③
宇江樹は、その告白を目を瞑って口にした。まるで苦行に耐える修行僧のような顔で、眉間に皺を寄せ、苦悩を顔に刻んで口にした。
それは、決してその言葉を口にすることが辛かったからではない。勿論、辛くないかと聞かれれば辛いのだ。自分が口にした言葉が何を意味しているのか、またその結果、自分がまたどれだけの贖罪を胸に抱えなくてはいけないのか、その事を思えば、辛くて辛くて仕方がないくらい、辛いのだが、しかしそれよりもっと辛いことがあったからこそ、目を瞑ったのだ。
自分が発する言葉によって、友達が、自分の父親の激しい迷惑を被っている友達が、更なる絶望へ突き進む姿を目にするのが堪え難く、どうしてもその哀しい姿を直視する勇気が持てなかったからこそ、目を瞑ったのだった。
・・・たとえどれほど固く目を瞑ろうと、気配として聞こえてしまう声なき絶叫を防ぎきることは出来ないのだが。
そっと、宇江樹が静かな苦行を耐えながらその目を開くと、目の前には宇江樹の想像より悪い状態で壊れかけている芦と井雲の姿があった。芦は漫画の表現より過剰な様で両手で頭を抱え、俯いて全身を小刻みに震わせているし、井雲は額に両手を当てて目を瞑り、天を仰いでいる。まるで、何かの許しを請うように。
二人とも、ダメージは深かった。どうしようもなく、深かった。宇江樹はその様に、もうこれ以上は語らないでおいた方がいいんじゃないかと迷ったのだが、しかしそういうわけにもいかないこともまた、分かっていた。
何故ならたとえ全ての原因が、その責を負うべき人間が自分自身であったとしても、もう問題は波及してしまっており、一人で抱えきれる時点を過ぎてしまっていたからだった。
芦達もまた、当事者になってしまっている以上、語らないで終わらせることは出来ないのだと。
重い十字架を背負わせてしまった、そんな悔恨の念を滲ませて、宇江樹は再び口を開く。・・・十字架はたぶん、みーさんとは違う宗教なのだが。
「父が・・・、影沼さんの、代理人っていうんですかね・・・、影沼さんが自分の土地財産の対応をお任せしている方とお話しして、それで今の土地を買ったんです」
「・・・」
「・・・」
「それで・・・、少しして、影沼さん、体調が優れなくなったそうで・・・、あ、それは年齢的なものだったみたいなんですけど・・・、とにかく土地を買わせていただいたご縁もあるので、お見舞いも贈ったりして・・・、持ち直したり、また悪くなったりを少しの間繰り返したみたいなんですけど、結局、お亡くなりになったんです。うち、会社の名前でお香典も出したので・・・、だから亡くなったのは間違いないんですよ」
「・・・」
「・・・」
「間違い、ないんですけど・・・、何故か、その亡くなった方が今現在も、あの土地の所有者として登録されてまして・・・」
「・・・」
「・・・」
「遺産の整理とか、そういうのが終わっていないのかな、とも思ったんですよ。亡くなってから数年は経っているはずなんですけど・・・、でも、そういうこともあるかなって。でも、気になってご自宅の所有者、探したんですね。香典とか出したので、住所は知っていたので・・・。それで調べてみたら、そこは既に他の方が所有されていて・・・、親戚なのか、それとも違う方なのかは分からないんですけど・・・、とにかく、相続されているみたいなんですよ。だったら、あの土地がそのままって、おかしい気がして・・・、おかしい、ですよね? 法律上、どんな扱いになるのか良く分からないんですけど・・・、おかしいことは間違いないないんじゃないかなって・・・」
「・・・」
「・・・」
「あの場所・・・、みーさんがお奉りされていた場所じゃないですか? だから、もしかして何か、超常現象的なことが起きているのかなって思ったりもして・・・、それにその土地を所有していた方ってことは、あのお堂の存在を勿論知っていたんでしょうし、ってことはみーさんのこと、何か知っていたのかなとか、そういうことも気になったりするんですけど・・・、実はこれを調べて以来、一番気になって仕方ないことが他にあって・・・」
「・・・うっ、うーさ、ん」
「・・・あの、えっとぉ、」
「・・・もしかして、父が今の会社の土地を影沼さんから買ったことによって、影沼さんの他の所有地であるあの場所を・・・、あの場所にいるみーさんを東狐さんが嗅ぎつけたんじゃないかって・・・!」
「うーさん! もういい!」
「そうだ! うーさんは何も悪くないって!」
淡々と話し続けていたはずの宇江樹は、一番気がかりで、自分を混乱の渦に突き落とした予想を再び、自分自身の言葉で突きつけることによって、保っていた精神を崩壊させてしまった。
顔を両手で覆い、額を床に押しつけんばかりに身体を前に倒しているその姿は、神に罪を告白し、裁きを待ち侘びる罪人にしか見えない。
そしてそんな宇江樹の話を半ば恐慌状態で聞いていながらも、最終的に崩壊した宇江樹を前に、自分達が陥っていた状況を全て放り出してまで宇江樹に取り縋り、その罪を否定する芦達の姿は、さながら真摯な情状酌量人のようだった。
勿論、情状酌量してくれるような相手はここにはいないし、そもそも芦達が口々に言うように、宇江樹に罪なんてないのだろうが。
取り縋り、宥め、励まし、そうしている内に完全に芦達の精神状態は通常レベルまで戻り、宇江樹もまた、一度は崩壊してしまった精神をどうにか再び元の形に近いレベルにまで組み上げることが出来た。
おそらく、この崩壊を芦宅に来る前に何度も引き起こしてはどうにか組み直してという作業を繰り返してこの場所まで辿り着いたのだろうから、この崩壊に対して、多少の慣れが出来ていたのだろう。
芦達に促され、ゆっくりと倒していた上半身を戻した宇江樹は、崩壊こそ脱出したようだが、顔色が生きている人間のものではなかった。唇も色を失うその姿は哀れの一言以外ないほどだったが、しかしそれでも瞳には組み直せた精神に宿る正気の色が浮かんでいて、とりあえずは話が出来そうな状態に、ひとまず芦達は安堵をした。
安堵して、今度は自分達の方から切り出す。何度も宇江樹から辛い話を切り出させるのでは、あまりに不憫だったから。
「とにかくさ、今は、うーさんの会社の土地の話じゃなくて、みーさんのお堂があった土地の話なんだから、それだけに内容を絞ろう」
「いっくんの意見に賛成します! うーさんも、な? そうしよう?」
「・・・いいんでしょうか? 僕は・・・、」
「いいんだよっ! な? いっくん!」
「いい、全然いい。そうしよう!」
「・・・ありがとうございます」
「まぁ、とにかく今、分かっている事は・・・、あの場所が、その亡くなったっていう人の土地にまだなっているっていう、謎の事態が発生しているってことだよな? 他の土地の所有者が変わっているんだから、さっきうーさんが言った通り、間違いなく何か超常現象的な力が動いているんだと思うんだけど・・・」
「もしかして・・・、みーさんの力とか・・・?」
「所有者を死人のままにしとくご利益って、あるか?」
「ご利益、という感じはしないですけど・・・、でも、さっきも言った通り、自分の土地にお堂があることを知らないわけはないと思うので、やっぱりこの状況に関して、何かは関係しているのでは・・・?」
「一応・・・、みーさんに聞いてみる?」
芦の戸惑いながらの提案に、いつの間にか何となく顔を寄せ合い、密談めいた雰囲気を醸し出して話し合っていた三人は、それこそ何か怪しげな話し合いでもしていたかのような態度で、そっとみーさんの様子を窺った。
三対の視線が向く先の小さな神様は、どうにも怪しげに見える動きをする三人の様子に気づく素振りもなく、食べ終わったお菓子の容器をテーブルに放置したまま、テレビに釘付けになっている。
しかも小さな両手で握り拳を作り、胸の前でその拳を維持したまま、楽しげに首を前後に振っていた。まるで、リズムでも取っているかのように。
・・・見ている内容が女性アイドルの裏の顔、という特集で、結構な陰湿な顔が赤裸々に流れているというものであるのに、何故その動きなのか、三人とも理解が全く出来ないでいたのだが。
そっと目を逸らしたのは、誰が最初だったのか。おそらく、皆、同じタイミングだろう。きっと見せてはいけないのだろう内容を見せてしまっていること、何故かその内容で楽しげにしていること、それらの様子を目の当たりにしても尚、楽しそうにしている様にチャンネルを変える勇気を持てないこと、全てからの逃避をせずにはいられなかったのだ。どうしても、そう、どうしても。
逸らした視線の先で再び密談態勢に戻った三人は、言葉より先に、交わした視線で互いの意思を確認した。・・・芦の先ほどの提案は、却下しよう、と。提案した当人である芦ですら、その意思を支持する。何故なら自分達はあの光景から目を逸らしてしまったのだから。見なかったことにしてしまったのだから、もう声なんてかけられないだろう、と。
視線だけの意思の確認の上で、ゆっくりとその口は開かれた。言葉という明確な形で、改めて意思の確認をする為に。そしてその役は、するべきではないタイミングで提案を口にしてしまった責任をとって、芦が担った。
「みーさん・・・、今は食後のデザートも食べて、のんびりタイムみたいだから・・・、ちょっと、話は後にしよっか!」
「そうだな、俺もそれがいいと思う」
「ぼっ、僕もです!」
「よし! じゃ、そういうことで・・・、えっと、話、なんだっけ?」
「なんでみーさんのあの土地で、超常現象が起きているのかって話だよ」
「みーさんが関係しているのかなって話なんですが・・・」
「えーっとぉ・・・、あれだよ・・・、」
「あれ?」
「何か心当たりが?」
「え? いや、具体的に何かっていうわけでもないんだけど・・・」
芦は無事、責任を取り、井雲も宇江樹もその、立派に果たされた責任に同意を示した。
そして無事、大役を果たした安堵の所為で、そもそもの話の流れが曖昧になりかけていた芦は、深い考えもないまま、曖昧な言葉ばかりを重ねていって・・・、ふと、その重ねていた曖昧な言葉すら途切れた瞬間、真っ白になりかけていた脳裏にとても簡単な答えが浮かぶ。
そしてその浮かんだ答えを、何の吟味もしないまま、芦の口は芦に意思確認すらせず、あっさりと解き放ってしまう。
「とりあえず、みーさんの信者ってことじゃないの? だって、あの土地の持ち主なんだし」
・・・それは、とても簡単な答えだった。関係者とか、何かあるとか、そんな曖昧な表現を使わなくても、三人が漠然とイメージし、漠然と予測していた答えをそのまま形にしたものだったのだ。どうしてもう少し誰かがその単語を、ずばっと口にしなかったのかと自問したくなるほどに。
激しく繰り返された芦の瞬きは、自分がまさか、こんなにも明解な答えをもたらせる人間だとは思わなかったとでも言わんばかりのものだった。自分が予想外に素晴らしい能力を秘めていたことを知らされたかのような目をして他の二人を見ているその目には、同じように驚きを宿した目をした二人の姿が映り込んでいる。
純粋な驚きと納得を宿している宇江樹はともかく、信じられないとでも言いたげな失礼な色を浮かべた井雲の姿も。
半ば自分で自分に感動しかけていた芦は、井雲の失礼すぎるほど失礼なその態度にその感動が薄れてしまい、流石に抗議の一声を上げようとしたのだが・・・、付き合いの長い井雲は、察するのも早かった。芦の表情の変化に気づいたかと思うと、すぐさま口を開く。余計な抗議を受けまいという、先制攻撃に近い形で。
「確かにその可能性が高いよな! だから変な、超常現象が起きているんだろうし・・・、ってことはさ、その人のこと調べたら、みーさんのこと、少し分かるんじゃね?」
「・・・そうか、そうですよね、僕達、みーさんのこと、知ろうとしていたんですもんね」
「・・・そういや、そうか」
井雲の攻撃は、鮮やかに決まった。あまりに鮮やか過ぎて、宇江樹のアシストまでゲットし、簡単に芦に抗議を忘れさせてその攻撃を納得させてしまうほどに。
確かに、その攻撃は的確だった。そもそも土地の持ち主のことを知りたかったわけではなく、みーさんのことを知りたい、もっと言えばみーさんと仲間に当たる神様を探したいというのが本来の目的で、他に手がかりがないからあの土地の持ち主のことを調べていたのだ。
そうして調べた結果、どう考えても超常現象だとしか思えないことが起きているなら、もうそれが目印といっても構わないくらいだろう。
その目印を探せば、みーさんのことが分かる、と。
当初の目的をはっきりと再自覚した三人は、自分達が掴んだモノが溺れる者が掴むあの、頼りなくも微かな希望に当たるものだと気づき、僅かにその顔を輝かせた。色んな意味で迷走し、沈んだり沈んだり、更にまた沈んだりもしたが、突如、微かに持ち上がって輝きだしたのだ。
・・・おそらく、これが希望だと言うなら今日のこの騒動の最初から掴んでいただろうという話であることに、三人ともが気づかないでいるだけなのだが。
しかし、希望や喜びというものは、何かを気づかないでいる人間の鈍さに起因するのだろうから、それはそれで良かったのかもしれない。
「まぁ、じゃあこれからその、なんだっけ? カゲヌマさん? その人のこと調べないといけないだろうけど・・・、どうやって調べるかが問題だよなぁ」
「もう死んでいる個人のことなんて、調べる方法ある? 俺達、何かの記者とかじゃなくて、一般人じゃん」
「親戚の人とか、近所の人に聞くとかしかないんじゃねーの?」
「それ、どんな理由で聞きに行けばいいんだよ?」
「あっ、あの! たぶん、調べる方法はあると思うんです!」
「え?」
「マジで?」
「実はその方、この辺に幾つも土地を持っていた、所謂、地主さんだったみたいなんです」
「地主って・・・、つまり、お金持ち的な人だったってこと?」
「そうみたいです。事務手続きをしたうちの会社の人に聞いたんですけど、そういう、知っている人は知っているような人だったんで、地域限定の雑誌とか、地元の何かの取材とか、そういうのも結構あったみたいですよ。で、そういう記事で、図書館とかに残っている物も結構あるんだそうです。前に影沼さんと手続きがてら雑談をした際に、取材にあった、その記事が載ったものが図書館とか、えっと、確か役所のホームページの特集とかにも載っているんだって、自慢していたそうなんです」
「うおぉ・・・、マジか・・・」
「そこそこ、スケールのある金持ちだったんだなぁ・・・」
「そこそこどころか、本当に結構な感じだったみたいですよ。地元の名士、とかだったんですかね? 古くから、有名な家みたいなんです。影沼さんって。ただ・・・、」
「ただ?」
「ただ、結構な変わり者っぽいって、うちの事務の方は言ってたんですけどね」
勿論、ご本人に会ったわけではないので、実際のところはどうだか分からないんですけど・・・、と続いた宇江樹の台詞は、とても善良な彼の性格に由来する発言だったのだろう。
芦と井雲の二人は、地主、金持ち、という単語が出てきたという理由だけで、会ったこともない宇江樹の会社の事務方が、同じく会ったこともないその地主に対して抱いた評価を、正しいものに違いないと判断したのだから。
ただどれほど勝手な判断を下していようとも、その地主が有名だったおかげで死後の情報を集めることが出来るのなら、有り難いことには違いない。芦達は、地主本人に対する印象や諸々は横に置いておいて、とにかく三人で話し合いを始める。
始める、というか、本当はもうずっと続いていたはずなのだが、とにかく再度、これから先の行動を決めるべく、具体的に話を詰めていく。口には出さないが、そういえばこの問題が勃発した際にも、同じように果てしない遠回りの末にようやく具体的な話し合いに到達するという、似たような流れを辿っていたような気がするな、と思いながら。
口には出されないそんな思いを抱きながらの話し合いは、結局、それからも夜までかけて長々、続いた。当然のように、横道に逸れに逸れて。