魔物牧場 その2
「……ねえ、今の声はなに?」
「噂をすればなんとやらと言うべきか……もしかしたら、この声はレフィーアかもしれない」
その聞き覚えのある声に反応して外に出ると、ベルフに抱き着いている女がいた。
長い銀髪によれよれの白衣。間違いなく今の俺の上司にあたるレフィーアだ。
「ウォッフ! ウォッフ!」
俺が近付くとベルフが助けを求めるかのように鳴き声を上げる。
基本的に侵入者は傷つけないように言いつけてあるが、このようにいきなり抱き着いてくる奴は初めてで戸惑っているのだろうな。
「ベルフ、無理矢理引き剥がしていいよ」
レフィーアが相手であれば容赦はいらない。無断で借金を押し付けた恨みを晴らすかのように命令したが、ベルフは僅かに身動ぎをしただけで動くことができていない。
これは一体どういうことだ?
「くくく、無駄だよ。そうできないように私が的確に体を押さえつけているからね」
「押さえてるって、ベルフは魔物でかなり力持ちなのに!?」
「ベオウルフだって人間と同じく脳を持ち、筋線維を持っているんだ。不可能な話ではないよ」
だからといって、ベルフの懐まで躊躇なく飛び込めるとはすごいな。
レフィーアはベルフとのじゃれ合いをやめて立ち上がると、俺達の前に向き直った。
「やあアデル、久しぶりだね。で、君が新しく働くことになったリスカちゃんだね?」
「は、はい!」
俺への挨拶もそこそこにリスカと会話しだすレフィーア。
一応、魔物牧場の社長だからだろう。リスカも少し緊張した様子で答えた。
「君は魔物が好きかい?」
「好きです。元から生き物を育てるのは好きなので」
「ああ、実家は酪農家だったね。ライラックの雛が原因とはいえ、即戦力のいい子を捕まえたじゃないか。もしかして狙ってやったのかい?」
「……人聞きの悪いこと言うなよ。ところで、レフィーアはどうして急にやってきたんだ? こっちはフォレストドラゴンのことで大変だったのに。手紙の返事もしてくれないで」
「それだ! フォレストドラゴンがやってきたと手紙で知って、急いで駆けつけてきたのだよ! それで、フォレストドラゴンはどこにいる!?」
レフィーアが激しく興奮した声を上げて、こちらに詰め寄ってくる。
皮肉を混ぜて言ったが、全然効いてはいないようだ。
このままフォレストドラゴンを見せてやっては、夢中になって話を聞いてくれなくなりそうだな。
そうなる前に、一番重要な話を聞いておかねばならない。
「フォレストドラゴンに会う前に借金についてだ。これ、どうなってるんだよ? スポンサーからお金をもぎ取ってくるんじゃなかったのか? グリンドさんから見せられた手紙には、交渉に失敗したってあったけど」
俺が借用書を見せながら言うと、レフィーアは気まずそうな表情をした。
「あ……えーっと、それはその……聞いてくれ! スポンサーである猫被り男が意外とケチでな? 投資する価値がわからないものに投資するお金などないと言い出したんだ!」
そして、途中からなぜかキレて話題を転換していた。
しかし、それを逐一指摘していたらキリがない。
「……それを含めて、交渉するのが社長であるレフィーアの仕事だよな?」
「あ、うん……」
「それに無理なら無理で他に方法を考えるとか相談とかするべきだよな?」
「……まったくもってその通りです」
「何か俺に言うことがあるんじゃない?」
「……ごめんなさい」
さすがに負い目があったのか、俺が問い詰めるように言うと、レフィーアはあっさりと頭を下げて謝罪した。
まあ、レフィーアは新しい夢や生き甲斐をくれた人だから、俺だってこんな風に言いたくはなかった。
だけど、親しい中でもけじめは必要だったからな。
「見捨てられたと思ったけど、まあ、ちゃんと様子も見に来てくれたから許すよ」
「私がアデルを見捨てるわけがないじゃないか! で、フォレストドラゴンはどこにいる?」
ケロッと表情を変えながら言ってくるレフィーアにイラついたので、俺は軽く拳骨をお見舞いした。
「い、痛い! アデルが上司である私をぶった!」
レフィーアってこんな奴だっただろうか? 少なくても、魔物が絡んでいない時は理知的というか落ち着きのある大人の女性という感じだったが……稀少な魔物が絡むとこうもバカになってしまうのか。
「調子に乗り過ぎるからだよ。それよりフォレストドラゴンの素材は売ることができるのか?」
「ああ、それについては問題ない。スポンサーが直接買い取ってくれることになった。そしてアデル達の功績として、スポンサーから巨額の投資をしてもらえる」
「そうなんですか? じゃあ、今ある借金はもしかして……?」
「ああ、余裕でチャラだ。余ったお金でたくさんの魔物を飼うことができるようになる!」
恐る恐る尋ねたリスカの言葉に、レフィーアは胸を張って答えた。
おお、スポンサーのおかげで借金がチャラ!? ということは、ようやく借金から解放されるというわけか。
「やったなリスカ!」
「うん、これで一安心だね」
俺とリスカは嬉しさと安堵のあまり、手の平を打ち合わせて喜ぶ。
「な、なんだね。アデルの貯金を考えれば、そこまで切羽詰まったわけではないだろうに」
「それでも自分の貯金と同じくらいの借金があるっていうのは心臓に悪いだろ」
収入源がミルクしかなく、支出の数字あかり見ていれば不安になるというものだ。
「というか、そういうことなら最初に言ってくれれば良かったのに」
「そうかもしれないが、私が悪いことをしたのは確かだからな」
あんな風に怒ったのが申し訳なくなったが、レフィーアは素直にそう言ってくれた。
まあ、魔物に関することになる自制がきかなくなるし、都合の悪いことになると誤魔化すこともあるけど、決して逃げたりはしない。
それがわかっていたからこそ、俺はレフィーアを信じることができたのだ――と、自分に言い聞かせてこの場は納得することにする。
「なあアデル。重要な話も終わったし、そろそろフォレストドラゴンと会わせてくれてもいいだろ?」
なぜかモジモジしながら見上げて言ってくるレフィーア。
レフィーアはよっぽどフォレストドラゴンと会いたいらしい。
「……いいよ。というか、真後ろにいるし」
レフィーアのちょうど後方では、俺達の会話に引き寄せられてやってきたのかフォレストドラゴンがやってきている。
「おい、アデル。我はまたピッザが食べたい――」
「ふおおおおおおおおおおおおおおお! 本物のフォレストドラゴンだああああああっ!!」
「ぬおおおっ!? なんだこの人間は!? 我の脚にいきなり抱き着いてきおって気持ちが悪いぞ!」
「すごい! しかも、喋れるほどの知能を持ち合わせているではないか! ああ、長年研究者をやってきたが、まさかフォレストドラゴンと触れ合えるとは……っ!」
嫌がるフォレストドラゴンに構うことなく、レフィーアはべたべたと体を触っていく。
「レフィーアさんって本当に魔物が好きなんだね」
「……あれは好きというか、もう魔物を研究することが人生というか……変態だよ」
俺やリスカの好きとは別次元だな。
俺とリスカが苦笑しながら眺めていると、レフィーアがこちらを振り向いた。
「ああ、それと言い忘れていたが、しばらくは私もここに住むのでよろしく頼む。フォレストドラゴンを間近で研究できる機会など滅多にないからな」
「「ええっ!?」」
「おお、すごいな。体に植物を寄生させているのか? それともこれは自前で生やしたものなのか?」
レフィーアは言葉を言い終えると、話は終わりとばかりにフォレストドラゴンに夢中になる。
フォレストドラゴンが突然やってきたことに比べれば、普通であるし驚きも少ないが、急に言われると驚くものだ。
突拍子もない行動をする分、下手すれば魔物よりも厄介かもしれない。
「はぁ……ようやく落ち着きそうになってきたのになぁ」
「あはは、また牧場が賑やかになりそうだね」
魔法騎士を辞めて、故郷であるリフレット村で魔物の牧場を経営する。
それはまだ始まったばかりだが、以前の生活よりも楽しく、生き甲斐を感じていることは確かだ。
これからも振り回されて苦労することはあるだろうが、温かな知り合いや友人、家族。従業員であるリスカ、知識だけは豊富にあるレフィーア。
そして、ここに集っている温かな魔物達。
みんながいれば、どんな困難や苦労も乗り越えられる気がする。
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