四月 卯月
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黒く荒んだ空を見上げながら俺は地面に倒れこんでいた。
アスファルトの上だというのに腰に痛みは感じられない。その代わりに腹部にだけ痛みがあった。いや、痛みのような生易しいものじゃない。激痛がそこにあった。
どうして?
知らない。
痛みを訴えているのが俺なのにも係わらず、俺は痛みから体を動かせずに、ただただその場で倒れこむしかなかった。
出来ることなら今すぐアスファルトではなく、ベッドで寝転びたい。そう思えるが、動けないのなら仕方が無い。
むしろどうしてこうなったのか知りたいぐらいだ。
が、俺は何も知らない。
知っているのは空が黒く荒んでいる事と腹部に痛みがある。それぐらいだ。それ以外は何も知らない。
どうして俺がここで寝転がっているのかも、
どうして腹部に痛みが走っているのかも、
どうして徐々に意識が遠のいていくのかも、
どうして眠くなってきたのかも、
どうして喋れないのかも、
どうして痛みが和らいできたのかも、
どうして俺は俺なのかも、
どうして分からない。
どうして自分自身の事も分からない。
どうして今置かれている状況が分からない。
どうして全てが分からない。
どうして、どうして……。
「……和人」
そんな中、聞きなれた声が聞こえた。ような、気がした。それでも幻聴なのか、それとも本当に誰か俺に語りかけているのか確認を取る手段が俺にはない。もし仮にその手段があるとするならば、俺の目の前に顔を見せてくれる以外にどうしようもない。
「……」
俺は声を出したくても出せなかった。
許されるなら体を起こし、自分の目で誰なのかを確かめたい。
だけど許されない。全てにおいて許されない自分。実に惨めで、実にこっけいな姿だろう。こんな姿を誰かに見せるぐらいなら、俺はいっそう誰にも遭う事無くこの場で朽ち果てたい。
「どうして和人がこんな事に――」
その後の言葉はなかった。
どうして?
喋っていた人――睦月の顔だけが目の前にあったから。
本来なら一瞬の出来事なのかもしれないが、睦月の首が重力にあらがえずに落ちる光景はスローモーションだった。
その直後、腹部に重みがかかる。
どういった訳なのかそこで体が自由に動いた。
俺の腹部には睦月の胴体。
俺の隣には目を見開いた睦月の首。
「あっ……あああああああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
* *
まばたきをして最初に目に入った光景、それは先ほどと同じ黒く荒んだ空だった。
先ほどと違うとすれば、腹部に重みがない事だけだ。それ以外は全く先ほどと同じで、体が動かなければ声も出せない。
「……和人」
同じだった。先ほどとまるっきり同じだった。
首は動かせて悲しい表情の睦月は見られるのに、
「……」
俺は声を出したくても出せなかった。
「どうして和人がこんな事に――」
その後の言葉はなかった。
どうして?
喋っていた人――睦月のこめかみに銃弾が貫通したのか、血を噴き出して倒れたからだ。
「あああああああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
* *
まばたきをして最初に目に入った光景、それは先ほどと同じ黒く荒んだ空だった。
何もかも最初は同じシチュエーションで睦月の声が聞こえ、その数秒後には色々な死に方をする。
あるいは体が炎上したり、あるいは胸に刃が突き刺さったり、あるいは体が爆発したり、あるいは体が八つ裂きにされたり、あるいは体中の骨がありえない方向に折れたり、あるいは上空から振ってきた岩に潰されたり、あるいは感電死したり、あるいは苦しそうに悶えて窒息死したり、あるいは首の骨を折られたり、あるいは体中に鋏が突き刺さっていたり、あるいは首を絞められたり、あるいは突然言葉を発しなくなったり、あるいは血を吐きだして倒れたり、あるいは切られた腹部から内臓が出てきたり、あるいは空から降って潰れたり、あるいは餓死したり、あるいは自分の手に持っている刀に倒れこんできたり、あるいは皐月が笑いながら睦月の頭を握りつぶしたり、あるいは自ら自害したり……。
歪んでいた。
睦月が色々な死に方をする度に声を出していたが、最後の方は声も枯れて出なくなった。おう吐しそうにもなった。
それもできずただただ目の前で睦月の死ぬ姿を見ているだけだった。
あまりにも残酷な出来事を見ているだけだった……。
次にまばたきをして最初に目に入った光景、それは先ほどと同じ黒く荒んだ空――ではなく悪夢を見る前の光景だった。
少し離れた場所に霜月、向かって右側では西尾と皐月が並んで座っていた。
あまり時間が経っていないのか西尾は興味津々の様子で俺と霜月を交互に見て、皐月はポケットから煙草を取り出そうとしていた。
そこでようやく脳が回転し始める。
俺は叫びたい衝動を抑えて家の中に向かって走った。
叫びたい衝動は抑えられても感情までは抑える事はできず、俺は嗚咽を漏らしながら涙を流していた。早く睦月の姿を見たい。早く睦月の声を聞きたい。そう思って靴を脱がずに部屋に向かって走る。
「むつ……き?」
ドアを乱暴に開けて目に入った光景、見慣れた服を着た女性の体がベッドに横たわっていた。
ただ何かが違った。
何が?
首より上が存在していなかった。
手を伸ばして睦月に近寄ろうと一歩足を踏み出そうとしたら足に何かが当たった。
視線をベッドから床に移すと、
「むつき? むつ――」
そこには目を見開いた睦月の首が転がっていた。
「――あっ……あああああああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺の叫び声が家中に響き渡った。
1
まばたきをすると同じ光景を何度も何度も見続け、今がどっちの世界なのか区別がつかなくなり、やはり何度目か分からない光景が目の前に広がっていた。
少し離れた場所に霜月、向かって右側では西尾と皐月が並んで座り、あまり時間が経っていないのか西尾は興味津々の様子で俺と霜月を交互に見て、皐月はポケットから煙草を取り出そうとする。
俺の頬には大粒の涙がこぼれる。枯れるほど泣いたと思っても自然と出続ける。
胸は針が刺さったかのように痛み、呼吸も荒くなる。
それでも睦月のところに走った。悪い夢が覚めてほしいと願い、もしかしたら次は生きているかもしれないと儚い夢を抱いて走った。
土足で家の中に入り、段差に躓きながらも自分の部屋に向かって走る。
乱暴に部屋のドアを開けて中を見渡す。
初めてだった。
部屋を見渡しても血痕がついていない。睦月の首も落ちていない。部屋が燃えていない。内臓が散乱していない。刃物が落ちていない。
綺麗な部屋がそこにあった。
止まらない涙を服の袖でぬぐって一歩ずつゆっくりと膨らんでいるベッドに歩み寄る。
布団に手をかけて崩れ落ちるかのようにその場に膝をついて「……睦月?」声を震わせながらそっと問いかける。
「うっさい。どっか行けバカ和人」
髪の毛が見えてきたところで初めての言葉を聞いた。
「睦月?」
その言葉が真実なのか確かめるように何度も睦月の名前を呼びながら震える手で布団をどかす。
布団をどかすとそこには猫のように丸まり、壁の方を見て寝転がっているため表情までは見えないが睦月の姿があった。
止まる事をしらない涙と鼻水を服の袖で拭いてから、震える手で肩を掴むと肩で払われる。
「触らないで!」
何度か同じ事を繰り返したところで睦月が折れた。声を荒げながら険しい表情で体を起こす。
不意だったのだろう。
グシャグシャの顔を見て険しい表情もどこかに行き、今は目を見開いていた。
睦月の声が聞こえ、睦月の表情が変わり、睦月が動いている。
全てが今まで通り当たり前の事なのだが俺は嬉しかった。
何度も何度も見た悪夢からようやく解放された喜び、幾度となく見た睦月の死にかたに心が壊れかけた悲しさ、何より睦月が生きている真実。
色々な思いが胸の中にあり、その思いが涙となって流れる。先ほどまでとは比べ物にならないほどの涙が頬を伝った。
視界は涙でぼやけるものの、睦月の頬に手を伸ばして触れる。
「……む」
「む?」
「むじゅぎがいぎでだぁー」
そして俺は声を出して泣きながらも睦月の温もりを感じるために抱きつく。
俺に何があったのか知らない睦月は戸惑うものの、それでも未だに怒りは忘れていないのか苛立ったように声を上げて引き離そうとする。それを俺は必死に抱きつくのだった。
* *
――場所は離れて玄関先。
三人の女性がそこにいた。
皐月は煙草をふかし、その隣にいる西尾真琴は森澤和人に何があったのか困惑し、霜月はうっすらと笑みを浮かべていた。
実に面倒くさそうに皐月は立ちあがり軽くズボンを払う。
「西尾だったっけ? お前は帰れ」
「和くん泣いていましたよね? 何があったのか分かりませんが、私が介抱してあげないと!」
「介抱でも何でもやりたかったらすればいい。もし和人と長く付き合いたいなら今すぐ帰れ。お前にとっても和人にとってもそれが一番だ」
「……」
西尾真琴は何も言えなかった。恋人である森澤和人に何があったのか知りたいと思う反面、皐月の言葉もまた聞き流す事はできなかった。
皐月は煙草を吐き出しやれやれといった感じに霜月を見る。
「お前も酷な事をするなよ」
「どうしてです? 私達は敵同士ですよ?」
「和人の心を壊すつもりだっただろ?」
「質問を質問で返すのはあまり美しくありませんよ。ですがそうですね。あまり血を流すような戦いは美しくないので、見かたによっては一番良心的な方法だと思いますよ」
「確かにそうだな。かなり臭いが、和人には未来がある。それを壊す権利はお前にはない」
「命を落とすより悪い選択肢があるのですか?」
「そうじゃない。そういった事は和人じゃなく睦月にしろと言っている」
「検討してみますわ」
「……それは置いておくとして、お前の主はどこにいる?」
常人よりスペックが格段に上の皐月にしてみれば、近場で身を潜めたところで無関係である。それでも皐月が分からないとすれば非常に遠い場所にいる事になり、それだと契約違反――主と一定距離いなければ能力が発動できない。
霜月は少し考えてからうっすらと笑みを見せる。
「内緒です。別に教えてもいいのですが、それだと面白みに欠けるでしょう? では私からも一つ質問してもいいでしょうか?」
「どうぞ」
「どうして主でもない森澤和人様の味方をしているのですか? 別に利益があるわけではないのでしょう?」
「損得は関係ない。家に泊めてもらっている恩と睦月が友達だからだ。それとは別に私は和人に期待している。和人と一緒にいて睦月が変われたように、私も和人の側にいれば変われるかもしれないと期待している」
「中々興味深いですね。それよりも一番興味深いのは皐月さんが友達と言える存在がいる事ですけどね。もう一押しすれば簡単に勝負は決まりますが、森澤和人様にお詫びという形で今回は引き上げたいと思います。それではごきげんよう。またお会いしましょう」
綺麗に45度の礼をし、霜月は突然姿を消した。それも一種の幻想のようだった。
残された皐月は肩をすくめ煙草を投げ捨て、西尾真琴は心ここにあらずといった感じに森澤和人がいる家を見つめていた。
* *
「あーもう! 苦しいから離れてよ!」
睦月が声を荒げて鬱陶しそうに言うには理由がある。
今の状況――ベッドによしかかり俺が睦月を後ろから抱きしめ続けているからだ。
もし手を離せばまた悪夢が繰り返りそうで怖かった。そう思うとより一層手に力が入り、目元も熱くなってくる。
後ろから抱き締めているため自然と睦月の髪からシャンプーの良い匂いが鼻孔をくすぐる。
「皐月も笑ってないでどうにかしなさいよ! それよりどうしてこうなった訳!?」
「怖い夢でも見たって事しか知らないな。まっ、それより望んだ結果になって良かったじゃないか」
「誰が!!」
「和人を可愛らしい彼女に取られてご立腹の睦月が」
「誰がこんな奴に! 学校とかご飯とかどうする訳!?」
「全部一緒にすればいいだろ?」
「……それにトイレとかお風呂の事もあるし」
珍しくもごもごと呟くように睦月は言う。
「それも一緒にすればいい。設定では和人と睦月が付き合っている事になっているよな? それなら一緒に風呂に入ろうが問題はないと私は思うね」
それは違うと俺は思う。親公認のカップルだろうが、親がいる家で堂々と一緒にお風呂に入るほど乱れたカップルはいないだろう。……いや、もしかしたら広い世界にはいるかもしれないけど、あいにくド田舎の庶民にはあり得ない。
そうは思っても俺は口に出す事はなかった。あの出来事があった後、気持ちの問題なのか誰かと口を聞きたいと全く思わなくなった。できれば顔も見られたくない。自分で言うのもあれだが、今は情緒不安定で突然泣き出す事もあるだろう。そんな姿を誰かに見られたくはない。
「あり得ない! ……だって恥ずかしいじゃない。そ、そう言う皐月が一緒に入ってあげればいいじゃない!?」
「和人が私でいいって言うなら構わないけどな」
「恥ずかしくないの!?」
「別に恥ずかしくはないね。それに一度和人に裸を見られたし、今更ってところかな」
「っー!」
今まですっかり忘れていが皐月の居候が決まった日にうっかりと見てしまった。
睦月は声にならない叫び声を上げ、突然俺の頭に肘で攻撃してきた。
「ちょっとトイレに行ってくる!」
常人より何もかも格段にスペックが高い睦月にとって俺の手をほどくのは簡単な事だった。そのまま乱暴にドアを開けて部屋から出て行く。
抱きついていた事により安心していたのだが、睦月から離れた事によって不安がよぎる。
もう睦月が帰ってこないかもしれない。
頭の中に先ほどまでの悪夢がよぎると不安が不安を呼び、早く安心が欲しくて見てなくなった睦月を追おうと立ちあがる。
「そう慌てるなって。睦月はすぐに帰ってくるから、それまで私が代役になろう。ほら、早く来い」
そうは言うものの睦月の事が気になって仕方なかった。
ドアと皐月を交互に見ている間に痺れを切らした皐月が俺の手を引き、予想以上に力いっぱい引かれたため飛びこむように皐月の胸に引き込まれた。
温もりがそこにあった。
落ち着く……あぁ、そうか。
別に睦月じゃなくてもいいのか。
そこに温もりさえあれば現実と悪夢の違いが分かる。
皐月の腰に手を回し、温もりを確かめるようにギュッと抱きしめる。
少し乱暴な行動や言葉がある皐月だが、時に優しくその温もりは睦月とは違った心地がそこにあった。
一粒の涙が頬を伝った。
失恋した時に心の傷を癒すほど優しくすれば落ちる。そんな意見もあるが、何となくだがその意見が分かるような気がした。
「……これもこれで悪くないな」
今にも消えて無くなりそうなほど小さな声で皐月が呟くと、そっと優しく俺の頭を撫でる。
少しの間なされるがまま続いたのだが、突然その手が止まる。
直後に部屋のドアが乱暴に開かれた。
誰が入ってきたのか見なくても分かる。
「ほら、早くこっちに来なさいよ!」
さっきと同じ場所に腰を下ろした睦月は急かすように床をバンバンと叩く。
「皐月は優しいから好き。睦月はすぐに怒るから嫌」
「なっ!」
「振られたな。私の方が母性本能あるようだし、このまま和人は私が面倒みるとしよう」
「もう怒らないからこっちにおいで」
「……」
「和人の大好きなお菓子あるよ? 一緒に食べよ?」
「……」
「皐月は煙草臭いからこっちにおいで」
「……」
「いっぱいギューってしてあげるよ?」
「そろそろ睦月のところに戻ったらどうだ? もし睦月が意地悪するようならまた私のところにくればいい。それだと駄目か?」
皐月がそう言うなら、と小さく頷いてモソモソと睦月に移動する。
よっぽど嬉しかったのか「よしよし」と声を弾ませながら、某アニマル好きの老人を思わせるほど俺の頭を撫でまわす。
撫でてもらうのは嬉しいのだが、力いっぱい撫でまわすため頭がグワングワンと激しく揺れる。最初はよかったが、時間が経つにつれて乗り物酔いにあったような気持ち悪さがこみ上げてくる。許されるなら嘔吐も選択肢の一つに数えてもいい。
やばい本気で吐きそう……。
これ以上は限界と睦月から離れて再び皐月のところに戻る。
「また睦月に苛められたな。ほら、今日から優しいお姉さんが面倒みてやるからな。怖いお姉さんには近付いちゃダメだぞ?」
「どうしてよ!? 優しくしたじゃない!!」
「どこが……。睦月は何も分かっちゃいない。力いっぱいに撫でまわすから和人気持ち悪そうじゃないか。もっと優しく撫でてやれよ」
小さな子どもをあやすように背中をトントンとリズミカルに叩いたり、ゆっくりとさすってくれたりしてくれている間に気持ち悪さも治まってきた。
「次は優しくするからこっちにおいで」
「睦月嫌い」
「嫌から嫌いに昇格おめでとう。ツンデレもいいが、こういった場合はツンで接しても駄目だぞ。最初からデレでいかないと」
「誰がツンデレよ!?」
「和人を可愛らしい彼女と私に取られてご立腹の睦月が」
「っー!」
「それに比べて和人は優しい私が好きだよなー?」
「好きー。煙草の臭いしなかったら大好きー」
「もう! 皐月も何まんざらじゃない顔で煙草捨てようとしているの!? それ以前に和人と皐月のキャラ変わりすぎだし!」
「いや、ほらな。誰かに好きとか大好きとか言われるのが初めてで嬉しいし……。これもこれで悪くないって言うか。べったり甘えてくる和人も悪くないって言うか……。それより今日はいっぱい泣いたから一緒に風呂に入ろうな」
半ば強引に俺の手を引いて部屋から出る。
後ろでは苛立った睦月が枕を手にして叩いているのかボフボフと聞こえてきた。
* *
森澤和人と皐月が部屋から出て行った後、睦月はイライラが抑えきれなくなり一人で家を出て裏山にきていた。
林道は何とかあるものの地元の子ども達は裏山で遊ぶ習慣がないため、その役割はあまりなく林道と言うよりかは獣道と化していた。
そうとは知らずに裏山にきた睦月も今となっては後悔でしかない。
「和人のバーカ。皐月のバーカ。西尾真琴のバーカ」
途中で拾った木の枝をガキ大将のように振りまわしながら小言を呟いていた。
昨日から立て続けに起きたイベントを思い出すと手に力が入り、手元からボキッと鈍い音がする。どちらかといえば太い木の枝なのだが、それを折るぐらい睦月にとっては簡単な事だった。
立て続けに起きたイベント。
まず初めに森澤和人が西尾真琴の家に泊まった事。その次は森澤和人と西尾真琴が付き合い始めた事。最後に森澤和人が契約者の睦月より関係ない皐月を選んだ事。
確かにイライラから出すぎた行動があったと睦月は自負していた。
それでも森澤和人は何があっても自分の味方をしてくれると人知れず睦月は思っていた。ところが結果は裏切られる事になる。
「面白くない!」
手にしていた木の枝を力任せに投げる。
それぐらいでストレスが解消されるなら何も裏山にも来ず、「面白くない!」を連呼して近くの木を何度も殴り始めた。
一発が重く異常なほど木が揺れる。しまいには木が耐えられなく鈍い音と共にゆっくりと倒れる。
倒れた衝撃で舞った草を頭に乗せて睦月は息を荒げた。
「ムカつく!!」
拳にはうっすらと血がにじんでいたが、今の睦月にとってはどうでもいい事だった。
二本目の木に八つ当たりしようとした時、
「睦月!」
少し離れた場所に大粒の涙を流した森澤和人の姿があった。その後ろでは皐月が腕を組んで立っている。
生い茂る草木をかき分けながら森澤和人は睦月の側まで駆け寄り、そのまま抱きつく。
「どこにも行かないでよ」
「だって私の事は嫌いでしょ?」
「嫌いって言ったのは嘘。本当は大好き」
「皐月と西尾さんより好き?」
「……好き」
「そこは即答しなさいよ! ……まぁいいわ。和人は私がいないと駄目みたいだし、それで許してあげる。私も少し大人気なかったし」
「これに懲りたら和人に優しくするんだな」
少し離れた場所でニヤニヤとしながら皐月が煙草を吸おうとするが、先ほどの森澤和人の言葉を思い出して銜えた煙草をしまう。もしかしたら再び森澤和人が歩み寄ってくる事もあるだろう。その時に「煙草臭い」とか言われたくない女心の結果だった。
「どうせ私は乱暴者ですよ」
いじけたように口を尖らせながらも睦月の目元は和らいでいた。
先ほどまでのストレスはどこかに行ってしまったようで、よしよしと次は優しく睦月は森澤和人の頭を撫でるのだった。それでも心のモヤモヤは完全に消えてはいなかった。まだ西尾真琴と霜月の問題が残っている。
まずは霜月の問題を解決してから西尾真琴の問題に取りかかろうと、森澤和人の背中に腕を回しながら睦月は思うのだった。
「さて、和人早く家に帰って一緒に風呂に入ろう」
そうだった。霜月や西尾真琴より先に今の問題を解決しよう。と森澤和人の手を引いて皐月に近寄る睦月だった。
2
――三日月高校。
森澤和人や睦月、学校のアイドル的存在の西森真琴が通う高校。
その二年五組の教室では現代国語の授業が行われていた。
グラウンド面の窓際後ろから二番目に位置する席に西尾真琴が座っていた。
カラッと晴れた青空の下でサッカーをする男子生徒を眺めつつ先ほど――森澤和人が涙を流した時の事を考えていた。
皐月に帰るように言われた後、どうして泣いていたのか気になる思いを押し殺して帰宅を余儀なくされた。かといって家に帰ったところで暇を持て余すと、学校に戻ったのだった。
もちろん担任からの呼び出しに説教が待っていたのは言うまでもないのだが、普段から優等生で今回のように不良行為に走った経歴がなく、あまり説教らしい説教はされずに一言注意されたぐらいだった。
西尾真琴の友人である黒崎真奈美は何か言いたそうな表情をするものの、心ここにあらずの友人にとやかく言うような性格はしていない。そのため学校に戻ってきてから数えきれないほどため息をつく西尾真琴に何があったのか、友人を含めてクラス中の生徒が気になっていた。
当の本人はそうとは知らず、もしかしたら森澤和人からメールか電話があるかもしれない。と期待を胸に秘めて数秒ごとに携帯電話を机の下で開くのだが、そう上手くいかないのが現実である。その都度ため息をつくばかりだった。
ここまでモヤモヤするなら皐月の言った事を気にせず、家に突入するべきだったと人知れず西尾真琴は思っていた。
そして大きなため息を一つ。
そうこうしている間に授業終了のチャイムが鳴り響く。
午前中の授業は終了し、今から昼休みとなる。
授業が終わった事とも知らず、今なお先生から隠れて携帯電話をいじっている友人を遠くから見詰めて黒崎真奈美は肩をすくめる。
それからしばらくして西尾真琴の携帯電話が震える。
「わわわっ!」
嬉しそうに声を上げてメールの確認をするが、受信したメールは黒崎真奈美の物で、それが分かった途端にため息に変わる。
メールの内容を見ずに待ち受け画面に移した。
「ちょっと! ちゃんとメール見ようよ!?」
突然声をかけられてビクッと西尾真琴は肩を震わす。
「真奈美ちゃん……。いたんだ」
実に興味なさそうに携帯電話に視線を戻す。
「それって酷くない? せっかくご飯のお誘いにきたのにさ~」
「ん? もう昼休みか……。私ちょっと食欲ないから今日はいいや」
「何があったか知らないけど、美味しい物食べて元気だそぉ~!」
「……」
「どうしたどうした? 今日はノリ悪いねー」
「……ねぇ真奈美ちゃん? 返事返ってこないのに、いっぱいメールとか電話しちゃうとウザいかな? 面倒くさい女って思われるかな?」
「森澤くんがそう言ったの?」
「和くんはそんな事言わないよ!」
「メール送ったけど返事こないの?」
「そうじゃないけど……。もしね、もし真奈美ちゃんに大好きな人がいたとするよ。その人が泣いていたら真奈美ちゃんだったどうする?」
「そりゃ慰めるよ」
「もし慰めたいけど、理由があってそれが無理だったら?」
「ん~、そんな状況になった事無いから分からないけど、私は諦めが悪い人だから相手が嫌って言っても意地になってでも側にいるかな」
「先に慰めている人がいるとしたら?」
「関係ないよ。だって大好きな人なんでしょ? それなら遠慮する事ないって」
「でも! でもね――」
「あのね、私は森澤くんの事はよく知らないけど、最近付き合い始めたんでしょ? それならまだ真琴の事が一番好きだと思うよ? 好きな人が側にいてくれた方が森澤くんだって嬉しいって」
「べ、別に和くんの話じゃないし! 仮の話だもん!」
「はいはい、そうですかー」
「もー! 信じてないなー! それに『まだ』真琴の事が一番好きってどういう意味よ! 和くんは浮気しないもん!」
「どうだろうね。男は浮気する生き物って言うじゃない? 近すぎるのも問題だけど、離れすぎるのも問題じゃない? ほったらかしにしていたら違う女にホイホイついていくかもよー」
「ちょっと和くんの家に行ってくる!」
鞄を手にして今にも立ちあがりそうな友人の肩を黒崎真奈美は掴む。
「やめときなさい。さすがに一日二度も無断早退はやばいって」
「だって和くんが!」
「そんなに心配なら電話でもしてみたら? あっ、電話に出ないんだっけ?」
「んーんー。ちょっと電話してみるね!」
手に持っていた携帯電話を素早く操作して通話開始のボタンを押すと耳に当てる。
何度かプルプル―と呼び出し音がなり、そろそろ切れそうな時に電話がつながった。
「和くん! 浮気は駄目だよ!!」
電話をする中でお決まりのやり取りである「もしもし?」と言った言葉を聞く前に西尾真琴は叫んでいた。
昼休みに入ったばかりで教室にはチラホラと生徒が残っており、元から注目されているのだがさらにその視線を集めていた。友人が相当焦っている後姿を見て黒崎真奈美は「失敗したかなー」と呟くのだった。
『その声は西尾か?』
「あれ、皐月さん? 和くんはどうしたんですか?」
『和人なら睦月と寝ている』
皐月の言っている意味が最初は分からなかったが、数秒後にはその意味を理解する。
「うわーん! 和くんが浮気したー!!」
彼氏の浮気を知って大粒の涙を流す西尾真琴。
突然涙を流して驚きの発言にギョッとするクラスの生徒一同。
『す、すまん! ちょっと言葉が足りなかった。和人と睦月は別々の部屋で昼寝の最中だ。うん、きっと!』
電話越しに聞こえる泣き声にビックリした皐月はとっさに嘘を言う。本当のところ今現在二人は同じ部屋、同じベッドで昼寝中だった。
時として嘘は人を救う。
皐月は自分のせいで二人が破局するのは嫌だし、何より泣いた相手をするのを得意としていなかった。これは嘘でもそう言わざるを得ない状況である。
「本当ですか? ……グスン」
『本当だって! 何なら和人起こして確かめるか?』
「お昼寝の邪魔をしちゃ悪いので大丈夫です。……一つお伺いしますが、どうして皐月さんは和くんの携帯を持っているのですか?」
『そりゃー和人の部屋にいるからだ』
「どうして和くんの部屋にいるのですか?」
『だってこの部屋以外は居場所ないし』
「って事はいつも和くんの部屋にいるんですか!?」
『そうなるな。……ハッ! いや本当はいつも睦月の部屋にいる! 今日はたまたまだ!』
「本当ですかー?」
『本当だって! 和人の寝顔なんていつ見ても面白みにかけるし!』
「いつもですか?」
『そう! いつもだ!』
「いつもって事は寝る時は和くんの部屋なんですね! うわーん! 和くんに裏切られたよー!」
『だー! 墓穴掘ったー!! ……これ以上は何も言うなよ! 誘導尋問しようとしても無駄だからな!!』
その時だった。皐月の後ろで『皐月うるさい! 和人起きるじゃない!』『てめー! 喋るな! 面倒くさい事になったらどうする!?』睦月と皐月のやり取りを西尾真琴は聞き逃さなかった。むしろ大声でやり取りしているのを聞き逃す方がおかしい。
「今の琴田さんの声ですよね! さっきは別々の部屋でお昼寝って言ったじゃないですか!? どういう事が詳しく教えてください!」
『さー、何の事だか私にはさっぱり』
「誤魔化さないで下さい! 本当は一緒に寝ているんですね!」
『それはないから安心しろ!』
「ならどうして琴田さんが和くんの部屋にいるんですか?」
勝手に人の携帯電話を使っている皐月に対して疑問を持ったのか『誰と電話しているの? ……もしかして西尾真琴ね! さっき和人に睦月一番好きだよって言われたわよ! 彼女の役割果たしてないようね!』『いい加減にしろ! 誤解で二人が破局したらどう責任とるつもりだ!』『うるさいなー。私は本当の事しか言ってないしー』皐月の切なる思い――破局は何とか阻止という思いが着々と崩れ落ちそうとしていた。主に睦月の発言によってだが。
「皐月さん! 説明して下さい!」
『誤解だって! 取り敢えず落ち着こうじゃないか。睦月の言っている事は九割がた嘘だから気にするなよ、な?』
「本当ですかー?」
『それにサッキ和人に西尾の好きな所をエイエンと一時間ほど聞かされたからナ!』
「声が少し裏返っていますよ?」
『気のせいだ! よーし、ちょっと和人に変わるから少し待て!』
それから数秒だけ無言が続く。いや、本当は電話越しから睦月の声が聞こえるのだが、皐月の妨害によって電話越しだと何を言っているのか分からないのであった。
間もなくして実に眠そうな声で『もしもしー』と森澤和人が電話に出る。それと同時にドキッと西尾真琴の胸は高鳴った。
『西尾は世界で一番好きだよ。超ラブー』
今にも再び眠ってしまいそうな声だったが、恋する乙女には美化して聞こえたようだった。
壊れてしまいそうなほど心臓の鼓動は早くなり、胸のモヤモヤはその一言で遠いどこかに飛んで行ったような気がしていた。浮気疑惑をした自分が恥とさえ西尾真琴は思っていた。
さて、事の真相はというと、皐月が森澤和人の耳元でそう言うように頼みこんだ。もちろん森澤和人は「どうして?」と疑問はあったが、寝起きの頭では深く考えても仕方がないと思って言われた通りに言ったのだった。
『ほらなー。和人は誰よりも西尾の事が大好きだと! いやー良かったよかった!』
「和くんに放課後家に行くね! って、伝えてもらってもいいですかー?」
テンションと機嫌が格段に上がり、今にも鼻歌を歌いたい気持ちを抑えて弾んだ声で伝言を皐月に頼む。
『分かった。んじゃ、また後で!』
それだけを告げると皐月は焦るように電話を切った。
「真奈美ちゃん! 和くんは浮気してないよ!」
「そう、良かったじゃない」
「今日は和くんの家でお泊りしようかなー」
「はぁ!? 風の噂で聞いたけど、昨日は森澤くんが真琴の家に泊まったらしいじゃない? 二日続けて同じ屋根の下で寝泊まりはやりすぎじゃない?」
「だって放課後に和くんの家に行ったら帰りのバスないもん」
「……確信犯ね?」
「どうだろうね?」
「まぁいいわ。満足するまでお泊りでも何でもしなさい」
「そうするー。さっ、お腹すいたからご飯にしよう!」
「現金な奴」
「あっ!」
椅子から立ち上がり携帯電話を大事そうに上着のポケットにしまった西尾真琴は、頭の中で森澤和人の言葉――『西尾は世界で一番好きだよ。超ラブー』を何度目かの自動再生中に気がついて声を上げた。ちなみに恋する乙女の脳内ではイケメンボイスに美化されている。
「次はなに?」
「恥ずかしくって和くんの顔見られないかも……。真奈美ちゃんどうしよー!?」
「別れちゃえば?」
ここまでバカップルぶりを発揮する友人を近くで見ていると、恋人がいない黒崎真奈美にとっては、見せつけられているように思えて仕方がなかった。そして今の発言は冗談二割本音八割と、ほぼ本音だった。
そうとは知らずに意地悪されたと思った西尾真琴は頬を膨らませた。すかさず黒崎真奈美は膨らんだ頬を潰しにかかり、結果として「ぶぅ~」と気の抜ける音が口から漏れた。
「怒って頬っぺたを膨らませる人って現実にいたんだ。それにしても真琴って前よりも表情豊かになったよねー。やっぱり恋は人を変えるってやつ?」
「そうかな? だけどそうであってほしいかも。だって和くんが超ラブって事だもん!」
「……今なら森澤くんがメールとか電話をあまり出ない理由が、少し分かったような気がする」
「!? どうしてどうして!?」
「岡田くんちょっといい?」
岡田くんとは、西尾真琴の前が席の選ばれし生徒である。容姿性格学力と実に平凡なクラスメイトで、その平凡ゆえに影が薄い。平凡からかけ離れた生活を送る森澤和人にとって羨ましい存在なのだが、現段階では二人の接点は皆無である。ちなみに最近の岡田くんの悩みとして、授業中に憧れの的にお腹が鳴った音を聞かれないか心配している。少し乙女が入っている岡田くんだった。
聞き耳を立てていた岡田くんは心底ビックリしたが、ここで頼れる存在とアピールすべく「なにかな?」と歯を輝かせて振り向く。
そんな岡田くんを知ってか知らず、西尾真琴は頭の中に永久保存した森澤和人のイケメンボイスを自動再生していた。
さすが平凡キング岡田くんである。多少のアピールでは染みついた平凡ライフに変化がみられない。ビバ! 平凡ライフ!
「もし真琴と恋人関係になったと」
「――私は和くん一筋です! 岡田くん? とは恋人関係になりません!」
初めて喋った憧れの的と記念すべき日なのだが、それと同時に完全な拒絶を聞いた日でもあった。仮にこれが漫画の世界なら今頃岡田くんは血を吐いて崩れ落ちているだろう。もしかしたら平凡の神様が、脱平凡を企む岡田くんに対しての仕打ちなのかもしれない。
ちなみにどうして岡田くん? と疑問形なのかと言うと、西尾真琴にとって森澤和人の存在が大きすぎて他の男性は眼中にない。それと一緒に名前もうっすらとしか覚えていないのである。いや、忘れかけているが正解。
「仮定の話だって!」
「それでも嫌だもん!」
哀れな岡田くんである。いったい彼が何をしたというのだろう。
今にもその場に崩れ落ちそうな思いを必死にこらえるものの、岡田くんの頬には一粒の涙が流れる。あれ? どうして僕は泣いているの? 切なる思いが胸をよぎる。ああ、そっか。何もしていないのに振られたからだ……。家に帰ったら子どもビールを飲みながら枕をびしょ濡れにしてやろう。そう密かに誓う岡田くんだった。
クラス中の男子が岡田くんに心の中で敬礼をする。
「あー、もう! これだと話にならないわっ! って、岡田くんはどうして泣いている訳!?」
「……ちょっと目にゴミが入っただけです」
「岡田くん? 大丈夫?」
失恋のショックで泣いているとは知らない西尾真琴は優しさ言葉をかける。だが今の岡田くんにとっては追いうちでしかなかった。
「そう、ならもし真琴にそっくりの人と恋人関係になったとしましょう」
「私にそっくりなら岡田くんとは恋人関係にならないよ?」
「話が進まないじゃない! 森澤くんが好きなのはよく分かった。分かったから少し黙って! 続きを言わせてよ!」
「仮定の話でも和くん以外と恋人関係は嫌だもん……」
「もう別れなさい」
先ほどは二割の冗談と八割の本音だったが、今回は十割本音だった。それと同時に森澤和人に少し同情する黒崎真奈美であった。
「いーやー!」
「……ならこうしましょう。岡田くんが憧れの的を何とか口説き落として、二人は恋人関係になったとしましょう。岡田くんはその人が好きで、彼女も岡田くんの事が大好き。彼女から一日に何度もメールや電話がきたらどう?」
「もちろん嬉しいですよ」
「うん、だよね。だけどメールがきている事を知らず、携帯をほったらかしにしていたとする。それでも彼女はメールを必要以上に送り続ける。しまいには連絡が取れないからって家に押しかけてきた。岡田くんはどう思う?」
「最高です! それで好きな人が家にくるなら携帯その場で壊します!」
岡田くんの脳内では自分の部屋で西尾真琴と、楽しい談話をしながらお茶を飲んでいる光景が広がっていた。
「普通怖いでしょ!? 付き合っていたとしても数時間連絡が取れないだけで、家に押しかけられたら怖くない!?」
「それは愛情が足りない人の考えです。一般人には理解できないようですね」
「真奈美ちゃんは変な人なの?」
「違うから!」
さて、ここまでイライラしながら声を荒げている黒崎真奈美だが、実際のところは森澤和人達が本当の恋人関係になったのは数時間前の事である。メールのやり取りをするようになったも二日前ぐらいで、黒崎真奈美はそうとは知らずに「今なら森澤くんがメールとか電話をあまり出ない理由が、少し分かったような気がする」と言う。黒崎真奈美の中ではすでに月単位で連絡のやり取りをしているものだと思い、さらには連絡が返ってこない事を想定で話を進めている。
ところがどうだろう。実際は西尾真琴の行き過ぎた行動――今朝学校であった無断早退はあったものの、それには理由があったし森澤和人もメールの返信は人より遅いが、それでもマメに返事をおくっている。
要するに、裏方の理由を知らない黒崎真奈美の独り相撲となっている訳である。
「それで真奈美ちゃんは何が言いたかったの?」
「……もう忘れて」
「変なの。時間勿体ないしご飯にしよっ!」
クラスで聞き耳を立てていた生徒がモヤモヤする中、西尾真琴は嬉しそうに項垂れている友人の手を引いて教室を後にするのだった。
その後で一部の生徒の間で「森澤和人の浮気説」「森澤和人とマドンナの破局説」で盛り上がったのはまた別の話である。
* *
――時は過ぎて放課後。
本日二度目になる森澤和人宅がある最寄りのバス停に向かって、ウキウキと心を躍らせながら西尾真琴はバスに揺られていた。
昼休みに電話をしてから現在に至るまで、西尾真琴は浮かれていた。いや、浮かれすぎていた。授業中も彼氏と何をするのか妄想でシミュレートするほどだった。
ド田舎行きのバスには乗客が数えるほどしかいなく、どれも三日月高校の学生服を着こんでいる。一同に「どうして西尾真琴が?」と思っているが、それを口にする人は一人もいなかった。そして森澤和人と共に小中学校で青春を送った友達でもあった。
まだかなー? そう思いながら外の景色を西尾真琴は楽しむ事数十分。
ようやく目的のバス停に着き、運賃を入れて外に出ると伸びをする。
走り出したい衝動を抑えて、心を落ち着かせながら森澤和人の家に向かった。
歩く事数分で目的の家に到着する。
深呼吸をしてからインターホンを震える指で西尾真琴は押した。
ピンポーン。
家の中からは騒がしい物音が聞こえるものの、いくら待っても玄関ドアが開かれる事はなかった。
それには理由があった。主に睦月のダダが原因である。
昼に西尾真琴と電話を終えた皐月は大きなため息をつき、暴れる睦月をなだめていた。そのせいもあり、西尾真琴が訪問する事を今のいままですっかり忘れていたのである。インターホンの音で思い出したように睦月に伝えたのだが、あまり西尾真琴に良いように思っていない睦月は「追い返して!」と暴れ出したのだった。そして中心人物の森澤和人は二度目の昼寝の真っ最中で、今は蚊帳の外である。
もう一度インターホンに指を伸ばそうとした時、ゆっくりとドアが開かれる。
玄関に立っていた人物を見て森澤佳苗は「げっ」と声を漏らした。
森澤佳苗の立場は睦月を支援する形となっている。そのため西尾真琴の事はあまり好きにはなれず、嫌そうな表情を隠そうとはしなかった。
「……えっと、兄さんに用ですよね?」
「もしかして佳苗ちゃん怒っている?」
「どうしてです? 私が怒る理由はありませんよ?」
「だって顔怖いし……」
イラッ!
誰のせいだよ! とは言えずに森澤佳苗は口元をひきつらせる。
「も、元からこんな顔なの」
「せっかくの可愛い顔が台無しですよ! もっと笑顔ですよ笑顔!」
イラッ! イラッ!!
これ以上相手をしていると手を出しかねないと思った森澤佳苗は、大きなため息をついて道を譲る。
「……どうぞ。兄さんは階段を上がった目の前にある部屋にいます」
「はーい。お邪魔しまーす」
軽く舌打ちと共に「本当にお邪魔」と呟く森澤佳苗の声は耳には入らず、綺麗に靴を並べてからスキップをするように階段を上がる。
部屋の前で手鏡を取り出してから顔のチェックをし、大きく深呼吸をしてから最高の笑顔で部屋のドアをノックする。
コンコン。
直後に「入ってくれ」という皐月の声を聞き、西尾真琴はゆっくりとドアを開けたのだった。
そして目の前に広がる光景にパチクリとする。
布団に丸まってミノムシと化しながら眠っている森澤和人。そのミノムシを後ろから抱きしめながら西尾真琴を睨むメイド姿の睦月。もう半ばやけになってお茶をすすっている皐月。
不思議な光景がそこに広がっていた。
「和人が早く帰れ! そう言っていたわよ」
「……和くんから離れてよ!」
飛びこむように二人の間に西尾真琴が割って入り、そのせいで寝息を立てている森澤和人は顔から床に転げ落ちる。
少し鈍い音がしてからゆっくりと森澤和人が目を覚ました。
「……痛い」
ミノムシ状態で顔だけを横にして呟くように言う。
「和くん大丈夫!?」
優しく抱き起こして赤くなった森澤和人の鼻を優しくさする。
「……西尾? どうして家に?」
「遊びにきちゃった。迷惑かな?」
「すっごい迷惑!」
誰よりも早く睦月が言い放つ。
「琴田さんには聞いていませーん!」
「私は和人の気持ちを声にしただのよ。そうよね和人?」
「勝手な事を言わないで下さい! 私と和くんは恋人関係ですよ。だって私は和くんの世界で一番好きな超ラブーの彼女ですもん」
「あまり調子乗らないでよね! そもそも遊びにきたとか言ったけど、本当は何をしにきたのよ!?」
「和くんの世界で一番好きな超ラブーな彼女なので、泣いていた和くんを慰めにきました。彼女の鏡でしょ?」
「残念だけどその役は私なのよね。ほら、さっさと和人を渡しなさい」
「嫌でーす」
ギュッと離さないように森澤和人を抱きしめる。
今の森澤和人は温もりから現実と悪夢の区別をつけている。壊れかけた心は人の温もりを求め、今は西尾真琴の温もりを肌で感じていた。
別に温もりさえあれば誰でもいいと言う訳ではないのだが、好きな相手から抱きしめられれば、子どものコアラのように抱きしめるのが今の森澤和人だった。
布団から両腕だけを出し、温もりを求めてギュッと抱きしめ返す。
「やっぱり和くんは私の事が大好きみたいですね」
ふふーんと鼻を鳴らし、胸に顔を埋めている森澤和人の頭を優しく撫でる。
「皐月! あの頭悪そうな女をどうにかしなさい!」
「私はもう知らない。さっさと和人をとり返さないと西尾にずっと抱きつく事になるぞ」
「皐月のせいでこの女が家にきたじゃない! なら責任とりなさいよ!」
「あのな、私は和人が自分で選んだ事を尊重しようと思っている。和人が西尾を選んだから、私は陰ながら応援しようと思っている。和人を取られたくないと思っているのは睦月だけだ。私には関係ないから自分で何とかしろ」
「裏切り者!」
「それ以前に和くんと琴田さんはどういった関係ですか? 和くんの事が好きで邪魔するんですか?」
「くっ……。べ、別に好きじゃないけど……」
「私は和くんの事は大好きですよ。好きじゃないなら邪魔しないで下さい」
「皐月!」
西尾真琴に上手い事あしらわれ、怒りの矛先を皐月に転換する睦月であった。
「西尾の言っている事は間違っちゃない。まずは自分に素直になることだな」
「私はいつだって素直よ!」
「なら問題ないじゃないか。好きじゃないなら、和人と西尾が人前でイチャイチャしても気にならないだろ?」
「私は和人の事を思って言っているの! 和人も迷惑だって言っていたもん!」
「嘘はよくないぞ? 勝手に和人の思いを捏造するな」
「皐月は和人が取られてもいいの!?」
「だから私は西尾の味方だって言っただろ?」
「なら私の味方になりなさいよ!」
「睦月が自分の気持ちに正直になったら考えてもいい」
「どうして私が素直じゃないって断言できる訳!?」
「見ていたら睦月が和人をどう思っているのかよーく分かる。そろそろツンからデレに変わってもいいと思うぞ? 何なら睦月の心境を私が口に出そうか?」
「……やってみなさいよ」
「和人超好き好き! 西尾真琴なんか見ないで私を見てよ。彼女にやった事全部私にもしてよ! お風呂だって一緒に入って上げるし、チューだってする。その先も何だってしてあげる。だから早く私のところにきてよ、和人」
睦月の声真似をしながら皐月は言う。
さて、突然そんな事を言われた睦月はといえば、大きな口をあけて呆然としていた。皐月の口調にもそうだが、何よりあり得ない事を言っていると思ったからだ。
呆然としている睦月だが、皐月の言っている事はあながち間違ってはいない。本人が気づいていないだけで、少し大げさなだけで本音は似たようなものだった。
もちろんそれを認めない睦月はワナワナと体を震わせ、今にも皐月に飛びかかりそうだった。睨みつける瞳も力が入る。
「あり得ないから!」
ドン! と机を叩く。
「やっぱりそうでしたか。私もそうだと思っていましたよ」
睦月の叫びは西尾真琴には届かず、やはりかとウンウンと頷いている。
「誰が和人なんて! 甲斐性はないし、優しさだってない……。好きになる要素があるはずがないわ!」
「そうか。……なら今後、何があっても和人と西尾の邪魔をするな。和人は西尾が好きだから付き合った。それを邪魔する権利は睦月にないだろ? 和人だってそうだ。誰にでも良い顔をしていたら、いつかは西尾が愛想をつくすかもしれないぞ? 今は西尾だけを見ていればそれでいい」
「どうして皐月にそんな事を言われなきゃいけないのよ!?」
「ならどうして睦月は和人にこだわる?」
「どうしてって……。私と和人はパートナーなのよ!」
「それだけだろ? 和人の恋愛を邪魔する必要がどこにある? 敵対する奴が現れたら和人と一緒にパートナーらしく戦えばいい。それ以外は何かする必要があるのか?」
「あ、あるもん!」
「ほう、なら言ってみろ」
「一緒にいた方が連携とかとれるもん!」
「戦うのが睦月で、それを見守る和人に連携が必要なのか?」
「ないよりかはあった方が絶対にいいもん!」
「そうだな。もしかしたらそうかもしれないな。それでも恋愛とは何も関係ない。あっ、そうそう。さっきの続きがあるけど聞くか?」
「……」
「あー、和人。どうして私だけを見てくれないの? 確かに西尾真琴は可愛くて素直な子。だけどそんな突然現れた女より、どうして一番近くにいる私を見てくれないの? ちょっと不器用だけど、それでも和人を好きな気持ちは西尾真琴に負けない! ……違うか?」
「……」
睦月は何も言えなかった。
少しの間沈黙が続き、次に声を出したのは睦月だった。
「……分かったわ」
誰に言う訳でもなくボソリと呟く。
「和人を取られるのは面白くない! 和人と西尾真琴が一緒にいるとムカつく! イライラする! 私から和人を取らないで! 和人とずっと一緒に居たのは私で貴女じゃなくて私! 今すぐ返してよ!」
その叫びが聞けた皐月は満足し、うっすらと笑みをこぼしていた。
西尾真琴は恋のライバルを睨みつけ、森澤和人を離さないと力いっぱい抱きとめる。
そして叫んだ睦月は心のモヤモヤと苛立つ理由が何からくるのか理解し、それが恋からくるものだと知って内心驚き、それと同時にホッとした。生身の人間のようでそうでない自分が、人間のように恋ができるのだと。
「嫌です。私も和くんと琴田さんが一緒にいると腹が立ちます。だから嫌です」
「確かに今は和人の気持ちが貴女に寄っているのは認めるわ。認めたくないけど認める。だけど私は和人と一緒に生活をしているのよ? 残念だけど時間の問題かもしれないわね」
「そんなの嫌……絶対に嫌! イヤイヤイヤイヤ!!」
「現実を受け止めなさい。一緒に暮らしている私と、学校でしか会わない恋人。さて、どちらの方が有利なのかしらね?」
「それでも嫌だもん……。ガズくんを取られだくないもん! うわーん!」
お菓子を買ってもらえなかった子どものように、両足をバタつかせて西尾真琴はダダをこねて泣き始める。
この勝負もらった! と言わんばかりに睦月は薄らと笑う。
「全く見苦しいわね。淑女なら現実を受け入れなさい」
「わ、私の……グスン。お腹にはガズくんの赤ちゃんがいるもん!」
「何ともベタな事を言うのね? 寝言は寝てから言いなさい。それに『ガズ』じゃなくて『かず』よ?」
「だってゴムつけなかったもん! もしかしたら赤ちゃんできたかもしれないもん!」
「はっ!? 何ふざけた事言っているのよ!」
「あっ、お腹少しはっているかも……」
「それはただの食べすぎよ!」
「……ファーストキスと初体験の相手は忘れられないって言うもん。だから私の勝ちで和くんは私のです!」
「なにが『だから』よ! 全く意味が分からないわね。確かにそれは貴女の勝ちよ。だけどファーストベッド、ファースト抱きつき、ファースト同姓、ファースト親公認、ファースト頬っぺたキス、ファースト登校&下校、それから……と、取り敢えず私の方がいっぱい初めてあるようね!」
何でも「ファースト」をつけているが、一般的にはそれ――誰にでもできるような事は「初めて」とは言わないだろう。少々無理がある。唯一理解されそうなのは初めて同姓した相手ぐらいだろうか。森澤和人の両親がいるので、同姓と言うのも少し違うような気もするが。
「量は勝っても質はだいぶ負けていますけどね!」
「ならセカンドを奪っちゃえば私の圧勝ね? 貴女が帰ったら全部奪っちゃいましょ。あー楽しみだなー」
「っー! い、イヤイヤイヤイヤ! ぜーったいにイヤ!!」
「あのね、私は貴女の事が嫌いだから言っている訳じゃないの。だーいっ嫌いだから言っているのよ? 私の気持ちも分かってちょうだい」
「和くんを琴田さんに取られるぐらいなら」
「――包丁で刺すつもり? 貴女の愛情は相当歪んでいるようね」
「うわーん! 琴田さんが苛めるー。和くん助けてー」
さて、今のいままで全く会話に参加していなかった森澤和人はといえば、ほぼ寝ていると言ってもよかった。会話の九割は頭に入っていない。
「西尾を苛める睦月は嫌い」
助けを求める恋人の役に立とうとはするのだが睡魔には勝てず、睦月の気持ちを知ってか知らずか、今の睦月にとって一番のダメージを負わす言葉を口にする。
さすがの睦月も想いを寄せている相手に「嫌い」と言われれば怯まないはずがない。
うっ、とうめき声を上げて奥歯を噛みしめる。そうでもやらないと胸を締め付ける痛みに負けてしまいそうだったからだ。
助けてくれたお礼なのだろうか、西尾真琴は「ラブ」を連呼して睦月に見せつけるかのように濃厚なキスをする。
一瞬だけ睦月の瞳に二人が唇を重ねる姿が映る。見たくない! そう思って目を閉じるが、まぶたの裏には二人のキスシーンが焼きついていた。先ほどの言葉は本音じゃないと言い聞かせて何とかなったが、キスをする現場を見るとなるばそうはいかない。より強く胸を締め付けられ、睦月の瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
その姿を西尾真琴は見逃さなかった。
「今日はずっとチューしようね。だって琴田さんとは違って私達は恋人ですもん。他人の琴田さんと違ってチューぐらい普通にできる仲だもんね」
ふふふ、と笑みを浮かべる。
「――琴田さんとは違って私達は恋人関係ですもんね」
強調するかのように二度言い、こことぞばかりに畳み掛けるつもりだろう。
「――それに比べて琴田さんは可愛そう。だって好きな人にキスもできないし、好きな相手には彼女がいるのよ。私だったら悲しくて悲しくて泣いちゃうかも。まっ、琴田さんとは違って私には大好きな和くんが側にいてくれるから関係ないか。それに知っていました? 和くんって結構激しいのよ。あっ、他人の琴田さんは知らないか。ごめんなさーい」
「うっ……ふぇ……ふぇーん」
胸の痛みと西尾真琴の発言に耐えきれなくなった睦月は声を出して泣き始めた。
その事に一番ビックリしたのは皐月だった。睦月と過ごした時間は断トツで皐月が長く、そのため初めて見る睦月の涙に目を見開いた。
邸に居た頃に睦月は悪戯程度の意地悪などをされ、その姿を皐月は何度か見てきた。怒ったとしても決して泣く事は決してなかった。一度理由を聞いてみたところ、だって泣いたら負けたって気がして悔しいから。そう睦月が言ったのを皐月は覚えていた。それなのに今は泣いている。
そうとは知らず、西尾真琴は涙を流す睦月を見て心の中ではガッツポーズをする。
勝った! と。
恋は時に非情を言うが、まさにそれだった。普段なら泣いている人をあざ笑うような西尾真琴ではない。知人なら理由を聞いて何か行動を起こし、知らない人だと一瞬はためらうが声をかける。世話好きと言えばそうなり、お節介と言えばそうなる。
それでも罪悪感が全くないのではない。理由はどうあっても自分のせいで睦月が泣いたのには変わりない。チクリと痛む胸を我慢し、ここは鬼になるのよ! そう西尾真琴は自分自身に言い聞かせる。
「あ、貴女が……帰っても、グスン。……かじゅとには、手をだしゃない。……だから私の前で意地悪言わないで、イチャイチャしないでよ……ズズッ」
涙を流し、鼻水をたらしながら睦月は懸命にそう言う。その姿はさながら幼稚園児のようだった。
「ん、私も少し言いすぎました。……ならこうしようよ。私は琴田さんに意地悪言わないし、琴田さんの前ではイチャイチャもしない。その代わり、私と和くんが一緒に居る時は邪魔をするのはダメで、琴田さんと和くんが一緒に居ても私がきたらすぐにゆずってね。もし和くんが琴田さんと一緒と言えば私は諦める。どう?」
それこそ彼女の権利をフルに活用できる場面だが、変な所で優しさを発揮する西尾真琴だった。
「……うん」
「皐月さん。和くんと琴田さんが私の居ないからって、変な事をしないかちゃんと見張って下さいね!」
「睦月と西尾がそれでいいなら分かった。睦月が和人を色仕掛けでどうこうするのを止めればいい訳だな?」
「お願いします」
「りょーかい。……そろそろ帰らないとバスなくなるぞ?」
「今日はこのまま泊まっていこうかなー」
「和人の親に何て説明するつもりだ?」
「もちろん恋人って説明します! お父さんとお母さんにちゃんと挨拶できるか少し不安だけど、しっかり者の彼女って所を見せないと! ふんふん!」
鼻息を荒くして西尾真琴は拳を握る。
「それは止めとけ」
「どうしてです?」
「和人から聞いたか知らないが、私と睦月は赤の他人なのにこの家で暮らしている。理由は取ってつけたにすぎないからどうでもいい。一応ここの家族には私と睦月が、和人の恋人関係って設定で住まわせてもらっている。本人と親公認の二股も正直ヤバいのに、これ以上増えたらどうなる? いい加減和人の両親も疑問に思うだろ?」
「でもでも、それだと私はどうなるの?」
「さー、適当に睦月の友達やらクラスの勉強会とか言っておけ。つい口が滑って彼女とか言ってみろ? 和人を骨の髄まで睦月にメロメロにしてやる」
「りょ、了解しました。ところでどうして皐月さんじゃなくて、琴田さんなんですか?」
「和人は私の好みと違うからな」
「なるほど……この家の敵は琴田さんだけって事ね」
「さて、話も終わったところで和人を叩き起こしてくれるか? 流石にご飯一人前追加を親に言うのは和人の仕事だからな」
すやすやと気持ちよさそうに西尾真琴の腕の中で眠っている和人は無理やり起こされ、ボーっとする頭のまま言われるがまま仕事から帰ってきたばかりの母親に「母さん、ご飯一人分追加ねー」と言うのだった。
ちなみに食卓は非常に緊迫した状態だった。森澤和人は西尾真琴にベッタリだし、睦月はイライラしっぱなしだし、森澤佳苗は敵と認識した西尾真琴を嫁いじめする姑のように接し、さらには森澤佳苗の一言「お母さん明日は赤飯ね。……だって兄さんは西尾さんとやっちゃったらしいから」爆弾を投下した。もう食卓は大混乱だった。両親にどういう事かと森澤和人と西尾真琴は問い詰められ、恋人関係と白状したところ「今の恋愛は乱れているわ!」と、母親がギャーギャー言うのだった。
3
――森澤家から少し離れた場所。詳しくは森澤和人の部屋から約六百メートル離れた位置。
見晴らしがよくてその位置からだと森澤和人の部屋が実に見える。以前皐月と水無月が静かな戦いをした家の屋根でもある。
そこに霜月が立っていた。
普通の人には部屋の電気がついているほどにしか見えないだろう。だが普通の人とは格段にスペックの高い霜月にとって部屋の様子を見るのは容易い。
今はこういった形で見張っているが、普段からこういったストーカーのような行動を取っている訳ではない。いつもは京道孝介の財布から出ているお金でホテル住まいをしているのだ。
現在の主と契約を結んだ時に一緒に暮らそうと言ったのだが、その主は実家に住んでいるため無理と言った。それでも食い下がらず説得を試みたが、席はこの間埋まってしまったと意味ありげな事を言って耳を貸さず今に至る。
それから少しした頃に森澤和人と睦月の存在を知った。
第三者から全てを見ていた霜月は皐月と水無月の事も知っている。
「……楽しそうにしていますわね」
ボソリと呟いた。
その視線の先には森澤和人を奪い合い、西尾真琴と睦月が言い争いをしていた。徐々にそれがエスカレートしていく。しまいには森澤佳苗が迷惑だから静かにしろと乱暴に部屋の中に乱入。
ピクリと霜月の眉が動いた。表情の微々たる変化が語るものは果たして何に対してなのだろうか。森澤佳苗の乱入でこの後の展開が気になるのだろうか。もしくは楽しそうに繰り広げている光景を羨ましく思ったのだろうか。はたまた気まぐれか。それとも――もっと深い理由がそこにあるのだろうか。その答えを知っているのは霜月だけだった。
「そろそろ勝負を決めて終わらせたいものね。主のためにも、私のためにも……」
そう言い終えた時、ゆっくりと皐月の顔が外――霜月に移る。
結構な距離があるのだが、二人とも人外である。
――視線がぶつかる。
皐月は特に驚いた様子はなく、今にも人を殺めそうな目つきで睨みをかける。その視線には平穏な生活を邪魔するなら容赦はしない。そう視線で訴えていた。
そこで腰が引ける霜月ではなかった。優雅に手を振って余裕を見せる。
「皐月さん。貴女の歪んだ表情はどうなのかしら? 泣き叫ぶ声はさぞかし美しいでしょうね。想像するだけで興奮してきましたわ」
うっとりと頬を染めて手を当てる。
普段は何事も丁寧に対応する霜月だが、素顔は最も歪んだ性格をしていた。皐月に「あまり血を流すような戦いは美しくない」そう言ったが、心の底では好きで好きでたまらなかった。好きな相手を得意の幻想で散々泣け叫ぶ姿を見てから殺める。それから抱擁するなり、接吻するなり、好きな事をする。彼女の愛情表現は歪んで――病的だった。
「あぁ~、主様。睦月さんと皐月さんを倒した暁には、ご褒美として私の愛情を受け取って下さい。森澤和人様の表情もゾクゾクしましたが、やはり主様ですよね。……だめですわ。楽しみすぎてゾクゾクしてきました」
笑みを浮かべて口元を歪め、霜月は自分自身を抱きしめるように肩を抱く。
――早く、早く、早く、早く。一分一秒でも早く想像した光景を繰り広げたい。
「……ふふふふふ。そうでした、そうでしたわ。私は我慢のできない子ども。楽しみを我慢する必要はありませんでしたね」
より力を入れて自分自身を抱きしめ、爪が肩に突き刺さる。
「――オードブルは睦月さんと皐月さん。メインディッシュは森和和人様と西尾真琴様。デザートに主様……。ふふ、ふふふふふ」
不敵な笑みを浮かべ、自分自身を抱きしめた状態のままゆっくりと体を傾ける。
人間離れした身体能力を持っていたとしても重力に逆らう事はできない。
そのまま屋根から落ちていく。
――擦り傷一つ付ける事無くゆっくりと森澤家に向かうのだった。
* *
――森澤和人の部屋。
現在そこは総勢五人と、人口密度が非常に高かった。騒いでいる三人――森澤和人と皐月を除く三人は大暴れだった。
西尾真琴と睦月は森澤和人をめぐって言い争っている。森澤佳苗はうるさいと苦情を言いにきたのだが、今では睦月を援護する形で西尾真琴を追い出そうと口論を繰り広げている。
屋根の上から姿を消した霜月が徐々に森澤家に向かっている気配を察し、言い争いを一瞥してから嘆息し皐月はおもむろに立ちあがる。
「ちょっと風呂に入ってくるわ」
ドアノブに手をかけたところで「皐月」と、冷静な声で睦月に呼ばれて振り向く。
「私が最初にお風呂に入る。この子のこと頼むわね」
「……気づいていたのか?」
「当たり前でしょ? それに和人をこんなにしてくれた張本人にお礼を言いたいの。今回は私に譲ってくれない?」
「まっ、せいぜい頑張ってくれ。子守をしながら祈っているよ」
「そうしてちょうだい。さっ、私はちょっとお風呂に入ってくるけど、私の居ない間に和人に手を出したらだめよ? 西尾真琴」
「どうしようかなー。だって約束だと琴田さんの前では、意地悪とイチャイチャをしない約束でしょ? それなら琴田さんが居ない間は私が好きにできるって事じゃない。ふふふ、和くん今からラブラブしようね!」
「……佳苗ちゃん? 西尾真琴の魔の手から和人を守ってね」
「了解しました!」
「ん。お願いね」
いつの間にか定位置の場所に座っている皐月の代わりに、睦月は部屋から出る。
部屋から出たところでドアに背を預けて深呼吸をする。部屋の中では森澤佳苗と西尾真琴の醜い言い争いが再び始まっていた。「西尾さん知っている? 兄さんって実は年上好きなのよ? 貴女はお姉さんって言うには少し無理があるようね。子どもっぽい性格とか」「う、うるさいです! それでも和くんは私を選んでくれましたよ。その情報自体が間違っていると私は思いますよ」などと、森澤佳苗の嘘話に耳を傾けながら睦月はクスリと笑う。
いつまでも今の楽しい時間が続けばいい。だから負けるわけにはいかない。そう自分に言い聞かせる。
パチン。
「よし!」
両手で頬を叩き、掛け声を出して気合を入れてから外に向かって歩き出すのだった。
季節は夏に向かっており、外に出た睦月の頬を生温かい風が撫でる。
田舎だけあり日が沈むと辺りは暗く、光と言えば家から漏れる蛍光灯と月光だけだった。そのため百メートル先もろくに見えない状況である。そして車一台は当然と言った感じに走っておらず、家から漏れる話声以外は静寂に包まれていた。
睦月は目を閉じて集中し、霜月の気配を探す。
「――ふふふ、私ならここにいますよ」
ヒールを鳴らせながら、楽しそうに笑う霜月の声が聞こえてくる。
「そう」
特に驚く事もなく瞳を閉じたまま返事を返す。
それから数秒後には暗闇でも視認できるほどの距離まで歩み寄り、一定の距離を置いて立ち止まる。
「睦月さん? どうして目をつむっているのですか?」
「こうでもしないとお得意の幻想を見せるでしょ? 確かに貴女の幻想は怖いけど、確か相手の目を見つめないと発動できなかったわよね?」
「お見通しですか。ですが目をつむったまま私を倒せるのですか?」
残念そうに言うものの、それは声だけだった。表情はその逆で、興奮から頬が赤く染まり今にも笑いだしそうに口元を歪めている。
「むしろ貴女こそよく夜にきたわね。そっちの方が驚きよ」
そう、睦月の能力といえば「闇」である。太陽が沈み辺りが暗くなったまさに今、完全なるホームの場となる。
「私は我慢ができない子どもなので、朝まで待ちきれませんの」
「それは知らなかった」
「それはそうと、森澤和人様を一人にしてよろしかったのですか?」
「和人なら皐月が面倒見ているから問題ない」
「あら? では私の腕の中にいる殿方は森澤和人様ではないと?」
「私の目を開けさせる作戦にしては考えが子どもっぽいわね」
「森澤和人様? 睦月さんが私の言っている事を信じてくれませんの。いったいどうすればいいのか教えて下さらない?」
「――睦月。俺はここにいるよ」
先ほどまで部屋に居たはずの森澤和人の声を睦月が聞き間違えるはずがなかった。
驚きを隠せずそっと目を開ければ、そこには確かに森澤和人と後ろから抱きつくように首に両腕を回す霜月の姿がある。
「ほら居たでしょ? 睦月さんも知っての通り、私は幻想と幻視を見せられても幻聴を聞かせる事はできません。睦月さんは幻想と幻視を受けないために目を閉じていた。なのにここに森澤和人様がいる。どうしてでしょうね?」
霜月が言っている事は本当の事だった。
仮にここが霜月の描いた幻想の中なら話は別だが、その対策を睦月はした。それなのに森澤和人がいるという事は簡単な話だ。森澤和人が自分の意思でそこにいるから、だからである。
「か、和人!? 霜月から離れて早くこっちに来なさい!」
「そう言っていますよけど、森澤和人様どうなされます?」
「あー、俺はこのままここにいる」
「睦月さんったら主様に見離されちゃいましたね、可愛そうに。西尾真琴様にも取られて、私にも取られちゃって、もう睦月さんがそこにいる意味がなくなりましたね。悲劇のヒロインになった気分はどうですか?」
実に楽しそうな表情でペロリと赤い舌で森澤和人の頬を霜月が舐める。
「冗談なら後からいくらでも聞いてあげるから、早く家の中に入っていなさいよ!」
「そう言えば睦月は俺の事を好きって言ってくれたよね? その返事を言わなくっちゃいけないよな」
ゆっくりと森澤和人は歩き出す。抱きついていた霜月は「あんっ」と残念そうに声を上げ、首から手を解放する。
「後でいいから早く家の中に!」
「そうはいかない。だってこの機会を逃したら言えるかどうか分からないからな。……俺は睦月の事は好きじゃない」
「えっ?」
「好きじゃないだと伝わらなかったか? 俺は睦月の事は嫌いだ」
「……」
睦月の頭の中は真っ白になった。森澤和人を想う気持ちに気がついたのが先ほど、そして一日もしない間に「嫌い」の一言。
もう睦月は奥で笑いをかみ殺している霜月の事がどうでもよくなった。いや、「どうでもいい」のではなく、霜月の存在より森澤和人の一言が勝って霜月の存在が薄くなった。それほど大きな一言だった。
どうして? 睦月は「嫌い」の意味を探ったが、それらしい節がありすぎて答えが見つからない。
「あー、ごめん。ちょっと嘘ついた」
嘘? 「嫌い」と言った事? それとも他の何か? 睦月の頭の中は答えの出ない疑問で埋め尽くされていた。唯一答えが出ているのは、自分の顔に森澤和人が徐々に近づいている事だけだった。
「――嫌いって言ったのが嘘。本当は大っ嫌い」
耳元で囁いてから睦月から離れ、ニコッと微笑む。
「……大っ嫌い? 和人が私の事を嫌い?」
「そう、俺は睦月の事が嫌い。理解できたか?」
笑みを浮かべて何度も「嫌い」と言い放つ森澤和人に対して、何か言い返そうかと睦月は考えるのだが、頭に何度も流れる「嫌い」の単語と直接心臓を握られているかのような痛みに頭が働かなかった。森澤和人の言った事をオウム返しのように呟くのが精一杯だった。
ポケットに手を突っ込んで、睦月から少し離れた場所で笑みを絶やさずクルクルとその場で嬉しそうに回転する。
「どうして俺が睦月の事が嫌いか知っている? 知らないよね。だから答えを教えてあげるね。答えは三つ、睦月が暴力を振るう所、睦月が我が儘な所……。まぁ、この二つはどうでもいいや。俺はね、西尾の事が好きで好きでたまらない訳。それなのに睦月は邪魔をする。睦月じゃなくて西尾と一緒に居たいのに、睦月はそれを邪魔する。どうして?」
「……」
「黙っていたら分からないよ?」
「……」
「まぁいいや。答えなんか聞かなくても想像できるし」
笑いながら再び睦月に近寄り、そっと顎を持ち上げる。
「――キスしてあげようか?」
「イヤ!」
いつの間にか頬には涙が流れ、唇を噛みしめ、目をギューっと閉じて、ゆっくりと近づく森澤和人の頬めがけて手を振る。
が、それは空をきった。
先ほどまで睦月の正面にいた森澤和人が、いつの間にか背後から手をまわして寄りかかるように睦月を抱きしめていた。
「どうして嫌がるの? 睦月が望むならその先の事をしてもいい。それを睦月は望んでいただろ?」
「望んでない!」
腕を後ろに振るが、森澤和人は難なくよけて再び正面から睦月の顎を持ち上げる。
「望んでいる。だって言っていたじゃない」
「言ってない!」
「……そう。なら最初で最後のお願いごとを聞いてくれないかな?」
「イヤ! あっち行って!」
睦月はもう目を開けていられなかった。
突き飛ばそうとする両手はやはりそれも空をきり、いつの間にか背後に森澤和人は立っていた。
「俺はね、これから西尾と二人で居たい。そうなると睦月は邪魔だよね。だからさ、自分の喉を切ってくれない? それが俺の最初で最後のお願い」
「イヤイヤ!!」
「どうして? 皐月も言ったように睦月は俺の物だろ?」
「違う!」
「違わないさ。俺の事が大好きな睦月は言う事を聞いてくれるよな? 俺は睦月の事は大嫌いだけど」
ははははは、と声を上げて笑いながら睦月から離れて行く。
「うっ、うっ……うー」
睦月はもう我慢しきれず、その場に崩れ落ちて泣き始める。好きな相手に散々邪魔もの扱いされ、それには飽き足らず終いには「喉を切れ」と言われた。これ以上何かを言われるなら、いっその事言われた通りにした方が楽になれるかと睦月は思った。
「ははははは、どうして泣いてんの? ウザいから泣くの止めろよ。ってか早くどっかに行けよ。さっさと目の前から消えてくれ」
「わ、私の……知っている和人はっ……うっ、そんな事、言わない」
「へー、まだ会ってそんなに経っていないのに俺の事を語る訳?」
「言わないっ!」
「そうだな。西尾には絶対に言わないかもしれないな。だけど睦月は大っ嫌いだから言っちゃうのかも」
「違う!」
「……もう何でもいいや。俺にどういった幻想を抱いているのか知らないけど、これが俺だから。だからさ、もう終わりにしよう。いい加減に飽きてきたし」
森和和人は走り出し、泣き崩れている睦月を押し倒す。「うっ」とその衝撃に声が漏れる。そのままマウントポジションを取ると、いつの間にか手にしていた鋏を喉仏につきたてる。
ゆっくりと両手を高らかに上げると、勢いよく振りかざす。
「イヤっ!」
声を上げる睦月の声は森澤和人に届く事はなく――
* *
睦月が部屋から出て行った直後。
落ち着きを取り戻しつつある森澤和人の脳裏に不安の文字がよぎる。その文字が意味するのは果たして何なのかは分からなかったが、思い当たる節はあった。
「和人。お前が行ったところで足手まといにしかならない」
立ち上がろうとする森澤和人を皐月は言葉で制す。
「だけど睦月が心配」
「大丈夫だ。あいつだって霜月の対処法ぐらい知っているはずだし、私はお前達のお守を頼まれた身だ。それなのに和人が行ってしまうと私は睦月に叱られなきゃならない。分かるな?」
「それなら皐月が見てきて」
「はっ? どうして私が?」
「嫌なら俺が行く」
「おーけい。分かった私が行く。だけどな、大丈夫そうだと判断したらすぐに帰ってくるからな?」
「それでいい」
「全く人使いが荒いったらないな」
実に面倒くさそうに立ち上がって皐月は部屋から出て行く。
欠伸を噛みしめながら軋む階段を下り、頭をかきながら玄関のドアを開ける。そこには霜月と向かい合いながら呆然と突っ立っている睦月の姿があった。
――そう、睦月は既に霜月が描く幻想の世界に迷い込んでいたのだった。
睦月は外に出て目を閉じるが、その時には既に幻想の中だった。もっと言えば、睦月が外に出た瞬間から幻想の中に入る手はずは整っていた。何も不思議な事はない。睦月からは何も見えなくても、霜月が睦月の瞳を捉えた時点で条件は満たしている。
「全く世話が焼ける」
幻想の世界に一度入れば確かに厄介なのだが、それでも対処法がない訳ではない。その一つとして外部からの衝撃で引きずり下ろす方法があった。実にシンプルな方法である。
あくまで睦月が見ているのは幻想に過ぎない。現実にはあるはずのない事を霜月のシナリオ通りに脳内で思い描き、そのシナリオが終われば幻想も終わる。そのため現在の睦月の脳は霜月の配下にあると言っても過言ではない。その集中を一時的にでも途切れさせれば幻想は終わる。
このままほっといても睦月は現実に戻ってくるだろう。だがその後が怖いのだ。
誰にでも心の弱みはあり、そこを非常にも霜月は嫌らしくついてくる。何を見たのかは霜月と幻想を見た本人じゃないと分からないが、大抵はその幻想で心が折れて戦意喪失する。その独占場が霜月の狙いだった。
「さっさと目を覚ませ!」
突っ立っている睦月に近寄り、力いっぱいのゲンコツをお見舞いする。
「ぎゃ!」
小さく悲鳴を上げて睦月はその場に崩れ落ちる。
ものの数秒後には地面に座り込んだ状態で、目を覆い大声を出して泣き始めた。
「かじゅとイヤイヤ! もうイヤイヤイヤ!!」
首を左右に振って子どものように泣き散らす睦月にため息をついて皐月は見降ろし、腕を掴んで強引に立たせる。
「落ちつけ」
皐月の声は睦月に届く事がなく、ひたすら「イヤ!」を連呼していた。
「いい加減に目を覚ませ!」
開いた左手で頬を思いっきり叩く。
突然の痛みに我に帰った睦月は呆然と皐月を見る。それから辺りを見渡しても森澤和人の姿がない事に気がつく。
少し先に立っている霜月は口元を緩ませ、泣き叫ぶ睦月を興奮した様子で見学していた。
「ふふふ、大好きな森澤和人様に拒絶された幻想の世界はどうでしたか? 楽しかったでしょう?」
「そう言う事だ。お前は霜月にしてやられた。今までのは夢で、和人は家の中に居る」
「……かーじゅーとぉー!」
全てを悟った睦月は泣きながら家の中に走り去っていく。
残された皐月は呆気にとられて睦月の背中を見つめる。
「……さてと、睦月は戦線離脱だ。これからは私が相手をするが、それについては文句ないよな?」
「ええ、構いませんよ」
その方が霜月にとっても嬉しかった。睦月の泣き叫ぶ表情も良かったが、皐月の表情の方が霜月にとって興味深く、興奮をそそるものだった。
「言っておくが、私にはお得意の幻想とやらは効かない」
「どうしてです?」
「誰かが目の前で死のうが、誰かに『嫌い』やら言われて動揺する人に見えるか?」
「確かにそれはあり得なさそうですね」
「それに夢だろうが現実だろうが、お前は殴り飛ばせば答えは出るだろ?」
言うが早し、皐月は駆け出していた。
未だに棒立ちの霜月の頬にめがけて拳を振りかざす。が、突然霜月の姿が壊れかけのテレビのようにブレたと思ったら一瞬のうちに消え去る。
殴る相手を失った拳は空をきる。
「……中々面白い事してくれるじゃないか」
鼻で笑い辺りを見渡すと、そこには十人ほどの霜月が口元を緩ませ立っていた。
能力の一つである幻視だ。幻想とは違い、現実世界で実際に居ない物を魅せる事ができる。あくまで魅せているだけで、それに害自体は全くない。
「私がどこにいるか分かりますか?」
コツコツとヒールを鳴らせながら十人ほどの霜月が歩み寄る。
「これは参った。さて、本物はどれだ?」
適当に近付いた霜月に手を伸ばそうとして、
「――なんてな。答えは簡単だ」
その更に奥にいる霜月の首を右手で掴み持ち上げる。
霜月の喉が詰まる音と、首の骨が悲鳴を上げる音が同時に響く。
「どうして分かったって? お前は幻聴を聞かせる事ができない。だからヒールを鳴らしている奴が本体だ。スマートだろ?」
残りの力を振り絞って霜月は拳を振り下ろす。
その拳を避けも、受け止めもしなかった皐月の頬を当たる。
「やっぱりお前と睦月は弱い。弱すぎる。睦月は置いておくとして、お前が今まで生き残っていた事が不思議だ。そう思わないか?」
よりいっそ皐月は右手に力を込める。
脳に酸素が行きとどかず、今にも霜月は白目を向いて気を失いそうだった。
「お前には和人と睦月の礼がある。だからお礼に本当の悪夢とやらを教えてやる」
そのままの状態で地面に押し倒す。
衝撃で霜月の肺から空気が漏れるが、そんな事に構っている皐月ではない。
大の字に倒れる霜月の腹部に座り、霜月の右手には左手を、霜月の左手には足を、そして霜月の瞳には右手を置く。拘束状態だった。
「どうして目と腕と足と肺が二つあるか知っているか? 一つなくなっても生きられるためだ。ならどうして指は全部で二十本なのかは……それは知らない。拷問用なのか、それとも創造者の気まぐれか。……さて、霜月は何本まで耐えきれるか見ものだな」
右手から手を離し、変わりに親指を握り締める。そのままゆっくりと日常では曲がるはずの無い方向に傾ける。
「おね……がい。やめて……」
ピタッと止め、
「お前は和人と睦月がイヤと言っても止めなかったよな? 慈悲はかけなかったよな? そんな虫のいい話は世の中にはない。残念だけど我慢してくれ」
思いっきり曲げる。
骨が折れる音が辺りに響き、それと一緒に霜月の絶叫も響き渡った。
「あぁぁああぁああぁぁああぁぁぁあぁっぁぁぁ!!」
「さて、次は二本目だ。どの指がいいか決めさせてやる」
「いやぁあぁああぁぁぁー!!」
「……私はお前と違って慈悲深い女だ。本当なら全ての指をへし折り、右目をえぐり、左手をもぎ取り、右足をもぎ取りたいところだが、とっても慈悲深い私は親指だけで勘弁してやる。その代わり、お前の主が誰なのか言え。その後は契約を切って京道のクソ野郎の所に戻る。その二つを守ると約束するなら勘弁してやる。どうする? もし痛みに快感を覚えているなら止めないが」
「痛いのはイヤ!! 何でも言う! 何でも言うから痛いのは止めて!!」
「お前の主は誰だ?」
「森澤佳苗様! 和人様の妹よ!」
「ほーう。なるほど、それで能力が使えた訳だな。ところで佳苗は私と睦月の存在――お前と同じ人種だと知っているのか?」
「知らない! 後で驚く顔を見たかったから言わなかった!」
「それはよかった。お礼にもう一本いくか?」
「いやぁああぁぁっぁぁ!」
「冗談だ。最後に契約を切って全ては終わる。ほら、さっさとしろ」
契約を結ぶのも切るのも実に簡単な作業だった。
霜月は契約した手順と同じ事を繰り返し、最後に一言「契約を破棄します」唇を噛みしめながら呟く。これでもう森澤佳苗と霜月との契約は無くなった事になる。
「これでお前はゲームからリタイアとなった。最後に佳苗に挨拶でもしていくか? それとも何も言わずに邸に戻るか?」
拘束を解くと、霜月は折られた指を庇って何も言わずに走り去って行く。
あっという間の戦いだった。以前に引き続いて今回も睦月の出番はなく、丸腰の皐月が一人で解決するのだった。
残された皐月はポケットから煙草を取り出すと口に銜えて火をつける。
「……仕事の後の一服は格別だな」
誰かに言う訳でもなく呟くのだった。
4
――霜月との戦闘から翌日。
悪夢を見た森澤和人と睦月は学校にも行かず部屋に引きこもり、現在二人して赤ちゃん返りの真っ最中だった。
お互いで甘え合い、見ているだけでお腹いっぱいといった状況である。
ちなみに西尾真琴は一人で学校の授業を受けている。当初は「二人が一緒だと不安だからここにいる!」と言い張っていたが、皐月の長い説得の末渋々学校に行ったのだった。まだ未練たらたらなのか、数分おきに連絡の返信をしていなくても森澤和人の携帯電話に何らかの電波が届くのだった。もちろん赤ちゃん返りの最中である森澤和人は携帯電話に目もくれず、睦月と現実と悪夢の区別をつけようと人肌恋しく抱き合っている最中である。そんな森澤和人に変わり携帯電話を操作しているのは皐月だった。連絡がこないからと家に押しかけられたら面倒だと、イヤイヤやっている。
そして何度目かになる着信音を聞きながら皐月は嘆息する。
「なぁ、和人。明日は絶対に学校行けよ」
「イヤ。睦月と皐月と一緒に居る」
「あのなー……。睦月も何か言ってやってくれ」
「イヤ。和人と一緒に居る」
「ダメだこりゃ」
どうにでもなれと肩を落としながら携帯電話に視線を戻す。
昨晩の後、皐月は霜月と森澤佳苗の関係を言う事はなかった。伝えてもよかったが、そうなると森澤和人と睦月との関係も浮上する羽目になると思い、その事実は皐月の胸の中にしまうのだった。
「こ、ち、ら、わ、て、ん、き、も、よ、く、お、か、わ、り、な、く、げ、ん、き、で、す」
現代の文明機械に不慣れな皐月は床に置いた携帯電話を人差し指一本で操作し、文字がディスプレイに映る毎に声を出して読み上げる。ちなみに今までにメールはもちろんだが、手紙なども書いた事のない皐月にとって拷問にも似た作業であった。
「皐月、メール打つの下手くそ」
「皐月、文章考えるの下手くそ」
遠巻きで見ている森澤和人と睦月は好き勝手に言う。
「うるせぇ! 誰のせいだと思っている! そう言うなら自分でメール返せよ!!」
「皐月、怒るのイヤ」
「皐月、うるさい」
「あー、もうイライラする! 普通に話せよ! 和人は余計に悪化しているし!」
「皐月、イライラするのは」
「――カルシウム不足が原因」
終いには一つの文章を半分ずつ言い合う。
「やかましい! 私がイライラしている原因は全てお前たちだ!」
「皐月、人のせいにするのは」
「――よくない事よ」
「人のせいにしてない!」
乱暴にポケットから煙草を取り出し口に銜えたところで、
「皐月、この部屋は禁煙」
「――煙草を吸うならベランダで」
「分かっている!」
携帯電話を片手に皐月はベランダに移動し、柵を背もたれにして煙草を吸い始める。
紫煙と髪を風に吹かれてながら、部屋の中で老後の夫婦のようにお茶をすすっている森澤和人と睦月に視線を移す。
「……どうにかならんかねー」
確かに昨日の出来事とは言え、ああまでベッタリしている二人を見ていると今後が不安で仕方がなかった。
今は許そうにもいつかは学校にも行かなければならないし、いつまでもこのままと言えるほど森澤家の面々も寛大な心の持ち主ではない。
そんな時、森澤和人の携帯電話が音楽を奏でる。
ディスプレイに表示されている名前は西尾真琴で、電話のマークが一緒に映っている。森澤和人の彼女からの電話だった。
『和くん! 今日も遊びに行ってもいいよね!』
やれやれと通話ボタンを押して耳に当てると、第一声からハイテンションの声が聞こえてくる。
「お前は仮にも花も恥じらう女子高生だろ? 二日連続で男の家に外泊なんかしていたら親泣くぞ?」
『あれ、皐月さん? 和くんどこどこー?』
「人の話を聞けよ。……和人なら今朝と同じ」
『えっ! あれからずっとですか?』
「ずっとだ」
『今から和くんの家に行くって伝えて下さい!』
「はっ!? どうそうなる!?」
『それはれっきとした浮気です! 和くんと琴田さんがラブラブしているのなんて許せません! ではまた後ほど!』
「ちょっと待て!」
『何ですか?』
「分かった。私が和人と睦月を引き離す。だから今日は家に来るのは止めろ」
『どっちにしても今日はお泊りする予定ですよ?』
「あのな、最初にも言ったけどお前は花も恥じらう女子高生。その女子高生が毎日のように彼氏の家に泊まりに行くってどうよ? 両親を心配させるだけだぞ?」
『ふっふーん。それなら問題ないですよ。だって私の両親は旅行中なので、明後日まで家には両親はいませんよー』
「そっちの都合は分かった。だが和人の両親はどうなる?」
『えー、和くんのお父さんとお母さんはいつでも遊びにきてねって言っていたじゃないですか』
確かに昨晩の夕食は森澤佳苗の「お母さん明日は赤飯ね。……だって兄さんは西尾さんとやっちゃったらしいから」爆弾投下で色々とゴタゴタしていた。それでも最後の方は開き直った森澤家の両親が「分かったわ。もうここまできたら二人も三人も同じよ! 四人目だろうが五人目だろうが、どーんときなさい! 西尾さんも我が家と思っていつでも遊びにきてね!」と、宣言したのを食卓についていた全員が聞いていた。それは皐月も例外ではない。
正論を言われて皐月は言葉を詰まらす。
「だ、だけどな!」
『気のせいか、まるで皐月さんが家に来てほしくないみたいです』
来てほしくない! とは言えるはずもなく、観念するしかないと項垂れながら「……和人に伝えとく」と言うしかなかった。
皐月の立場はどちらかと言えば西尾真琴を支援する形となっているが、西尾真琴が森澤家にきてからというもの騒々しくて仕方がなかった。一見は森澤和人を取り合って些細な言い争いのようにも思えるが、皐月が支援している事を睦月も森澤佳苗も知っている。そのため西尾真琴が家に出入りしてからチクチクと地味な言葉の攻撃を浴びるようになったのだ。それが第一の理由。
第二の理由はとして、言い争いがエスカレートしないように仲裁役が必要となる。その仲裁役が自分自身だと皐月は自任している。それが面倒で面倒で仕方がなかった。どちらかの顔を立てれば、どちらかが落ち込んだり泣きだしたりと、嫌な立場でもあった。
『わーい! 着替えとか取りに家に一度帰るから、少し遅くなるって伝えて下さいね!』
上機嫌な西尾真琴は『ではまた後ほど』と言い残し、さっさと電話を切る。
ツーツーツー。と音を聞きながらため息をついて携帯電話を折りたたむ。
「……西尾。お前だけは常識人だと思っていたが、お前が一番の変わり者だよ」
やれやれと短くなった煙草を最後に一吸いし、ベランダに常備されているペットボトルの中に吸殻を放りいれる。
ベランダから部屋に移動し、改まったように正座をして森澤和人と睦月の前に座る。
「あのな、後で西尾が家にくるって」
「皐月、分かったよ」
「――追い返してね」
先ほどまではお互い同じ意見で一つの文章を半分ずつ言い合っていたが、今回は少し違う。
森澤和人は歓迎の意味で言ったのだが、睦月は不満で仕方がなかった。唯一森澤和人と一緒に居られる時間をホイホイ削るほど余裕がなかった。本来なら森澤和人の携帯電話を没収だってしたかった。そのぐらい西尾真琴は大きな存在で強敵なのだ。
「睦月は西尾が嫌いなの?」
「違うわ。大っ嫌いよ」
「どうして?」
「だって西尾真琴は私の敵なの。だから会いたくないの」
「え? 西尾は敵じゃないよ?」
「和人にしたらそうね。だけど私からしたら敵なの」
「どうして仲良くできないの?」
「だって敵だもん」
「それは答えになっていなよ?」
「それが答えなのよ」
「大人の事情ってやつ?」
「そうね、大人の事情よ。和人も大人になったら言えない事が一つや二つでてくると思うの。そんな時に便利な言葉よ」
「なるほど、大人の事情は凄いね」
「だって大人だもん」
誰が大人だって!? 何が凄いって!? ただの逃げ道だろ! と、心の中では毒ついているものの、それを口に出さずに二人の脱線した意味不明なやり取りを皐月はイライラしながら見守っていた。
「ところで何の話をしていたっけ? 皐月は覚えている?」
そこで皐月の我慢は限界に達した。
「やかましい! 霜月に何を魅せられたか知らないけどな、いつまでも甘えるな! 男ならシャキッとしろ! いつまでもぐちぐちと女々しいやつだな!」
「今の時代は男女平等だよ?」
「うるせぇ! 女々しい奴に女々しいって言って何が悪い!?」
「皐月、イライラするのは」
「――カルシウム不足が原因」
「さっき聞いたし、一つの文章を二人で言うのは止めろ! それ以前に何当たり前のように抱き合っている!? いい加減に離れろうざったらしい!」
「だって」
「だってじゃねぇーよ! 夢と現実の区別が欲しいなら私が殴ってやる! 痛いって事は現実だから文句はないよな!?」
そう言って強引に森澤和人と睦月を引き離す。
お互い手を伸ばし、愛し合っていた恋人が強引に引き離される光景を繰り出す。
「何二人して泣きそうな顔をしている!」
そしてゲンコツを二人にプレゼント。
もう皐月の暴走を止められるのはこの家に誰もいなかった。
* *
今は授業の合間にある休憩時間とだけあり、クラスメイトはそれぞれ好きなように時間を過ごしていた。友だちと楽しそうに雑談をする人もいれば、小腹がを満たすために菓子パンを食べている生徒がいた。
そんな中、皐月との電話を終えた西尾真琴はウットリと携帯電話を胸に抱いていた。
「ふふふ、今日も和くんのお家にお泊り。楽しみだな」
「余計なお節介かもしれないけど、三日続けて彼氏と泊まりってどうかも思うけど」
今にも歌いだしそうな友人の後ろで呆れ顔の黒崎真奈美が呟く。
「いいの! だって私と和くんは恋人関係だもん」
「もう何回も聞いたから」
「嬉しいからもっと言ってあげるね!」
「遠慮させて。それにさ、そうやって大声で泊まるとか言うのは止めた方がいいと思うよ。クラスの男子とかも聞いている訳だし……」
「どうして?」
「どうしてって言われても……」
黒崎真奈美がそう言うのにはもちろん理由がある。
第一に不埒な事を連想されて噂話が立つ可能性がある。第二に仮にも学校のアイドル的存在の西尾真琴が男の家に泊まると聞けば、そのファンである親衛隊が何かしらの行動を見せる。第三に嬉しいからといって誰にでも言っていいような内容ではない。
友人が嬉しいのを理解はしているのだが、だからこそもう少し自重しなければいけない所もある。今は高校生であり、間違いがあっては遅い時期でもあり、森澤和人に一途な友人が凄く心配で仕方がなかった。
「真奈美ちゃんも好きな人ができたら、いつも一緒に居たいって気持が分かるよ」
「いや、だけど……」
「何なら真奈美ちゃんも和くんのお家に行く?」
「行かないし!」
「言うと思った」
ふふふ、と西尾真琴は微笑む。
「それにさ、和くんが浮気しないから見ないといけないし!」
「仮に浮気していたらどうするの?」
「どうもしないよ」
「それって都合のいい女になっちゃわない?」
「それでもいいのっ! 和くんと一緒に居られるだけで今は嬉しいの」
「真琴にここまで言わせるなんて、いったい森澤くんは何をしたのか気になるところね」
「和くん優しいよ!」
「優しさだけで人に好かれるなら恋愛は単純じゃないでしょ?」
「そうだけど……。でもね和くんの良いところはいっぱいあるし、和くんと一緒だと落ちつくし……。それにね!」
「はいはい、もう十分わかった。だから落ちつきなさい」
身を乗り出して興奮気味の友人を落ちつかせるように椅子に座らせ、一度しか会った事のない友人の彼氏を思い浮かべるのだった。
それからほどなくして授業開始のチャイムが鳴り響く。
西尾真琴はろくに授業も聞かないで、机の下で携帯電話を操作するのだった。メールの相手が皐月とは知らず、何度もメールを読み返していた。