ライラックの雛 その5
俺が雑巾の場所を指さすと、リスカが「ちょっと待っててね」と言ってライラックの雛をタオルで包んでテーブルに置く。
「ピイピイ!」
しかし、ライラックの雛はリスカと離れるのが寂しいのか、タオルの中から出て移動しようとしていた。
ライラックの雛が飛べるわけもないので、このまま進むとテーブルから落下してしまう。
「リスカ、雛を見てやってくれ」
「え? ……あっ!」
雑巾を絞ろうとしたリスカが、テーブルの上で移動しようとするライラックの雛を見て慌てて戻る。
「まだリスカと離れたくないみたいだし、こういう高いところに置くのは危ないかもな」
「そうね。あたしの不注意だった」
ライラックの雛について、どのような行動をしやすいか知識として知ってはいるが、育てること自体は初めてだ。
ましてやリスカは知識すらないので、まずはその共有と観察が必要だろうな。
「とりあえず掃除はいいから、リスカはライラックの雛を見ておいて。どんな行動をするかわかっていたら危険も防げるし」
「うん、わかった。ところで、この子の名前とか決めてる?」
リスカに尋ねられて俺はふと考える。
「そういえば、名前については考えたことがなかったな」
「えー、つけないのー? もったいないし呼ぶ時に不便だよ」
俺の気のない返事に対して、リスカは不満そうに言う。
今まで普通に魔物名で呼んでいたため、名前をつけたことはない。
とはいえリスカの言う通り、ずっとライラックの雛と呼ぶのも面倒だし、いずれは数も増えるかもしれない。
雛が増えた時に、どう呼べばいいのか。
「リスカの牧場では牛に名前を……そういや、つけていたな」
「そうだよ。みんなで名前を考えてそれぞれにつけてあるよ」
「四十頭もいると、考えるのも覚えるのも大変そうだな」
「あはは、だからその牛の特徴になぞって名前をつけてるけどね。お腹に丸い模様があるからマルとか」
なるほど、それぞれの特徴に合った名前をつければ覚えやすいし、見分けもつきやすいな。
とはいっても、うちでは大量に魔物がいるわけでもないので、そこまで特徴になぞらなくても大丈夫だが。
「名前がないならつけてもいい?」
「いいぞ。リスカが親だし、そのほうがそいつも喜びそうだしな」
「やった!」
俺がそう答えると、リスカが嬉しそうに笑う。
しばらくはリスカが主に面倒を見るわけだし、愛着がより持てるように名付けてくれればいい。
「で、名前は何にするんだ?」
「へへーん、実はもう考えてあるんだ!」
「ほう、言ってくれ」
俺が尋ねると、リスカはテーブルの上にいるライラックの雛を持ち上げる。
「この子の名前はピイちゃん!」
「ピイ!」
「……単純だな」
ピイピイと鳴くからピイちゃんなのだろう。
「うう、単純でもいいじゃん! わかりやすいし、可愛いし!」
成体になると体長二メートル近くになるし鳴き声もかなり変わるのだが、そこは突っ込まないでおいてあげよう。
昔からリスカのネーミングセンスは単純だったしな。
「まあ、リスカとピイちゃん自身が気に入っているならいいさ」
「やった! じゃあ、あなたは今日からピイちゃんね!」
「ピイ!」
理解したのか偶然なのか、リスカの言葉に合わせて元気よく返事するピイちゃん。
リスカはそれに感激して、ピイちゃんに頬ずりをする。
「それじゃあ、リスカ。これからピイちゃんのお世話を頼むぞ」
「任せて!」
よし、これでリスカから言質がとれたな。
「それじゃあ、リスカにピイちゃんの最初のお世話をしてもらおう」
「うん、なにをしてあげればいいかな?」
「ピイちゃんの餌の調達だ」
そう、生まれる兆候がなかったので、事前に餌の準備をしていなかったのだ。昼はブルホーンのミルクで誤魔化したが、これからは主食となるものをきちんと用意しなければならない。
「そういえば、ピイちゃんって何を食べるの?」
「果物や木の実を食べたりするが主食は虫だ」
ライラックは基本的に森に自生している木の実や果物を食べたりするが、その中でも特に虫を好んで食べている。
まあ、虫料理は見た目はともかく意外といい味をしているものもあるし、栄養も満点だからな。
野生に生きる魔物が食べない道理はない。
「そうなんだ。どんな虫を食べる?」
さすがは田舎育ちの娘。生き物と密接に過ごしているだけあって虫なんかでは怯まない。
ただ、ライラックの雛となると、それだけでは済まなかったりする。
「基本的に小さな虫なら問題ないな。ミミズとかが大好物だ」
「だったら、適当に周りにいるミミズを捕まえて……」
「だが、今は生まれたばかりの雛だ。硬いものは消化に悪い」
余裕の表情を浮かべていたリスカだが、俺の最後の言葉によって崩れる。
「え、えっと、それって……」
「ああ、ちゃんと柔らかくしてから食べさせてくれ」
顔を引きつらせながら尋ねるリスカに、俺はにっこりと笑いながらすり鉢とすり棒を渡した。
その日、リスカは夕食をお代わりすることはなかった。




