④
お泊まり会になってしまった夜が明けて、それぞれがそれぞれの日常、つまり休日を終えていつもの労働がある日常に戻っていく頃に決まった役割は、はっきり言って、お泊まり会状態にまで縺れ込むほど時間をかけなければならなかったのかと不思議に思うほど、大した意外性はなかったのだが。
それでも、この決定力不足の三人組が、とりあえずは役割を振り切れたことは、確かな前進、多少の偉業とでも言うべきものだったのかもしれない。
・・・但し、たった一つの問題がどうしても解決出来ないでいたのだが。
「俺・・・、もしかして、バイトの時間帯を間違ったのかなぁ・・・?」
「そんなわけないだろ。深夜なら時給も高いし、廃棄弁当だってよく出るし、大体、オマエ、なるべく接客したくないって言ってたじゃん。深夜の方が客、少ないだろ?」
「え? 芦さん、接客があまり好きじゃないってことですか?」
「そうそう、コイツ、人見知りで、レジ対応で、特に問題があるわけでもない客が相手でも、気疲れするタイプ」
「そう・・・、なんですか? なんか、意外です。僕は最初から、良くしていただいた覚えしかないので・・・」
「特例だよ、それは。ほら、俺達の間には、初対面でも深い絆があるっていうか、運命があるっていうか・・・、とにかくさ、あの時はみーさんの件で・・・、」
「っていうか、話が逸れてるんだけど」
「そうか?」
「そうだよ! 今は、俺のバイトの時間帯が・・・!」
「あっ! 僕、そろそろ出勤時間になってしまったんですけど・・・!」
「行ってきて下さい!」
「行ってきて下さい!」
爽やかな朝を迎えたものの、残されているたった一つの問題がどうしても気になり、その問題にたった一人、直面する羽目になった芦が、他の二人に聞こえるように態々洩らしたそれは、まるで運命のように話が逸れていった挙げ句、最終的には芦と井雲、二人揃って全く同じ言葉で宇江樹の旅立ちを支持する形で、全く同じ台詞を叫んでいた。
半ば話が噛み合っていないような状況でも、いざとなれば完璧にその言葉すら揃えて行動出来る、伊達に長い付き合いをしているわけではない二人で、そんなことだけは息ぴったりに行動出来てしまう、ある意味、とても無駄に長い付き合いをしている二人でもある。
そんな二人の見送りを背に、社会人としての責務を果たしに行った宇江樹に振られた役割は、仕事の合間を縫っての地元民の意見収集だった。営業の仕事もしている宇江樹が一番人の話を聞くのに適しているだろうという判断と、その辺りはお店を営んでいる人が多いという話だったので、宇江樹のところの商品を店に置いて貰えないか等という仕事の話から、実はうちの会社の土地は影沼さんから買わせていただいた土地で・・・、という形で話を繋げ、情報収集をする、というかなり高度な役割だった。少なくとも、芦や井雲には絶対に出来ない高度さがある、役割ではある。
宇江樹が旅立ってから数時間後、次にバイトに行く為に芦の部屋を後にした井雲に振られた役割は、仕事の合間のインターネット検索・・・、とはいっても、この間していたような、みーさんの仲間らしき神を探すことではなく、役所のホームページに載っているというインタビュー記事を探しだし、出来れば印刷して持ち帰ることだった。
これくらいならば、仕事の合間でも出来るだろう、という判断と、三人の家にはプリンターがないので、印刷して持ち帰り、皆で読めたらいいだろうという判断で振られた、ぎりぎり井雲でも出来ることだった。
そして最後まで自宅に取り残された芦は、自分に割り振られた役割を前に、多少、途方に暮れ、多少、投げ遣りになっている。宇江樹ほど高度な技術は要らない。ただ、井雲よりは難しい。・・・そう、難しいのだ。確かに一度、経験があるといえばあるが、それでも難しいし、そんなこと、して良いのかとすら思う。自分に出来ることじゃないんじゃないかとも思う。
みーさんを連れて図書館に行き、資料を検索、コピーしてくるなんて。
・・・図書館に行くのも、資料を検索するのも、コピーするのも大した技術は要らない。確かに、資料というのは探したいモノがなかなかピンポイントで見つからないものだ。簡単に見付かると思っていたのに、探してみたら思いの外時間が掛かる、なんてことはざらにあるだろう。
ただ、それでも根気よく探せば見つかるものだし、芦だって、その程度の労力を惜しむつもりはない。だから、それはいいのだ。それはいいのだが、問題は・・・、みーさんを連れて、という点だった。
どうして、みーさんを連れて行かなくてはいけないのか?
だって、みーさんに一人で留守番をさせるわけにはいかないだろう?
外に連れ出して、見つかったらどうするのか?
見つからないように頑張れ! この間の神社仏閣巡りの時だってどうにかなったんだから、大丈夫!
どうにかなるかどうかなんて、分からないだろ!
平日の図書館に大した人なんているわけがないし、それに新しい服も着て、どうみても就学前の人間の子供に見えるようになっているから、平気だって!
・・・等々、攻防は激しく続いたのだが、結局、芦の抗議は通らなかった。
芦の不安の声を真摯に受け止めてくれた宇江樹はやんわりと、やはり自分が休みの時に行きましょうか、と申し出てくれたのだが、事態の一刻も早い解決が望まれる、という、どこの団体の主張だと言いたくなるような井雲の訴えが何故か通ってしまったのだ。
通ってしまった、というより、その訴えに芦が折れてしまっただけなのだが。
ただ、芦が折れた理由はもう一つあったのだ。もう一つ・・・、いや、その一つこそが、芦が抵抗しきれなかった本当の理由だった。井雲の強引な主張を撥ね除けることがギリギリ出来たとしても、芦には円らな瞳が楽しげな、嬉しげな輝きを宿してしまえば、その輝きが曇るようなことは絶対に出来ないのだから。
新しい洋服と靴を身につけ、嬉しさのあまり外に出たがっているみーさんの期待に満ちた眼差しには。
「・・・ってか、なんでうちの母親は、妙なタイミングで妙な物、送ってくるのかなぁ」
「みぃ?」
「あっ、何でもないよ! みーさん、あのね? とっても似合っているから、その被っているヤツ、取っちゃ駄目だからねー」
「みぃ!」
みーさんの新しい服・・・、それは何故か少し前に芦の母親が何の前触れも説明もなく送ってきた、芦の小さい頃の子供服、つまりお古だった。
部屋の片隅に積んであったそれを、半ば言い争いに近い状態に陥っていた際、まるで天が井雲に味方したみたいに偶々発見されて、勝手に取り出されたそれを見た途端、みーさんがはしゃぎだし、その喜びに井雲が乗っかった辺りで、全ての決着はついていたのだろう。
天が味方したとしたらその相手はみーさんのお仲間で、その高貴な方々が人間のお古をみーさんが着ることに賛成してくれるのかどうかは疑問が残るし、もしみーさんが喜ぶなら人間のお古であるという点くらい目を瞑ろうという意図だったとしたら、そこまでみーさんに甘い方々が今もってみーさんの手助けを自主的にしてくれていないことをどうなんだろうと思ってしまうのだが。
とにかく、みーさんは気に入ってしまった。芦のお古の、一着を。そしてそれを来て、翌日、つまり今日外出することを心待ちにしてしまっていたのだ。芦が、みーさんを外に連れ出して、何かの騒ぎになってしまったらどうしようと心配しているなんてこと、全く気づくことなく。
そして、自分が連れていくのでなければ何となく大丈夫じゃないかという簡単に思えてしまう井雲と、そんな井雲に押し切られてしまう宇江樹の様子にも、気づくことなく・・・、今現在も、芦と手を繋ぎ、初めて着る外出着にご機嫌な様子で歩いていた。
カラフルな図形をあしらった、恐竜型の着ぐるみのような上着を着て、セットになっている恐竜の足みたいな靴を履いた姿の、みーさんが。
・・・諸々の思うことを飲み込んで、純粋な感想だけを述べるなら、言える事はたった一つだった。可愛い、とっても可愛い、写真を撮って飾りたいくらい可愛い、そんな感想だ。
つるつるとした素材で作られたその上着は、上下が繋ぎ状態、つまりすっぽり身体を覆う形で、地面に着かない程度の長さの尻尾も作られているし、背中には三角の棘みたいなものが、幾つか、背骨に沿って点けられている。
手も覆われていて、頭もフードを被るようにすっぽりと恐竜の頭部に当たる部分を被り、しかも多少、今のみーさんの体格よりは上着が大きいおかげで、前に外出時に来ていたレインコートと同じように、被ると目元近くまで顔が隠れ、更には影が顔を隠し、その顔が覗き込まれたり、みーさんが顔を仰向けない限りは窺えないようになっている。
靴も上着とセットの恐竜の足形のもので、周りからその姿を見られる心配はかなりの確率で減っているような、もうみーさんの為にあるような一式セットだった。
そんな可愛らしい物を芦自身が来ていたという気恥ずかしさや、結局どうして突如、そんな物を送ってきたのかという芦の母親の心理や、何より・・・、
蛇の神様が恐竜の格好をするのはどうなんだろう、という疑問、
・・・それら諸々をどこかに放り出せさえしたなら、本当に、何の問題も無く良く似合っているし、楽しげに、リズムを取っているかのように弾みながら歩いている様を見れば、放り投げる気がなくてもうっかり放り出しそうになるくらい微笑ましい状況だった。
投げてしまってよい問題かどうかの答えは、永遠に出そうにないが。
歩いている姿を見れば微笑ましくて思わず笑みを浮かべそうになるのだが、辺りに人がいないかどうか確認の為、常に周りに視線を投げかけているので、当然、その度に心が安らがなくなる芦は、自分の精神状態が波打つのを感じながら、ともすればみーさんの歩調を考えない速度になりそうになるのを堪えつつ、ひたすらに、一心に、図書館を目指す。
芦個人としては滅多に立ち寄らないのだが、それでも幸い、一度も利用したことがないわけではなく、場所は知っているし、歩いて行ける距離だった。
途中、人通りが多い道にもぶつからない進路で、ましてや今は平日の午前中、学生や社会人は暢気に町中を歩き回っているような時間帯でもない。
じゃあその時間帯に暢気に歩き回っている自分は何なのだ、という自問自答や、それにしたって人に会わなさすぎだろう、ここは本当に都会なのか、という、もう幾度目になるのか分からない疑問から目を逸らし、ただただひたすらに歩き続けること、二十数分。
本当に、信じがたいことに、むしろ信じたくないほどに、人っ子一人見かけることすらないまま、図書館に辿り着いてしまったのだった。
確かに、店とかの前は避けていた・・・、が、それにしたってこの状況は有り得ないのではないか、有り得るとするなら、やはりここは都会ではないのではないか・・・、等という全力で逸らしている疑問が自分をそれでも取り巻こうとしているのに気づきながらも、芦はそれすらも必死で無視し改めて周りを見渡して人がいないのを確認してから、図書館の入り口へ向かう。
もし図書館の中にも受付以外に人がいない、なんて事態が起きたら、自分は一体どうしたらいいのだろう、という、まだ見ぬ危険、その可能性に戦々恐々としながら。