尾踏みから、クリーナースライムを踏んづけて転けるという合わせ技に、リスカが見ていられないとばかりに顔を背けた。
俺にもリスカの気持ちがわかる。
なんというか、ここまで不運というか不注意が重なると居たたまれなくなって見ていられない気分になるのだ。
「いったい! なにか足元でぐにゅっと――」
起き上がろうとしたエルミーナはそこではたと気付く。自分の足や顔にクリーナースライムが絡みついているということを。
普通のスラリンやヒールスライムであれば、それで終わりだが、相手は人間の肌にある汚れが大好物なクリーナースライム。早速、肌の汚れを食べるために全身を這いずり回る。
それをエルミーナが認識した瞬間――フッと瞳から光が消えて、ぐったりと倒れ込んだ。
そして、そこに追い打ちとばかりに追いついたモコモコウサギがのしかかる。
「「ああああー……」」
確認するまでもない。
エルミーナは再び気絶してしまった。
「何だ? スライムに絡みつかれたくらいで気絶するのか? そんなことで飼育員が務まるのか? 我が枝葉を与える日は、まだまだ遠そうだな」
そんな光景を見て、フォレストドラゴンは楽しそうに笑っていた。




