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礼儀正しい、ことは事実なのだろうが、何を考えているのか全く分からないうつろな瞳。普通なら逆に相手を恐怖に導く彼女の挨拶。俺からしたらあり得ないことだが、それを食らってもなお黒服の様子に変化はない。堂々と挨拶を返してきた。
「これは失敬。俺の名前は神月貪。君たちとは違いとある事情からこの施設に送り込まれた者だ。ただ、津山君は誤解をしているようだが、俺はこの実験を推進している研究者側の人間ではない。どちらかと言えば、その敵対組織に身を置いている人間だ。まあだから、俺に暴力をふるってここから出させようと目論んでいるなら無駄なのでやめた方がいいとは言っておくよ」
ここの研究者と敵対する組織の人間?
今の今までそんなものが存在するとは思っていなかったため、かなり不意を衝かれた気分に陥る。よく考えてみればこんな狂った研究を良しとするばかりの人間しかいないわけがない。この狂った研究を止めようと考えてくれる人の一人や二人、いてもおかしくはないだろう。
とはいえ、ムクロの話が正しければこの実験は十年前からずっと続いているはず。こんな都合よく、外部からそういった人間がやってくるとも思えなかった。
「胡散臭いな。突然そんなことを言われてもはいそうですかとは信じられねえよ。だいたいとある事情ってなんだ? この実験に反対してるんだったら、さっさと外部から働きかけて実験を中止するように仕向けてくれよ。わざわざ実験施設内に入って何をどうするってんだ」
「少し、こちらの目的を話すとなると面倒なんだよな。悪いけど津山君の質問や願いは後にしてもらえると助かる。こちらの仕事が片付いたら、ちゃんと君をここから出す手助けはするからさ」
くたびれた口調。しかし有無を言わせぬ威圧感を伴った言葉。
また一歩、無意識に体を後退させている自分に気づく。
話し方や態度からしてみても、ここの住人のように狂った様子は全くない。しかし、ここの奴らと共通する『毒』を、神月が持っているのは間違いなさそうだった。
質問をやめ黙りこんだ俺に満足したのか、神月は大きく頷く。そして、ムクロの方に顔を向けた。
今の話を聞いても特に変化はなく、相変わらず感情が何も映らないうつろな瞳。その瞳を覗き込んだ神月は、急に纏っている雰囲気を大きく変えた。さっきまで漂っていた倦怠感が消え、大型の肉食猛獣が持つような他を圧倒する威圧感を放つ。
そのあまりの変貌に、恐怖で俺は腰を抜かしかける。
唐突に雰囲気を一変させた神月は、ムクロに対して口を開いた。
「さて、予定とは違うが、目的の一つをここでやらせてもらう。
『命令する!
人の器を持ちながらその中に魂を持たぬ哀れな少女ムクロよ!
今この場で自害し、本来あるべき場所に還り給え!』」




