ブルホーンのミルク その2
そんな様子を見ながら、俺はバケツを持って台所へ向かう。
大きな鍋にミルクを移し、魔法陣の折り込まれたコンロで火にかけた。温度は六十五度くらいに調整している。
普通の竈だと温度調節がかなり難しいのだが、俺は魔法が使えるので術式を組んで対応している。
ブルホーンのミルクをきちんと殺菌するためにも温度制御は重要なので、こういった技術を学ばせてくれた魔法騎士団での訓練には感謝しかない。まあ、もう戻りたくはないけど。
ちなみにミルクは高温で短い時間煮込んで殺菌する方法と、低温で長い時間煮込んで殺菌する方法などがある。
前者は比較的簡単なのだが、後者は少し労がかかるがミルク本来の味が壊れない。
そのため、俺は余程時間がない限りは後者の殺菌方法でブルホーンのミルクを飲むことにしている。一応村の人にも振る舞うミルクだから、素材そのものの味を知ってほしいしな。
六十五度の温度で三十分くらい煮込むとミルクの殺菌は完了となる。
「ウォッフ!」
甘いミルクの香りを嗅ぎつけたのか、ベオウルフが足元で吠えてくる。
俺は深皿を用意して、そこにミルクを注ぎ込んだ。
そしてベオウルフの前に差し出して一言。
「待て」
すると、ベオウルフは残念そうにしながらも大人しく座り込んで待った。
ふむ、本当にこちらの言葉を理解しているのかは不明だが、大体相手の言っていることを察することはできるらしい。
それに俺の言うことにも従順だ。
「飲んでいいぞ」
きちんと言うことを聞けたことを褒めるように頭を撫でながらそう言うと、ベオウルフは深皿に勢いよく顔を突っ込み、お皿からミルクが少し零れる。
その光景を見て、何か布でも敷いておけばよかったと少し後悔したが、今回は諦めて後で拭くことにした。
ベオウルフの分を用意したら、今度は自分用や保存用、村の人用と、様々なサイズの瓶にミルクを注いでいく。あ、せっかくだし実家にもお裾分けしておくか。
途中でベオウルフの深皿に追加したりしながら作業を続けること五分。8リットルもあったミルクはあっという間に鍋から消えた。
瓶に入れたミルクは氷の魔術式の刻まれた冷蔵室に収納。これで常温保存よりもずっと長持ちする。
そして自分用の瓶のミルクを氷魔法で一気に冷やすと、コップへと注いで飲む。
「ぷはぁ! やっぱりブルホーンのミルクは濃厚で美味しいな!」
それでいながらミルク独特の乳臭さも少ない。
これなら牛乳が苦手な人でもすっきりと飲めるのではないだろうか。牛乳嫌いの人がいたら、試しに飲ませて感想を聞いてみよう。
さて、美味しいミルクも取れたことだ。ここはミルクを使って簡単なシチューでも作ってみよう。
冷蔵室から白菜、ベーコン、キノコ、ニンジンといった具材を取り出す。
白菜やニンジン、キノコを軽く洗って、ベーコンも含めて食べやすい大きさに切っていく。
ボウルにブルホーンのミルクを入れて、そこに適量の小麦粉を入れて混ぜ合わせる。
そして熱したフライパンに油を引き、そこにベーコンなどのカットした具材をぶち込むと、たちまち香ばしい匂いが部屋の中を漂い出す。
う~ん、これは食欲をそそる。
ベオウルフも気付いたのか、いつの間にかソファーからこちらに移動してまだかまだかというように見つめていた。もうミルクを飲み終わったのか。
辛抱堪らなさそうな表情を見て、しょうがなくベーコン一つを口に放り込む。
すると、ベオウルフはご満悦そうに噛みしめていた。
お前、結構食いしん坊なんだな。
ある程度具材に火が通ってくると、鍋を用意してそこに具材を移し替える。
そしてそこに水を入れて、沸騰するまで放置。
その時間を利用して、以前に作っておいたパン種を竈に入れる。術式が描かれた竈に魔力を流せば、あっという間に熱を発しみるみる温まっていく。
後はいい匂いがする頃合いまで待つだけだな。
程なく、鍋に入れた水が沸騰しだした。
野菜から僅かに出た灰汁を取り除いて、そこに先程小麦粉を混ぜたミルク、塩、チーズ、胡椒などを加えて味を調節して煮込む。
それでも少し水っぽかったのでさらに小麦粉を入れて調整。スープが少しもったりとしてきたらブルホーンのミルクシチューの完成だ。
「よし、できたぞ! お前の分も……あれ? ベオウルフがいない」
つい、先程まで尻尾を振って待機していたベオウルフがいつの間にかいなくなっていた。
どこに行ったのだろうかとリビングを覗いていると、
「グルルルルルッ!」
「えっ! ちょっとなに? ブラックウルフ!? アデル兄ちゃん助けてー!!」
不意に外からベオウルフの唸り声と、聞き覚えのある人物の悲鳴が聞こえてきた。
慌てて竈とコンロのスイッチを切って外に出ると、モコモコウサギを抱えて涙目になっているリスカと、それを唸りながら睨みつけるベオウルフがいた。
どうしてこんなことになっているんだろうと思ったが、ベオウルフには怪しい人物が入ってきたり魔物を奪おうとする奴がいたら吠えるように言っていたのを忘れていた。
多分だが、牧場に入ってきたリスカがモコモコウサギを見つけて触った。
そこに掛け付けたベオウルフは、リスカがモコモコウサギを攫おうとしていると判断。
現在の状況に至る、ということだろう。
「アデル兄ちゃん助けて! 牧場にブラックウルフが紛れ込んでる!」
そいつはブラックウルフよりもさらに上位個体のベオウルフなんだけど、余計に怖がらせる必要もないか。
「ベオウルフ、リスカは友達だから問題ないよ」
「ウォフ?」
俺がそう声をかけてやると、ベオウルフは「本当にいいの?」とでも言うように振り向いてくる。
それに無言で頷くと、ベオウルフはリスカを何度かチラ見しながら、こちらに戻ってきた。
労いの意味を込めてよしよしと撫でてやると、ベオウルフは気持ちよさそうに目を瞑った。
「……あ、あれ? 野生のブラックウルフじゃないの?」
「違うよ。こいつはベオウルフで広い牧場を見張ってもらうために捕まえたんだ。リスカのことを知らなかったから、モコモコウサギを攫おうとしていると勘違いしたんだろう。ごめんな」
「そ、そうなんだ。こっちこそ、ごめんね。つい、可愛いモコモコウサギがいるから撫でたくなって……」
「にしても、『アデル兄ちゃん、助けてー!!』か……」
俺が先程のリスカを真似するようにからかうと、リスカが顔を真っ赤にする。
「しょ、しょうがないじゃん! 牧場に入ったら見慣れない魔物が吠えてくるんだもん! 襲われると思ったんだから!」
自分でも恥ずかしかったのか、リスカがフンと顔を逸らしながら言う。
まあ、村の人からすればベオウルフが唸り声を上げるだけで怖いと感じてしまうよな。
このままだとやってくる人全員を怖がらせてしまうことになるか。
これはどうにかしないといけないな。
「ベオウルフ、今度から人が来た場合は俺を呼んでくれ。魔物や道具を勝手に持ち去ろうとした怪しい人には吠えてもいい」
「ウォッフ!」
魔物であるベオウルフからすれば、かなり判断の基準が難しいと思うだろうが、こいつは賢い奴なので理解できると思う。
まあ、あと数人は吠えられるかもしれないが……。




