ブルホーンのミルク その3
「この子ってベオウルフって言うの? ブラックウルフとは違うの?」
「違うけど似たようなものだよ。ブラックウルフが進化したものだし」
「し、進化って、もしかしてこの子って結構危ない?」
恐る恐る尋ねてくるリスカ。
「んー、誰を基準とするかで危険度なんて変わるし難しいな」
カタリナ団長が相手するとすれば、ベオウルフといえどもゴブリンと大差ない。
俺だって剣技だけで十分にあしらえる。
「自警団とか普通の村人が相手するとしたら?」
「五十人くらいの犠牲を覚悟すれば、何とか倒せるかも?」
「危ないよ! 本当に大丈夫なの!?」
俺がきっぱりと告げると、リスカが大袈裟に怖がる。
「大丈夫だって。こいつは俺の言うことは聞くし、賢いから」
「ほ、本当? 触っても噛んだりしない?」
「変なことをしなければ大丈夫だよ」
俺がそう言うと、リスカが手の平に乗せたモコモコウサギを下ろし、恐る恐るといった感じでベオウルフに手を差し伸ばす。
そしてリスカの細い手がベオウルフの頭を撫でる。
「わあっ! フワフワ! ね、ねえ、体とか触ってもいい?」
「ウォフ」
リスカが尋ねると勝手にしろとばかりに鳴くベオウルフ。
すると、リスカが顔を輝かせながら傍に近付きベオウルフの体を撫でる。
「あっ! 背中のほうは結構毛が硬いんだ! でも、お腹は柔らかい!」
「そのほうが体温を保ちやすいらしいよ。毛が硬いと雨とか雪とか弾けるから」
「へー、そうなんだ。魔物のこと詳しいんだね」
「まあ、魔物を飼育するために友人にみっちりとしごかれたから」
レフィーアは魔物のことに関して妥協を許してくれず、用意された膨大な資料本をすべて覚えるまで部屋から出してくれなかったからな。
おかげで魔物に関してのことは、大体頭に入った……はずだ。多分。
「あっ、お腹出して寝ころんだ。犬みたいで可愛い!」
リスカの無邪気な言葉を聞いて俺は耳を疑う。
おい、ベオウルフ! お前にとってその体勢は服従を誓うもので、そんな軽いものではなかったはずだぞ!
「ウォ、ウォフウ」
「お、おい」
「ウォフ!?」
俺が声をかけるとベオウルフはハッと我に返って、表情を引き締めて座り直す。
「あれ? 気持ちよくなかったかな? なら、喉とかどうかな?」
「……ウォ、ウォフウ」
しかし、リスカが巧みに喉を撫でてやると、ベオウルフはふにゃりと体勢を崩してお腹を見せた。
「あはは、犬みたいで可愛い!」
ただの村娘から犬扱いされるベオウルフだったが、それに憤ることなく幸せそうな顔で腹を見せる。
片手だけでベオウルフを手懐けてしまうとは……リスカ、恐ろしい子だ。
というか、これだけベオウルフが表情を緩ませた姿を見たことがない。
俺ももっと撫でる技術を磨くべきか。
「ピキ?」
そう思って、俺は毛玉のようなモコモコウサギを優しく撫で続けた。
◆
「ところでリスカ、今日は様子を見にきただけか?」
リスカと共にベオウルフとモコモコウサギを撫でることしばらく。
俺はリスカの傍に置かれている籠が気になって尋ねた。
「ああ、そうだった。それとは別にうちの牛乳とかチーズをお裾分けしようと思って」
「おっ、それならちょうどいいな。俺もさっきミルクを絞ったところだ。ブルホーンのものでもよかったら飲んでみるか?」
「えっ! 魔物のミルク!? もしかして、この間見たブルホーンの? 飲んでみたい!」
「おお、魔物のミルクでも一切拒否感はないんだな」
少しくらい逡巡するかと思ったのだが、リスカはまったく迷う素振りを見せずに返事をした。
「そりゃ、急に魔物のミルクだって言われたら驚くけど、アデル兄ちゃんはみんなのために魔物を飼育して役立てようとしているんでしょ? だったら変な物は出てこないかなって」
にっこりと笑いながら言うリスカ。
おお、リスカが俺の仕事のことをそんな風に思っていたとは思わなかった。
そして、そんな風に思ってくれたことが嬉しい。
「そっか。ありがとうな」
「い、いいよ、それに酪農家としても魔物のミルクがどんな味か気になるだけだし」
礼を言うとどこか照れくさくなったのか、リスカが言い訳のように言う。
リスカは牛の世話をする酪農家だもんな。日頃から牛乳に携わる者としても、魔物から得られるミルクに興味があるのかもしれない。だから他の人に比べて、リスカは抵抗が少ないのだろうな。
酪農家からミルクの味見をしてもらえるなんて貴重だぞ。
「じゃあ、ちょっと味見してみるか」
「うん!」
ということでリスカを連れて、すぐ傍にある家に戻る。
「結構広いんだね」
リビングの光景を見たリスカが少し驚く。
部屋の造り自体は丸太を組み合わせた簡単なものであるが、スペースがかなり広い。部屋の端には大きな暖炉があり、地面は動物や魔物の毛皮を利用したカーペットが敷かれている。
ゆったりと寛げるソファースペースや、大きなテーブルや椅子が置かれた食事兼、打ち合わせスペースなどもあり、大人が六人ぐらいいても十分に余裕がある。
「ここは飼育員の宿舎も兼ねているからね」
「ということはアデル兄ちゃん以外の人もここに来て住むの?」
「……この牧場が何らかの成果を発揮して認められれば、新たな働き手が来ると……思う」
そうレフィーアが言っていたが、本当のところはどうだろうな。
まあ、今は新しい事業に魔物の知識を持った優秀な人員を割り振るほどの余裕はないだろう。なんていったって、俺に借金を負わせるくらいなんだから。
「えー? さすがに牧場を一人でって厳しくない?」
「まあ、今のところは魔物の数も少ないしな。ベオウルフもしっかりと見張っていてくれるし」
「でも、これから魔物を増やしていくんでしょ? というか、そうしないと利益出ないだろうし」
「うっ、さすがは家が酪農経営してるだけあって、痛いところをついてくる」
魔物の数が増えて管理がおざなりになれば本末転倒だし、かといって少なすぎて取れる情報や素材が少なくては利益にならない。まったく牧場経営も大変だな。
「たまにだったら、あたしが手伝ってあげようか? 今はうちも安定してるから手も空いてるし」
「いや、そうはいってもうちで育ててるのは魔物なんだが……」
いくら牛などの飼育経験者であっても、魔物の飼育を任せることはできない。
何よりリスカの身に危険があった場合に困る。
「危険のある魔物の飼育はしないけど、モコモコウサギや賢いベオウルフの餌やりならできるし!」
あっ、こいつ仕事にかこつけてモコモコウサギやベオウルフと触れ合うことが目的だな。
俺がジトッとした視線を向けると、リスカが気まずそうに付け足す。
「それにほら、ブルホーンの寝床の掃除くらいは手伝えるし、観察できる人がいると魔物の生態の研究も捗るでしょ?」
まあ、それもそうだな。正直、敷地が広すぎて、掃除や道具の整理が全然追いついていない。
ここのところはそれぞれの体調管理や餌を確保するだけで、まったくといって観察もできていなかったからな。
「じゃあ、空いている時は手伝ってくれると助かる」
「やった!」
「でも、前も言ったとおり、ブルホーンは気が荒いから無暗に近付かないようにな」
いくらリスカの黄金の手があろうとも、ブルホーンは知らない人が近付こうとすると威嚇してくるからな。さすがにリスカ一人だけには任せられない。
モコモコウサギは仮に怒らせてしまっても、大して害はないから大丈夫だけど。




