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今更過ぎるだろ!
そう怒鳴りつけたいが、意識をうまく操れない。目の前にいる少女の存在に全てが釘付けになってしまう。
これが、ここに十年間住み続ける人間。蠱毒実験の発端かもしれない少女。
何も言えず、何もできず、聖母のような少女を見続ける。すると、聖母は震えた様子で、しかし大いなる慈愛を含んだ声で、俺に告げた。
「こ、ここから今すぐ立ち去ってください。私の傍にいては、あなたも死んでしまいます」
全身を大いなる慈しみで包まれるような錯覚。心の中から、正体不明の感動と感傷が込み上げ――究極の真実を悟る。
生きとし生けるものは全て、彼女のために生まれ、彼女のもとに還る定め。絶対の母なる慈愛を持つこの少女のために、命を捧げなければならない。
両手が、気づくと自分の首にかかっていた。そして、少しずつその力を強めていく。
徐々に息が苦しくなっていく中、頭の片隅にギリギリ残っていた理性が、最後の力を振り絞って口を動かす。
「ム……クロ…………。俺に、何があっても生きるよう……、頼んで………く……れ……」
その言葉を機に、最後の理性も消え失せ、聖母のもとに還ろうとする帰巣本能だけが体を支配した。
もはや息もできないほど首に力がかかる。そろそろ意識も失われそうなのに、手に込める力が弱まる気配は全くない。
――これは、もう死ぬしかないな。
生きることへの執着心が完全に失われ、意識がどんどん暗闇に落ちていく。
もはや視界が真っ黒に塗りつぶされた中で、紫色の何かがゆらりと動くのが目に映った。
そして聞こえる、死神を彷彿とさせる何の慈しみもない声。
「睦雄さん、あなたが死ぬと私は悲しいので、自殺しないでください」
その声が耳に届いた瞬間、全身から力が抜け、俺はその場に倒れ込んだ。




