やってきた貴族令嬢 2
「そういうわけで一時期の間だけど、わたくしが牧場の仕事を手伝ってあげることにしたから」
フォレストドラゴンとの会話が終わった後、我が家に上がり込んだエルミーナはリビングでみんなに堂々と告げた。
「いいでしょう。それでは明日からエルミーナ様は魔物牧場の臨時飼育員としてここで働くということで」
「え、ええ? そんな簡単に決めていいの?」
「だよな。それにここはジルハート様が絡んでいるんだろ?」
あっさりとそれを了承するレフィーアに、リスカだけでなく俺も驚く。
この牧場は第三王子であるジルハート様が出資している。勝手にクロイツ家の三女を働かせるような真似をしてもいいのか?
「ああ、そこは問題ない。勝手に素材を市場で売るようなことをしなければ、あいつは口を出さん。それに基本的な運営については社長である私に任されているからな。そういうわけで馬車にある荷物を取ってくるといいですよ」
「わかったわ。しばらくお世話になるから」
「随行者の人はどうします? 申し訳ないですが、うちでは……」
「彼らには暇を出して、近くの街で待機してもらうわ。牧場や村には負担はかけないから安心して」
よかった。さすがにお付きの人や護衛まで泊めるようなスペースも余裕もうちにはないからな。かといって気位の高い彼らを村に泊めるのもどうかと思ったので、一安心だ。
一通り話すとエルミーナは家を出ていく。馬車に戻って、宿泊の準備をするつもりだろう。
「レフィーア、俺にはエルミーナ様が魔物牧場でやっていけるとは思えないんだが……」
「あたしもそう思う」
エルミーナがいなくなったところで、俺とリスカは正直に思っていることを告げた。
「アデルやリスカの言う通りだな。魔物はおろか、動物だって苦手な箱入り娘だ。魔物の相手など到底できないだろう。それに身体も鍛えていない典型的な魔法使いタイプだ。大量の餌を運んだり、重いフンを運ぶような重労働ができるはずもない」
「じゃあ、何で飼育員として働かせるようなことをするんだ?」
できないとわかっていながら、エルミーナを牧場で働かせるレフィーアの意図が俺達にはさっぱりだった。
「こんな下働きみたいな真似と彼女は言ったのだろう? 私達が好きで誇りを持って取り組んでいる仕事をあまりにバカにしすぎている。そんな奴が何も知らずに帰るだなんて、こっちがムカついて仕方がないだろう?」
これは……どう見てもレフィーアがキレてるな。
尋ねるまでもなく俺とリスカにはそのことがよくわかった。
表情や口調こそ、いつもと同じような静かなものである。
しかし、それがかえって彼女の怒りをこれ以上なく示しているように思えた。
王都で自分の研究や育てている魔物をバカにされた時、彼女はこのように静かな怒りを宿していたが、今回のものはそれ以上だ。
よほど、エルミーナの言葉や態度にイラついていたに違いない。
「ま、まあ、俺も思うところがあるのは事実だが……」
レフィーアの言葉には同意するが、それでも経験のないエルミーナをここで働かせてみるのはあまりに危険だ。
「とはいえ、このような私怨だけでご令嬢を働かせるわけではない。私達の牧場では今後もたくさんの魔物達が増えていく。それに伴い飼育員も増やしていく必要があるわけで、その時には新人を指導する必要があるだろう?」
「……つまり、新人さんの面倒を見ると思って指導してほしいっていうこと?」
「そういうことだ」
リスカの言葉に深く頷くレフィーア。
動物の知識を有する者は、既に己の職業を持っていて誘致することは難しい。
魔物の知識を持っている者は多いかもしれないが、それは対峙するが故のこと。魔物に対する忌避感が強くて中々働くことを了承してはくれないだろう。
そうなると、飼育員を務めるのにはどちらでもない素人のほうが忌避感もなくていいのかもしれないな。
「魔物達の世話にも大分慣れてきた二人ならできると信じているが?」
「はぁ、仕方がないな。飼育員の指導経験は積んでおくべきだし、少しの間だけなら面倒を見てやるか」
フォレストドラゴンがああ言ってしまった以上、エルミーナが黙って帰るとは思えないからな。
「そうだね。それに、どうせなら、あたし達の仕事がどんなにいいものか知ってもらいたいし!」
さすがはリスカ。どこかの怖いお姉さんとは大違いだな。
ちょうど受け入れることを決意したところに、エルミーナがやってきた。
「わたくしの寝室はどこにありますの?」
「その前に、せっかく同じ場所で働くのですから改めて自己紹介を。私はともかく、エルミーナ様は二人の名前も聞いていませんでしたから」
「わかったわよ……改めて、わたくしはエルミーナよ。あなた達の名前を教えてくれる?」
「俺はアデル。この牧場の現場を仕切っています」
「あたしはリスカです。元は酪農家だったんですけど、アデル兄ちゃんの牧場をお手伝いしています!」
「アデルとリスカね。よろしく。ところでお兄ちゃんって二人は実の兄妹なのかしら?」
リスカの言葉が気になったのだろう。エルミーナが首を傾げて尋ねてくる。
「幼馴染で、血は繋がっていませんが兄妹みたいなものですね」
「……そう、兄妹で仲が良くていいわね」
「えっ?」
エルミーナの口から微かに漏れた言葉に、俺はきょとんとしてしまう。
「なんでもないわ。それより寝室に案内してくれる?」
「あ、はい。これから案内します」
そう言って案内しようと歩き出した俺であるが、すぐにエルミーナに呼び止められる。
「ちょっと、女の子が荷物を持っているのよ? 何も言わずに持ってあげるのが男の務めじゃない?」
いきなり頭の痛いことを言い出すお嬢様にため息が出そうになる。
思わず視線で助けを求めると、レフィーアが口を開いてくれた。
「あらかじめ言っておきますが、飼育員として働く以上、今後はあなたのことは一切貴族扱いしません。今からあなたは、私、そしてアデルの部下という扱いになりますから、そのおつもりで」
「何よ。わたくしはあなたやこの男の部下になった覚えは……」
「それが受け入れられないようであれば出ていってください。文句があるならばジルハート様になんなりと」
「く……わ、わかったわよ」
レフィーアにそう言われて、エルミーナは悔しそうにしながらも頷いた。
「途中まではカッコよかったのにな」
「第三王子という便利な盾があるんだ。使えるものは使っておかないとな」
虎の威を借りることに何の躊躇もないレフィーア。ここまでくるといっそ清々しい。
エルミーナが納得したところで、俺は再び足を進める。
リビングから出て、他の部屋を説明しながら二階へ。
「ここがエルミーナ様の寝室になります」
エルミーナの部屋は、俺の寝室からもっとも遠い部屋だ。
レフィーアは一切貴族扱いしないと言っていたが、相手は貴族のご令嬢。それなりの配慮はしてやるべきだからな。
「これがわたくしの寝室? もっと――なんでもないわ」
もっと広い部屋がいいとでも言おうとしたのだろう。
しかし先ほどのレフィーアの言葉を思い出したのか、エルミーナは口を閉ざした。
残念ながら広い部屋はレフィーアが研究室として利用しているので、もう余っていない。
それでも一般的な広さはあるのだから、これで勘弁してほしい。
「夕食はどうしますか?」
「……荷物の整理をしたいからいらないわ」
まあ、いきなり一緒に食べるというのも気まずいのだろう。エルミーナが乗ってきた馬車には食料もあるだろうし構いやしない。
「わかりました。では、整理を終えたら早めに就寝してください。飼育員の朝は早いですから」
「わかったわ」
「仕事が始まる明日からはエルミーナ様を部下として扱うので、そのこともご了承ください」
「ええ、それがここで働く条件だもの。受け入れるわ」
エルミーナの返事を聞いたところで、俺は退室する。
はぁ、あの子が明日から俺の部下として働くというのか……。
ちょっと気が重いな。




