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再びの静寂。
しかし今度の静寂は、長くは続かなかった。
ムクロの『お願い』。それを聞いてしまった神月は、すぐさま床に頭を打ち付け始めたのだ。
かつて俺が芥川の呪縛から自身を開放するために行ったのと似たような光景。ただ決定的に違うのは、それを自分の意志でやっているのか他人の意志でやっているのかという点。
呆気に取られてその光景を眺めていた俺は、ふと我に返り神月の体を羽交い絞めにした。
「おいオッサン止まれ! そんなに勢いよく頭打ちつけてたら死ぬぞ!」
全力で動きを静止させにかかるが、神月の動きは止まらない。とんでもない力で俺の拘束を解き、何度も何度も頭を打ち付ける。
これを止めるのは無理だと感じ、今度はムクロの肩を揺さぶった。
「おいやめさせろ! このままだとこいつ死んじまうぞ!」
「それが何か問題なんですか? 彼は私を殺そうとしたんです。だったら私も彼を殺そうとしたっていいじゃありませんか」
うつろな瞳には、人を殺すことに対する罪悪感は一切浮かんでいない。自分がやっていることは正しいこと。なぜ止められるのか理解できないと言った様子だ。
だがこのまま神月を殺させるわけにはいかない。俺がここから脱出するのに、この男は使えるかもしれないのだから。
はやる気持ちを抑え、頼み方を変えてみる。
「お前のやってることは別に間違ってねえ。先にお前を殺そうとした神月の自業自得だ」
「ですよね。だったら止めなくても――」
「だが甘い!」
俺の声がムクロの言葉を遮り、建物中に響き渡る。
「お前はやられたら倍返しだって言葉が好きなんだろ。だったら、殺しにかかってきた相手を殺し返すだけじゃ倍返しとは言えないはずだ。殺さずに、一生奴隷のようにこき使ってこそ倍返しってもんだろ!」
三度目の静寂。
ゼイゼイと息を荒げてムクロに目を向けると、口をぽかんと開けたまま彼女は固まっていた。
それなりに効果があったのか。ムクロは言い返すことなくぱちくりと瞬きを繰り返す。
そして――
「言われてみればそうですね。では、神月さん。もう頭を打ち付けなくていいですよ」
と『お願い』を撤回した。




