成長した顔見知り 2
両親にブルホーンのミルクを渡して近況報告を終えたら、次はフォレストドラゴンのためのブラシだ。
生憎とブラシを作っている職人に知り合いはいないので、直接店を訪ねるのが早いか。
「おい、アデル。ちょっといいか?」
そう思って店に向かおうとしていると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには先ほどミルクを買ってくれたデルクさんと、ガタイのいい金髪の青年がいた。
「ん? どうしたんだ、デルクのおっさん。ブルホーンのミルクなら、もうないぞ?」
「いや、そうじゃなくてだな。こいつが頼みたいことがあるっていうから連れてきたんだ」
デルクさんがそう言うと、隣に立っていた青年が前に出てくる。
「一応、聞くけど僕のことは覚えているかいアデル?」
青年はその見た目とは裏腹に優しげな声を出す。
しかし、子供の頃の俺に、このような知り合いがいたかは思い出せない。
というか、知り合いだとしても九年以上前のせいか特別に親しかった奴以外はあやふやだ。
「……すまん、思い出せない」
「いや、思い出せないのも無理はないよ。僕と君はそこまで親しかったわけでもないし。僕はルードなんだけど……」
青年がルードだと名乗った瞬間、昔の記憶と微かに紐づいた。
「ん? ちょっと待て。ルードという少年は俺の記憶ではもっと華奢で女みたいなやつだった」
目の前のルードと記憶にあるルードの姿が、どうしても繋がらない。
「あっ、覚えていてくれたのかい! そうそう、よく女みたいってからかわれていたルードだよ!」
「嘘つけ! どこからどう見ても、ルードじゃないだろう!」
記憶にあるルードは、男女と言われていたリシティアとは正反対で、男なのに女みたいに華奢でなよなよしていた少年だ。とても目の前にいるようなゴツゴツした奴ではなかった。
「さてはデルクのおっさん、俺が久しぶりに戻ってきたからってからかってやがるな?」
「ハッハッハ、ちげえよ。そいつは本当にお前の知っていたルードだ。ただ大人になって変わっただけだ」
「細い身体じゃ力仕事が求められる家具を作るのに困るし、コンプレックスだったから頑張って食事もたくさんとって、身体も鍛えたんだよ」
「だからって、そんなに変わるものなのか……」
見た目に関してはかなりの変化だが、ルードの優しげな声と表情は変わっていない。
まあ、あのリシティアが結婚しているくらいだ。ルードが大きく変わったとしてもおかしくはないだろう。
「まあ、驚いたがお前がルードだってことはわかった。それで俺に頼みたいことって何だ?」
「ああ、それなんだけどトレントの木を売ってくれないかい?」
ルードの思いもよらない頼みに俺は少し驚く。
「それを何に使うんだ?」
「トレントが上質な木材になるのは知ってるよね? それを使って家具を作ってみたいんだ」
「なるほど」
ルードの家は家具屋さんだ。上質なトレントを使って、いい家具を作りたいと思うのは何も不自然なことではない。
王都でもトレントを材料としていた家具は、貴族の間で重宝されており結構な値段がついていたからな。
「あ、ついでになるがそれと俺のところにもトレントを少し売ってほしい」
ルードのことを考えていると、さりげなくデルクさんも頼んできた。
ルードを紹介してくれたとはいえ、さらりと自分も頼み込むとは面の皮が厚い。
「デルクのおっさんはどうしてなんだ?」
「ワインっていうのは樽の中で発酵させるもんだが、樽に使う木材によって味が変わるんだ。トレントを使えば、いい味のものができるんじゃないかと思ってよ」
「あー、俺はあんまり酒を飲まないから詳しいことはわからないけど、トレントの樽を使ったワインがあるって聞いたことがある」
騎士団にいた酒好きの奴が、トレントの酒を飲んでみたいと言っていた気がする。
「本当か!? 作り方とかわかるか!?」
デルクさんが興奮した様子で肩を掴んでくる。
「いや、ごめん。興味なかったからほとんど聞いてなかった」
「なんだと!? まあ、それは自分で作ってみせるから売ってくれ」
ブドウ農家としてのプロの意識だろうか。製造法を知らなくてもめげることなくデルクさんは頼んでくる。
どうしよう。正直、トレントの森は自分でも持て余しているんだよな。
植物系の魔物と意思の疎通が図れるフォレストドラゴンがいてくれたおかげで、仲良し契約を結んでいるのだが。どうしたらいいものか。
レフィーアは出資者に報告したので、それから動き出せばいいと言っていたが、あそこは村の資源でもある。
それを俺達だけで独占するというのは良くない気がする。
「二人の意見はわかった。今、ちょうど牧場に上司がいるから前向きに検討してみるよ」
「ありがとう! もし、卸してくれるならトレントで家具を作ってあげるよ!」
「うちも卸してくれたら美味いワインを飲ませてやるから頼むぜ!」
「それは楽しみだ」
トレントについての話がある程度纏まったので、俺は早速牧場に戻ろうとしたが、ふと我に返ってブラシのことを思い出した。
「あっ、そういえばいいブラシを作れる人を知らないか?」
「それなら僕の家でもいいブラシを作ってるよ。うちにくるかい?」
「ああ、ちょっとお邪魔させてもらおう」
うちのブラシは用途が特別だし、実際に物を見ながら相談するほうがいいだろう。
そんなわけで、俺はデルクさんと別れて、ルードの家に行くことにした。
◆
ルードの家は村の中心部から少し離れた山の近くにあった。木材を主に組み立てた少し大きめの家だ。
「ここが僕の家であり工房さ。中に入ってくれ」
ルードに案内されて中に入ると、まず感じたのは木材のいい香りだ。
木材独特の柔らかな匂いが充満していて、優しい気持ちになれる。
家の中にいながらまるで自然の中にいるようだ。
「騎士団で何度か建築物を建てたことがあるからわかるが、いい家だな。木材の歪みがまったくない」
ルードの家は木材を組み合わせた、一見して単純に見える構造だ。
しかし、これを上手く作るのが難しいのだ。少しでも長さが異なれば隙間ができてしまい、木材の乾燥が甘ければ、残っていた水分が蒸発した際に歪んでしまう。
ルードの家にはそれらが一切なかった。
「ありがとう。今日は父さんと母さんは木材を見に山に行っているから、気にせず自由に座っていていいよ」
「わかった」
ルードに促されて俺は椅子に腰かける。
背もたれのない切り株のような単純な椅子であったが、それがこの家の雰囲気ととてもマッチしていた。
木材でできた家を眺めながら待っていると、ほどなくしてルードがお茶を持って対面に座る。
「それでアデルはどんなブラシが欲しいんだい?」
「えっと、普通の注文と違って申し訳ないんだが……フォレストドラゴンの鱗や爪を磨けるようなブラシが欲しいんだ」
「…………魔物の毛を整えるためのブラシを欲しがっているとは思ったけど、まさかフォレストドラゴンを磨くためとは予想外だ」
さすがの注文内容にルードも驚きを隠せないようだ。
うん、そうだよね。普通の人がドラゴンを磨くためのブラシを作ってくれなんて言うはずないしな。
「今までは床を磨くための硬いブラシを使っていたんだけど、数回使っただけでダメになっちゃって」
「床磨き用がすぐにダメになるんだったら、相当硬いものじゃないとダメだね」
牧場の床を磨くためのブラシも相当硬い。
それでダメなのだから、ルードの言う通りもっと硬い素材でないと厳しいだろう。
「一応、参考になると思ってフォレストドラゴンの鱗を持ってきたんだが……」
「少し触ってもいいかい?」
「ああ、重いし肌を切る可能性があるから注意してくれ」
「わかった」
俺が忠告をするとルードは手袋をはめて、テーブルの上にのせた鱗を手に取った。
その顔つきは先ほどのような柔らかいものではなく、凛々しい立派な職人の顔つきだった。
ルードはあらゆる角度で鱗を観察すると、指で表面を軽くなぞったり、叩いてみたりする。
「これだとワイヤーブラシでも厳しそうだね。硬い魔物の毛を使用したほうがいいかも」
「ちなみにワイヤーブラシっていうのは?」
魔物の硬い毛は想像できるが、ワイヤーブラシというのは聞き覚えがない。
「ああ、金属の錆び落としや塗装剥がし、研磨作業なんかに使う、針金のような金属を使ったブラシだよ」
「……それって、もう金属の加工の領域じゃないか」
「詳しい硬度はわからないけど、それくらい硬いからね」
思わず苦笑いしてしまう俺とルード。
フォレストドラゴンの鱗だもんな。一筋縄ではいかないに決まっている。
「ちなみにルードでも作れそうか?」
「ブラシを作ること自体は、それほど難しくないけど素材がね……」
「どんな素材がいいんだ?」
「フォレストドラゴンの鱗に負けない硬さとしなやかさを兼ね備えた毛が欲しい。ここら辺で生息している魔物で当てはまりそうなものだとハリボーかな?」
ハリボーというのはネズミのような姿をした魔物で、外敵から身を守るために体中に棘を生やしている魔物だ。
「……それって、毛というより針じゃないか?」
「そうだね。使い方を誤れば立派な武器だね」
つまり、フォレストドラゴンに合わせたブラシを作るとなると、それくらいのものが必要というわけか。
「わかった。時間のあるときにハリボーを見つけて棘を取ってくる」
「頼むよ。これで無理だったら、他の魔物の素材を取り寄せるしか方法はないかもだけど」
「その時は伝手を頼って大人しく取り寄せることにするさ」
何せ今は上司であるレフィーアもいるし、出資者も目をかけてくれている。
フォレストドラゴンのためとあれば、素材を用意してくれるだろうが、ひとまずは自分にできることをやってみよう。




