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一月 睦月





 運命の出会いとは実はあったりする訳だ。

 没頭から何ロマンティストみたいなことを言ってやがる。そう思われても仕方がない。俺だってこんな事を白昼同道と言うはずもなければ、誰かがこんな事を言っていたら確実に変な目で見るだろう。

 が、そういった夢見る少女的な事を否定していても、本当にそんな出会いがあれば今まで否定してきた事でも信じてしまう。そう仮に「俺のペット(チワワ)が喋った!」とか友達が言うとしよう。普通ならこいつの頭大丈夫? とか思ったりする訳だが、実際に喋っているところを見たら幻聴だろうが何だろうが信じなければならない。ちょっと表現があれだが、そこのところはスルーしてほしい。

 それはそうと、どうして俺が運命の出会いやら言っていたのかといえば、複雑かつ壮大な理由があったりする。ちょっと興奮(徹夜でカラオケをした時に起きるナチュラルハイのような感じだ)していてそこまでの理由かもしれないが、取り敢えず普通ではありえない出会いがあったのだ。

 と、その前に一応自己紹介でもしておこう。

 俺の名前は森澤和人。自称学校のアイドルで学校では名の知れたナイスガイだ。……ごめん、嘘です。ごくごく普通で、どこにでもいそうな平凡かつちょっと地味な高校二年生です。ちなみに学校の名前は三日月高校。ちょっと高校の名前にしては少しばかり場違いな名前だ。きっと名前をつけた人は酔っていたに違いない。


 その日もごくごく普通な土曜日の夜。

 時間は二十一時をまわり、世間の良い子は心地よく眠っている時間帯だろう。もちろん俺は良い子でもなければ悪い子でもない、普通すぎる性格でこれといった特技もなければ趣味もない。まぁ、一つだけ特技があるなら自転車のパンクが直せるぐらいだ。それでも特別凄い事でもない。学べば誰だってできる事だしな。

 俺の住んでいるところは山の中で、最近はやりの住宅街とかではなく、普通に山の中にある。そのため一番近い家でも家三個分ぐらい離れている。その家を除けば歩いて数分ぐらい距離がある始末だ。そんな山の中に家があるため、コンビニは当然ないし、スーパーといえるような大層な造りをした建物もない。あるのは個人営業の店ぐらいだ。

 普通に道はアスファルトで、歩く事にだけは不自由はしない。それでも都会っ子のように夜にちょっとコンビニまで、そんな事はできるはずもなく。さらに夜の山は少々危険で、イノシシやら熊が出てくる可能性がある。そのため消去法で俺は自室で漫画やらテレビを見る以外はすることがない。

 俺は少々飽きっぽいところがあるのか、小学生の頃に買ったお小遣い帳は使う前から机の引き出しに封印したぐらいだ。それ以外にも日記やら絵画やら、色々なことに挑戦するが続く事はなかった。それでも唯一日課らしいのがある。

「よっこらしょっと」

 そんな掛け声と一緒にベランダの柵(ベランダから落ちないように周りに囲ってあるやつ)に足を乗せて思いっきり屋根に上る。

 俺の日課は晴れた日は大抵屋根に上っていることだ。ここにいると嫌な事を忘れさせてくれるし、天然のプラネタリウムのように星が綺麗だからだ。

 今日もいつもと同じ星空を見ようと思い、屋根にきてみれば先客がいた。普通ではありえない場所にいる先客に俺は言葉を失った。だってベランダは俺の部屋にあり、そこからじゃないとこの屋上にはこられないからだ。隣の家から跳び移ろうにも相当の距離があるし、なによりその先客の服装がまた山には不釣合いで、マニアックすぎる綺麗な女性が立っている。

 屋根の上に立っている彼女は全身……なんといいますか、メイド服ってやつ? それを着込んでいた。いや、本当に彼女は何なのだろうか。ってか、シュール過ぎて少し笑えてきた。

 クスリと鼻で笑う俺とは裏腹に、彼女はぷっと頬を膨らませる。

「何が可笑しいのですか?」

 そう言って彼女は少し頬を赤らめた。

 彼女は美しい。サラサラな黒く長い髪。その髪を自然に垂らし、少し風になびかせていた。顔立ちも実に素晴らしい。大きな目に、ずっと見ていると吸い込まれそうな綺麗な瞳。鼻も整っており、さらには小さな口。その申し分ない顔のパーツを引き出している小さな顔。そんな女性を俺は今までに見たことがなかった。

「いや、何でもないよ。……それで、君はだれ?」

 メイド服に気をとられてすっかり忘れていたが、目の前に立っている彼女が誰なのかはっきりさせる必要がある。こんな美人な人が泥棒とかなら話は別だけど。いや、それはありえないか。だってメイド服だし。

 さっきまでの顔とは一変し、彼女は凛と俺の顔を見つめる。

「貴方……森澤和人様は私の主です。これから末永くよろしくお願いいたします」

 そして四十五度の礼。

 いやいや、全く理解できない。これだけで分かることは彼女が美人だという事と、メイド服だって事だけだ。それ以外は何がなんだかサッパリだ。


 運命の出会いとは実に唐突である。

 ……。

 …………。

 いや、まだ出会って数分だ。これを運命とは言わないな。運命とはもっと時間を積み重ねて、最終的に付き合う、または結婚する時に使う言葉だ。

 人との出会いは時には唐突である。

 そっちの方がしっくりくる。

 あと、メイド服は山と一般家庭には似合わない。

 これもまた今日学んだ事だ。やっぱりメイド服はそれ同様の場所に似合うもので、ちょっと古ぼけた木造作りの家には決して似合わない。着物を着てどこからどう見てもお淑やかそうな人が日本酒の一升瓶を片手に机の上で暴れているぐらいミスマッチだ。

 それはさておき、これが俺と彼女が出会った時だった。

 ドラマ(主にサスペンス劇場の主人公が良く口にする言葉)でよく「まさか、これから俺にこんな事が待ち受けているなんて誰が予想していただろうか」とか何とか言っているが、まさに今の俺はそんな感じだ。こんな事を事前に分かっていたら、こんな怪しい人にわざわざ会うために屋根には上らなかった。

 だけど一つ今後の事で分かることがある。それは多分だが、今の生活からかけ離れること間違いなしだ。これだけは断言してもいい。だって突然「私の主」とか言うほどだからね。

 ああ、この人とは違った出会いで会いたかった。そう彼女を見ながら俺はふと感じた事だった。





「それで君の名前は?」

 場所は屋根の上のままだ。

 俺は名前の知らない彼女の隣に腰を下ろし、座ろうとしない彼女を見上げる。

 今日は満月だけあり、月の光で軽く照らされているものの、基本ここは山である。そのためはっきりと表情を見る事はできなかった。

「私の名前は睦月といいます。睦月とは旧暦で一月の呼び名です。今ではあまり使われていません」

「……そう。それで、睦月さんはここで何を? それ以前にどうして俺の事を主とか言っていたのさ?」

 名前ははっきりしたが、それについてはしっかり聞いておく必要がある。

「それにつきましては……いえ私の口からはお伝えできる事はこれだけであります」

 何それ。そんなに重大な事なのか? それとも言えないような事をしようとしていたのか? 分からん。

「……まっ、いいや。取り敢えずその敬語と、俺の事を主様って言うのや止めてもらってもいいかな? できれば普通にしてくれると俺としてはありがたいのだが、どう睦月さん?」

 言うまでもないが、俺はごくごく普通な生活を今までに送ってきた。そんな中でメイドさんに主様とか言われるのは気持ちだけお金持ちになった気分になって少し嬉しいが、それでも現実はお金持ちでは談じてない。あるのは畑だけで、そんな俺に敬語を使うのも少し変な話しだ。できるなら素の睦月と話したいとか思っている。

 睦月は徐に座り、グターっとそのまま仰向けになった。いや、いったい何をしているのだろうか。ナチュラルすぎだろう。

「あ〜、あのキャラって私に合ってないから疲れた。けど和人としては勿体ない事をしたとか思っているでしょ? あっ、私の事は呼び捨てでいいよ。その変わりに私も和人って呼ぶから」

「……」

 普通にしろと言ったのは他の誰でもなく俺なのは変えられない事実なのだが、いささかこれは普通すぎだろう。もう少し適度があってもいいと思う。

 素とキャラの激しすぎるギャップに一瞬俺は言葉を失った。けど本当に一瞬だった。

 俺は漫画やアニメのように上手くいかないと現実を受け止めながら、睦月同様に屋根の上に横になる。

 いつも座ったまま空を見上げているため、少し目線を変えてみればまた違った星空を見ているような気がした。

「いや、勿体ないとか思ってないよ。これぐらい普通の方が逆に接しやすいからね。それで、もう一度聞くけどどうして睦月はここに?」

「正直に言えば、私も詳しく今の状況を理解してないのよね〜。何て言うのかな? 教えられる前に飛び出してきた? そんな感じかな。できることなら逆に私が教えて欲しいぐらいだよ。あっ、一瞬私の事バカとか思ったでしょ?」

「……」

 ご名答。さすがに俺を主と言うぐらいだから、それ相当の理由を知っておく必要があるだろう。それなのに「あたしも詳しく理解していない」それはダメだろう。

 睦月はギロリと俺を一睨みするものの、直ぐに視線を星空に戻す。

「本当の事だから別にいいけどね」

「なぁ、どうしてわざわざキャラやらメイド服で俺に会いにきたの? 疲れるなら今のままでも良かったと思うけど?」

「あ〜、男の子はさっきのキャラと、この服ならイチコロで落とせる。そう教えてもらったから」

 あながち嘘ではないかもしれない。けど、キャラとメイド服のコラボは特定の人限定に絶大な人気かもしれないが、全ての健全な男子って訳ではないけど。

「誰がそんな事を?」

「このくだらないゲームを決めた人よ」

「? 何のゲーム?」

「さっき言ったでしょ? 私は和人の盾で剣だって。それで最後に残った人がハッピーなエンディングが待っているって」

 ……聞いてないけど。

「……さっき今の状況を理解していないとしか言ってなかったと思うけど……。それ以前に俺の盾と剣になってどうするの?」

「あれ? そうだったかな? ごめん、ごめん。なら一度しか言わないからしっかり聞いてね。私と和人はパートナーで、旧暦で一月から十二月の名前がこの戦いの駒となるの。それで見事最後まで生き残った月とパートナーに凄く良いことが待っているの。ちなみに良いこと以降から抜け出して聞いていないから、どんな事が待っているのか私にはさっぱり」

 先走ったって訳だな。そこが一番重要なのに、どうしてこの偽メイドさんは何も聞いていないのだろうか。全く困った人だ。

 そんな事をサラサラと睦月は言うのだが、非常に信じられない。何の利益があって戦いをしなければならないのだろうか。それに戦いとなったらパートナーであり、主である俺にも被害が食うかもしれない。争い事は得意じゃないから、できるなら穏便に事を済ませたい。

「……百歩譲って今の話を信じよう。だけど、どうして俺がパートナーになったの?」

「この戦いを考えたロクデナシに聞いてちょうだい。ちなみに、ロクデナシが決めたパートナーは変更可能なのよ」

 それがあるなら早く言ってくれよ。早く普通の日常に戻りたい。まだ普通でない日常を味わってはいないけどね。

「けど、私達に決定権があって、主には決定権がないから和人には関係ないけどね。まぁ、本当に私達がこの主を嫌だと思った時だけ他の人とパートナーを決める事ができるの。それ以外はいかなる理由でも交代はできない。私は和人の事は少し気に入ったから変更はしないよ。まっ、これも運命だと思って諦めてよ」

 本当に俺には関係のない話しだ。それならどっちが主で、どっちがそうでないのか区別がつかない。

 睦月は嬉しそうに俺に視線を移す。

 その時の笑顔が可愛くって少しだけドキリとした。

「……詳しい話はまた明日にして、今日はもう帰ったら? 一応まだ最終のバスがきてないから、それに乗れば駅まで行けるはずだよ」

「そうね、なら私は先に戻るとするかな」

 睦月は体を起こして、うぅ〜っと唸りながら両手を思いっきり上げて伸びをする。

 少し日本語が変だが、今は取り敢えずスルーしておこう。

「んじゃ、お先に」

 それだけを言い残して睦月は屋根から飛び降りる。ちなみに、飛び降りた位置はベランダ辺りだから心配はない。

 どこに住んでいるのか分からないが、睦月の姿が見えなくなってから大きなため息をついた。

 全く現状を理解していないが、何とかなるだろう。そんなポジティブ精神を全開に俺も立ち上がる。

「よっこらせっと」

 と、ジジくさい事を呟きながら屋根から落ちないようにベランダに着地する。

 部屋に通じる大きな窓をガラガラと音を立てながら部屋に入る。ちなみに、着地と同時に目にゴミが入ったため、目をごしごしと擦りながら部屋に入った。

 俺の部屋は今日の昼に掃除をしたばかりだったから、床にゴミなどは落ちていない。だから何の障害もなく、前を見なくてもベッドに座ることができた。

 それから数十秒後にようやく目のゴミが取れた。

「――っ!?」

 それと同時に声にならない叫びを上げ、そのままベッドの上を後退。それほど大きなベッドじゃないため、直ぐに壁にたどりつき。

 ドン!

 と、隣の部屋にまで聞こえるぐらい後頭部と背中を強打する。

 どうして俺がここまで身を犠牲に壁に激突したかと言えば、俺がドMだからでは決してない。ただ、部屋の中央にあるコタツ机とペアの座布団に座りながら、メイド服を着込んだ人がお茶をすすっているからだ。

 俺はヒリヒリする後頭部をさすりながら、今の状況を理解するため偽メイドを一瞥する。

「和人はどうしてそんなに不思議そうに私を見ているの? もしかしたら私の顔に何か付いている?」

「ど、どうしてここに? 帰ったのじゃ……」

「? どうして私がわざわざ変える必要があるのかな? 和人は私の主なら。その主がいる場所に私がいなくてどうするの?」

「……ここに居座る、と?」

「私はそのつもりよ。何か問題でもあるの?」

 問題だらけです。

 この偽メイドは一体何を考えているのだろうか。一応俺だって健全な一男子高校生であり、ひょんな事から本能の赴くままに行動するとも分からない男と一緒の部屋に寝泊りするのは大いに問題だ。

「も、問題だら……」

 以降の言葉はあいにく声に出す事はできなかった。

「一人でなに騒いでいるの!? ちょっと静かに……おじゃましました〜」

 一応俺には双子の妹がいる。二卵性の双子で、俺の地味でごくごく普通の性格とは正反対の妹がドアを思いっきり開けて怒鳴るや否や、睦月の存在に気づいてそっとドアを閉める。

 俺と妹の性格が正反対なのは隠しようのない事実だ。髪の色は校則違反と知りながら茶色だし、地味な顔の俺(誰かに俺イケメン? そう聞けば高確率で普通と答えるほど)とは正反対で目はパッチリしているし、髪だって今時の髪型をしている。自分の妹をこう言うのは少々あれだが、可愛いほうの部類に入る。そして俺はダメな遺伝子だけを受け継ぎ、本当に兄妹なのかも疑われている。一種の都市伝説となりそうなほどだ。あぁ、理不尽な世の中だ。ちなみに妹の名前は佳苗で俺とは別の高校を行っている。

 妹はかなり動揺しているのか、ドアを閉めた瞬間に「お母さん大変だよ! 兄さんが変なプレイに目覚めてメイドさんと口では言えないあんなことやこんなことしているよ!!」そんな叫び声が聞こえてきた。いや、話を大げさにしないでくれ。頼むから。

 睦月は最初だけキョトンとしていたが、直ぐに小さくクスクスと笑い始める。

「和人の妹さんは面白い子だね」

「……能天気だな」

「どうせ私の存在がばれるのは時間の問題だったでしょ? それなら早めに話をしといた方が気楽でいいじゃない」

「そうだけど……母さんになって言ったらいい……」

 訳のわからないゲームに強制的に参加させられて、今日からこの人と一緒に暮らします。そんな事は口が裂けても言えない。

 一階の居間からは混乱した馬のような悲鳴のような声が聞こえるし、いったい俺は何をすればいいのか分からずに布団を頭からかぶって現実逃避をしてみる。

「私と和人は付き合っていて、彼女の私の家が改築しているから少しの間だけ泊まるとか言えばいいのよ。和人は少し考えすぎ、ほら、そんなところで丸まってないで普通にしていればいいのよ」

 ギシッと音を立ててベッドが少し傾く。きっと睦月が座ったのだろう。

 案の定、睦月はそう言うと布団から俺の顔が出るほど退ける。そして笑顔で優しいデコピンをしてきた。

「睦月はそれでいいの?」

 顔だけちょっと出しながら聞く。

「私は別に構わないよ。和人が嫌なら話は別だけどね」

「……嫌なんかじゃない……よ」

 そんな中、ドンドンと早歩きをしながら俺の部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。そしてノックもなしに部屋のドアがドンと今にも壊れてしまいそうな音をたてて開かれる。あまり立て付けのいいドアじゃないから、そんなに乱暴に扱わないでほしい。

 部屋の前にはいかにもおかんと言っているかのように、白いエプロンと鍋(明日の朝食の準備をいていたのか、ポテトサラダが鍋の中に入っている)を装備した母さんと妹。そしてなぜか俺の幼馴染である貴明の姿もある。明らかに貴明だけは場違いもはなはだしい。ってか、今すぐ貴明だけ帰ってくれ。

 母さんは今にも失神しそうなのか、少しふらりとふらつく。そして妹は私の言った事が正しかったでしょ? とアピールしているのか腕を組んでコクコクと頷く。場違いの幼馴染は面白そうに俺と睦月を交互に見比べていた。

 三者三面色々な表情をしているが、その中でも母さんにいたってはフラフラしながら座布団に腰を下ろす。それほど衝撃でもないだろ。一応俺だってもう高校生だから彼女の一人や二人連れてきても決して変ではない。

 妹も幼馴染も母さんに続いて部屋に入って、適当に座った。

 このタイミングであれだが、一応幼馴染の紹介でもしておこう。名前は村井貴明で、家はお隣さん(お隣さんなのに家三件分ぐらい離れている)で、保育園からずっと同じクラスだ。まぁ、俗に言う腐れ縁というやつだね。そのため学校もいつも一緒に行っているし、お互い部活をしていないため大抵一緒にいるやつだ。いつもニコニコとしているが、これがまたいらぬ情報を集めるのが趣味で、弱みを握られた人は今までに数え切れないほどいる。

「……お母さんは今の状況があまり理解できないけど、それで今まさに何をしようとしているのかお母さんにも理解できるように説明してちょうだい。絶対に怒らないから素直に言ってごらん?」

 コタツ机の上にドカンと白いエプロンとポテトサラダ付属の鍋を力強く置く。そのせいで鍋からポテトサラダが少しだけ飛び散る。せっかく掃除したのに台無しだ。

 俺はベッドから体を起こし、睦月の隣に座る。

「えっと……この人は俺の彼女で睦月。別に普通に話をしていただけで、変な事はしていないよ」

「和人の彼女の睦月といいます。これからよろしくお願いしますね」

 ニッコリと笑みを見せる偽メイド。

 ぽかりと口をだらしなく開けて信じられない物を見たかのような表情をする母さんと妹。そして興味深そうに俺と睦月を交互に見ながらポケットから出したメモ帳に何かを記入する幼馴染。俺の情報は別にいいから、今すぐそのメモ帳を破り捨ててやりたい。

「……そんなバレバレな嘘をついてもお母さんの目は誤魔化せませんよ!」

 信じてくれなかった。

 母さんは少しの間完全にフリーズしていたが、恥ずかしそうに咳をして我に戻る。このまま冷凍庫の奥に忘れられたミカンのように固まっていてくれれば助かったのだが……実に残念だ。

「そう言われても……」

「ならお母さんにも分かるような証拠を見せてみなさい! 自分の息子だから言いたくはないけど、和人と睦月ちゃんが付き合っているのは信じられません!! もう月とスッポンで、うちわとクーラーぐらい信じられません!!」

 もう何がなんだか。月とスッポンは分かるけど、うちわとクーラーって……アナログとデジタルの差でも証明したいのだろうか? それより実の母さんにここまでストレートに言われるとショックを通り越して、涙が込み上げてくる。

 証拠といわれても、偽カップルの俺たちに証拠らしいものなんてない。だって今日会ったばかりだし、カップル認定書とか書いた紙でいいなら何枚でも用意するけど、それ以外に今までに彼女ができていない俺には何をすればいいのか分からない。

 俺は少し唸りながら、隣に座っている睦月を見た。睦月も何をすればいいのか考えているのか、腕を組んで少し眉間にシワを寄せる。

 よくよく考えれば、偽カップルとはいえ、俺と睦月がお互い付き合っていると言っているのだから母さんが信じようが信じまいが、別に証拠とか見せる必要がないと思う。まあきっと母さんは混乱してその事には全く気づいていないと思うけどね。

 さて、どうしたらいいものかと再び考える。ちなみに母さんは頑固者だから一度言った事は実行しなければ後々面倒になること間違えなしだ。主に食事に関して。

「やっぱり付き合っているならキスぐらいするのが普通だよね〜」

 困っている俺に助け舟……ではなく悪魔の囁きをニコニコ幼馴染が腕を組み、俺と目が合うと指を立ててパチッとウィングまでしてきた。この幼馴染は確実に楽しんでいる。それよりありがた迷惑で仕方がない。いや、この幼馴染に気の利いたフォローを求めても何も出ないのは前々から知っているけど。

 俺は睦月をチラリと盗み見ると、明らかに動揺しているのか顔を真っ赤にして俯いていた。当然と言えば当然か。

 そんな睦月を見ていたら、俺も恥ずかしくなってきた。最初は始めてあった初日であり、よく睦月の事を知らないため現実味がなかったが、こんな睦月を見ていたらキスをしたところを想像してしまった。ちなみに現段階で俺のキスしていない暦は言うまでもなく歳の数だ。別に相手がいないからしない訳じゃないよ。俺は自分の唇を守りに守った結果としてこうなった訳だ。

 見苦しい言い訳は太陽の彼方まで置いといて、実際のところキスを誰かに見られながらするのは恥ずかしいし、ましてや実の母親と妹に見られたくはない。

「……」

 母さんと妹は俺がキスをするものかと完全に思い込んでいるのか、俺と睦月を凝視している。さて、本当にどうしたらいいものだろうか。今日ばかりはニコニコ幼馴染の両足を縄で縛って近くの川にでも放り投げてやりたい。

「早くキスしなよ。ここまで大事にしといてまさか何もしないってオチはないよね?」

 ニコニコと何を考えているのか分からない笑みを見せる幼馴染。いや、大事にしたのはお前だから。

 俺はギュッと拳をつくる。そして睦月に体を向ける。

 母さんたちは本当にキスをするとは思ってなかったのか、身を乗り出した。

「大丈夫。ギリギリで止めるから、安心して」

 睦月の小さな肩をギュッと握り、耳元で小さく呟く。最初はビクッと体を震わせていたものの、頬を赤らめてコクリと頷きながら目を閉じた。とてもそそられるこのシュチュエーションにドキッと俺の胸は高鳴った。もちろん付属品の外野はシュチュエーションどころか邪魔なのは言うまでもない。

 寸前で止めていることを悟られないように俺は母さんたちに背を向ける。

 俺は一度頷き、一段と手に力が入る。そして小さく整っている睦月の顔に近づける。

 徐々に近づくにつれて俺のやわなハートが砕けてしまいそうなほど高鳴る。

 息が本格的にかかるぐらいまで近づき、ちょっと近づけば触れてしまうほどだった。距離にして五センチぐらいだ。この距離だとキスをしたと言っても少々無理がある。だから俺の唇と睦月の柔らかそうな唇の間をずっと見ている。

「……」

 限界まで近づき、そのまま数秒停止。これなら信じてくれると思いながら、素早く離れる。

 ぷはぁ〜。そこでようやく大きく息をはいた。だって緊張のあまりに呼吸をする行為が一時的に痴呆症のごとく忘れてしまったからね。

 チラリと睦月を盗み見れば、顔を真っ赤にして俯いていた。

 チラリと母さんを見れば、呆然と口を開いて今にも「今の幻覚!?」とか言いそうだった。

 チラリと妹を見れば、先を越されたとか思っているのか歯を食いしばって握りこぶしを作って険しい顔をしている。

 ギッっとニコニコ幼馴染を見れば、ポケットに何かをしまい俺にウィンク。

 それぞれ独特な反応をしているが、そろそろ俺を解放してもいい頃合だと思う。特に母さんと妹と幼馴染が部屋から出ていってくれる事を望んでいる。あっ、全員か。

「……せ、せせせ」

 そんな中、突然母さんが「せ」を連呼。

「せ? セバスチャン?」

 あれ? セバスチャンって何? 取り敢えず「せ」のつくものを言ってみたけど、セバスチャンって何だっけ? ……まあいいや。

「赤飯を持てーい!!」

 母さんはそう言うと思いっきり立ち上がる。そしてサラダポテト付属の鍋を手に取るとドアに向かって歩き出す。かなりの動揺しているようだ。

「何しているの、佳苗!? あなたも手伝うのよ!」

「ちょっと待って!」

 ドアに手をかけたところで、まだ本題を聞いていないことを思い出す。

「睦月を少しの間泊めてもいいの?」

「何を言っているの! もう睦月ちゃんは私たちの家族でファミリーよ。好きなだけここで暮らしなさい。ああ、前もって和人がこんな可愛い子を連れてくるなら化粧の一つでもしたのに……惜しいわ」

「父さんには聞かなくていいのか?」

「父さん? 誰それ? このお母さんがいいって言っているから、別にいいのよ」

 何気に酷い事を言い残して母さんと妹は部屋から出て行った。

「中々面白いものが見られたよ。ありがと、和人」

 投げキッスをしてニコニコ幼馴染も部屋を後にする。

 さっきまでは早く部屋から出て行って欲しかったが、誰もいない部屋で二人きりにされると気まずくて仕方がなく思えた。もし未遂のキスが無かったら話は別だけどね。

「……母さんや幼馴染が変な事を言ってごめん」

「私が言い出した事だから別にいいよ。それよりキスができなくて残念とか思ったでしょ? このムッツリ」

 さっきまで頬を真っ赤にしていた睦月はどこにいったのか、今はさっきまでの睦月に戻っていた。これもキャラだったのだろうか? 分からん。

「そんな事思ってないよ。それよりメイド服意外って持ってないの? さすがにこのままじゃあれだろ?」

「ないわ。だってロクデナシがこれなら間違い無いって言ったから、これ以外の服は全部捨てた」

「別に捨てる事はないだろ……」

「主に気に入られないと、どんな服を着ても意味が無いでしょ? まあロクデナシの言った事を信じた私がバカだったかな。これなら普通の服でくればよかった」

「……取り敢えず俺は廊下にいるから、そこのタンスの服を適当にきてよ」

 視線をタンスに移して俺は立ち上がる。

「別にここにいてもいいわよ」

 いやいや、さすがにそればかりは出来ないだろ。何度も言うが、仮にも俺は健全な一高校生であり、堂々と女性の着替えと居合わすのはどうかと思う。

「……少しは恥じらいという言葉を学びなさい」

「ちょっと着替えるから向こう見て。ほら早く。見たかったら別に見てもいいからね。だけど見たらお仕置きだからねっ。……これでいいの?」

「……たぶん全然違うと思う。と、取り敢えず俺は廊下にいるから、着替え終わったら呼んでよ」

 不満そうに睦月が唸っていたが、それはスルーしておこう。ほら、なんか答えたら答えたで面倒な事になりそうじゃない。

 俺は一度廊下に出て、ドアによしかかって座り込む。そして大きなため息。

 屋根の登ったときから色々とありすぎて今にも俺の頭はパンクしそうだった。白い湯気とか生ぬるいものじゃなく、戦隊物が登場する時にある無駄に手のかかった演出のように木っ端微塵に爆発しそうだ。

 そんな事を考えていると、ガチャリと音をしたかと思えば背中にあったドアの感触が無くなり、よしかかっていた俺は重力に逆らえる事無く背中から床に倒れこむ。

「っー!」

 声にならない叫びを上げ、倒れた衝撃から背中と後頭部に再び痛みが走る。軽く頭を擦りながら目を開ける。

 仁王立ちをしている睦月の足の間に俺の頭はある訳で、最初に目に入ったのは白い太ももの奥にチラリと見える純白の生地。世間ではパンティーとかいうやつ。そして視線をずらせば大きな二つの山から少し見えるニヒルな笑顔の睦月。ああ、ナイスアングルだね。グッジョブ睦月。初めて君に感謝するよ。

「あら、見たいなら素直に言ってくれればもっとサービスしたのに」

 恥じらいと言う言葉が実に似合わない言葉である。女の子ならもっと恥じらってほしい。そうすれば可愛さがプラスアルファされて高感度が鰻登りなのに、実に残念だ。

「ははは、これは事故で俺が望んだ事じゃないよ?」

 もちろん内心では事故バンザイとか思っていたりする。

「あまり信じられないな。これを計算してドアによしかかっていたのよね? なかなか策士なのね」

「……取り敢えず策士かどうかは置いといて、どうしてワイシャツだけ着ている?」

 一応俺だってズボンは数点所持しているのに、どうしてか睦月が着ているのは学校のワイシャツ。しかも男物だから華奢な睦月の体には大きすぎるぐらいだ。そのため普通のワイシャツのはずなのにエロイ。……この服装はけしからんな。

「これの方が和人も喜ぶかと思って。気に食わないならこれも脱ごうか?」

 そう言って睦月はワイシャツのボタンに手をかける。

 豊満な胸のせいで胸囲がきついのか、一つボタンを外したところで少し胸が揺れる。くそっ、俺で遊んでいるな。

 睦月が俺で遊んでいるのは確定だとしても、一度この状況を味わってしまったら中々違う行動を起こせないのが男の性だ。

 できるなら今すぐにでも立ち上がるのに、中々行動を起こせないそんな時。

「彼女にワイシャツ一枚は少しマニアックじゃないかな? けどさすが和人だね。僕も和人を見習わないとダメだね」

 突然声がした。

 別に顔を見なくても誰か分かる。

「貴明……頼むからこればかりは内密にしてくれれば助かる」

「心配しなくても僕はいつだって和人の見方だよ。けどね、一つだけ頼みがあるの。いいかな? あっ、別に嫌だったら断ってもいいからね」

 幼馴染の顔を見れば普通の人なら普段通りの笑顔なのに、付き合いの長い俺なら分かる。この笑みはよからぬ事を考えている笑みだ。さすが腹黒幼馴染だ。





 日曜日の昼前。

 俺はバイトをしていないため、学校のない休日は暇をもてあましている。どうしてバイトをしないかといえば、理由は簡単だ。バイトを募集しているところが家の近くになく、バイトをしたところで家に帰る手段がないためだ。不便な土地だよ、本当に。

 昨日のあの場面を見られるまでは先週同様に金持ちが暇をもてあます以上に暇なのだが、まさかの展開と不幸が重なり、どうしてか幼馴染と一緒に世間では少々メジャーな店の前で看板を見上げて立っている。ちなみに今俺たちがいる場所は地元じゃなく、四駅電車に乗り、さらにバスに揺られる事二十分の位置する街の中心だ。

「本当にここでいいのか?」

 看板には見慣れない文字が書かれており、これから待ち受ける初体験を前に目頭を押さえる。

「ここであっているよ。和人だって本当はこういったお店に興味があるでしょ?」

「……」

 人の趣味をとやかく言うのは野暮なのだが、付き合いが長い分幼馴染が何を考えてここにたどり着いたのか検討がつかない。

 俺は目頭から手を退けて再び看板に視線を送る。

 ツンツンデレデレ。今日もご主人様をご奉仕、ご奉仕。

 そんな看板が堂々と入り口の上にあった。俗に言うツンデレ喫茶というやつだ。

「どうしてメイド喫茶じゃなくて、ツンデレ喫茶?」

「ん? やっぱり和人はメイドさんが萌なの?」

「……どうしてそうなる?」

「だって昨日彼女さんにメイド服を着せていたじゃない。僕は和人の趣味に対しては何も思わないよ。だけどね、彼女さんにメイドプレイを望んでいると嫌われちゃうと思うよ? けど隠し通すより素直に彼女にメイド服を着させて和人が僕は好きだよ」

 これって褒められているの? 仮にそうだとしても……嬉しくねえ。

 ニコニコ幼馴染に悪気がないのは分かる。だけど、このまま誤解されっぱなしなのは少し不愉快だ。幼馴染は口が堅いが、いつ口を滑らせるか分かったものじゃない。きっと誤解をされたまま学校で噂されるのは近い未来かもしれない。

 それはそうと、こんな街中でツンデレ喫茶の前で立っていると知り合いに見つかる危険がある。大体の相場が気にしていないと誰にも見つからないが、無駄に気にしている時に限って知人に目撃される事がある。

「こんなところで突っ立っても営業妨害にしかならないから、入るならさっさと入ろう」

 それなら目撃される前に店に入り、何食わぬ顔で店から出るほうがよっぽど目撃される確立は減る。さすがにこのツンデレ喫茶の中に友達がいる訳がないからね。

「それもそうだね。あ〜、デレデレするのが楽しみだよ」

 いや、デレデレうんぬんより俺としては今すぐにきた道を戻るほうが何十倍も楽しい。楽しくなくても、無理やり楽しくする自信がある。


「はい、注文したオムライス二つねっ」

 さて場所はツンデレ喫茶の前から店内に移動し、中なら外より安全だと思っていたけど、まさかの知り合いばったり会ってしまった。しかも店員さんとして。

 ツンデレ喫茶はツンツンデレデレしているだけで、内装としては他の喫茶店とさほど違いはなかった。それでも普通の喫茶店よりかは少し華がある。テーブルの隣には観葉植物がずらりと並び、店員さんの表情としては少しきつめだが、着ている服はメイド服を少し改良されたデザインで中々良いものだった。

 顔見知りの店員さんが現在無駄に高いオムライスを机の上にドカッと置いた。

 釜谷美羽。同じ高校に通うクラスメイトで、ショートヘアーで普段からツンツンさんだ。しかもデレデレは見たことのない正真正銘のツンツン娘である。一応こういった類の店では高校生は働く事はできないのだが、このツンツン娘は大人っぽい顔つきをしている。それに化粧もしていることもあり、チラリと見た感じでは高校生には見えない顔つきをしている。

 それはそうと、どうしたものか。客と店員さんなのだが、空気が重い。主に俺とツンツン娘の間だけだが。

 ツンツン娘はオムライスの乗っていたお盆と一緒に持ってきたケチャップを徐に握り締めるようにぶっかける。オムライスが別の食べ物に見えてきた。

「さっさと食べて早く店から出てってよね!」

 一応ツンデレ喫茶である以上ツンツンとデレデレがあるのだが、明らかにこれはツンツンで、しかもキャラとかじゃなく素だと思う。

 ツンツン娘はそれだけを言い残し、エプロンをひるがえして裏の方に戻っていった。

「……お前知っていただろ?」

「何のこと? 僕はツンデレ喫茶がどんなところか知りたかっただけだよ? だけどこれは少しやり過ぎだね。予想外だよ」

 幼馴染はとぼけるものの、きっとどこかで仕入れた噂を確かめるべくツンデレ喫茶に訪れたのだと思う。しかも俺という生贄を付属で。

 俺はこのオムライスをどう攻略するか考えているが、幼馴染は普通にスプーンですくい一口ぱくりと食べる。たくましい幼馴染だ。

「オムライスよりケチャップの味の方が強いね」

 普通にオムライスの感想を言ってのけるのがたくましさ三割増だ。俺は食べている姿を見るだけでムネヤケした気分になってきた。

 ムネヤケした気分なのだが、このまま一口も食べずに残すのは勿体ない。だから俺もケチャップをどかしにどかし、一口食べる。それでもケチャップが普通よりかかっている以上、オムライスを食べている気があまりしない。

「そうそう、一つ聞きたい事があるけどいいかな?」

「答えられる範囲なら」

「和人はツンデレの希少性についてどう思う?」

「……」

 ツンデレ喫茶にきてその話は場違いとはあながち言えないのだが、それでもその質問に答える意味がどこにあるのか俺にはサッパリだ。

「それは違うよ。だって人はメイドさんにご奉仕されたいと思うからメイド喫茶があるでしょ? ならどうしてツンデレ喫茶があると思う?」

 人の心を読んだのか、ニコニコ幼馴染は言う。

「ドMの人がツンツンされたいからじゃないのか?」

「そうかもね。だけど僕が思うに、普通に暮らしていく中でツンツンするのはマイナスなイメージしかないじゃない? 良くて毒舌、悪くて一緒にいたくない。そう思うでしょ? 普通の人ならそう思われたくないから見掛けは良い人で通しているの。だから普通を覆すツンツンして接してくれるツンデレ喫茶が人気になったのだと僕は思う。それでも一部の人の意見で、ほとんどの人はツンツンとデレデレのギャップが人気の秘訣なのだけどね」

「……で、何が言いたい?」

 取り敢えず幼馴染が思っているツンデレ喫茶の人気は置いといて、そこからこの幼馴染は何を俺から聞きだそうとしているのか全く理解ができない。

「僕は純粋に無知な和人にツンデレの意見を聞きたい訳だよ」

「……俺は別にその人がツンデレでも毒舌でも、その人であるなら別に気にはしない」

「和人らしい答えだね。ちなみにその人って具体的に誰をさしているの?」

「別に特定の誰かって訳じゃない」

「なら釜谷さんや彼女さんもその中に含まれているの?」

「……そうなるな」

 言い出したのは俺だが、一瞬彼女とは誰の事を言っているのか理解できなかった。

「うんうん。やっぱり和人は和人だね。僕はこんな幼馴染がいて嬉しいよ」

「褒めているのか?」

「僕なりの愛情表現だよ。やっぱり和人はこっちの世界に欠かせない人材だってことだね」

 いやいや、どこの世界だよ。怪しい世界なら俺はお断りだ。それに幼馴染が絡んでいるのならなお更だ。

 ニコニコ幼馴染はテーブルの端に置かれているベルを鳴らす。

 数十秒後にクラスメイトのツンツン娘がムスッとした顔でやってくる。ツンデレ喫茶である以上ツンツンするのは仕方が無いが、こうもあからさまに嫌がられるのは悲しくなる。

 幼馴染はツンツン娘に手招きし、耳元で何かを話し始める。それから直ぐにツンツン娘の顔が徐々に柔らかくなり、最終的には今まで見たこと無い笑顔になっている。いったいどんな手品をしていたのだろうか。全く想像がつかない。

「今日は私の奢りだから好きなだけここにいてね」

 ツンからデレになった。

 そしてそのまま嬉しそうに身をひるがえして裏に戻っていく。しかもスキップの付属で。今までにツンの方しか見た事がないから不気味だ。

「……何を言ったの?」

「ツンデレにおける一般人の思いを言っただけだよ。それにタダより高いものって無いから、結果として良かったじゃない」

 勝手に話を終わらせないでほしい。けど無駄に高いオムライス(無駄に多いケチャップ付)が無料になったから別にいいか。


「……ちょっと聞いているの、和人?」

 皿に盛ってあるオムライスも終盤に近づいた頃に、何を思ったのか幼馴染は本場のメイドとメイド喫茶のメイドについて熱く語り始めた。しかも「メイドだけに冥土に送られるよ。ぷぷぷっ」とか絶望的な駄洒落の付属付だ。

 俺は途中から睦月が家で変な事をしていないか気になり、幼馴染の話そっちのけで考えていたから、突然の声と身を乗り出して無駄に近い顔で少しビックリする。

 それはそうと、先に食べ終えた幼馴染の皿にはケチャップが付いていない。どうやったらあの量のケチャップと一緒に食べられるのだろうか。

「ん? ああ、聞いていたよ。それより俺のオムライスも食べてよ。正直に言えば、もう限界かも……」

 ケチャップが、って意味で。

「もうしょうがないな」

 そう言って幼馴染は自分の皿とオムライスが盛ってある俺の皿を交換する。これでようやくケチャップ地獄から抜け出せる。

「あっ、そうそう。食べ終わったらどうする? 和人はやっぱり彼女さんと一緒にいたいのかな?」

「いや、別に。貴明は他にどこかに行きたい場所とかあるのか? せっかくここまで着たから付き合うよ?」

 どうせ部屋で俺の帰りを待っているのは偽メイドだけだ。もちろん心配とかいう可愛らしい感情とかではなく、遊び相手程度にしか思っていないはずだけどね。

 ニコニコ幼馴染は女の子仕様の感激ポーズ(上目使いで軽く見上げ、両手を胸の前で握り締める。ちなみにほんのり頬が赤かったら感激ポーズの完全型だ)をする。

「和人が彼女より僕を選んでくれて感激だよ。最近冷たかったけど、やっぱり最後は一番身近な僕を選んでくれるね。……あっ、そうか。これも一種のツンデレだね。無意識の中でツンデレをするなんて、さすが和人だよ!」

 実に嬉しそうだ。

 後半は果てしなく違うと思うけど、この意味ありげな言葉はどうかと思う。ほら、俺らって幼馴染を除けば男同士でしょ。どこまでお気楽な性格をしているのか図りきれない。

「そりゃどうも。それで、どこかに行きたいところとかあるのか?」

「いっぱいあるよ! けど和人に迷惑をかけられないから、一番行ってみたい執事喫茶にするよ」

「待て、ちょっと落ち着いて考えてみ」

 俺は熱くなる目頭を押さえながら言う。

「俺たちは男で、どうしてわざわざ渋い小父さんにご奉仕される?」

「それは違うよ、和人。執事喫茶には渋い小父さんだけじゃなくって、若いお兄さんもいるよ」

「……いや、それはどうでもいい。俺が言いたいのは、どうして男の俺たちが執事喫茶に行く? 明らかに場違いだろ?」

「それぐらい僕にも分かるよ。僕が求めているのはお客さんの意見で、渋い小父さんと若いお兄さんは二の次だよ」

「お客さんの意見を知ってどうするつもりだよ……」

 もうため息しか出てこなかった。いや、ため息がでるだけマシなのかもしれない。

「和人は執事喫茶に行きたくないの? 執事喫茶に?」

 どうして二回言う。どこまで執事喫茶を強調して、どこまで行きたいのだろうか。うむ、幼馴染の考えている事は全く理解できない。

「貴明には悪いけど、できるなら行きたくはないね」

「むぅ〜、和人がそう言うなら今日は我慢するよ。その代わり一つだけ手伝ってほしい事があるけどいいかな?」

「何を?」

「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。そこまで変な頼みじゃないから安心して。ちなみに僕の部屋でするからね」

「部屋で? いったい何をするつもりだ?」

 ゲームか何かの類なのだろか? いや、趣味が情報流失の如くプライベートにずかずかと足を踏み入れる幼馴染だ。そんな生ぬるいものじゃないかもしれない。

 ニコニコ幼馴染はウィンクしながら唇に人差し指を当てる。……あまり違和感がないのはどうしてだろうか? この幼馴染が女顔だからか?

「内緒だよ。きてからのお楽しみ。そうときまれば、僕の部屋に行こう。ほらほら、早く!」

 間食したオムライス(オムライスに反比例するケチャップの付属付)を俺の皿と重ねて椅子から立ち上がる。どうでもいいが、どうしてこういつも楽しそうなのだろうか。そのポジティブ神経を俺に少し分けてほしいぐらいだ。

 俺は幼馴染の部屋で何が待ち受けているのか分からないため眉をしかめて立ち上がる。

 俺たちがツンデレ喫茶から出るのが見ていたのか、クラスメイトの釜谷さんがイソイソとレジの方に駆け寄ってくる。もちろん今はデレデレの方だ。

「またいつでも来てね、森澤くん」

 値段だけレジに打ち込んで、自分の財布からお金を出す。何か悪い気もするが、奢ってもらえるなら別にいいか。

 普段はツンツン娘なのに今は極上の笑顔だ。しかも俺だけ名指しでいつでも来いとは……これを気に店の売り上げでも上げようと魂胆なのか。

「うん。アルバイト頑張ってね」

 適当に返事をして手を振って店を後にした。何か普段がツンツンなだけデレデレしている釜谷さんに違和感がありまくりで、ちょっと見たくない姿だった。

「ツンデレ喫茶って少し変なところだな」

 心の底から思った意見だった。最初のツンツンと正反対に最後は素晴らしくデレデレになっている。このギャップが変以外何というのだろうか。

 店の外に出れば、眩しい日光が容赦なく降り注ぎ手で影を作る。

 地元に帰るべく俺たちは直ぐそこにあるバス停に向かって歩き出す。

「今の限度が過ぎていたけど、普通ならもっとツンが入ったデレだから違和感がないの。釜谷さんはそういったところはまだまだ修行不足だね」

 厳しい意見だった。いや、こういった類での意見ではもしかしたら普通なのかもしれないけどね。

 そんな話をしていると直ぐにバス停に着いた。バス停からツンデレ喫茶まで二十メートルぐらいしか離れていないから当然だけどね。

 バス停には駅行きのランプがピカピカと光っていた。地元は田舎だから当然こういった事はないのだが、都会のバス停は少々豪華使用になっていて、よく利用するバスにはランプがついていて、あとどのぐらいで到着するのか分かるようになっている。本当に科学の進歩は素晴らしいね。

 幼馴染が突然スクール水着とビキニにおける相違点を話しだし、当然俺は話しについていけるはずが無く、ただただ呆然と立ち尽くしていること五分。ようやく駅行きのバスがきた。そうそう。バス停には俺たち以外誰もいなかったからいいが、もし他の人がいたら他人の振りをしていただろう。

 バスに二十分ほど揺られ、そこからローカル線の電車に乗る。ローカル線行きの電車はあまり行き来しないのだが、運良く直ぐに乗れることができた。





 目的の駅で降り、そこから徒歩で家までご帰還。

 やっとの思いで幼馴染の家まで帰ることができ、今は幼馴染の部屋でベッドの上に寝転がっている。ツンデレ喫茶から幼馴染の部屋までかかった時間は優に五十六分。あまり街には行くものじゃないね。

 幼馴染の部屋は情報収入の趣味の他にもまだ趣味がある。部屋の至る所に置かれているフィギュアとアニメのDVD。メジャーなものもあればマイナーのものが名前順に綺麗に収納されている。俗に言うアニメオタクというやつだね。

 至る所からフィギュアの視線を感じ、少々居づらい気もするが、どこでも行くと言ったのに断った事から帰る訳にもいかない。そのため多少居づらいからといって帰るのは悪い。

 俺は大きなため息と一緒にベッドから見える天上を見る。そこには何かのアニメのポスターが張ってあり、セクシーポーズで俺を見下ろしている。ちなみにポスターの端に書かれている題名はセンスのカケラもなかったりする。

 そんな事を思っていると、ジュースの入ったコップを持って幼馴染が入ってくる。近くに置いてある小さい机にコップを置く。

「そのポスターって数量限定のレアモノだよ。二つ持っているから、和人がどうしても欲しいならあげるよ」

「……別にいらないけど、どうして二つも持っている?」

「えっ? マニアとしては常識じゃないの?」

 俺は何かのマニアになった覚えは無いから知りません。

 幼馴染は首を傾げ、

「だって飾る用と保存用に二つ持つのが当たり前じゃない。できるならもう一つ自慢用にも欲しかったけど、当時の僕はまだ権力不足だったから二つが限界だったの」

「……そうか」

 取り敢えず権力うんぬんは触れないほうが懸命だね。

 俺は重い体を起こし、ベッドに座る。

「それで、俺は何をすればいい?」

「そうだったね。それじゃあ、和人はこれをお願いしてもいいかな?」

 そう言って幼馴染は尋常じゃない紙とファイルを机に置く。

 紙にはクラスメイトの名前と顔写真。そして上半分に住所や電話番号などが書かれていて履歴書のようだった。残りの下半分には噂話の真相と題され、その場の写真付で色々と箇条書きで書かれている。普段何をしているのかと思えば、こんな事をしていたとは……末恐ろしい幼馴染だ。

 ファイルは二つあり、一つ目には「バージョン5」と素っ気なく書かれているのに対し、二つ目はアルバムだった。幼馴染のアルバム整理かと思い、何気なく開いてみると愕然とした。

 アルバムの最初のページには見覚えのある写真があり、その写真の下には和人の誕生と書かれている。しかも律儀にコメントまでついてある。いや、どうしてこの写真をこの幼馴染が持っている? 確かこれは我が家のアルバムにしか存在しないはずだ。

 俺はパソコンに向かって何かを打ち込んでいる幼馴染を一睨みし、アルバムのページをめくる。やはり俺の成長の記録がそこに明細に書かれている。

「ぶっ!」

 言葉を失いながらもページをめくり、最後のページに差し掛かったところで見覚えのある偽メイドと俺が偽キスをしている写真があった。今思えば昨日幼馴染を睨めば、何かをポケットに閉まっていた。まさか写真に撮られているとは思ってもみなかったから噴出す。しかもコメントには「僕の大切な和人にいらぬ害虫! これは早急に駆除するべし!!」と赤字で書かれている。いや、俺は人の趣味にどうこう言うわけじゃないが、さすがにこれは不味いだろう。主に俺と幼馴染の関係について。

 取り敢えず見なかった事にして、俺はそっと俺と睦月の偽キスシーンの写真を抜き取りポケットにしまう。もちろんコメントはグシャグシャにしてダストボックスだ。

 俺は山積みになっている個人情報を手際よくファイルにしまうものの、量が量のため、中々減る事は無かった。しかも仲の良い友達のも中には数個あり、コッソリと何をやらかしたかと見れば、ほとんどが顔に似合わずに色々とやらかしているらしい。その中で特に印象が深かったのはクラスメイトの進藤だった。進藤は学校のマドンナ的存在の西尾真琴のファンクラブに入っているらしく、会員ナンバーが一桁台の幹部らしい。しかも事もあろう事か、西尾さんを尾行しながら片手にカメラを持っている進藤の写真があった。こんな形で友達の進藤の哀れも無い姿を見るとは……心の底から残念で仕方が無い。

 そんな感じでパッパと仕事を順調に済ませる。もちろん友達の欲望と犯罪染みた行動については今後も触れないでおこうと思っている。きっとこれも若さからの過ちというやつだ。

 ようやく終盤に差し掛かったところで、一枚の写真とコメントだけがポツリと置かれていた。しかも写真は俺の顔の上に睦月が仁王立ちで立っているやつだ。しかも睦月はボタンに手をかけている姿で、その豊満な胸が今にも弾けだしそうだった。

 俺は偽キスシーン同様にそれもポケットにしまう。それからコメントが書かれた紙を手に取り、一度読んでからダストボックス行きだ。だってコメントが「純粋な和人を染める輩をメイドだけに冥土に送るべし!」やはり駄洒落のセンスは絶望的だった。それよりメイドと冥土の所だけ絵の具なのか、真っ赤な文字から絵の具が垂れて恐さを表現していた。こんなところを凝らなくてもいいと思うけど。

 それはそうと、黙々と作業をしていたら控えめにドアがゆっくりと開かれる。

 ドアの向こうから現れたのは幼馴染の妹である美羽ちゃんだった。美羽ちゃんはまだ三歳で、ちょこちょこと俺の方に来たと思ったら嬉しそうにギュッと腕を抱きしめてくる。まだ子どもだけあり、美羽ちゃんの目はクリクリして頬っぺただって柔らかい。かなり可愛い子だ。

 さてさて、そんな美羽ちゃんにキュンとしながら俺は頬っぺたを突っつく。美羽ちゃんは嬉しそうに笑みをこぼす。

「何しているの、和人お兄ちゃん?」

 何度か突っついたり、突っつかれたりしていると、そんな事を言い出した。

「これは貴明お兄ちゃんのお手伝いだよ」

「お手伝い? 美羽も一緒にお手伝いする!」

「本当に? ならお願いしちゃおうかな」

「うん!?」

 美羽ちゃんを軽く抱き上げて俺の膝の上に座らせる。当然だが、三歳児がそう簡単にできる作業じゃないから、俺が教えながらゆっくりとするつもりだ。

「美羽ダメじゃないか! 僕と和人は今大切な仕事中だよ!? 下で絵本でも読んでなさい!」

 まてまて、三歳児は字が読めないぞ。……っと、そんな不適切な突っ込みはさておき、何と厳しいお兄ちゃんだ。もし美羽ちゃんが俺の妹なら快く一緒にいるのに……何なら我が家の妹と交換してほしいぐらいだ。

 美羽ちゃんは悲しそうな顔で俺を上目遣いで見てきた。やばっ、何この破壊力?

「少しぐらいいいじゃないか」

「和人は美羽に甘すぎ! こんな事だと将来わがままな子に育っちゃうから、ダメなものはダメなの!」

 いや、わがままは多分反抗期を境に大きく分かれるだろ。……確かそんな事をこの前に本で読んだ記憶があったり、なかったり。

「……それなら俺は美羽ちゃんと一緒に絵本でも読もうかな〜」

「っ! それはダメだよ!!」

「どうして?」

 聞かなくても分かる。俺は美羽ちゃんに甘く、幼馴染は俺に甘いからだ。俺が「うん」と言えば幼馴染だって「うん」と言う。

 幼馴染は苦い顔をするものの、直ぐに諦めたのかションボリとする。

「……分かったよ。好きにしてよ」

 実に悲しそうな声だ。

 俺は内心ニヤリとする。これは一種の復習だ。俺と睦月で遊んだ報いだ。けど、外見と同じでやる事も地味なのは取り敢えず触れないでほしい。だって空しいだけじゃない。

 それはさておき、美羽ちゃんは嬉しそうに俺の膝の上でキャキャと喜ぶ。美羽ちゃんのこういった仕草を見ていたら、何となく保育士の道も悪くなく思えてくる。まあ現実は美羽ちゃんみたいな素直で良い子の方より、やんちゃな子の方が多いけどね。

 美羽ちゃんを膝の上に乗せて一緒に残り少ない作業をこなしていく。まだ三歳児なので、やはり美羽ちゃんには難しい作業だったが、一緒にしているためゆっくりではあるが、それでも着々とノルマが減ってきている。

 十分ぐらい経った頃にようやく全てのノルマが幕を閉じ、俺は座ったまま伸びをする。

「終わったぞ。これで俺はお役目ごめんだから、そろそろ帰るとするわ」

 俺の膝に座っている美羽ちゃんをそっと抱き起こして隣に座らせる。美羽ちゃんはぐずったような顔で俺を見つめ、帰らないでと目で訴えている。

「うん、分かったよ。手伝ってくれてありがとう」

 幼馴染はキーボードを打つのを止め、回転する椅子で俺の方に向きながら言う。

 取り敢えず昨日の出来事を他言無用にできたため、俺は嬉しさから頬が緩む。だってあんな写真が流通しただけでおぞましいからだ。

 俺は美羽ちゃんの頭を撫でてからドアを開ける。

「あら、もう帰っちゃうの? 今日は晩御飯でも食べていかない? きっと美羽も喜ぶわよ」

 玄関に向かっていると幼馴染のお母さんに呼び止められた。昔から家族ぐるみの付き合いだったけど、どこまで森澤家と村井家はオープンな付き合いなのだろうか。

 小母さんの手料理は母さんより上手だから少々そそられる誘いなのだけど、さすがにこれ以上睦月をほっとく訳にはいかない。もちろん何を仕出かすか分からないって意味で。

「いえ、今日は遠慮しときます。また今度ご馳走になりますね」

 軽く会釈をし、玄関を後にした。けど、内心では食べたくて仕方が無い。

 外に出れば眩しい太陽が歓迎でもしているのか、さんさんと降りそいでいる。俺はその眩しすぎる太陽を手で隠しながら空を見上げる。

 空はどこまでも広がっているのは当たり前だが、そんな当たり前な事を確かめるように数秒の間その場に立ち尽くしていた。

 ふう、と大きなため息をつきながら三軒分離れた場所にある我が家に視線を送る。家を出た時と同様に、そこには古臭い家が建っている。まあ当たり前だけどね。

 俺は重たい体にムチを入れながら、ゆっくりと我が家に向かって歩き出す。ちなみに重いのは体ではなく、俺の気持ちだ。ほら、家に帰っても安らぐ場所が俺にないじゃない。特に睦月と母さんと妹のやり取りについて。

 どれだけゆっくりと歩いても、たかだか三軒分ぐらいしか離れてはいないため二分程度が限界だった。詳しい時間は一分四十三秒。

 俺は家のドアノブに手をかけたところで再び大きなため息をついた。この先には予期せぬ展開が俺を待ち受けていると心のどこかで悟ったからだ。

「ただいま〜」

 ゆっくりとドアを開ける。

 ……。

 …………。

 あれ? 何も起きないよ?

 何も無いのに超した事は無いのだが、確実といっていいほど睦月と妹がタッグを組んで変な悪戯の一つでもしでかすのではないかと思っていた。

 俺の予想とは裏腹に睦月と妹は思ったよりまともなのかもしれない。

 数秒玄関で立っていても何も起こる気配が無い。

 本当に何も無いのかもしれない。そう思いながら靴を脱いで階段を上る。

「っと、トイレに行ってこよう」

 部屋のドアを少しだけ開けたところで、不意にトイレに行きたくなってきた。

 俺は呟くように言って、ドアを閉めてからきた廊下を戻る。

 階段を下り、トイレに入ろうとしたが、カギがかかって入れなかった。先客が出てくるまでドアの前に立っているのも良かったのだが、今日のツンデレ喫茶で変な汗をかいたから、取り敢えず服を着替える事にする。

 トイレから少し離れた場所に洗面所と風呂場。そして洗濯機もそこにあるため脱衣所(でいいのかな?)に向かい入る。そこで服だけを脱いで洗濯機の中にイン。

 別にこの家に住んでいるのは赤の他人でもないため、上半身裸でも恥ずかしい事はない。……いや、一人だけ偽メイドがいるが、別に気にする要素はないだろう。

 俺は当初の目的であるトイレのドアに再び挑む。今回は誰も入ってなく、用を済ませてから部屋に戻る。

 ガチャリ。

 そんな音を立てながらドアを開ければ――

「……」

 俺を出迎えてくれたのは偽メイドではなく、エプロン姿の睦月だった。しかもエプロン以外の衣服はどこかに忘れたのか装備していない。

 睦月は何も発する事無く、呆然と俯いて立っていた。チラリと俺を見るや否やため息をついて再び俯く。いったい何がここまで睦月を追い詰めたのだろうか。

 俺は絶句する。

 が、予期せぬ展開が待ち受けていると最初に悟っていたため思っている以上に衝撃的ではなかった。いや、睦月が落ち込んでいるのは予想外だったけど。

「……何かあったのか? 俺でよかったら話しぐらい聞くよ?」

「タイミングが悪いのよ」

 そして再び大きなため息。

「和人がトイレに行くって独り言いっていたから、トイレの前で待っていたらパパさんが出てきて、それに気づかないで『お帰りなさい、あなた。お風呂にしますか? ご飯にしますか? それともわたし?』とか言ってしまったじゃないの。これで落ち込まないのは相当なポジティブライフをおくっている和人ぐらいよ」

 さり気なく皮肉と言う名のプレゼントをどうもありがとう。ちなみに俺はそこまでポジティブライフは送ってないぞ。

「……どうしてそんな事を?」

 慰めようと思ったが、止めた。ほら、自業自得だからね。

「兄さんはこれで惚れ直すこと間違いなしって佳苗ちゃんが言っていたから……」

 予想通りだ。一つ違うとすれば、睦月と佳苗のタッグではなく、佳苗が睦月を利用したという点だけだ。それでも大きな差はない。

 後で佳苗にきつく言っておくとして、今はこの状況を何とか打破しなければならない。このまま裸エプロンだと俺に影響を与えるのは時間の問題だ。特に下半身がって意味で。

 その前に今気づいたのだが、今の状況は非常にマヅイ。俺は上半身裸で、睦月は言うまでも無く裸エプロン。この状況を誰かに見られたら勘違いされても言い訳はできない。特に幼馴染に見られたら写真を撮られて、あのアルバムに飾られること間違いなしだ。

 俺はそうなる前に近くにあった羽織るタイプの服を手に取り、睦月に着させるように近づく。

「ちょっと和人! 僕の大切な写真持って帰らないでよ!? ……えっ?」

 今の状況を説明しよう。

 1、上半身の俺。

 2、裸エプロンの睦月。

 3、睦月の肩に触れる俺。

 説明終了。この三つのシュチュエーションが重なった今、これを勘違いしない人はいない。

 ドアノブをしっかりと握ったまま呆然と今の状況を理解しようとしている幼馴染は数秒だけフリーズしていたが、徐にポケットからデジタルカメラを取り出す。

 カシャ。

 カメラのシャッター音がしたかと思えば、幼馴染は身をひるがえして廊下を走り去っていく。しかも「うわーん! 和人が! 和人が僕の知らない間に大人の階段を三段飛ばしで駆け上っているよ!! こんな和人は見たくなかったよー!!」言っている事と、実行している事は全く矛盾しているが、プライバシー侵害という言葉を知らない幼馴染には仕方のない事だと諦める。

 さて、そこまでは仕方ないアクシデントと受け容れよう。だが、ここからが問題だ。幼馴染の断末魔を聞いてこの部屋には家族がそろって集結する事間違いなしだ。案の定階段を駆け上る音が聞こえてきたぐらいだし。

 俺は盛大に落ち込みながらも、ドアを素早く閉めてカギをかける。

「今すぐメイド服にでも着替えてくれると助かる」

「……嫌だ」

「いやって……」

「着てもいいけど、一つだけ条件がある。それを受け容れない限りあたしはこの格好で生活するからね」

 何とわがままな娘だ。が、今はわがままうんぬんと言っている場合じゃない。だってドアの向こうが何やら騒がしいからだ。最後の砦を破られ、この状況を家族に見られたら家族会議に有無を言う前に出席させられ、数秒でジ・エンドだ。

「……分かった。その条件とやらを受け容れるから、今すぐにメイド服に着替えてくれ。俺は急ぐから、話は後だ」

 俺は睦月の肩に羽織らせようとした服を着て、ベランダに直行。そのままベランダの直ぐ近くにある木に飛び移って部屋から外に脱出する。

 外に出た俺はさっさと玄関から家に入り、何事も無かったかのように階段を上る。

「俺の部屋の前に集まって何している?」

 あたかも今帰って来たかのように、怪訝にドアの前で相談をしている家族に言う。

 当たり前だが、ドアの前では信じられないものを見たかのように目を見開いて家族の視線が俺に集中する。けどそこまで信じられないような顔をしなくてもいいと思う。まあ俺が家族から変な目で今までに見られていたのなら話は別だけどね。

「えっ? だって貴明くん曰く和人が睦月ちゃんにケダモノの如く襲い掛かっているって……あれれ?」

 どこでそうなったか詳しく教えてくれ。それとも俺ってそんなに信用がないのか?

 佳苗は混乱しているのか、腕を組んで考えている。

「? 何を言っているのか俺にはサッパリなのだが、もしかしてタダの聞き間違いとかじゃないのか?」

「けど、絶対に私は聞いたよ!」

「なら睦月に事の真実でも聞いてみれば俺の無実は確定だろ?」

 睦月の条件とやらがあるため、きっと悪ふざけはしないと思いながらドアをノックする。自分の部屋なのにノックをする光景ほど不釣合いはないだろう。

 数秒してからカギが外れる音が廊下に響く。それと同時にゆっくりとドアが開かれた。

 ドアノブを握り締めた睦月はお決まりのメイド服を着用していた。分かっていたことだが、少し安堵する。

「ちょっと睦月に聞きたいのだが、さっき貴明がどうして叫んで出て行ったの? 今しがた帰って来たばかりだから、今の状況が全く呑み込めなくって」

 こっそりウィンクをしながら話しに合わせるようにアイコンタクトする。

 睦月は俺のウィンク姿が変だったのか、一瞬噴出す。ちょっと侵害だとは思うが、男のウィンクほど似合わないものはないため、仕方が無いと見なかった事にした。

「ああ、あれですか。あれは貴明さんが私の着替え中に部屋に入ってきて、たまたまセクシーな下着をしていたので発狂したのだと思いますよ。ほら、よくある話です」

 睦月は頬を少し赤らめ、嘘なのにあたかも本当にあったかのように恥ずかしそうにしている。中々の演技力だ。俺には到底真似できない。

 よく話しに合わせてくれた。俺は嬉しいよ。

 それよりよくある話って……そんなイベントが日常茶飯事にあるはずがない。食事中にテレビを見ていたらいやらしいシーンで気まずいお茶の間とはわけが違う。

 母さんと父さんは無言のまま気まずそうに俺を見ないようにし、妹は自分に不利となったためか姿を暗ました。それについては別にいいけど、疑った事に対して謝罪の言葉を送るのが世間の常識じゃないのかな。まあ実際は嘘だから気にしないけどね。

「あまり睦月ちゃんに迷惑かけちゃダメよ?」

「げ、元気出せよ」

 勝手に話をまとめて母さんと父さんは階段を下りていく。上手くまとめたつもりらしいが、幾分まとめ方が下手だ。

 俺は何とか最悪の結果にならなかった事に安堵する。

「話を合わせてくれてありがとう」

 俺は家族とは違う。ちゃんと睦月にお礼を言って部屋に再び入る。


「それで、条件ってなに?」

 俺はベッドに座り、座布団でお茶をすすっている睦月に言う。ちなみに煎餅付属だ。どうでもいいが、ちょっと睦月が年寄りくさい。

 睦月は煎餅を一かじりし、今まで忘れていたのかハッとする。これなら聞かないほうが良かったと心の中で後悔する。昨日もそうだった、睦月は少々忘れやすいようだ。

「その前にツンデレ喫茶楽しかった?」

「ど、どうしてそれを?」

 冷やりと嫌な汗が背中を伝う。

 ツンデレ喫茶にいた時に、一度店全体を眺めたが睦月はツンデレ喫茶にはいなかった。それどころか客もあまり見かけないほどだ。

「昨日も言ったけど、和人は少し主としての自覚がないのよ。和人はいつ狙われるか分からないわ。だから私は和人に見つからないようにコッソリとね」

「……つけたって訳か」

 何とも嫌らしい事をする娘だ。これだと幼馴染と何ら変わりは無い。

「そんな恐い顔をしない。私は和人を心配しての行動よ。むしろ感謝してほしいぐらいよ」

 人のプライバシーに土足でドカドカと踏み入れて、感謝しろと? それは無理な相談だ。が、睦月が言った通り俺には主としての自覚はサラサラない。それもそうだ。昨日今日の出来事に自覚もクソもない。できるとするなら自覚するような出来事が起きた後だ。

「……今回は別に何も言わないけど、次からはそういった事は止めてくれよ」

「私だって人を勝手につけるような事はしたくは無いの。だから私の条件を言うね」

 別に言わなくてもいい。ここまで条件が揃っていれば鈍い人でも気づく。

「お風呂とトイレ以外は私と常に行動を共にすること。いいわよね?」

 だろうな。

 ニコニコと俺の有無を言わせない笑顔をする睦月。

 いったい俺はどうしてこんな理不尽な展開に身を置いているのだろうか。普段なら漫画を読んだり、友達と遊んだり、まれに勉強をしたりと普通な生活を送っていた。それなのにこの偽メイドは俺の普通な生活にピリオドを打ってきた。そもそもこの偽メイドは本当に何者なのか。もしかしたらゲームとか実際はなく、最初から仕組まれているのかもしれない。初心に帰れば俺っていったい何? とかうつ病の人が言いそうな答えにたどり着く。いったい俺はどうしたいのだろうか。……分からない。

 そんな事をグルグルと頭の中で繰り広げていると、何時の間にか睦月はムスッとする。そしてメイド服に手をかけると脱ぐ仕草をする。

「返事は?」

 脅迫だった。

 一人暮らしだったら知らない顔をするが、家族がいる実家で裸エプロンで生活をされた暁には確実に俺は肩身の狭い生活を送る事になる。

 俺にできる行為は結局一つしかなかった。

「……分かった。もう好きにしてくれ」

「そうする。もしお風呂も一緒が良かったら言ってね。その時は喜んで一緒に入るから」

 だれがこんな脅迫女と一緒に入るか。きっとまた訳の分からない脅迫をするに違いない。

 俺はため息をついてベランダに出た。まだ星がでるには早すぎて太陽すらギラギラしている時間だが、屋根にでも行こうと思った。やっぱり俺の逃げ場所は屋根しかないと思った。

 ベランダの柵に足を掛けて屋根に上る。

 俺は屋根の上に大の字に寝転がり、目を閉じる。

 眩しかった。

 目を閉じても日光が俺に降り注いで、もっと居心地が悪く思えた。

「隣いいかな?」

 突然睦月の声がした。

 目を開ければ目の前に睦月の顔があった。逆光のせいで顔ははっきり見えないものの、睦月だと分かる。

 足音も気配もなく、俺の目の前にいたのだが、俺は別にビックリはしなかった。ってか、この偽メイドの本当の正体はくノ一とかじゃないのか?

「別にいいよ。それで、どうかしたの?」

「和人の様子が変だったから」

 そりゃあそうだよ。だれだって憂鬱になる時ぐらいあるさ。

「……きっと睦月の気のせいだよ」

 その様子が睦月のせいだとしても、俺にはそんな中傷な言葉をかけるのは無理だ。

 俺は誤魔化すように微笑む。この微笑みは作った笑みだから、きっと貴明には『なに無理しているの?』とか言われるに違いない。

「そう。私にはちょっと無理をしているように見えたよ」

「……他に大切な話があるだろ?」

「どうしてそう思うの?」

「理屈じゃなくって、ただそんな気がしたから」

「お見通しなのね」

 お互い様だ。

「なら本題に入らせてもらうけど、まだ私と和人は契約を結んでいないの。だから私と契約を結んで」

 結んでとは下から目線だ。昨日は主からパートナーの変更は認められないと言っていたのに。

「どうして?」

 睦月は何がどうしてなのか分かっていないようで、怪訝そうな顔をする。まっ、それも当たり前か。主語やら代名詞やら詳しいのは分からんが、そういったのが欠けているからだ。これで分かったらエスパーぐらいだな。

 俺は右手で太陽を遮るように目の上に置く。

「どうして『結べ』と言わない?」

「あたしはロクデナシとは違うわ。私をパートナーにしたくなかったら私は諦めるつもりよ」

「……」

 平穏な生活に戻れる最後のチャンスが突然きた。

 が、ここで本当に平穏な生活に戻ってもいいのだろうか。もしここで俺が断ったら睦月はどうなる? パートナーが見つかるまで野宿って事になる。もし最悪なパートナーと契約を結んだら?

 色々な事を考えてしまう。平穏な生活に戻るのは魅力のそそる話だ。だけど一人の女の子を路頭に迷わせてでも平穏な生活に戻りたくはない。

 俺は優柔不断だ。今までは誰かが決めた事をしてきた。だから優柔不断でもさほど関係はないし、今のような状況にもあった事は無い。だからこそ俺はどういていいのか分からない。自分がどうしたいのか分からないのだ。

 無言だけが辺りを支配した。

「……そう。ならもう何も言わなくていいよ」

 その無言を破ったのは睦月だった。少し怒ったような声をしていたのだが、俺には悲しそうに聞こえた。

 自分でも驚いた。

 俺は立ち上がる睦月の腕を掴んでいたからだ。

 どうして俺は腕を掴んだ?

 最悪なパートナーと契約を結ばれるのが嫌だから?

 女の子を路頭に迷わせたくないから?

 睦月の悲しそうな声を聞いたから?

 違う。

 全然違う。

 全部違う。

 ほんぽん的に俺は睦月ともっと一緒にいたい。そう思ったからだ。

 俺は別に睦月をどうこうしようとは思っていない。家族に睦月を見せ付けるためでもない。なんだかんだ言っても俺は睦月と会って少なからず楽しいと思えていた。

 だから俺は睦月の手を掴んだのだ。これに対して悔いはない。だって自分が選んだ道だからだ。

「……もう少しこのゲームに付き合ってもいいと思っている」

 睦月は意外そうな顔で俺を見つめたが、直ぐに笑みをこぼす。

「素直じゃないのね」

「男は照れ屋だからな」

「そう。なら和人の本音を聞かせてよ」

「いずれ、な」

「私は今聞きたいの」

 真っ直ぐ俺の目を見据える。睦月の顔は真剣で、そんな睦月の目を見る事はできなかった。

 俺は視線をずらし、

「まだ言えない。だけど必ず言うから、その時まで待ってよ」

「……そう。なら私からはもう聞かない。いつか和人の口から聞けるまで待っているわ。それじゃあ契約の儀式を始めるわよ」

 言うや否や辺りが暗くなる。まだ昼間なのに、夜のようだった。それと同時に太陽は月のように黄色く染まる。まるで夜のようだ。

 俺は体を起こして睦月と向き直る。こうしなきゃいけないと思ったからだ。

「汝は我と共に戦うことを誓うか?」

「ああ、誓う」

 何時の間にか俺たちの周りには漫画で見た魔法陣のようなものが浮かび上がっている。そして俺の言葉と同時にパアッと輝きだす。

「今日この時をもって汝と我は主と僕。汝は我に忠誠を誓う」

 言い終えると睦月は俺の手をとり、ひざまずく。そしてそっと手の甲にキスをした。

 同時に世界が元通りに明るくなる。太陽も普通どおり眩しい。

「これで契約の儀式は終わり」

 満足そうに睦月は笑った。

 まだ手の甲には睦月の唇の感触が残り、手の甲をチラリと見ればそこには刺青のように模様が浮かび上がっていた。

「これは何?」

 暗く何をモチーフにしたのか分からない模様を擦りながら俺は聞く。

「ああ、それは私の能力よ」

「能力?」

「そうよ。私は闇を操ることができるの。そうね、例えばこんな感じ」

 睦月は俺の前に手を出す。そして手の上にどす黒いものが渦を巻き始めた。次の瞬間には睦月の手にはどす黒い刀が握られていた。その他にも俺の影を立たせ、真っ黒な俺が隣に立たせるなどもしてくれた。

「ちょっと私の能力は特殊でね、こういったこともできるの。私がパートナーで和人は幸せ者よ」

「そうかい。なにはともあれ、これからもよろしく」

 俺は睦月に手を差し伸べる。

 睦月はニッコリと微笑み、俺の手を握り返す。

「よろしく、主様」

 これで本当に普通の生活には戻れないのかもしれない。それでも俺は別にいいとか思っていたりする。この素敵な睦月の笑顔がまだ当分は見られそうだからだ。

 睦月の髪は風になびき、そのサラサラとした髪が素敵なのだが、このメイド服は近いうちに何とかしなければならないと思った。

「いまさらだけど、後悔はないよね?」

「ああ、後悔だけなら睦月と出会った時だけだよ」

 むしろ後悔など最初からないのかもしれない。もし後悔しているのなら睦月と共にいることを望まなかったかもしれないし、この契約もしなかった。

 もし後悔以外のものがあるとするならば、期待と不安ぐらいだ。





 次の日の朝。

 月曜日で夏休みやら冬休みなどの長い休みでもない今は普通に学校に登校をしなければならない。また一週間学校に行かなければならないと少し憂鬱になるが、それでも友達と喋り悪ふざけしている時間は楽しい。それ以外は……進学か就職の通過点とでも言っておこう。

 それはそうと、俺が目を覚ませばベッドで寝ているはずの睦月の姿は無かった。ちなみに俺はベッドの隣に布団を敷いて寝ている。おいおい、風呂とトイレ以外はずっと一緒じゃないのかよ。

 俺は後頭部を軽く押さえながら壁にかけてある時計を見る。

 時間は七時前。

 学校の授業が始まるのは八時半からで、家から学校まで三十分ほどかかる。そのため学校に行くにはまだ早い時間だった。

 俺はまだ開けきっていない目を軽く擦りながら居間に行く。

 居間には家族が勢ぞろいだったが、その中に睦月の姿は無かった。そうなれば散歩にでも出かけているのだと思い、そこまで気に留める事は無かった。そうなれば無事に帰ってこられるか心配したが、それは直ぐになくなる。だって最初に会った時は屋根の上で、特殊な能力の付属付だ。きっと尋常じゃない身体能力を秘めているに違いない。

「あら、睦月ちゃんはまだ起きてないの?」

 俺に朝の挨拶をした後に、そう母さんが言う。

 机の上には朝食が置かれているため、暗黙の了解で出来た自分の席に座る。

「学校に用事があるって早くに出てったよ」

 適当な事を言いながら俺は箸を持って味噌汁をすする。うん、今日もいつもの味だ。

 俺は結構母さんの作る味噌汁は好きだったりする。この濃すぎず薄すぎない絶妙な濃さは母さんの味だ。

 さて、こんなB級フードナレータ染みたコメントはさて置き、学校に行くのにもじき幼馴染が来る頃だと時計を見ながら思う。まだまだ時間はたっぷりあるが、遅刻をするよりかは幾分ましだ。

 俺はさっさと朝ご飯を食べて制服に着替える。そして顔を洗って軽く寝癖のついた髪を直していていると、チャイムが鳴った。きっと幼馴染だろう。

 携帯で時間を確認しながら俺はバッグを持って玄関に行く。案の定そこにはニコニコ幼馴染が立っていた。

「あら、彼女さんは?」

 母さんと一緒な事を言い出した。別にいいのだが、どうにもこの二日で睦月という存在が大きくなってきている。これって良い傾向だと受け止めていいよね?

「用事があるからもう行ったよ」

 俺は靴を履きながら言う。

「和人って彼女さんに無関心だね。そうそう、彼女さんはどこの高校に行っているの? 僕たちと同じじゃないよね?」

 聞かれたくない事をドンピシャで聞いてくるな。

「内緒」

 それ以前に睦月の歳からして俺は知らない。知っているのは性別で偽メイドだけって事だけだ。

 俺たちが通っている三日月高校まではバスに乗って通っている。地元から一番近い高校を選んだため、この高校には地元民が終結している。それもそうだろう。他の高校となればバスから電車に乗り継がないといけない。最悪の場合電車にプラスしてバスというオチも考えられなくは無い。そんなメンドクサイ通学を三年も続けられるものなら俺はゴッドと崇拝しても構わないぐらいだ。

 バス停は俺たちの家から少し離れたところにある。毎日同じ時間のバスに乗っているため、今の時間だけを確認する。それでもバスは電車と違って確実にその時間にくるとは限らない。早い時もあれば遅い時もある。便利な分そういったところが曖昧になってしまう。仕方が無いにしろ、これに乗れなかったら次のバスは何時間後かになってしまう。不便極まりない地元だ。

「そうそう、昨日聞こうと思っていたけど、いつから彼女さんと付き合っているの? 一言ぐらい僕に言ってよ、水臭い」

「あ〜、半月ぐらい前からだったハズ」

「どうしてハズなの? あっ、もしかして忘れちゃったとか? そういったところはしっかりしないとダメだよ?」

「そうだな。これからは気をつけるよ」

「けど和人に異性の人に興味ないとか思っていたけど、案外やる事はやっているね」

「俺だって一応高校生だぞ? それぐらいするさ」

「その割には高嶺の花をもぎ取ったね。さすが和人だよ!」

「高嶺の花って……。まあ外見だけはそう思えても仕方ないか」

「って事は、性格はどん底って受け取ってもいいの?」

「いや、人に迷惑をかけないから性格が悪いって訳じゃなくって、時々俺をオモチャにして遊ぶから」

 主にワイシャツ事件と裸エプロン事件だ。……まるでアダルト攻めだな。

 そんな事を話しているとバス停が見えてきた。

 ブオーン。

 バスの排気音がしたかと思えば、俺たちの隣をバスが通り過ぎる。これは非常にピンチだ。

「走るぞ!」

 俺は言い終える前に駆け出していた。幼馴染も同じ事を考えていたのか既に走っている。さすが家族以外で一番時間を共にする仲だ。抜かりは無いな。

 俺たちが乗っているバスの運転手は毎回同じということもあり、少しだけ待ってくれて何とか乗ることが出来た。俺は軽くバスの運転手にお礼を言う。

 田舎だけありバスに乗っている人はあまりいない。しかも全員が三日月高校の学生服を着ている。どれだけここの若者は三日月高校を愛しているのだろうか。知らない誰かが見たら確実に乗るのをためらってしまうだろう。

「話を戻すけど、遊ぶって具体的にどういったこと?」

 その話題はまだ続いていたのね。バスに乗れた嬉しさからすっかり頭から飛んでいた。

 俺たちが座っているのは後ろの方にある二人ようの椅子だ。広い四人ようの椅子に座らないのは今に始まったことじゃない。

「秘密」

「どうしてさ? 僕と和人の仲じゃないか」

「人疑義の悪いことを言うな。誰かに勘違いされたらどうする?」

「僕は構わないよ?」

「俺が構う」

「彼女が出来てから少しつれないぞ」

 ツンと俺のデコを突っつく幼馴染。ゾクッと体中に鳥肌が立った。

「気持ち悪いから止めろよな」

「それはツンデレのツン?」

「ちがう本音だ! ってかさ、さっきから何かと彼女がどうとか聞くけど、いったい貴明は何を聞きだしたいわけ?」

 俺の幼馴染だからって全てを話す義理はもちろんない。俺だって秘密にしたい事ぐらい人並みにある。

 幼馴染は顎に人差し指を当てて考え始める。どうでもいいが、時々この幼馴染に嫌な疑惑を覚えて仕方が無い。もしその疑惑が確信に変わったら、きっと今より距離をとるに違いない。ほら、俺の貞操がかかっているからね。……自分でいって少し空しいな。

「強いて言うなら和人と彼女さんがどこまで進展しているのか知りたくってね。それによって僕が彼女さんに接する態度も変わるかな」

「それは良い意味か? それとも悪い意味か?」

「和人が判断する事だから僕からは何も言えないかな。だから僕の態度に号ご期待だよ〜」

「そのアニメの最後に言うような台詞を生で始めて聞いたぞ……」

「奇遇だね。僕も初めて言った」

 こんな他愛も無い話をしていると目的地である三日月高校前付近まできた。だから俺は止まるボタンを押す。

 バスの中にいる人はほとんど三日月高校に通っている人で、俺たちを含めてこのバスの常連さんだ。俺はバスの運転手さんに定期券を見せてから下りる。

 まだ授業開始には早い時間だが、結構の人が校門をくぐっていた。

 俺たちも校門をくぐり、玄関に向かって歩いている時。

「ちょっとお待ちなさい!」

 どこかで声がした。一応俺の知っている声だが、ここで振り返れば俺の負けだ。

 俺は聞かなかった事にしてスルー。

「待ちなさいと言っているでしょ!?」

 聞こえない、聞こえない。

「ちょっと和人。早く反応しないとヒステリックになるよ」

 コソコソと俺の耳元で幼馴染がチラリと後ろを見ながら言う。

「取り敢えず走るか?」

「……別にいいけど、そうしたら和人に被害が食うでしょ?」

「その時は貴明も道連れさ」

「あの人ちょっと苦手だから僕は嫌だよ」

 珍しい。この幼馴染に苦手な人がいたとは初耳だ。

「キー! 私を無視するとは見上げた根性ですわ!!」

 ヒステリックになった。

 このタイミングでこのヒステリック娘の紹介でもしようかな。名前は加名盛ユイ。どこか忘れたけど、会社の一人娘。俺が気に食わないのか、何かと突っかかり、さらには自分が学校一の美貌と断言して美化委員に入り、いつのまにか会長まで上り詰めた正真正銘のアホだ。喋らなかったら今以上に人気になるのに勿体ない。以上紹介終了。ちなみに現段階で男子が最も憧れる人は西尾真琴。通称マドンナだ。その次がこのヒステリック娘。こんなヒステリック娘が二位とは世も末だな。

 ヒステリック娘は俺たちの前に仁王立ちで立つ。ちなみにこのヒステリック娘には取り巻きがいる。何でもファンクラブ会員が一日交代で取り巻いているようだ。確かに同じ顔を連続であまり見ないな。

「森澤和人と村井貴明その場で止まりなさい!」

「僕の名前はアンジェリック・F・ジョナサンですよ? 人違いだと思います。それでは急ぐので失礼」

 そう言い残してヒステリック娘の隣を通り過ぎる。

「あっ、すいません。人違い……って、そんな筈があるか!!」

 一瞬引っかかった。やっぱりアホだ。

 ヒステリック娘は叫びながら俺の腕を掴む。

「本当にお前はなに? どうして毎日毎日俺に突っかかってくるのかな?」

 こうも毎日同じ展開で登校するのはウンザリしてきた。少しぐらい俺の普通な生活に貢献して突っかかってくるのは止めてくれよ。

 俺の腕を掴んで睨みつけるヒステリック娘。その隣では幼馴染がオロオロとしながらお化けの格好で体を震わせている。取り巻きも予想外の事態に少し戸惑っている。

 さて、ここまで大事にしたからにはヒステリック娘の謝罪に期待だ。まあ今までにも何度かこういった事はあったが、謝罪の言葉を聞いた事は一度も無いけどね。これだからお嬢さまはというやつはプライドが高くて困る。

「わ、私は美化委員会長として!」

「で、なに? シャツもズボンに入れている。髪も染めていないしピアスもしていない。タバコも吸わなければ酒も飲まない。それで美化委員? はっ、その美化委員とやらは真面目な男に突っかかるのが仕事なのか? 美化委員会長っていうのは相当暇なのだね」

 ここはガツンと一度言っておく必要がある。そうじゃないと、このヒステリック娘は今以上に付け上がるに違いない。

「うあ、和人がまれに見るほどの強気……。加名盛さん、ここは素直に誤ったほうが良いと幼馴染の僕は思うよ?」

 いつもニコニコしている幼馴染なのに、今は表情が少し固い。そこまで俺はイラッとはきてはいないのだが、この幼馴染がそう言うなら相当なものなのだろう。

「うるさい! うるさい! わ、私は謝りませんわ。今日は見逃してあげますから早く教室に行きなさい!!」

 そう言ってヒステリック娘は俺の腕を離す。

 俺が望んだ事なのだが、俺はここでヒステリック娘の言った通りに教室に戻るわけにはいかない。もしここで教室に戻ってしまったらいつもと何も変わらない。ここはもっと強気に出なければ明日も同じ展開になること間違いなしだ。少しぐらい俺の印象が下がろうが別に構わない。その印象を犠牲に安らぐ登校につなげられるなら安いものだ。

 俺はヒステリック娘を見据える。

「そうじゃないだろ? 俺はもうウンザリだって事ぐらい察すれよ。もう俺に突っかからないでくれ」

「っ! 貴方は今何を言っているのか分かっているのですか!? 私は貴方が女性との付き合いがないため直々に私が貴方に接しているのですよ!?」

「それなら俺に突っかかる理由はなくなるな」

「どういう意味ですか?」

「それについては僕から説明させてもらうよ。っと、その前にこれを見てよ?」

 幼馴染は突然でしゃばってきた。まあ俺の口から偽りではあるが、彼女がいるとは言いたくはない。

 ポケットから一つの写真を取り出し、幼馴染はヒステリック娘の前に差し出す。

「侵害ですが、この私より美しい女性は誰です?」

「和人の彼女だよ」

「貴方は私をからかっているのですか? 失礼ですが、この男のそのような美しい彼女がいるはずがありません」

 本当に失礼だな、おい。

「ならこれを見ても同じ事を言えるかな?」

 さらにもう一枚ポケットから写真を取り出す。一枚目の写真はきっと見せても恥がないかもしれないが、その言葉から察するに二枚目は恥ずかしい写真に違いない。偽キスシーンか、睦月を見上げるシーンか、裸エプロンに迫っているように見えるシーン。百歩譲って偽キスシーンは許そう。が、それ以外は何が何でも他の人に見せる訳にはいかない。

 俺は幼馴染の手にある写真を奪い取るために焦りながら手を伸ばす。が、時は既にどうしようもない。

 ヒステリック娘は一瞬我が目を疑ったのか、何度も目をパチクリさせる。俺はそんな中、素早く幼馴染から写真を奪い取る。そしてその写真を見れば、偽キスシーンだった。見られた事に対しては良くは無いが、まだこの領域なら許せる範囲のためホッと安堵する。もし他の写真なら幼馴染との仲を決裂してもおかしくは無い。

「私の目が現役なら今の美しい女性とキスをしている写真ではないのですか?」

「……」

 ヒステリック娘は俺を一瞥しながら言うが、俺は何も言えなかった。

「何も言わないって事は真実なのですね。男女の付き合いの中ではこういった事もあるでしょう。ですが、私は一応美化委員会長として我が生徒が誤った道にそれないか見守る義務があります」

「何か? 明日も今日同様に俺に突っかかるとでも?」

「突っかかるのではありません。私は貴方を誤った道にそれないか見守るのです」

「……勝手にしろ」

 俺もこのヒステリック娘は苦手だ。何かしら理由をつけて俺に突っかかってくる。今回は幼馴染の失態でこうなったが、こうなるとは俺も予想をしていなかったから別に責めるつもりはない。それでも今後の課題としては幼馴染から写真を奪還することだ。

 俺はそれだけを言い残して玄関に向かって再び歩き出した。後ろか「待ってよ〜」と幼馴染の声が聞こえるが、聞かなかった事にして止まらない。我ながら小さすぎる反抗だ。


 教室に入ると、校門の騒ぎから俺たちを見るなりクラスメイトがコソコソ話を始めた。

 俺の席は廊下側の壁の中央辺りにある。俺は気にする事も無く、自分の席にバックを置きながら座った。隣の席は腐れ縁の幼馴染で、俺同様にバックを机に置いて少し座った。一つ違うとするなら、この幼馴染は申し訳なさそうに俺をチラリと見ていることだけだ。

「気にするなよ。俺は貴明を責めるつもりは全然ないから」

 本音はこんな姿の幼馴染を見るのは落ち着かないからだ。いつも通りニコニコしてくれないと調子がくるう。

「本当?」

 悲しそうな目で見上げてくる。その顔は小動物のようだった。が、こいつの場合は小動物でもバックに情報と言う名の大型の恐竜が控えているけどね。

「本当だよ」

「やっぱり和人は僕の見方だね!」

 実に嬉しそうだが、そういったことは人前で言うのは止めてほしい。俺にも変な疑惑がつく可能性が無いとはいいきれないからね。

 俺は大きなため息をついて机に突っ伏す。まだ一日が始まった序盤だが、この教室に至るまで嫌な事が多すぎる。特にヒステリック娘の存在が。

「あっ、そうそう。ちょっと小耳に挟んだけど、今日転校生がくるらしいよ。和人はどっちの性別だと思う?」

「さあね。俺には関係のない事だ」

「もう、少しぐらい話しに乗ってくれてもいいじゃない。僕の予想はね、きっと男だよ。ほら、転校生が美人な女性って展開は漫画かアニメの世界だけじゃない? だからむさ苦しい男が転校してくるに違いない」

 俺はチラリと視線だけを幼馴染に向けると、楽しそうだった。きっと新しい情報が手に入るとか思っているに違いない。

「貴明のむさ苦しいって基準はどこからだ?」

「そうだね。漫画とアニメを愛さない人は全般にむさ苦しいと思うよ」

「……聞いた俺がバカだったよ」

「それは聞き捨てならないな」

「なら聞くが、仮に汗っかきでおデブちゃんが転校してきたとする。その転校生がもし漫画やらアニメが大好きだったら同じ台詞は言えるか?」

「もしそんな転校生なら僕は大歓迎するよ」

 こりゃあ思っていた以上に重症だ。どこまで漫画とアニメをこよなく愛しているのだろうか。それ以前にいつから幼馴染は漫画とアニメを愛するようになったのかが気になる。

 オタク魂を全開にしているのか、拳を作って明後日の方向を見ている。

「……そうかい。貴明がそれでいいなら俺は何も言わないよ」

「なんなら僕の言っている事に現実味が沸くような話をしようか?」

「別にいいよ。俺も漫画は好きだけど、そこまで熱中しようとは思ってはいないからな」

「それってやんわりと僕の話は聞けないってこと?」

 おっと、この幼馴染に火をつけたら何をされるか分かったものじゃない。

 幼馴染はギロリと俺を一睨みする。

「違う。楽しみは次まで待っていようと思っているだけだよ」

 見苦しい言い訳しかできなかった。

「そうだよね。やっぱり和人はこっちの世界には欠かせない人材だから、コツコツと話す必要があるよね。ヤバイヤバイ、焦ったらダメだよね」

 言い訳した本人が言うのもなんだが、「別にいいよ」うんぬんと「違う」うんぬんは全然かみ合ってないぞ。どっからそういった言葉が出てくる。まっ、いいか。これで俺の被害が未然に防げたのなら嬉しいものだ。

「みんな席につけよ〜」

 そんな事を話していると、突然ドアが開かれて出席簿を肩たたき代わりにしながら担任の田中先生が入ってくる。

 田中先生の性別は男。離婚数は二回。現在その記録を伸ばそうとしている。そんな先生だ。悪い先生じゃないのだけど、先生と見るにはちょっといかつい顔をしている。どちらかと言えばそっち系に見えなくは無い。

 クラスメイトはこの先生に恐れているのか、シーンと教室中が静まり返る。

「欠席は……いないな。よし、良い話と悪い話。どっちから聞きたい?」

「……」

 誰も発言しない。おい、田中先生の眉が痙攣しはじめたぞ。

「……悪いほうから聞きたいです」

 誰も言わないから俺が言う破目になったじゃないか。

 俺はため息をついて窓の外に視線を送る。別に話しに興味が無い訳じゃない。ただ、どうせまた変な展開になると感づいて現実逃避に浸っているだけだ。

「悪いほうだな。来週テストがあるから気を引き締めて勤勉に勤めろよ。それで、良いほうだが、森澤は何だと思う?」

「転校生でしょ?」

「どうしてその情報を知っている。……どうせまた村井が学校にハッキングでもして得た情報だろ?」

「確かに僕はハッキングでこの情報を知りました。ですが、転校生がくるだけで、それ以外はまだ何も知りませんよ」

 なに白状している。ここは嘘でも白を切るに限るだろう。それよりどこからそんなスキルを得たのか俺は知りたいね。

 田中先生は諦めたようにため息をつく。

「まあいい。それより転校生だ。あまりはしゃぐなよ。ほら、入ってきなさい」

 それと同時にガラリとドアが開く音がした。またもや同時に男子の喜びに帯びた歓声。

 俺は視線を外から教卓に移す。

 絶句だ。

 ようやく今朝のような事が起きたのか理解できた。今朝睦月の姿が見えなかった理由。そして昨日どうしてあんな条件を出してきたのか全てが理解できた。

 教卓の前にはニッコリと笑みを見せる睦月の姿。服は偽メイド服ではなく、学校の制服を着ている。今までに偽メイド服姿しか見たことがなかったから、この服はあまりにも自然だ。

 隣の幼馴染を見れば驚きのあまりに放心状態だ。それもそうかもしれない。偽りではあるが、俺の彼女と紹介したのが土曜日で、その次の月曜に転校してきた。これを驚かないで誰が驚くってものだ。

「琴田睦月です。これからよろしくお願いしますね」

 偽名を使いやがったな。……いや、そうとも言い切れないかもしれない。俺は睦月の本名については何も知らない。あるのかも分からないし、もしかしたら無いのかもしれない。

 睦月は黒板に名前を書くとニッコリと誰にも負けないエンジェルスマイルをする。どうしてエンジェルスマイルなのかは、自分でも良く分からない。ただ、その笑顔が眩しかったからそう命名するのが妥当だと思ったからだ。それより気になるのが、名前の下に時期森澤睦月と書いてあるのが気になるところだ。

 本性を知らない男子は片手を上げて雄叫びを上げる。一人は憂いに満ちているのか涙を目に溜めて、一人は睦月のエンジェルスマイルに心を奪われたのか胸を押さえてはじめる。十人十色いろいろな反応をする中でもっとも凄かったのがクラス委員長だった。委員長はかけているメガネを高速で拭きすぎてヒビが入り、落ち込みながらも睦月を見つめていた。しかも両手を胸の前で握り、その姿は崇拝する人が目の前にいるかのようだった。どこまでテンションが上がるのか気になるところだ。

 さて、ここにきて一つの問題に直面する。もしこの状況で睦月と俺が付き合っていると幼馴染が暴露したらどうなるかって事だ。良くて無視、悪くてリンチだ。俺の平穏な最後の砦をも崩壊さないでくれ、マジで。

「それじゃあ適当に質問する時間をやるから、司会は委員長だ。ぱっぱと始めてくれ」

 委員長はメガネにヒビが入り落ち込んでいるかと思ったが、今までに見ないぐらいの笑顔で、嬉しそうに教卓までスキップする。その姿にクスリと睦月が笑えば、委員長は秘かにガッツポーズ。まさに計算したかのようだった。

「僕の名前は岡本健で、このクラスの委員長です。僕の事はダーリンとでも呼んでください。あっ、変な意味ではなく、僕は普段から皆にそう呼ばれて慕われています」

 いつ誰がお前をそんな風に呼んだのか詳しく聞きたいね。

「ひっこめメガネ!」

「何ドサクサにまぎれて肩を抱こうとしている!!」

「後で体育館裏にこいや!!」

 案の定野に解き放たれたケルベロスの如くクラスの男子は身を乗り出す。しかも筆箱やら靴までも飛ばす始末だ。なぜか全て委員長のメガネにクリーンヒットする。そのコントロールを今度の球技大会でも見せ付けてほしいな。

 委員長は割れたメガネなんて知らないといっているかのように、床に散乱したレンズを踏みつけて男子に睨みをかける。美しい人の前ぐらいはカッコイイところを見せないといけない精神が発揮したのだろう。中々のガッツを見せてくれてありがとう、委員長。

「君達は置かれている立場を忘れているようだね」

 クイッとメガネを上げる仕草。メガネが無いのに。

「僕はクラス委員長で、この質問タイムを仕切っている身だよ? そんなにガンを飛ばすぐらいならウィンクでも飛ばしてはどうだい? ええ!?」

「……」

 男子は一斉に無言でウィンク。なんとこっけいな姿だよ、情けない。

「君達は本当にバカだな! ウィンクを飛ばす事だけに全力を注いで誰も手を上げないとはね。はっ、これだから低俗は困る」

 今は別にいいが、プルプルと震えて我慢をしている男子が放課後に何をしでかすが分かったものじゃない。そこまで考えていないとすると、この委員長も相当なおバカさんだ。

「それでは質問タイムに戻ります。はい、鈴木さん」

 本名は鈴木円。性別は女性で、趣味と部活動はバトミントンとのこと。

「どうして転校してきたのですか?」

 取り敢えずメジャーな質問からきたな。

「家庭の事情で、急な転校が決まりました」

 教室中から「へ〜」と声が上がる。

 そんなこんなで質問タイムは進み、そろそろ授業開始の時間になった。そのため委員長は「あと二人」と言い残す。ここまでは全員女子と、男子には目もくれない酷さだ。むろん俺は手を上げる事はない。それどころか目すらも合わそうともしない。

「武藤さんいってみよう」

 どこまでも男子を当てる気はないようだ。そろそろ男子の殺気に気づいて早退でもしたほうが懸命な判断ですよ、委員長。

「その時期森澤睦月って、どういう意味なの?」

「私の口からは言えません」

 ポッと頬を赤く染める睦月。なんか卑猥だな、おい。

「それでは最後の質問となりました。ここは一つ転校生の琴田さんに当ててもらいましょう。指でもさす程度でいいのでよろしくお願いします」

 委員長が言い終えると睦月は「ん〜」と考え始め、指をさす。その先には俺。ではなく、隣の幼馴染だった。

「村井くんにしましょう」

 よからぬ気がする。さしずめ俺で遊ぼうと思っているに違いない。その証拠に睦月の口元が緩んでいる。

 教室中ザワザワとざわめきあう。

 俺と幼馴染は知り合いだから何も思わないが、他の皆はどうして転校してきたばかりの子が名前を言える。そう疑問に思っている。

 クラス中が幼馴染に集中する。男子は嫉妬の視線で、女子は興味の視線だ。

「彼女さんは今後僕の敵となる人ですか?」

 さらにざわめく教室。そりゃあ「彼女さん」とか言っているのだから、睦月に彼氏がいるのは明確だ。それだけならまだしも、幼馴染がその事を知っているとなれば、幼馴染の知り合いが睦月の彼氏だと勘のいい人は気づくはずだ。

「それなら宣戦布告として、そこの席を譲ってもらえますか?」

「それは無理な相談だよ。僕は和人を見守る義務があるからね」

「ではこれと交換といきませんか?」

 なにやら二人だけの世界に入っている模様だ。この中央に俺がいるのは残念だけど。

 睦月はポケットから一つの写真を取り出す。その写真は俺の知らない写真だった。それでも中央に映っているのは、紛れもない俺である。

「これを見てもそう言いますか?」

「そ、それは和人の寝顔じゃない!? それだけならまだしも彼女さんの膝枕バージョン! それは僕も入手していないレアな写真じゃないか!!」

 俺の代わりに詳しい説明をどうもありがとう。

 さて、詳しい説明は置いといて、ここまで二人の話を聞いていれば誰だって俺と睦月が付き合っていると分かる。ここは今から早退して、込み上げる男子の怒りが収まるまで登校拒否になるのが吉だね。

「これだけで満足できないのなら、これも差し上げます」

「っ! ぼ、僕が長年求めていた写真をどうして!! それよりどうして僕が持っていない写真を彼女さんが二つも持っているのさ!?」

 二枚目の写真は口にするのもためらう代物だ。あえて言うなら仮装パーティーでメイド服に仮装した。とでも言っておこう。

 俺の醜態を机から身を乗り出してまでも欲しいのか、幼馴染は。

「って、ちょっと待て! いつの間にそんな写真を撮った!?」

 睦月と幼馴染のやり取りを見ていたせいですっかり気に留めなかったが、俺はそんな写真を撮られた覚えは無い。

「もちろん和人が寝ている隙に、ね」

 ウィンクで可愛さをアップするのはいいが、そのウィンクは小悪魔のウィンクと受け取っていいよね?

 クラスの男子は睦月のウィンクが引き金となったのか、嫉妬のある視線から、殺意のある視線に変わりつつあった。このままだと視線で俺の精神はどうにかなりそうだった。

 俺はこの事態をどう収拾するか考えるものの、これといって良い案もない。それなら俺から睦月の側にずっと居たほうがまだ安全といえるのかもしれない。睦月の側にいるとロクな事がないのだが、安全を捨ててまで得るものは何もない。それなら素直に安全な策に身を任せるに限る。

 教室のあちこちから「同棲」という単語が出てきたが、ここで白を切ろうものなら後が恐いため俺は何も言えなかった。

「それで、この写真と交換に和人の隣を明け渡してくれますよね? それとも写真を諦めますか?」

「……分かったよ。この席は今日から彼女さんが好きに使って」

 観念した幼馴染は机の中を集めて俺の後ろの席に置く。一応そこには先客がいるのだが、この幼馴染には関係が無いようだ。

「そこの席僕に譲ってくれてもいいよ、進藤くん?」

 確か進藤は学校のマドンナをストーキングし、盗撮までした経緯があったはずだ。ここで幼馴染の頼みを断るようなら、校庭の花壇に西尾真琴のファンに植えられること間違いなし。

「……」

 進藤は無言のまま机の中身を整理し始めた。幼馴染に弱みを握られていることを既に知っているようだ。

 机の中身を整理し終わった最後のつめに机と椅子を軽く払う。

 幼馴染は悪い気持ちがさらさら無いのか、ニコニコの笑顔で椅子に座って新しい席に満足しているようだ。しかも嬉しさのあまりか後ろから俺の背中を突っついてくるのをどうにかしてほしい。

「話がついたところで琴田は森澤のとなりに座ってくれ。そろそろ授業が始まるから、あまり騒いで先生を困らせるなよ」

 さっきから教室の隅で椅子に座っていたから田中先生の存在をすっかり忘れていた。いかつい顔の割には俺と似ている部分があると実感した。影が薄いって部分だ。

 睦月は軽い返事をしながら手に持っているバッグを元幼馴染の机に置く。

「これからもよろしくね」

 小悪魔の笑みを浮かべて控えめにお辞儀。

 俺はこれから待ち受けると思われる非日常に心を躍らせる事は無く、ただ今日をどう無事に乗り切りかだけを考えた。


 一時間目の授業が終わり、俺は睦月の手をとって素早く教室を後にする。

 転校生がきた初日はクラス中の質問攻めになるのはどこ一緒で、それを阻止した俺に貧寒を買うのは致し方ないが、それ同様の疑問が俺にはある。

「どうやって転校していた?」

 誰もいない事を確認しながら言う。

 場所は特別教室が置かれている廊下。ここは授業で使う以外はあまり人が寄ってこない場所で、今の俺には都合のいい場所だ。

「ちょっとロクデナシの力を借りて、ね。迷惑だった?」

「当たり前だろ! 俺の平穏な日常をどうしてくれる!?」

「そのぐらい私が彼女って事で我慢しなさい。ほら、美人の彼女がいて鼻が高いでしょ?」

「それとこれは関係ない!」

「さっきから叫ばないでよ。いったい和人はどうしたいわけ?」

「俺が望んだ日常は全て無くなったよ! 睦月のおかげでね!!」

 そうだ同じことを繰り返したかのような日常。暇な休日。どこにでもありふれている平穏な学校生活。その素晴らしい日常が今では遠い過去のように思える。今の日常といえば、男子から嫉妬の目で見られ、家族からも疑われる。これを普通の日常といえるほど、俺は独特な日常を送ってきてはいない。そして今までの日常に戻れるのか、それすらも分からない。

 俺は言ってから後悔した。睦月の顔が徐々に歪んでいくのが分かったからだ。

 昨日俺は睦月と契約して後悔がない。そう言った。それでも心のどこかで睦月と出会った事に後悔をしている自分がいるのかもしれなかった。それが怒りという形で睦月に当たり、その結果として睦月を悲しませるような事になった。

「……変な事を言ってごめん。ちょっと色々とありすぎて混乱しているのかもしれない……。本当にごめん……」

「いいの。私だって勝手な事をしたと思っているし、和人に迷惑だって分かっている。……だけど主様に迷惑かける駒って邪魔だよね」

 睦月は苦く笑いながら無理やり笑顔を作った。その笑顔と言葉がどうしても俺には素直に受け止めることができない。人より少し違ったことができるだけなのに、自分の事を「駒」そう言った。たった少しだけ人より優れているだけ、なのに。それについて俺は気になった。

 言いたい事をいい、睦月は俺に背を向けて歩き出した。振り返る瞬間に睦月が泣いているような気がした。気がしただけだから、もしかしたら気のせいかもしれない。それでも俺の手は自然に動き、睦月の手を握っていた。

 前回と今回、理由がどうであれ俺は睦月の手を握ったのには理由があった。今回の理由は別に睦月が泣いているような気がしたから手を握ったのではない。それだけの理由なら俺は何も言えないだろう。ただ俺には睦月に言いたい事があった。

「睦月は駒じゃないし邪魔でもない! 睦月は睦月で、駒なんて言うな!!」

 自分で言っておきながら謎めいている。何が「睦月は睦月」だ。そんな事分かりきっている。俺にもっとボキャブラリーがあればこんな事は言わなかったのに。

「……和人。そう言ってくれたの、和人が始めて……」

 目に涙を溜めながら俺の胸にそっと顔を押し付ける。

 が、直ぐに胸のところに痛みが走る。

 いったいどこの世界に抱き合っていたら胸に痛みが走るのかと思いながら俺は痛みを我慢しながら睦月を見れば、俺の胸を思いっきり噛んでいた。

「なんて言うと思ったの!? ちょっとラブコメ的な展開を期待するのはいいけど、よくも私にイヤミを言ってくれたわね! ムカツクからもう一回噛む!!」

「いってー!! 噛むなよ!?」

 噛む前に俺の熱い心の叫びを返せ。私利つきならなおよし。

 俺はどこかホッとしたような気がした。こっちの睦月の方がどちらかといえば睦月らしいからだ。

「うるさい! 私をコケにした罰よ!!」

「いつ俺が睦月をコケにした!?」

「そんなの自分で考えなさい!!」

 このご立腹のお嬢をどうにかなだめないことには、何日も胸に歯型が残るハメになる。それだけは断じて嫌だ。

「帰りにお菓子でも買ってやるから、噛むのを止めろ!」

「子ども扱いするな!」

 悪化した。余計に胸に痛みが走るが、自分の言ったことからこの災いがうまれた。ここは俺が痛みを堪え、睦月のムカムカを見守る以外は何もないようだった。

 睦月にこんな姿があるのだと思い、俺は少し鼻で笑いながら俺より一回り小さい睦月の頭に手を置く。


 余談だが、言うまでも無く授業に遅れて先生に怒られた。女子からは面白い展開に騒ぎ立て、男子からは……思い出したくも無い。できるなら記憶の底で永久に封印したいぐらいだ。

 さらに余談だが、クラスメイトで友人の金田裕輔が「やっぱり森澤くんと俺は切っても切れない縁があるらしい。えっ? 何が良い事があったのかって? やっと聞いてくれました! 僕に嫁ができました!! あっ、もちろん二次元でね。森澤くんには悪いけど、三次元の女性のどこがいいのか俺の教えてくれないかな? ……ああ、やっぱりいい。聞いた俺がバカだったよ」とか何とか放課後に言ってきた。金田はイケメンなのに勿体ない。黙っていればそれなりに人気があっても不思議じゃない。……ほんと、どうでもいい余談だ。

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