スライムが仲間になりました 2
現実か夢の中か、どこか曖昧な境界をたゆたう。
それが心地よくて、覚醒しそうになる意識を沈ませては浮かせてを繰り返す。
そうしていると、ふとお腹の部分に重みが加わった気がした。
微かな違和感を覚えながらも今の状態が心地いいのでそれを無視していると、重みはズリズリとせり上がってきた。
独特の柔らかい感触に驚きながらなおも目をつむっていると、やがてそれは顔を覆ってきた。
「ぬおっ!?」
顔に重みが加わることは別に構わないが、呼吸ができないのは困る。
その衝撃で俺一気にまどろみを彷徨うのをやめて、顔に乗っているものを引き剥がした。
目を開けると、右手にはスライムが掴まれている。
「……何だ、スラリンか。朝から心臓に悪い起こされ方をした気がする」
そう、こいつはスラリン。昨日、魔物牧場に侵入してきたのを捕縛し、うちで育てることにしたスライムだ。
スラリンは、ベルフやモコモコウサギ達のように自らの意思でここに住むことを決めたわけではない。ただ、何となく牧場に入ってきてしまっただけの魔物だ。
それをここで育てることにしたのだから、当然逃げてしまう可能性がある。
それではこちらとしても困るので、ここが安全な場所だと理解してもらうために寝室に入れたのだが……まさかいきなりのしかかってくるとは思っていなかった。
「どうしたんだ? お腹でも空いたのか?」
「…………」
俺がそう尋ねるも、当然発声器官を持っていないスライムが何か言葉を発することはない。
ただジーッと俺の右手に掴まれている。
寝る前に与えた餌は、とっくに消化されており透き通った体だ。
消化するものがなくなって餌がなくなったからお腹が空いた。
それで俺を起こしたという推測が合っているのだろうか。
「うーん、まだよくわからないけど、とにかく起きるか」
スライムを観察したことはあっても、一緒に暮らすことは初めてなのだ。
これからゆっくり生態を知っていけばいい。
いつもの起床時間より少し早いが、スラリンのおかげですっかり目が覚めたので素直に起きることにする。
スラリンをベッドの端に置いて、寝間着から作業着に着替える。
すると、スラリンがいつの間にかベッドから移動して、俺の足元にやってきていた。
俺に付いてくるという意味だろう。
微笑ましく思いながら扉を開けて廊下に出ると、スラリンもゆっくりと床を這って移動する――のだが、とても遅い。俺が一歩で移動できる距離でも、スラリンは十秒くらいかかってしまう。
だけど、このまま放置して先に降りるのも可哀想なので、スラリンを抱えて移動することにした。
程なくリビングに到着。
「早起きしたことだし、朝からしっかりとした朝食でも作ろうかな」
一人だったらそんな気力も起きなかったが、この家にはそれで喜んでくれる二人がいるからな。多少手間がかかろうと苦になることはない。
俺はスラリンをテーブルの上に置いて、冷蔵庫へと移動。
昨日、村で買ったばかりのトマトがあったので、冷製スープを作ることに決めた。
トマトを四つほど手にして台所へ戻ると、バケットを先にスライスして竈に入れてしまう。
これで料理が完成する頃には、カリカリになっていることだろう。
パンの作業が終わると、トマトを水で洗ってヘタを取る。
後はそれを細かく切ってしまうだけだ。
まな板の上でトマトを切っていると、スラリンが台の上によじ登ってきた。
スラリンはトマトに興味を示しているので、切ったトマト少しとヘタを与えてみた。
すると、スラリンは喜ぶようにそれを体に取り込んだ。
「おお、台所に一匹は欲しい便利さだな」
食事をする場所に魔物であるスライムを置くのはどうかと思うけど、料理中に出る生ごみを処理してくれると思えばとても便利だな。
トマトのヘタを取り込んだスラリンは、その後も動き回ることなく台の上で佇む。
体に栄養が入ることで落ち着いたのだろう。
その様子がどこかリスカのようでクスリと笑ってしまう。
本人に言ってしまえば、すごく怒られそうだ。
トマトを細かく切ると、それをボウルに入れて多めの塩と胡椒で味付け。
さらに刻んだバジルを入れて、そこに蜂蜜やオリーブオイルを加えて混ぜる。
水分はしっかりとトマトから出てくるので、これだけで冷製トマトスープの完成だ。
思ったよりも早くできてしまったので、追加で目玉焼きやソーセージも焼いていく。
すると、ソーセージの香ばしい匂いに反応するかのように、二階からリスカが降りてきた。
「おっ、おはよう、リスカ。ソーセージの匂いに釣られたか?」
「違う! 普通に目が覚めただけだからね!」
そう言い張るリスカだが、お腹から「くう~」と可愛らしい音が鳴っているために説得力はまるでなかった。
「うー、朝からソーセージを焼くアデル兄ちゃんが悪い! お腹空いた!」
リスカは顔を赤くしながらも開き直るように叫んだ。
なんだかんだと素直なところが可愛らしいな。
「せっかく早起きしたことだし、今日は先に料理を食べることにするか」
「賛成!」
本当はトマトの冷製スープを作っておくだけにしようと思ったが、興が乗って目玉焼きやソーセージまで焼いてしまった。
ここで食べてしまわないと冷めては美味しくないからな。
「あっ、スラリンもちゃんといるね」
「朝から顔にのしかかってきてな。それで起こされた」
「それでいつもより起きるのが早かったんだ」
普段は起きるのがもう少し遅いからな。今日早起きしているのはスラリンのおかげだ。
リスカとたわいのない会話をしていると、無事に目玉焼きとソーセージが焼き上がった。
「リスカ、そろそろバケットが焼けたはずだから、取り出して皿に盛り付けてくれ」
「はーい!」
リスカにバケットを任せて、俺は食器棚からスープ用の深皿なんかを取り出す。
そこにトマトスープを注いで、目玉焼きとソーセージは平皿に盛り付ける。
「おお、今日はトマトスープだ!」
それをリスカがテキパキとテーブルに運んでくれたので、俺は朝の一杯であるブルホーンのミルクを三人分用意。
「あたし、レフィーアさんを呼んでくるね!」
食事の用意が整うとリスカがそう言って二階に上がっていく。
起こす時間は早いが、これも魔物牧場に滞在する故の定めと思って諦めてもらうしかない。
さて、食事となるとベルフも呼んであげないとな。
玄関の扉を開けると、既に起きていたベルフが元気よく吠えた。
尻尾が大きく揺れており、鼻をスンスンと鳴らしていることから朝食ができていることも匂いで察知していたのだろう。
「今日は朝食を先にするから中に入っておいで」
「ウォッフ!」
そう言うとベルフは嬉しそうに家の中に入ってきた。
ベルフを連れてリビングに入ると、ちょうどリスカがレフィーアを椅子に座らせたところだった。
「……なんだ、今日は朝食が先なのか。まだ眠いが美味しそうなので許すことにしよう」
何だかフォレストドラゴンみたいなことを言っているが、ちゃんと起きてきたので良しとする。
「さて、いつもより少し早いけど食べるとするか」
全員が揃ったところで俺達はいつもより少し早い朝食を食べた。
◆
朝食が終わると、ソファーで一休みしているレフィーアに俺は尋ねた。
「レフィーア、スラリン育てる方針とかコツはあるのか?」
「うーむ、スライムは本当に何でも食べるし気を付けるべき点も特にない。今はひとまず餌を与えて増やすことだけ考えればいい。強いて言えば、体を変化させて隙間に入り込むことがあるから、そこだけ注意していればいい」
「そうか、わかった。じゃあのんびりと数を増やしてみることにするよ」
ひとまずスラリンに意識してもらうべき点は、ここが安全な場所だということだろうな。
簡単に人間や他の魔物に狩られてしまう存在だからこそ、ここで暮らせることに意味が出てくるはずだ。
俺はスラリンを牧場に放してみることにした。
まずは牧場に慣れてもらうことが大事だしな。
「ベルフ、念のためにスラリンを見ていてくれ」
「ウォッフ」
他の魔物がスラリンを見て侵入者だと思ってパニックになるかもしれないしな。
ベルフが傍にいれば少なくとも侵入者じゃないことだけはわかるだろう。
「スラリンは自由に過ごしていいぞ。ただ、牧場の外に出ないでくれると助かる」
理解しているかは不明だけど、そう声をかけてブルホーンのいる厩舎に入る。
いつものようにブルホーンを檻から連れ出して、定位置へと連れていく。
その時に横目でスラリンを確認してみると、ピッキーと二匹のモコモコウサギが近付いていた。
「ピキ? ピキピキ?」
「ピッキー?」
「ピキピキ?」
今まで牧場にいなかったスラリンがいるのが不思議でたまらないのだろう。
「ピキ?」
「ウォッフ」
ピッキーが傍に寝転んでいるベルフに話しかけて、それにベルフが答える。
魔物達の間でどのような会話がなされているかは不明だが、とりあえずは侵入者ではないと理解してくれたようだ。
好奇心の強いピッキー達は、スラリンを耳でツンツンと突く。
プルリプルリと形を変えるスラリンが面白いのか、ピッキー達は大はしゃぎでスラリンを突いたり、転がしたりしていた。
スラリンは特に抵抗もせずにされるがままであったが、転がされている最中に突如としてモコモコウサギに擬態した。
「ピキ!?」
スラリンが自分と同じ姿をしたことに驚くモコモコウサギ達。
そういえば、スライムは形状を変化させて相手に擬態することができたな。
とはいっても、勿論体は透明な水色で形だけのものだ。
間近で観察し、触れられたことで即座に形状を把握したのだろう。
モコモコウサギになったスラリンはのっそりと動き始める。
やはり、擬態するだけで運動能力までは真似できまい。
モコモコウサギに耳で押されると、スラリンはあっという間に転がってしまった。
転がるスラリンが面白くてピッキーやモコモコウサギは喜んで追いかける。
知らない間にやってきたスラリンに対して、特に警戒心も抱いていないようで何よりだ。
まあ、モコモコウサギ達ならば、変に警戒したり、避けたりなんかしないと思っていたけどな。
ひとまずスラリンが他の魔物と馴染んでいるようで安心だ。
ブルホーンの世話を終えて、スラリンを眺めているとフォレストドラゴンがのっしのっしと歩いてくる。
「アデルよ、あれは新しく育てることにした魔物か?」
「ああ、スライムのスラリンだ。昨日やってきたところを保護して、育てることにしたんだ」
「……魔物の中でも最弱のスライムを育てることに何の意味があるのだ? あいつからはロクな素材も得られないだろう?」
さすがは魔物の中でも生態系のトップに君臨するドラゴン。ナチュラルにスライムを見下している。
「スライムの何でも消化する能力に目をつけていてね。俺達が出す廃棄物なんかを処理してもらえないかなって思ったんだ」
「なるほど、素材ではなく能力に目をつけたのか。外ではあいつらは真っ先に人間や魔物に淘汰される魔物だ。ここで育てられれば安心であろう」
フォレストドラゴンがそう言うということは、本当に外ではスライムは狩られまくっているんだろうな。
「で、話は変わるのだが我のブラシはいつになったらできるのだ?」
おお、そういえば魔物達の診断結果を纏めたり、スラリンを発見したりですっかり報告するのを忘れていた。
「あー、実はブラシを作るには魔物の素材が必要でね。今度、トレントの森に行く時に探してみようと思っているんだ」
「なぬ? それではまだ時間がかかるというのか?」
「あんたの強固な鱗のせいで、そんじょそこらの毛じゃ耐えられないからだよ。悪いけどもう少しだけ待ってくれ」
「しょうがない。その代わりにちゃんといいものを頼むぞ?」
「ああ、ちゃんと職人に頼んであるから、そこは大丈夫だ」
少なくとも前の床磨きのブラシよりは、よくなるに違いない。
「みんな、ご飯だよー!」
フォレストドラゴンと話し合っていると、リスカが桶に餌を用意してばらまいていた。
「あれ? なんか変なモコモコウサギがいる!?」
モコモコウサギに擬態したスラリンは、ごく自然にそこに交じってばらまかれた餌を吸収していた。なんだかんだとちゃっかりしているのかもしれない。
いずれにしても、あの様子ならばここに馴染むこともできるだろう。




